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前編

 村一番の大屋敷に、村中の者が集まっていた。


 男たちは皆赤い顔をして、したたかに酔っており、踊りだすもの、唄をうたう者、自慢の武具を披露し、拵えについて熱く語る者、様々であった。


 女たちは、あくせくと酌やもてなしに追われていたが、途中からは男たちと同じように盛り上がっていた。


 とくに裕福でもない小さな村。街からは遠く離れ、日々の楽しみごとも少ない。一年に一度の祭もささやかなもの。

 名主の息子の祝言、しかも村中が招待されるとあっては、皆が浮かれるのも無理からぬことだった。


 招待客は入れ替わり立ち替わり婿の元にやってきて、村一番の美人の娘を嫁にした婿を、さすがは名主の息子であると誉めそやした。

 婿は自慢げに、美しい娘を娶る男の甲斐性について講釈を垂れていた。

 花嫁は、婿の隣で淑やかに佇み、時おり男たちの話に相槌をうつように頷いていた。


 浮かれた招待客には、穏やかに微笑む花嫁に見えたことだろう。その実が、胸の内を押し殺して、悲しく見えぬよう懸命に堪えている姿だとは、娘の肉親のほかには誰も思うまい。


 今夜、この嫌な男と床を共にせねばならない。

 そう思うだけで耐え難いことだったが、これからはそれが日常になるのた。


(水神様、どうか、私の心を食べてしまってください。―――そうすれば、どのような苦しみがあっても、何も感じることはなくなるでしょうから)


