その手を選んだ
煌びやかな王城の中、ごく少数にしか存在を知られていない隠し扉をするりと通り抜けて、私は慣れた足取りで奥へと進んでいく。薄暗く、気が遠くなる程長い階段を降り続けると、ようやく彼のいる場所が見えてくる。逸る気持ちを抑えきれずに駆け足で最後の数段を降りると、音に気づいた彼が顔を上げた。そうして、私の姿を捉えると、小さく安堵の息を吐く。
私は、その瞬間がいつも、堪らなく好きだった。
「……ああ、待っていたぞ」
鉄格子の向こうで鎖に繋がれ、襤褸布を身に纏うその人は、口元に緩やかな笑みを浮かべた。その姿に、気品というものは失われることがないのだと、つくづく思わされる。
この薄汚れた痩せぎすの若い男は、かつて、この国の王だった。
***
私が彼、レオナルド様に拾われたのは、もう十数年も前の話になる。気づいたときには親も兄弟もなく、路上で食べ物を探してなんとか食いつなぐ日々を過ごしていた。そんな折に、彼は突然現れた。
「みすぼらしいモノが転がっていると思えば、そなた、珍しい容姿をしているな。白い毛に、金の瞳か」
私の見た目が他と異なっていたことで、偶然近くを通りがかった彼の目に留まったらしい。この国では、茶色か金色の髪をしている者ばかりだし、瞳の色だって金を持つ者はそういない。だからこそ、他と違う存在は忌み嫌われ、邪険に扱われることが常である。きっと彼もそうなのだろうと、私はぎゅっと目を閉じて次に来るだろう衝撃に備えた。しかし、想像とは裏腹に彼は顔を顰めることすらなく、むしろそこを美点として褒めた。日の光を浴びてキラキラと光る彼の金色の方が、余程美しいのにだ。
「せっかくの色が、これでは美しくないな。どれ、連れて帰ってやろう」
そうして、連れて行かれた先は、国の中心部にある大きなお城。なんと彼はそこに住む王子だった。“王子様”なんて物語に出てくる人だとしか思っていなかったから、とても驚いたのを覚えている。
与えられる温かい食事に、清潔な寝床。生まれて初めて得る安心が、ひどく心地よかった。
「ああ、随分見違えたな。やはり美しい色だ」
しばらくして顔を合わせた彼は、琥珀色の瞳を細めて、私の頭を撫でてくれた。白くて傷一つない美しいその手は、私のものとは大違いで。それでも、その手が私を救ってくれた。
私は、彼に恋をした。
その後、帰る場所のなかった私は、彼の計らいで王城に置いてもらえることになった。当然のことながら、私の姿を見て良い顔をしない人ばかりだったけれど、彼はそれを歯牙にもかけなかった。
「不吉だなんだと馬鹿馬鹿しい。私が拾った、私の“モノ”だ。不満を言う者は反逆の意思があるとみなす」
堂々とそう言い切る姿は眩しくて、目を逸らしてしまいたくなるほどだった。
それからは、追い出されないように、役に立てるようにと、己を磨く日々を過ごした。そうして、城内の噂や偶に見かける姿から、彼のことを少しずつ知っていった。
物語に出てくるような穏やかで優しい王子様とは程遠く、その性格は傲慢で勝手気ままなものであった。自分の考えや好みを最優先にし、伝統を重んじることなどしない、そんな人。情緒が不安定で癇癪を起こすこともしばしばあり、不興を買うことを恐れてか、彼の周りに人がいることは稀だった。
それでも、彼を慕う私の気持ちが揺らぐことは一切なかった。あの日私を見つけ、拾い、肯定してくれたのは他でもない彼なのだ。
「……ああ。そなた、まだ城にいたのか」
稀に顔を合わせることが叶うと、彼は毎度、私を見て同じ台詞を口にした。驚いているような、心底不思議に思っているような、そんな声音で。私は、彼の言葉に甘えて城に残り続けていたから、いつも反応に困ってしまった。しかし、彼がそれについて咎めたことはなく、出ていけと言われることも一度たりとてなかった。
彼が14歳の年。前王が崩御したことで彼の即位が早まり、隣国の姫を王妃に迎え、彼はこの国の王になった。
王妃となった少女は、それはそれは美しい容姿の持ち主だった。彼と揃いの鮮やかな金の髪がゆるく腰まで流れ、ぱっちりとした蒼い瞳が長い睫毛に縁取られていた。彼の隣に並ぶ姿はまるで一対の人形のようで、お似合いの二人だと人々は持て囃した。
