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まどろみの中で

作者: マグロ頭

 真っ白な壁があるのだと思った。そして、何故だか分からないけれど、私は知らないうちにその壁すれすれに立たされてしまったのだと。

 気が付いたばかりにしては、中々に冷静な思考をしてくれた脳みそのお陰で、私はひとまずパニックに陥るようなことにはならなかった。その代わりに私は、突然目の前に現れた白い壁から後ずさる。近すぎて居心地が悪かった。

 けれど、下がっても下がっても、一向に壁と離れていると言う気がしない。どれだけ後退しようとも、壁は変わらない圧迫感を私に伝えてくる。壁が私と離れたくないがために、下がった分だけぴったりと前進しているみたいだった。

 気味が悪くなって、私は後退する歩調を速めてみる。壁との距離は開かない。壁はじっとりと音もなく付いてくる。更に歩調を速めてみる。後ろ向きに駆け足をするみたいになってしまった。それでも壁は付いてくる。

 危うく後ろに倒れそうになって、私は足を止めた。膝に手を当てて、見上げるように壁を見る。やっぱり目の前。全く離れた様子はない。

 どうもおかしい。変すぎる。

 私はしっかりと立ち直して、心を決めた。壁に触ってみるのだ。どうにもおかしいこの壁には、何か秘密があるに違いない。私はおずおずと右手を伸ばした。

 うおっ。声が漏れてしまった。触れたはずの壁に、壁としての感触がなかったのだ。と言うか、触ることすら出来なかった。私の右手は、ずっ、と白い壁の中に埋もれてしまったのだ。

 慌てて手を引っ込める。目の前で手に異常がないかをよーく確かめる。じっくりと見て調べて、私はひとつため息を吐いた。よかった。どうにもなかった。

 改めて目の前の壁を眺める。触れなかったから、多分壁じゃないのだけれど。じゃあこれは一体何なんだろう。私は辺りを見回してみた。どこもかしこも、目の前にあった壁みたいに真っ白だった。手を伸ばしてみる。何もぶつからない。手に触れない。私は手を戻して、少し考えてみた。

 もしかしたら私はミルクの海で溺れているのかもしれない。ふと、そんなことを思いついた。寸分の先も見えない白い靄の中にいるもんだから、そんなことを考えてしまったのだ。でも、もしそうだとしたら呼吸が苦しくないことをどう説明するんだろう。それに、どうやら地面はあるらしい。靴越しに感じるがっちりとした安心に、私の考えは馬鹿らしく思えてきた。ぽっかりとどこからか浮かんできた考えは、そのまま天高く飛んで行き、とうとう見えなくなった。

 私は、とりあえず、辺りに広がる白いものを霧だということにした。霧の濃さの割に全くべた付かないから、もしかしたら煙なのかもしれないけれど、こんなに濃い煙だとしたらもっと呼吸が辛いはずだから、混乱する頭の中で、とにかく霧であるということにしたのだ。私の言葉では、正確に表すことが出来ないものがここには広がっているみたいだった。

 広がる一面の霧は、濃霧などという言葉では表せないほどに、深く濃いものだ。おそらく目の前に広がっているのであろう大地も見ることが出来ない。足元も見えないのだ。掌だって、辛うじて目の前まで近づければ見ることが出来るけれど、腕を下ろしてしまうとよく見えなくなってしまう。異常な濃さだった。そのことがじわりじわりと私の心臓を握り始めた。

 恥ずかしながら、私は今の今までこの霧に対して以上だなとは思いもしていなかった。多分、この霧にどこか懐かしさを覚えているからだと思う。身に覚えはないのだけれど。そしてその不思議な懐かしさのせいなのか、じわりと感じた不安は、いつの間にか消えていたのだ。

 奇妙な霧に悩ませていた頭の片隅に、ふとある疑問が顔をもたげた。

 ここは一体どこなのだろう。

 そんな初歩的な疑問を、私はここになってようやく持った。


 どこまで行っても、濃密な霧は絶えず私の周りに漂っていた。

 浮かんだ疑問はどれだけ考えても答えが出る気配を見せなかった(よくよく思えば、気が付いたら私はここにいたのだから、考える手がかりすらなかったのだ)。しかしながら、ただ立っていても何も変わらないだろうと思った私は、とにかくこの霧の中を前に進んでみようと思った。もしかしたら何かが見つかるかもしれないし、誰かがいるかもしれない。淡い期待を抱きつつ、私は歩き始めた。

 それがどれほど前のことだったのか、私には分からない。時計がなかったのだ。濃い霧の中では時間を確認することは出来なかった。私は、その希望と言い換えてもいいほどの期待を捨てなければならないような気がしていた。

