毒巫女5
――――不快感。
それが意識が浮上してきた時に感じた感情である。
硬い床に寝かされていたのだろう。
背中の凝りが酷くなっている気がする。
硬い床のせいで頭が痛い。
後頭部が凹んで頭が変形しそうだ。
腹が減った。
もう何週間も食べ物を口に入れてないかのように腹が空腹を訴えてくる。
そして何より立ち上がるのが億劫だ。
このまま睡眠を貪りたいと思えるほどに。
ただ唯一、腹に乗っかっている重りに何故か不快感を示すことなく、それどころかむしろ重りから暖かいものがお腹の中に流れ込んでくるように錯覚してしまう。
それだけで不快感は吹っ飛び、起きようとする意志がようやく体全体に行き渡った。
そして目を開け上半身をむくりと起こした俺の視界には、掃除の行き届いていないボロボロの木の壁に、何も置かれていない殺風景な部屋が写る。
「……ああ。糞ババアが経営している宿か」
少し錆び付いた鈴が鳴ったような声が出、自然と喉が枯れていることに気がついた。
喉元を擦り、水を飲んだら治るだろうと判断して、起き上がったことによって腹から腰へとずり落ちた重りに視線を向ける。
「……ん、ううん、んん…………ん?」
先程の動きで起こしてしまったのか、重りはゆったりとした動作で目を擦る。
――――訂正。
重りではなく、十六歳ほどの少女の頭だった。
そう認識した瞬間、俺はまさか朝チュンというヤツを迎えたのではないかと思ったが、よくよく考えると女同士だしできないことは無いだろうけど、そんなことをしている場合じゃなかったはずだ。
そして自身の記憶を掘り出すこと暫し。
該当する曖昧な記憶が一件あった。
ふわっと可愛らしく欠伸をした黒髪の前髪が少し目にかかる程度のボブヘアーで、黒曜石のような黒眼の美少女に俺は確認しようと口を開ける。
「貴方は女神様でしょうか?」
そして後悔した。ぶっちゃけ、物凄く後悔した。
初めてあった人にまさかの女神呼ばわり。
普通ならば褒め言葉になる可能性もない訳では無いが、今回はその女神とやらもこぞって企画したゲームにオレ達は巻き込まれている惨状だ。
俺は勿論のこと、<陣営鑑定>を使って調べたところ、この女神様もゲーム参加者のようである。
だから当然女神という言葉に嫌悪感を持っているかもしれない。
しかしそんな事でうじうじ考えていた俺をあっさりと吹き飛ばすような可愛らしい表情で女神……いや天使は言葉を紡ぐ。
「め、女神様ですかっ!? わ、私はそんな大層なものではありませんっ。そ、それより、あ、あの勝手に体の上で寝てしまって、その、あの、ご、ごめんなさいっ!」
俺は頭をぺこぺこ下げている天使が、所々言葉が詰まっている上に、自分を卑下してしまっているように感じた。
世間一般ならこの天使を情けないとか言うのであろうか。
ただそうだとしても俺にとっては命を救ってくれた恩人である上に、看病までしてくれるという優しさをもつ天使だ。
何よりも恋という感情を否定し続けてきたこの俺が一目惚れした相手なのだ。
生まれて初めて好きだと心の底から思った対象なのだ。
だから急いで起き上がってわたわたしている天使を微笑ましく思い、部屋から出ようとしている天使を呼び止める。
「少し待ってください」
「な、何か気に触ることでもしたでしょうか」
びくびく怯えながら聞いてくる天使が可愛らしい。
「看病してくれたのですよね。ありがとうございます。あのままでは命を落としていたでしょう」
「ふぇっ? そ、その、苦しそうにしてたので、ち、近くにいたら和らぐかなあと思って、やっただけで、看病なんてとても」
予想通りの可愛らしい答えに可愛らしい発想。
こんな優しさに満ち溢れた美少女が他にいるだろうか、いや居ない。
なんかちょっと俺、割とマジで色々末期かもしれない。
さっきから可愛いが頭の中で埋め尽くされてヤバイ。
しかし自覚していながらもこの感情は止められない。
さしあたっては彼氏が存在するのかどうか。
もし存在するならば毒殺すべきか……?