王妃と彼は、幼少期に幾度か顔を合わせたことがあったそうだ。王妃の初恋は彼だったのだと噂で聞き、私は自分の抱え続けてきた恋心をそっと手放すことに決めた。彼を見てくれる人は私の他にもいたのだと、その時は心の底から安堵していた。
ところが、予想に反して、彼らの結婚生活は上手くいかなかった。王妃は彼の為すこと全てに対して口を出し、否定したのである。貴方の考えは間違っている、おかしい、もっと違う方法を取るべき。そのような言葉を毎日のように言っていた。彼を見る瞳に熱はなく、それどころか憎しみの色が透けて見えるようだった。
わからなかった。彼の人格は確かに褒められたものではなく、矯正すべき点は多々あったのだろう。だが、全てを否定する必要がどこにあるというのか。歴代のどの王よりも優れた頭脳を持っていると臣下が告げても、王妃が彼を認めることは終ぞなかった。
何故、彼が初恋なのではなかったのか。王妃に責められ、日に日に意固地になっていく彼の姿を見る度に、私の心は軋んだ。
「貴方より王に相応しい人がいるはずよ」
王妃は、口論になると最後には決まってそう言った。
「黙れ黙れ黙れ!王はこの私だ!他の誰かなど存在せぬ!」
その言葉に、彼はいつも激昂した。まるで本当に王となり得る“誰か”が存在するかのように、恐怖をその顔に滲ませていた。
前王に兄弟はなく、子どもも彼一人だけ。王となり得る正統な血筋の後継者は、彼のみであった。だからこそ、臣下たちは皆一様に、王と王妃の徒ならぬやり取りを不思議に思って見ていた。
その謎が解けるのは、それから数年後のことだった。
反乱が起きた。貴族の一人が発起人となり、偽者の王を下ろせと人々が城へと押し寄せる事態となった。それは、不作が続き、人々の不満が溜まっていたところへ、とある情報が漏れたことがきっかけであった。
“我々の本当の王が、王城の地下深くに幽閉されている。今の王は、真に王となるべき人物を不当に閉じ込め、玉座についた悪である”
誰が言い始めたのか、そのような噂が人々の間で真しやかに広まっていた。
あろうことか王妃は反乱軍を擁護し、騎士の大半も反乱軍に回ったことで、味方の少なかった彼は呆気なく玉座から引きずり下ろされた。
せめて傍にいることができれば良かったのに、私は敵側の騎士に早々と拘束され、何も為すことができなかった。この時ほど、無力な自分を呪ったことはない。
彼はそのまま反乱軍に捕らえられ、地下牢へと連行された。その代わりに空いた玉座へ座ることになったのは、彼と瓜二つの見知らぬ男だった。
混乱の最中、反乱軍に連れられて現れたその男は、彼の双子の兄だと自身の身元を人々へ明かした。前王の遺した子は、実は二人いたのだ。
この国では、古来より双子は凶兆とされる。特に、王族や貴族に双子が生まれたならば、早々に片割れを殺すのが習わしだった。それは、実際のところ信仰心によるものではなく、不毛な継承争いを防ぐためという、現実的な理由によるものである。
彼らが生まれた時も、当然のように前王は一人を殺そうとしたそうだ。しかし、母である前王妃が猛反対したことにより、それはかなわなかった。生まれた王子が双子であった事実は秘匿され、隔離された環境で二人は生かされることになったのだという。
転機があったのは、前王妃が病で亡くなった、彼らが7歳の時だ。王は彼らに剣を与え、勝負に負けた方を地下牢へ幽閉することに決めた。7歳まで成長した息子を殺すのは、さすがに忍びなかったのだろう。
自分たちの未来について告げられた双子。弟は震えながらその手に剣を取ったが、兄は剣を手にすることなく、自ら幽閉されることを望んだという。
「……私は、たった一人の弟を守りたかった。暗闇を怖がる弟を、光の差さぬ地下牢へ繋ぐなどできるはずもなかった」
男は、過去に想いを馳せるかのように目を伏せて、自身の生い立ちをそのように語った。たった一人の弟を、地下牢へ幽閉することを指示したばかりであったのにも関わらずだ。そして、男のすぐ横には弟の妻であったはずの女が当然のように立ち、うっとりとした表情を浮かべていた。王妃の初恋は彼ではなく、兄の方だったのだということは一目瞭然だった。
