たぬきときつねの森
あるところに、たぬきときつねの住む森がありました。この森は動物たちが仲良く暮らしています。
「たぬきさん、たぬきさん、おきてください。はやくおきないと…」
たぬきときつねの家は隣同士で、小さな頃から一緒に育ってきました。きつねの声に目を覚ましたたぬきはいつものことだと思って再びふとんをかぶりました。
「もう!たぬきさん!一大事なんです!」
きつねは怒りながらたぬきの掛け布団を放り投げました。掛け布団を剥ぎ取られたたぬきは一瞬ビックリして体を縮こませましたが、諦めて仕方なくベッドから起き上がりました。
「きつねさん、おはようございます。どうしたんですか?こんなに朝早く」
「今朝、森のとりさんがおしえてくれたのですが、にんげんがやってくるんですって!」
「にんげん?この森までどうやってきたんだか」
この森は深い深い森の奥にあって、人間がやってくるのはめずらしいことでした。
「それがとりさんのように空からやってきたそうですよ。とりさんたちはびっくりしていろんな動物たちに声をかけていて。私はりすさんからそのことを聞いたんです」
「そうか、空からか。にんげんもかしこくなってきたなぁ」
たぬきはあくびをしながらのびをしました。
「何をのんきなことを言っているんですか。たぬきさん、一緒に逃げましょう」
「逃げる?一体どこへ?おれは逃げたりしないよ。このままこの森でいつもどおりにすごすよ」
「なにいっているんですか。にんげんにころされてしまいますよ。にんげんはとてもざんぎゃくなんですよ」
きつねさんはいつもより強い口調でたぬきさんに言いました。しかし、たぬきさんはいつもどおりの声色できつねさんに言いました。
「きつねさんこそ、おれにかまわずお逃げなさい」
「いやです。たぬきさんが一緒に逃げないのなら、わたしも逃げません」
「うーん、こまったな」
たぬきは少し考えました。
「きつねさん、おれとしょうぶしませんか?」
「しょうぶって、こんなときに」
「森の奥にある大きな桜の木までたどり着いたほうがかち。俺がかったら、きつねさんは一人で逃げる。きつねさんがかったら、俺はきつねさんと一緒に逃げる。どうですか?」
「たぬきさんがそれで一緒に逃げてくれるならしかたありません。それじゃあしょうぶしましょう」
「そうこなくては。では四十分後に広場でスタートしましょう。お互い準備運動や身支度もしなければいけませんしね」
「わかりました」
たぬきときつねは小さい頃からかけっこしょうぶをしていました。たぬきもきつねも足がとても速く、しょうぶは五分五分でした。勝率でいえばたぬきのほうが多いのですが、きつねはいろいろな言い訳をしてたぬきに勝負を挑んでいたのでした。
「さてと、久しぶりにきつねさんとしょうぶするなぁ。最近はのんびり過ごしていたから体がなまっているなぁ」
たぬきは体を大きくしたり小さくしたり準備運動をしています。口元が少し笑っているのは気のせいでしょうか。
「あと、これも、これももっていかなくては」
きつねはぶつぶつ独り言を言いながらリュックに荷物をつめていました。
「たぬきさんとは何度もしょうぶしてきたけれど、今日は負けるわけにはいかないわ」
四十分後、広場にはたぬきときつねの姿しかありません。いつも木の枝にとまっているとりや
他の動物たちは森から姿を消してしまいました。
「さて、と」
たぬきもきつねも準備万端です。
「たぬきさん、わたし負けません」
「きつねさん、おれこそ負けません」
たぬきときつねは顔を合わせて言いました。
「ようい、どん」
同時によういどんを言うと、お互い反対方向へと走っていくではありませんか。お互い近道を行くようです。きつねは広い広い草原を走っていきます。たぬきは狭い狭い茨道を走っていきました。ふたりとも真剣ですが、口元が笑っているようでした。
「森の奥かぁ。懐かしいな。あの桜の木、また大きくなっているんだろうな」
たぬきは走りながらひとりつぶやきました。
「きつねさんはどうしてにんげんをおそれるのだろうか。確かににんげんの行動は理解できないことが多いと思う。俺の知っているにんげんはいいやつだけれども、そうでないやつもいるはずだ。それはたぬきだって、きつねだって同じだ。いろんな性格がいて当たり前だ」
「もう、本当にたぬきさんってなんであんなにのんびり屋さんなのかしら」
その頃きつねも走りながらひとりつぶやいていました。
「そりゃ、にんげんにはいろんなひとがいるのはわかっているわ。でもみんながみんないいにんげんとは限らない。こんな森になにしにきたのかわからないけれど、いいことをしにきたとは思えないの。それをたぬきさんはわかってくれるかしら」