 きっとこの霧の中には私以外誰もいないし、何もないということが自ずと分かってきたのである。私は汗が出ているような気がする額を拭って、とうとう途方に暮れてしまった。終始一定のペースを刻んでいた私の靴の響きは、もうぴたりと止んでしまっていた。

 どうしよう。

 声が頭の中いっぱいに鳴り響いていた。いつだったか、学校の実習で幼稚園に行った時の、どうしても虹が掴みたいのだと泣きじゃくる男の子を前にした時のような急き立てられる困惑が、私の中で叫びまわっているかのような気分だった。

 だから私は、最初その変化に気が付かなかった。

 ずっとミルクみたいに濃く辺りを覆い尽くしていた霧が、ちょっとだけ薄らぎ始めていたのだ。それを俯いた時に私は知った。私の足と生い茂った草が見えたのだ。

 視線は自然と何か他のものを見つけようと前を向いた。薄らいだ霧の向こうに、二つの影が並んでいた。

 直感的に、その二人が私の両親だと分かったのはどうしてだったのだろう。私の唇は、私がかろうじて聞き取れるほどの声でお母さんと呟いていた。

 影のひとつがゆっくりと頷く。どうしても霧で覆われはっきりと見えない表情がそっと微笑んだのを私は理解した。

 続けて私はお父さんと呟く。母とは頭ひとつ大きい影が、まるでずっと共に過ごしてきた気の置けない友人に声を掛けるように、軽く右手を上げる。そうして父はにやりと微笑んだ。

 私は目の前の光景がよく理解できなかった。突然の変化に付いていけなかったのだ。どうして二人がここにいるのか。一体いつ現れたのか。どうして二人の表情だけが見えないのか。疑問は私の中にたくさん生まれていて、それと同時に何か声を掛けなくてはいけないと、私はずっとずっと言葉を捜していた。

「元気?」

 何とか不器用にはにかんで尋ねた私は、知らず知らずの内に自分の頬が濡れていることに気が付いた。伝った涙を追いかけるように視界がぼんやり歪み始めて、二人が見えなくなってしまう。私は溢れた涙を拭って、もう一度両親に尋ねた。変わらない問いかけに、二人はそっと頷く。その反応に私の頬は綻び、亀裂が走っていた涙の堤防はあっさりと崩れ去ってしまった。

 二人を直視することができない。私は止めどなく流れる涙の視線を、俯いて二人から外した。少し恥ずかしかったのもあるけれど、それ以上に込み上げる熱い想いが私の中に渦巻いていたのだ。

 二人が死んでしまって十五年。叶うことなどないはずだった願いを抱き続けた歳月が、こんこんと蘇る。母親と手を繋ぎ帰る友達を羨ましく思った日があった。いなくなってしまった二人を恨んだ夜もあった。

 仕方がないと自らに言い聞かせながらも、心細くて叫びだしたいこともたくさんあったのだ。それらの日々は、目を閉じれば今でも思い出すことが出来る。

 ふと右肩に温もりを感じた。もう覚えているはずなどないのに、それは懐かしい温もりだった。ああ、二人がすぐ側にいる。私を見守っていてくれる。私は顔を上げる事なく、右肩の温もりに手を重ねた。それはごつごつしていながらも温かな手だった。力強い父の手だった。私の重ねた手をまた違う温もりが包んでくれる。柔らかな愛情が掌を通じて染み込んでくるように感じる。母の手だ。優しい母の手だった。

 二人の温もりを感じながら、私の意識は遠のいていった。元気で。重なり合ったそんな声を聞いた気がした。


 そっと目を開ける。ぼやけた視界に茶色のモザイク画が広がっている。そのモザイク画次第にはっきりと輪郭を持ち始め、見慣れた天井になった。おばちゃんの家の、私の部屋の天井だ。

 私は上半身を起こして部屋の中を見る。いつもの私の部屋の中だ。カーテンの隙間から、一筋の朝日が差し込んでいる。

 私は右肩に手を置いた。そこにあった温もりが静かに左手に蘇る。

 薄暗い部屋の中で、私は少しだけ泣いた。

ファンタジーって素敵なジャンルですよね。思えば、今まで書いてきたものはほとんどこのジャンルに該当するような気がします。背伸びをして、文学なんてジャンルにしていたけれど。でも、どうもぴったとはまらない。これがファンタジーでいいのだろうかと疑問に思う気持ちもあります。一体どのジャンルに投稿したらいいのだろう。今更ながらに迷い始めてしまった次第です。

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