「……だが、私は考えが甘かったのだろう。結果として、皆には苦行を強いてしまった。父上が死に、弟が王位を継いでから、国は傾く一方だと聞いている。我が弟は、王の器ではなかったのだ」
男の言葉に、そうだそうだと人々が声を上げる中、私はただただ茫然と、彼と同じ顔を見上げていた。
「皆には悪いが、私は今でもたった一人の弟を殺すことはしたくないと思っている。だが、国を傾けた罰は負わせねばならないだろう。よって、決断を誤った過去の私への戒めも兼ね、罰は地下牢への幽閉とした」
発せられた言葉に、直ぐさま私の心は絶望で染まった。
彼は確かに傲慢で身勝手、度々癇癪を起こす、自分本位の王だった。見た目や身分を考慮せず、自分の好みだけで人を重用する、そんな愚かな王だった。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が頬を静かに濡らした。
愚かな王。それでも、その手がとてもあたたかいことを、私は確かに知っていた。
「悪しき者は罰された。私が新たな王となり、正しく国を治めることをここに宣言する!」
新王の言葉に、人々から歓声が上がった。
そうして、悪を倒した真の王が現れたことにより、事態は収束したのだった。
それから、一年。
私は、毎日欠かさず地下牢に囚われた彼の元へ通っている。彼の世話をすること。それが、今の私に許された、彼のためにできることだった。
「今日の調子は如何ですか?」
「……昨日とさして変わらぬ」
「そうですか。それなら安心ですね」
顔を合わせても、会話はそれほど長く続かないし、いつも決まったやりとりしかしないけれど。それでも、私は構わなかった。
あの騒動の後、身の振り方を考えなければならなかった私は、そのまま王城に残ることを選んだ。これまでと同じ下働きの使用人としてではあるけれど、少しでも彼の傍にいたかったからだ。異質な私であっても長年勤めていたことが認められたのか、追い出されはしなかった。
そして、何とか彼を救う手立てはないかと探し回る日々を過ごしていたところ、ある時急に、彼の世話係に任命された。それまでは別の者が担っていたらしいその仕事を私に振ってくれたのは、かつて彼が身分に構わず重用していた文官だった。
ヒューゴというその人のことを、私は一方的に知っていた。庶民の出であることから貴族には煙たがられていたけれど、自身の才能で黙らせた優秀な人だ。今ではすっかり誰からも認められる存在になっていて、最初にその才を見つけて取り立てた人物が誰であったのかを覚えている人は殆どいない。あの日だって、素知らぬ顔をして彼の味方にはならなかったから。
最初こそ真意が掴めずに困惑したけれど、彼に会いたい思いが勝って世話係を引き受けた。そして、およそひと月ぶりに見る彼の変わり果てた姿に愕然とし、同時に何故世話係を代えようと考えたのか理解した。
彼は、傷だらけだった。
美しかった金の髪は、輝きを失いパサつきが目立って、手足や背中、顔でさえ切り傷や打撲で赤く腫れていた。どうやら前の世話係は、世話を焼くどころか彼に当たることで鬱憤を晴らしていたようだった。堪らず彼の側に駆け寄ると、彼はビクッと肩を強張らせた。その姿は、彼と出逢った頃の私によく似ていた。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。震えそうになる手を握りしめて、私は彼をじっと見つめた。やがて、何も起きないことを不審に思った彼が目を開けて、彼の瞳に私が映った。私の姿を捉えた彼は、掠れた声で小さく呟いた。
「……ああ、そなた。まだ城にいたのか」
その言葉に、泣きそうになった。
「……おります。私は、ずっと貴方のお側におります」
貴方以外に失うものなど何もない。涙が込み上げるのをどうにか堪えて、彼の傷ついた手を、そっと両手で包んだ。
それからは、懸命に彼の手当てをし、食事を運び、彼のために全てを尽くした。その甲斐あって、傷は徐々に癒えていき、顔色も元に戻っていった。さすがに地下牢に留まっているから、ある程度の匂いや汚れは残ってしまっているけれど、それは仕方がないだろう。
私が彼と過ごせるのは、一日のうちのほんの短い時間だけ。それでも、少しずつ、彼と私の心の距離は縮まっているように思えた。