「私にとってはそれが嬉しいのです。ところで恋人はいらっしゃるのでしょうか?」
「こ、恋人でふか?」
あ、舌噛んだ。
少し涙目になっている所がまた可愛らしい。
「い、いないです。私みたいなのと、こ、恋人になりたいと、思う人なんていないですよ……」
そんなセリフを聞いた途端、俺の身体は勝手に天使の手を両手で握りしめ、気づいたら顔を唇同士接触するほど近づけ捲し立てる。
「わ、私ではダメでしょうか! 今は武力、権力、財力に置いて何一つ持っていませんが幸せにすることだけは誓います。だから私と結婚して下さいっ!」
「ほ、ほえっ?」
「見知らずの私を助けてくれたあなたが好きです! 起きた時にそばに居てくれたあなたが好きです! あなたを全身全霊を賭けて守りたいほど好きです! 浮気なんてしませんし、気に入らなければ見捨ててくれても構いません。それでも良かったら結婚してください! 愛してます!」
いきなり好きと連発して捲し立てている俺は一体誰なんだろうか。
少なくとも過去において一度もこんなに一生懸命相手に想いを伝えようとしたことなど無い。
それに何一つ天使が俺を好いてくれる要素など一切述べてないのにどう考えたら了承してくれると思ったのだろうか。
案の定、天使は俺の勢いに身体が後ろに反っている。
――――要するに引かれた。
「ふ、ふぇ? あの、その、私達、女の子同士ですし、結婚するには若すぎますし、まだお互いの名前分かりませんし、あのもうちょっと時間をかけて考えた方が。私なんかと結婚したら後悔します、よ?」
「ダメでしょうか? そうだとしてもお側にはいさせて下さい。好きな人がいるのならば愛人でもかまいませんから」
しかしそれでも更に言葉を畳み掛ける俺は一体何を考えているのか自分自身でも分からなくなってきていた。
「あ、愛人っ!? そ、そんなのいりませんっ!」
好きな人がいる場合もシュミレーションした結果、愛人でも良いと基準を下げたのだが断られた。
そんなに嫌われているのだろうか。
「…………あ、れ? では奴隷でもいいですから」
更に基準を下げ、奴隷でも妥協すると言ったのだが。
「それもダメですっ!」
それも力強い拒絶する言葉によって切り捨てられた。
「…………えっ?」
一瞬、何を言われたのか認識出来なかった。
しかし徐々にその言葉が脳に浸透していったとき、無性に悲しくなった。
「…………私には奴隷になる価値すらないのですか」
好きな人に拒絶され振られたと思うと胸が切なくなる。
天使の手を握っていた手が力無く離れ、目から涙がポロポロと出てきて視界が滲む。
ここ十年間一切泣いたことなかった俺が天使の目の前で憚ることなく泣いてしまう。
冷静になった部分が女の身体になったせいだと推測するが、悲しみが溢れかえった心にそんなことを考慮する隙間などない。
ただただ悲しかった。
「あわわわ。ち、違います! 泣かないでください。むしろ私には勿体ないくらいの美人さんです!」
そんな俺のガチ泣きに動揺して慌てふためいている天使は俺を気遣った言葉を紡いでくれた。
しかしそれでもひねくれた俺は受け入れられず、卑怯な聞き方をしてしまう。
「……じゃあ、何でダメなんですか?」
泣いているのを止めようとしてくれている天使はさぞこの質問の返答を悩んでいるだろう。
ダメな所など大量にあるため言おうとすれば言えるが、そのまま言葉に発してしまったら俺の泣きが止まらなくなるから。
それでも天使は優しい言葉を投げかけてくれる。
「私の心の準備と言うか余裕がないからで決してお姉さんのせいではありませんっ! お互いを知る期間が欲しいので、良ければ友達から始めませんか? 私は浅川千愛です。宜しくね」
いつの間にか言葉に詰まっていた天使は俺相手に流暢に話せるようになっていた。
そして飛びっきりの笑顔を魅せつけてくる天使……否、千愛様は俺を導いてくれるように手を差し出す。
暗雲に光が指すようにモヤモヤしていた気分が晴れ出し、気付けば涙が止まっていた。
差し出された千愛様の手を取り、未だに名乗っていない事が物凄く恥ずかしくなりながら、これから一生を共に生きるであろう人に自己紹介をする。
「初めまして千愛様。私はミラ=ジョーカーです。こちらこそ末永くよろしくお願いします♪」
嗚咽が混じることなく、俺の声は弾んでいた。
※※※
一方、その頃の神界では。
ナナウトツィンを制裁し終えた神々はケツァルコアトル主催の討論に白熱していた。
当然、オタク趣味に染め上げられてしまったケツァルコアトルが司会という時点でまともな議題であろうはずも無く。
総勢百柱の神々が各々(おのおの)好き勝手に座っている前にある、とてつもなく広い円卓の上の空中に、少女の恥ずかしがるポーズを動画中の大きい画面が堂々と鎮座し、身を乗り出して穴が空くほど見つめる一部の神がいた。