ゴールの桜の木へたどり着くまでどんなにはやくても半日かかります。日が傾き始めて山の奥の方に沈んでいきます。あたりはだんだん暗くなってきました。にんげんを恐れて逃げ出す動物たちで森はざわざわしていますが、たぬきときつねは森の奥にある大きな桜の木を目指して走っています。お互いゴールまであと少しのようです。どうやら勝負はたぬきのほうが勝ったようです。たぬきは誰も知らない抜け道を走り、きつねがくるまで桜の木のうしろに隠れていることにしました。きつねがゴールしたら驚かそうと思ったようです。きつねを待っている間、たぬきは動物たちではない匂いを感じました。にんげんが近くまできていることを察知したのです。きつねがなかなかこないことにも心配になってきました。その時です。きつねが桜の木をめがけて走ってくる匂いと音、そして火薬の匂いがたぬきの鼻をかすめました。
「きつねさん!あぶない!」
たぬきが叫ぶと、バーンと大きな音が森中に響き渡りました。きつねは走っていた足を止めその場で小さく縮こまりました。大きな音にきつねの耳はキーンと鳴り響き、一歩も動けなくなってしまいました。たぬきはきつねに向かって一直線に走ってきて、きつねの体を口で加えると、一気に森の茂みへと隠れました。その間、銃弾が何発か聞こえました。ふたりは息を切らしながらも音をたてずに静かにうずくまっています。
「きつねさん、大丈夫ですか」
「はい。大丈夫です。銃声にびっくりして足がすくんで動けなくなってしまって。たぬきさんが助けてくれなかったら私しんでいましたね。にんげんがすぐそこまできていたことにも気づきませんでした。しょうぶは私のまけですね。でも、このにんげんたちはこの森にとっては敵のようです。たぬきさん、一緒に逃げましょう」
きつねはしょうぶに負けましたが、たぬきに一緒に逃げようと提案しました。
「そうですね。きつねさん、あなたのいうとおり、あのにんげんたちはこの森にとってよくない存在のようですね。でもすみません。おれ一緒に行けそうにありません。きつねさんだけでも逃げて下さい」
たぬきも青ざめた顔で答えました。たぬきの後ろ足に銃弾が少しかすっていました。血が流れています。
「たぬきさん、嫌です。私、たぬきさんのことおいて逃げるなんてできません」
「おれはもともと逃げる気なんてありませんでした。もし今日にんげんにころされてもしかたないと思います。でも、きつねさんがにんげんにつかまるのはちょっとみたくないなぁ」
たぬきは怪我をしているけれど、深刻な言葉はひとつもなく、きつねさんといつもと同じようにゆっくり会話が流れます。
「私だってたぬきさんがにんげんにころされて、つかまるところなんて見たくありません」
「さて、どうしたものか」
静かな森ににんげんたちがうごく音が響き渡ります。最初に声をだしたのはきつねでした。
「私に考えがあります」
きつねは力を使って人間の姿に化けました。
「きつねさん。その力は」
「たぬきさん、すこしだけじっとしていてくださいね」
にんげんになったきつねはたぬきをそっと抱き上げて、茂みからでました。
「おい!さっきのきつねは仕留めたか?」
にんげんの声がしました。
「いえ、逃げられました。しかし、負傷したたぬきがいました。流れ弾があたったのかと」
「たぬきはいい、そのまますてておけ。狙いはさっきのきつねだ。あのきつねの毛は高値でとりひきされるからな」
「わかりました。そこの茂みにすててきます」
「おう、まだこのへんにいるんじゃないか。罠もいくつかもってきたからしかけておけよ」
「はい」
にんげんになりすましたきつねは、たぬきをかかえたまま茂みへと戻りました。そして葉っぱを包帯にかえ、たぬきの怪我をしている足にまきつけました。
「たぬきさん、今までありがとうございました。私と遊んでくれて。この森での暮らしはとても楽しかったです」
「きつねさん」
「にんげんが狙っているのは私のようです。私、一人でにげますね。たぬきさんさようなら。私、たぬきさんのこと好きでした。どうかお元気で」
きつねは元の姿にもどり、茂みから走っていきました。
「きつねさん、まって」
たぬきの返事も聞かず、きつねは茂みから飛び出していきました。
「いたぞ!」
にんげんの叫び声と銃声が森の中に響き渡ります。たぬきはきつねを追いかけたかったのですが、足が思うように動きません。そして一発の銃声ときつねの声が耳に届いたのです。たぬきの全身から血が逆流するようでした。たぬきは一呼吸をしてにんげんの姿に化けました。
「やったか!」
にんげんの声が集まっている場所へたぬきもいそぎます。足を引きずっていますが、傷の痛みは感じませんでした。