***
「今日のそなたは様子がおかしくないか?」
「え?」
彼の食べ終えた食器を片付け、仕事場へ戻る準備をしていると、今日という日に限って彼が珍しく声をかけてきた。ドキリと心臓が嫌な音を立てる。思い出すのは、今朝方あの文官から告げられたこと。できることなら彼にはまだ黙っていたかった。それが単なる先延ばしでしかなく、もしかすると彼にとっては良い知らせであったとしても。
「何か、あったのか」
黙り込んでいると、彼が再度私に問う。重ねて問われてしまえば、さすがに答えない訳にはいかなかった。重たい口をなんとか開く。
「……王妃様が」
「ああ」
「王妃様がご懐妊されました」
「そうか」
「……そのことで、近々貴方に恩赦があるそうで」
「…………」
「地下牢から釈放し、国王の補佐として迎えるとのことです」
その話を耳にした時、なんだそれはと強い憤りを感じた。それはそうだろう。一体彼を何だと思っているのか。釈放されるのはもちろん良いことだ。私だって、彼をいつまでもこんなところにいさせたくはない。でも、あんな仕打ちをしておいて、彼を側に呼び寄せるなんておかしい。
しかし、当の本人は驚いた様子はなく、納得した様子で頷いていた。
「なるほどな。恩赦というのは建前だ。大方、一年経っていよいよ国政が回らなくなったのであろう」
「?」
「少し考えればわかることだ。私は国王となるために、7の頃から教育を受けていた。しかし、兄上はそれを受けていない。それどころか教養も覚束無いはずだ」
「あ……」
言われて気づく。確かに7歳の頃から地下牢にいたという彼に、いきなり国を治めることができるとは考えにくかった。
「それでも、元来頭の回転は悪くないし、優秀な臣下も残っているから一年は保ったのだろう。だが、今後もそれで乗り切るのは難しい。王に力がなければ臣下の力が増すだけだ」
「…………」
「人の良い兄上は、私と違って臣下の意見をよく聞き、国を治めていたのだろうが、そろそろ限界のはずだ。自身の意見を持たぬ王に、誰も心は預けまい」
「……それでも、どうして貴方が呼ばれるというのですか」
思わず、責めるような声色になってしまう。しかし、彼はそれを気にした素振りもなく、淡々と答えた。
「“悪”の私を赦して側に置けば、印象は格段に良くなる。あとは、私の意見を適宜自分の意見として臣下に告げればいいだけだ。体のいい飼い殺しだな」
「そんな」
「わかっていたことだ」
「え……」
「私を殺す判断をせずに地下牢へ放り込んだ時点で、この未来は予想していた」
憤る私とは対象的に、彼はどこまでも冷静だった。昔の彼だったら、きっと癇癪を起こして喚いていたと思うのに。地下牢へ投獄されて一年。彼はすっかり気性が大人しくなった。まるで全てを諦めたかのようで、私はそれがひどく恐ろしい。
「……心配せずとも兄上に悪気はない。私のことを思っての、優しさだ」
まるで自分とは違うのだとでも言いたげに、彼が自嘲することが悔しくて堪らない。私は黙っていられずに、つい声を出してしまった。
「…………貴方だって、優しい」
瞬間、彼は今にも泣き出しそうに顔を歪めた。琥珀色の美しい瞳が揺らめく。
「……優しさなど、持ち合わせていない」
「…………」
「そなたを拾ったのは、偶然だ。珍しい白髪だったから気まぐれを起こしただけだ」
「…………」
「庶民であっても登用したのは、貴族らが私を厭っていたからだ。……私は兄上とは違う。善意などない。いつだって打算で物事を考える」
彼は吐き捨てるようにそう言うと、そのまま黙り込んでしまった。二人しかいない地下牢が、しんと静まり返る。私は、自分を奮い立たせるように拳を握った。
「それは、いけないことですか?」
「何?」
「たとえ貴方が、何を考えていたのだとしても。誰もが見捨てる私を、拾い上げてくれたのは貴方です」
「それは……」
「貴方がくれた優しさを、私は覚えています。貴方の手があたたかいことを、私は知っています」
私は、貴方をお慕いしております。
続けてそう言うと、彼は瞠目した。次いで、その瞳からぽとりと涙を落とす。
「…………そなたは愚かだ」
「はい」
「私などを選んだところで、何にもならぬ」