「俺はこの娘だと思う! この恥ずかしがっている表情、仕草が理想的だっ!」
「いや、俺はこっちだね。普段クールに見える娘が、恥ずかしいセリフを言うことによって羞恥に彩られるというギャップを利用した萌え! これこそが至高!」
「何言ってんのさ。無表情の娘の頬がほんのり赤く染まる姿がいいさね」
「こ、この娘を転生させたのはこの俺だっ! さすが俺っ! 俺の目に狂いはなかった!」
「僕はノリノリでやってくれている方が面白いんだけどなあ」
「貴方達っ! ふ、不潔ですうっ!」
「不潔もクソもあるかッ! これは文化の神であるケツァルコアトルが広めた聖なる思想だぞ!」
転生者が近くの街や村や都市などに行くための道標である紙の効力を発動させるために唱える<動いて紙ちゃん、萌え萌えきゅんきゅん>というケツァルコアトルが考え出した如何にも頭の悪い言葉が議題である。
正確にはそれを唱える転生者の反応に関する討論。
中には変態共を止めようとする節度のある神もいるが、多勢に無勢。
そんな状況の最中、なんの脈絡もなくミラ=ジョーカーの唱え中の動画が上がった。
「この娘は…………なんの面白みもないな。せっかく巫女服着てるんだから、媚びるように言って欲しかったのたが」
「なんか物凄く淡々としてるよね。目も死んでるし」
「俗に言うレイプ目というやつだな。まあ目の中に生気が宿ることを祈っとくよ。一生変わることはないと思うけどな」
「おまっ……その原因を作った俺達がそれを言うのか」
「でもよくよく見ると薄らと赤みがかっているような?」
「そもそもお前の視界、全部赤にしか見えないだろ」
「そうだったな、あハッハッハ」
「ったく、そんなことよりも小娘のこれからが気になるな。こういう奴は大抵ひねくれてくるからなあ。少なくとも目に生気が宿ることはないと思うが。まあ少し早送りしてみるか」
ある神の一柱が手元にあるリモコンでミラ=ジョーカーが映っている動画を早送りした。
たちまちミラ=ジョーカーが取った行動がたちまち過ぎ去り、ある場面で停止する。
その瞬間、神々の喧騒が掻き消えた。
「お、おい。こいつ何考えてやがる!?」
「うわぁ、この娘『毒生成』にボーナスポイントの大半使い込みやがった。普通、戦闘用や生産用のスキルをLv.MAXにするだろ」
「それよりも『毒耐性』もまともに上げないで『毒分泌器官』のレベルを上げた方が問題でしょ! この娘物凄く苦しんだはずよ」
また別の神がリモコンの再生ボタンを押す。
「うわー、のたうちまわってるよ」
「髪の色素抜けたな」
「目の色も変わってないか?」
映像に映っている死にかけなミラ=ジョーカーは金髪碧眼から白髪紫眼へ徐々に変わっていく。
葉を食いしばりながら泣き叫び笑っている様子は傍から見れば異常者としか言えないような姿だったが、神々は何も言わなかった。
ただただ早送りしながら、意識が覚醒するまで見続けた。
「……耐えたね」
「……耐えたな」
「こいつは強くなるだろう。力ではなく度胸や環境、人脈を駆使して這い上がって来そうだ」
「僕はてっきり死んだと思ったよ」
「そもそも人間が毒をこの領域までレベルを上げる必要性がないから、毒で進化したのはこいつが初めてじゃ?」
「他の世界では割といるけど、この世界では間違いなくこの娘だけだろうね。毒なんて普通補助程度にしか使わないし、人間相手ならばそれで十分」
「ね、ね、みんな。この子は成ると思う?」
「最低条件は固有スキルをLv.11にすることだが未だにこの世界でこれを超えた奴はいないからな。ほぼ不可能じゃないか?」
「でも願わずにはいられないよね。このゲームのもう一つの本命」
半分以上の神々がこの言葉に対して強く同意を示す。
「「「――――神化を」」」
この後暫く、神々が神化という人間の身から神になることを期待してミラ=ジョーカーを観察していたのだが。
「この娘普通に目に生気宿してるんですけど。しかも目の中がむっちゃハートマークだし。思いっきり入れ込んじゃってるよ」
「この娘は一生、死んだ目から変わることはないってカッコつけていた神って誰だったっけ? マジウケルんですけど」
「しかも一目惚れ。これが噂のチョロインというヤツなのか」
「毒のせいで死にかけだったから吊り橋効果やら本能が危機を感じて子孫を残そうと働きかけたのかは知らんが、色々合わさった結果ああなのだろうな」
唐突に場面が飛び、ミラ=ジョーカーが浅川千愛に告白している一世一代の試みが全ての神々に見られるのであった。
ついでに今のところ神化出来る転生者はミラ=ジョーカーを含め皆無である。