 もはや祠守ではない自分の祈りは水神様に伝わらないだろう。そう思いつつも、必死で願わずにはいられなかった。



◇◆◇



 村にはひとつだけ、お社があった。


 古めかしい石造りの社で、水神様の祠と呼ばれていた。

 村には大きな川の支流が流れ込んでおり、田畑を潤していた。


 娘が幼少のころ、幾年にもわたる大干魃があった。近隣で最も大きな川が干上がるほどの酷いもので、村全体が困窮した。

 娘の両親は揃ってお人好しで、自分の家が苦しいにも関わらず、あるだけの蓄えを親族知人に分け与えた。そうやってついに、村一番の貧乏になった。


 ある時、村の誰かが言い始めた。

 日照りがこうも続くのは、水神様がお怒りになったせいではないかと。


 忘れ去られ、世話をする者も居なくなっていた祠の存在を、人々は思い出した。


 ある老人が、かつては水神様の世話をする祠守(ほこらもり)という者がいたはずだと言った。

 べつの老人が、それは婚姻前の清らかな娘であったはずだと言った。

 その老人の妻が、蔵から古い書物を出してきた。

 水神様をお祀りする儀式の手順が書かれているという。

 書物は厚く、儀式は手の込んだもののようであった。

 老人の妻が言うには、祖母の代頃までは、その神事をおこなっていたらしい。

 とはいえ、老人の妻にも詳しい内容まではわからなかった。書物が読める者の数はそう多くない。


 話し合いの末、やはり祠守を復活させるべきだということになり、書物の内容を祠守になる娘に教える役として、村一番のの秀才の男が選ばれた。

 そして、お人好し夫婦の娘が、祠守に選ばれた。

 選ばれたといえば聞こえがいいが、要は押し付けられたのである。


 秀才の男によれば、儀式は悪天候と収穫時期をのぞき、毎日休まずに行う必要があった。

 儀式も手順が多く、すべてを執り行うのに二刻はかかろうかというものだった。

 子供であろうと貴重な働き手。毎日二刻もの時間を貸し出せる余裕はどこの家にもなかった。


 お人好し夫婦は、毎日捧げる供物の調達についても、するりと押し付けられていた。

 保存のきく豆や麦はまだ良かった。種類は多いが、毎日取り替える必要はない。一年は保つだろう。

 問題は、毎日炊いた(いい)を捧げなければならないことだ。

 自分たちでさえ、そう毎日煮炊きをできるほどの余裕はないのだ。だが、水神様を鎮めるためなら致し方ないと、夫婦は受け入れた。


 その時娘は、(よわい)七つであった。

 幼い娘にとって、祠守の仕事は体力的に厳しいものだった。

 だが、娘は儀式自体は嫌ではなかった。


 儀式の手順を覚えるのは大変だったが、秀才の男は娘に同情的で辛抱強く教えてくれた。


 覚えてしまえば、さほど頭は使わない。


 水神様に祈るとどこか満たされたような気分になった。

「水神様が願いを叶えてくださり、皆が豊かに暮らせる村になった」そんな未来を夢想していたからかもしれない。

 子供特有の素直さで、娘は水神様が願いを聞き届けてくださることを疑わなかった。


 ある日、娘はいつものように祠に向かったが、日が暮れる頃になっても家に戻らなかった。

 心配した夫婦が探しに行くと、道端で血を流して倒れていた。ひどい怪我だった。

 聞けば、以前から村の悪童たちに嫌がらせを受けていたらしい。彼らを扇動しているのは、名主の息子だった。


 夫婦は村の幾人かに声をかけ、名主の家に訴えに行った。娘は祠守であり、怪我を作られては困るのだと。

 名主は祠守とあっては捨て置けず、言って聞かせると答えたが、当の息子は、

「襤褸をまとう、乞食のような娘がうろついているので、盗人やもしれんと思い、成敗したのだ、祠守などとはとても思えぬ」

 悪びれもなく言い放った。


 それからも娘への嫌がらせは続いた。大怪我をすることこそなくなったものの、頻繁に痣や擦り傷をつくって帰ってきた。


 お人好し夫婦は、大いに反省した。

 娘は貧乏人と侮られて、このような仕打ちを受けたのだ。

 夫婦は懸命に働いた。

 相変わらずのお人好しではあったが、蓄えをすべて放出するような向こう見ずはしなくなった。



◇◆◇



 娘は十六になった。


 干魃は昔のこととなり、どの田にも青々とした稲が力強く育っていた。

 娘の家は貧乏ではなくなり、次にまた干魃が来ても、数年は耐えられるほどに蓄えもできた。

 服は襤褸から小綺麗な衣に変わり、ぼさぼさの髪は艶やかに整えられ、痩せこけた頬はふっくらとして赤みを帯びた。

 美しく育った娘には、以前からいくつも縁談の申し込みが来ていた。これは良いと思える話もあったが、夫婦は返事を先延ばしにしていた。

 かつて悪童たちから受けた嫌がらせで、娘は見知らぬ男に恐怖心を持つようになった。夫婦は娘が不憫でならず、嫁に行きなさいとは言えずにいた。

 だが、それが良くない方に向かった。


 名主の息子が、娘の美しさに惚れ込んだのだ。

 名主の家より婚姻の打診があり、夫婦は顔を青くした。かつては石を投げるほど娘を嫌っていたではないかと訴えたが、子供の頃のいたずらだと取りあってもらえない。

 娘が大怪我をした時に、共に名主の家に訴え出てくれた者たちに相談したが、

「惚れているなら、もはや無情なことはしないだろう」

 そう言われてしまった。

 彼らにしてみれば、祠守の娘の身を守るという大義かあった時とは状況が異なる。

 名主の機嫌を損ねて目をつけられたくない。あるいは娘が断れば、次は自分の娘があの乱暴者と縁を繋ぐことになるかもしれない。そうなっては困る。そんな打算もあった。

 それでも夫婦はなんとか断りを入れようと奮闘したが、仲人の者に、

「これ以上ごねては、名主の奥方が機嫌を悪くされるばかりだ」

 そう言われ、何も言い返せなくなった。

 名主側は諦める気がない。強情を張るなら結婚後の娘の立場が悪くなるばかりだぞ。そう脅されたも同然だった。


 結局夫婦は受け入れる他なかった。渋々と娘に縁談が決まったことを告げると、娘は青い顔をして、

「承知いたしました」

 震える声で応えた。


 日の変わらないうちに、名主の家より祝言を数日後の吉日に執り行う旨の言伝があり、一家は慌てた。

 まだ次の祠守さえ決まっていないのに、何を言うのか。


 名主の家は、心配いらないのだという。

 外部より、縁者の娘を呼んでいる。

 (もののふ)の娘であり、教養もあるため、儀式を覚えるのに支障はないと。


 娘と次の祠守が対面できたのは、一度きりだった。

 次代の娘はまだ齢五つという。娘が祠守になった時よりも幼い。妾の子だそうで、母親が病で先立ち本家に引き取られた。父には可愛がられ、継母から疎まれるようなこともなかったが、腫れ物に触るような扱いではあった。

 本家にいない方が都合が良いだろうと、出家させることも考えていた矢先のこと、名主から聞いた祠守の後継探しは渡りに船だった。

 実態はともかく、神職の娘というのは聞こえが良い。将来嫁ぐにあたって箔がつくだろうと、士は祠守を継がせることを決めた。

 祠守の娘は、まだ幼い後継にとって、日々の儀式は過酷だろうと憐れに思った。すぐに嫁ぐ身では、直接儀式を教えることもままならない。致し方がないとはいえ、申し訳なく思った。