「……そうかもしれません。でも、私は貴方がいいのです」
「…………そなたは本当に、愚かで、救いようがない」
彼は私の握りしめていた手に触れると、そのままその手を引いた。かしゃんと鎖の音がして、私は彼の胸に倒れ込む。
「……だが、そなたを突き放すことができない私の方が、最も愚かで、罪深い……」
肩口が彼の涙で濡れていく。彼が泣くのを見るのは初めてだった。
頭の片隅で、ずっと考えていたことがある。私が彼にできること。私が彼に望むこと。
答えはとても簡単で、ただいつもそれを実行する気になれなかった。私のせいで彼を不幸せにすることは避けたかったから。でも、このまま何もしないでいれば、今私の目の前にいる愛しいこの人は消えてしまうように思えた。
私は、運命に抗う覚悟を決めた。
「私の王さま。私に、貴方の命をください」
そんな突拍子もない私の言葉に、彼は一瞬呆けた顔をしたけれど、その後蕩けるように笑った。
***
色とりどりの花が咲き乱れている街中で、私は彼と二人並んで歩いていた。お祭りがある今日は、至る所から音楽が流れていて賑やかだ。耳を澄ましながらゆっくり歩いていると、隣の彼に名を呼ばれた。彼がくれた私の大事な名前だ。
「ミア」
立ち止まって彼の方を見れば、いつの間に買ったのか、彼が一輪の花を髪に挿してくれた。彼の髪色と同じ黄色の花。
「愛しい女に花を贈るのが今日の祭りの趣旨だと聞いた」
「ありがとうございます、レオ様」
「……いや、今日もそなたとともに過ごせることを感謝しなければならぬ」
「ふふ、そうですね」
「……まさか、脱獄して平民として生き延びることになるとは思わなかった。私はあの時、そなたに殺されるものと思っていたんだが」
「殺されたかったのですか?」
「そういうわけではないが。私がそなたに渡せるものなど、この命くらいしかなかったからな。そなたも、私の命がほしいといっただろう」
「だって、運良く逃げ出せたとしても、見つかったらそこでおしまいですから。あのまま地下牢にいたよりも、きっとひどい目にあいます。逃げ出した王として評判も悪くなるでしょう」
彼には逃げ出す気などなかったのに、“国を棄て自分の罪を償うこともなく逃げた王”などと私のせいで言われたくなかった。私の行動が彼に影響を与えることが怖くて、あの時の私は彼に許しを求めたのだ。
「気にするな。どう言われようと私は構わぬ」
「…………はい」
「対外的には私は死んだことになっているようだしな。そう見つかるまい。……まさかヒューゴが私の味方をするとは思わなかった」
「……貴方は、貴方が思っていた以上に愛されていたってことですよ」
あのやり取りの後、恩赦が出て彼に注目が集まる前に、私は彼とともに逃げ出すことを決意した。見つかったら処刑されることは覚悟の上でだ。
幸いなことに地下牢の鍵は持っていたものの、それでは手錠と足枷は外せなかった。かくなる上はこっそり盗み出すしかないと企んでいたところで、ヒューゴというあの文官に見つかったのだ。しかし、ヒューゴは私を捕らえることなく、むしろ事情を察して逃亡の手助けをしてくれた。彼がいなかったら、こんなにも上手く逃げ延びることはできなかっただろう。
この国に王など必要ない、とヒューゴは言った。彼にとっての王は、今でもきっとレオナルド様なのだろう。
ヒューゴ以外にも、レオナルド様に恩のある人々が手助けをしてくれて、私と彼は隣国まで辿り着くことができた。今は、一カ所に留まることなく住む場所を転々としている状況だ。見つかったらそこで終わりの人生だから、できることならこのままひっそりと生きていきたいと思っている。
私たちが出国した後のあの国は、絶対王政が揺らぎ議会の力が増しているらしい。王族が不要とされるのも、時間の問題かもしれない。いずれにせよ、もう私たちには関係のない話だけれど。
「レオ様。お慕いしております。最期の瞬間まで、私はお側におります。……いつか見つかるその時まで」
「ありがとう、ミア。私もそなたを愛している。命ある限り、ともに」
彼は私に向かって手を差し出した。昔とはまるで違う、骨張った苦労を知る手。私はその手に、そっと自分の手を重ねた。
私たちが選んだのは、二人でともに生きる道。