「どこだ。きつねさん」
にんげんにばけたたぬきは足を引きずっていたので、他のにんげんからしんぱいをされたが、たぬきはそれどころではありませんでした。
「お前、どうした?怪我をしたのか?」
「きつねは?きつねはつかまりましたか?」
「今、確認している。高額で売れたら、今晩はごちそうだな」
たぬきは自分の全身の血が沸騰するような感覚でした。
「お前、目が血走っているぞ。そこで休んでおけ。きつねを捕まえたらすぐにこの森を離れる。この森の夜は危険だ」
隊長らしき男が大声で隊員たちに声をかけた。この森の夜は野生の動物たちと、動物とは違う恐ろしいモノがいるとにんげんたちの間で伝えられてきました。にんげんに化けたたぬきは足を引きずりながらもきつねを探します。
「きつねさん、どこだ。無事でいてくれ」
足の痛みも胸の痛みも口で噛み締めながらきつねを探しました。たぬきは力尽きて、にんげんの姿ではいられなくなり、たぬきの姿に戻ってしまいました。歩くこともできなくなり、その場で目を閉じてしまいました。
「きつねさん、俺も、俺もきつねさんのこと」
たぬきは祈るようにきつねを呼びました。
「たぬきさん、たぬきさん」
きつねの声がたぬきの頭の方からきこえてきます。たぬきは現実なのか夢なのかわからないまま、目も開けずこたえます。
「ああ、きつねさん、無事でしたか。よかった」
「すみません。私逃げるつもりが罠にかかってしまって」
きつねのつらそうな声にたぬきは目を開けました。
「ああ、きつねさんも怪我を」
罠の鋭い刃にきつねの白い前足が真っ赤に染まっていました。
「お互い怪我をしてしまいましたね。もう一緒に逃げられそうもありませんね」
きつねの声は、もう逃げようとは思っていないような落ち着いた声でした。
「そうですね。このままふたり一緒にいませんか?」
「いいですね」
たぬきときつねはお互い怪我をしたところをかばいながらだきあいました。痛みよりも安らぎの気持ちでいっぱいになっていました。
「隊長、そろそろ引き上げないと」
「きつねはいたか!」
「隊長、いました!」
一人の隊員が草むらからたぬきときつねがたおれているのを見つけました。
「やったぞ!早くもってこい!そしてここから引き上げるぞ!」
その時です。にんげんたちの明かりが一斉に消えました。にんげんたちは急いで非常用のライトをつけようとしました。しかし、だれも明かりをつけることができません。
「誰か!明かりはないか!明かりをつけろ!」
にんげんたちは真っ暗になったこの森が恐ろしくなってきました。ふと、何かがドサッと崩れ落ちる音が聞こえた。
「何だ?」
次々と、何かが崩れ落ちる音がします。にんげんの音と声はどんどん少なくなっていきます。
「おい、いるか?」
隊員たちが声を掛け合うがその返答がありません。山が大きく唸り声をあげ、風が吹き、木々がまるで生きているかのように枝や葉を揺らします。隊長はきつねを見つけたという隊員の方へかけますが、きつねどころかその隊員すらみつかりません。隊長は諦めきれず、暗闇の中、長年の勘でうろうろしていましたが、何しろ風が強くて鼻もききません。仕方なくヘリコプターを着陸させた場所までたどり着き、乗り込みました。椅子に座り操縦機を動かそうとしましたが、エンジンがかかりません。
「くそっ、どうなっているんだ!」
森の奥、桜の木から大きな風が吹きました。桜の花びらが大量に舞い散り、風はヘリコプターと隊長にむかって通り過ぎていきました。エンジンはかかることなく、その隊長の目も口も心臓も動くことはありませんでした。桜の木から桜の花びらなくなるまで風は吹き荒れ、森のすべてを桜の花びらで覆われてしまいました。そして、風が止むとようやく森は静かになりました。
夜が明けて、森はいつもどおりの朝を迎えました。とりやどうぶつたちはにんげんがいないことを確認したのかいつの間にか戻ってきていました。きつねとたぬきはというと、抱き合ったまま眠ってしまいましたが、大きな風が吹いた時、桜の花びらが二人の傷を癒していきました。目を覚ますとふたりとも怪我をしていた場所から血はとまっており、お互い支えながらひょこひょことゆっくりあるきながら家まで帰りました。たぬきときつねの怪我が治るまで、森のとりさんやりすさんが看病に来てくれました。そしていつもの朝がやってきました。
「たぬきさん、おはようございます」
「きつねさん、おはようございます」
「今朝はおいしいパンが焼けたんです!一緒に食べませんか?」
「いいですね。じゃあ、俺はおいしいコーヒーでもいれますか」
おしまい
読んでくださりありがとうございます。