 ただ、後継の娘は育ちの良い様子で身なりも上等、世話役の大人たちは彼女を至極大切に扱っている様子だった。まずもって悪い扱いは受けないだろうと胸を撫で下ろした。


 その後の娘は式の準備に追われ、今後について考える(いとま)もなかったが、毎夜用事を終えて床に着く頃には涙が溢れてきた。

 名主の息子が、自分を大切に扱ってくれるとは、とうてい思えなかった。

 人をいじめて喜ぶような性質は、大人になっても変わりはしなかった。大きな罪こそ犯さないが、今もいろいろと問題を起こしていると噂されている。

 大人になった男の顔は、意地の悪さが滲み出ているようだった。


◇◆◇


 夜も暮れ、祝言の宴席は解散となった。


 屋敷には名主の親族だけが留まり、まだ数名の男たちがちびちびと飲みながら歓談をしていた。


 湯浴みを終えた娘は、夫婦の部屋へと通された。

 夫はまだ親族と話し込んでいたが、ここで待てということだろう。

 夜風はさほど冷たくないが、娘は芯から冷え切ったような心地で筵に腰を下ろす。

 夫がこのままやって来なければいいのに。

 水神様は心を食べにきてくれるだろうか。

 取り止めもなく考えていると、急に屋敷の中が慌ただしくなった。


 屋敷の使用人を捕まえて聞くと、誰か来客があったようだ。屋敷の者の知り合いかと尋ねるが、困惑したように首を振る。



 急ぎ身支度を整えて表へ出れば、名主と奥方も時を置かず顔を出した。

 客人のいでたちに、一同目を見張る。

 市女笠を差し、明らかに貴人と思しきいで立ちの姫君を守るように、女が二人に、六尺ほどもあろうかという(いかめ)しい大男が二人侍っていた。


 聞けば旅の途中に思わぬことがあり、目当ての宿まで辿りつけなかったという。

 一晩泊めてもらえないかとの打診に、

「息子の祝言という晴れがましい日に、このように尊い方にお訪ねいただいたのも何かのご縁」

 名主はそう喜んで快諾した。


 客間へと案内される旅人たちを見送る道すがら、姫君に一礼すると先方も軽く頷き、微笑みを向けてくれた。

 市女笠の布の間から覗いた顔は、眩いばかりの白皙の美貌で、目元には艶やかな紅が引かれていた。

 娘はふと、妙な懐かしさを覚えて首を傾げた。

 かたりと音がして振り返ると、夫が酒の抜け切らない火照った顔を呆然とさせていた。


 その夜、夫は(ねや)に姿を現さなかった。



◇◆◇



 翌朝、手伝いの娘が朝餉を寝室に運んできた。

 一人分の膳に、この事態を皆が知っているのだと、娘は気まずい気持ちになった。


 昼餉の支度は手伝うと申し出たが、奥方の呼び出しがあるまでは休んでいて良いと言われた。


 退屈なら屋敷を見て周っても構わないとのことだったが、知らない屋敷内をうろつくのも何かの邪魔になりそうで、ひとまず表へ出た。外周をぐるりと周ったあと、中庭に向かいかけたところで、夫の姿を見つけた。

 思わず身を隠して様子を見ると、縁側に腰掛けてぼんやり遠くを眺めるようにしていた。

 よくみれば、表情は薄笑いで、だらしなく脱力した様子は酩酊しているかのようだ。

 娘は薄気味悪く思い、音を立てぬよう踵を返した。



 昼過ぎになって、娘は名主の夫婦に呼び出された。

 常日頃、威風堂々たる佇まいの夫婦の姿が、今日はどこか小さく見える。


 言いにくそうに口ごもる名主を助けるように、奥方が説明を始めた。

 聞けば、名主の息子は昨日訪れた姫君に懸想した挙句、夜這いをかけたというのだ。

 部屋を訪れたのが宿主の息子とあっては邪険にもできず、姫君は渋々話し相手となった。

 だが、いよいよしつこく言い寄り始めたので、付人の男たちに力づくで追い出されたという。


 朝になって事の次第を聞かされた名主夫婦は、青くなって平謝りした。


 説明を終えると、名主夫婦は娘にも深々と謝罪をした。待望の花嫁であり、全くもってこのような辱めを受けさせるつもりはなかったと。


 強引な婚姻であったので、まさか謝罪を受けるとは思っておらず娘は驚いた。

 息子の軽率さがよほど腹にすえかねた様子で、娘が願うなら離縁も構わない。新しい嫁ぎ先あるいは奉公先を世話するとまで言ってくれた。

 娘側からすれば迷惑な婚姻話であったが、名主夫婦は息子があまりに娘が愛しいと訴えるので添い遂げさせてやりたい一心だったようだ。

 娘にほかの縁談が決まってしまう前にと、祠守の跡継ぎ然り、ほうぼうに手をまわして急ぎの婚姻に至らせた結果がこの始末だ。

「息子はおかしい。狐狸にでも誑かされたかのようだ」

 奥方はそう嘆いたが、姫君を悪く言ったつもりはないと慌てて否定した。

 姫君が息子を誑かしたかのように聞こえると気づいたのだ。


 娘は、きっと名主夫婦が考えるほど、彼らの息子は自分に恋焦がれていたわけではないだろうと思った。

 きっとこの村の、年近い娘の中にあってはいくぶん好ましく見えただけなのだろう。そして、名主夫婦が子供可愛さで考えているよりも、彼らの息子はもう少し性質の悪い男であった。それだけのこと。

 だが、狐狸に誑かされたという奥方の話には、引っかかるところがあった。


 縁側で見かけた夫は、たしかに何かにとりつかれた有様のようではなかったか。

 そう思い娘は身震いした。

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