毒巫女11
「ミ、ミラちゃん。その青くてプルプルしてるのって、スライムなのかな?」
草をもさもさ食べながらブツブツ呟いている不気味なベトのせいで、ちーちゃんの動きにぎこちなさが出てきた。
「そうらしいです。もしかしてスライムはお嫌いですか? 何なら捨ててきますが」
「そ、そんな事ないよ! ただ、ちょっと緊張しちゃって。それに普通のスライムはもうちょっとベトベトな感じだって『常識』にあったから……その、怖い生物だったりするのかな?」
ふーん。ちーちゃんの人見知りは魔物でも反応するのか。
それにしても、ちーちゃんの不安そうに揺れる瞳が俺だけを映しているというこの状況は独占欲が刺激されて心地良い。
出来れば暫く浸っておきたいのだが、ちーちゃんの気持ちを考慮すると流石に申し訳ないから、このスライムが無害である事を証明するために取り敢えず持ち上げる。
「おい、ミラ。その物を持つような持ち方をするの辞めてもらえねえか? 仲間なんだろ? もっと仲間は大切にするもんだと思うぜ」
「考えておきます。それよりどうですか、ちーちゃん。触ってみませんか?」
「えっと、その……う、うん。じゃあ、ちょっとだけ」
抗議を上げているベトを傍目に俺の視線は、おっかなびっくり人差し指でスライムにちょんちょんと触る儚げな白い指に釘付けになっていた。
白魚の如き指がベトのプルプルボディに触れる毎にそこを中心として波動が生まれる様子は、初めての海を指でつついて戸惑っている幼い子供のようで微笑ましい。
しかし、ちーちゃんはどうやら感触が気に入ったらしく、だんだんと触る頻度と範囲が大きくなっていく。
「止めろ、嬢ちゃん。嬢ちゃんみたいにナヨナヨしている奴は全体的に嫌いなんだ。……昔の俺に似ているからな」
「……そんな。うんん、そうだよね。そもそも話せるような高位な魔物を私がさわるなんて烏滸がましいよね。もしかしなくてもミラちゃんもやっぱり友達なんて思ってないよね。私が勝手に舞い上がってたんだよね」
うっすらとちーちゃんの目に涙が浮かぶ。
おい、このスライム、俺の恋人に向かって何言ってくれてんの。
お陰でちーちゃんが全力で鬱に突入しちゃったじゃないか。
思った以上に傷ついているちーちゃんを見て、プルプルボディを右往左往させているベトは役立ちそうにない。
普段はダンディっぽい感じだしてるくせに。
そうなると俺がどうにかしなければならないのだが、女性経験が皆無に等しい俺は何も今の状況を改善する手段が思い浮かばない。
「……なんで友達出来ちゃったとか思っちゃったんだろう。地球でも友達いなかったし、親の期待を裏切った私が今更人生を満喫できるはずないんだよね」
俺に背を向けてしゃがみこみ地面にのの字を書きながら、ちーちゃんの自己を否定する言葉が口から漏れ出ていた。
ちーちゃんの新しい面が見れて嬉しく、自分に自信を持ってほしいと思っている反面、流石に少しイラッときた。
ちーちゃんとは友達と思っていたのに、本人自身が勝手に友達を否定するのは酷くないだろうか。
「……なんでミラちゃんは私と仲良くしてくれてたんだろう? 同じ陣営だから利用できると思ったのかな?」
「いい加減にしてください!」
気づいたら、ちーちゃんの頬を思いっきり叩いていた。
やってしまった。
だからここで謝ればよかったのだが、感情が口を閉じさせてくれない。
「なんでそんな簡単に否定するのですか! 私は貴方を利用するためではなく、好きだから一目惚れしたから近づいたと言いましたよね!? そんな私の恋心をありえないで勝手に無視しないでください! あれは私の最初で最後の人生初の告白だったんですよ! どうして認めてくれないんですか! どうしてあっさりと友達じゃないって言えるんですか! 少なくとも私は友達だと思っていたのに!」
言い切った。言い切ってやった。
だが、直ぐに後悔の念が津波の如く押し寄せてくる。
「……あ、あ、う。ぐすっ」
間違いなく溢れてくる涙を必死でと留めようと手のひらを目に当てているちーちゃんが原因だ。
引っぱたいた挙句、感情のままに年下の女の子に向かってあたる。
言い逃れ出来ないのほどの屑っぷりであった。
流石に言い過ぎだと思い、頭を下げる。
「その、ごめんな――――」
「――俺の店員を泣かせたのは貴様か! やはりチエを任せたのは間違いだった! ここに二度と来るな! 即刻帰りやがれ!」
横から頬を思いっ切りグーで殴り飛ばされた。
思わず尻餅をつき、殴られた方を手で抑え、殴ってきた相手アルベルトを睨みつける。
今、女を躊躇なく殴りやがったぞ、こいつ。そもそもどこから現れた?
奥で燻るようにジンジンと頬に鈍痛が響き、ついでに唇も少し切れたようで口元に血が流れた。
アルベルトは俺に嫌悪感を顕にしながら言葉を吐き捨てた。
「もう一度言う。二度と来るな。チエに近づくな」
怒りが一周まわって冷徹になっているアルベルトに俺は生まれて初めて本物の殺意が芽生えてしまった。
確かに俺はちーちゃんを泣かせたが、間違ったことを言ったつもりも、罵倒したつもりもない。手は出してしまったが。
だからといって、アルベルトが早とちりして俺を悪者扱いしているこの現状に腹が立たないわけがない。
だが、感情の赴くままに殺人を犯すようではダメなことはニュース番組からも良くわかる。
あくまで客観的に判断し殺すのか殺さないのか決めるのが今後自身のためになるだろう。
腹立ったから殺すようでは、いくら命の軽い世界とはいえ、人々に恐怖を抱かせることは間違いなしだ。
いつキレるか分からない殺人者とある一定の理屈を持っている殺人者とでは、一般人からしたら前者の方が怖いはず。
だから俺は理屈を並べてアルベルトを殺そうと思ったのだが。
ああ、無理。
俺からちーちゃんを引き剥がそうとする害悪に容赦する必要も理屈並べる必要もないよな。
少し離れたところでちーちゃんが事態を把握出来ずに呆然としているのがなんと可愛らしいことか。
やはり俺は間違っていない。
ただ、流石にこの場で殺すのはちーちゃんにバレるので、決行するのは後日。
俺は大人しくちーちゃんに小さく手を振り、ひたすら草を食っていたベトを鷲掴みにして宿屋に帰った。
※※※
そしてその日の夜。
夜にアルベルトを毒殺するために早めに寝ていた俺は、いつもは村人が静かに寝静まっているはずの時間帯にも関わらず、騒がしいどころか破壊音まで混じっている状況に頭が追いついていなかった。
「ベト、何かあったのですか?」
「間違いなく何かはあったんだろうな。魔物にでも襲われたんじゃねえか?」
「まあ、十中八九厄介事なのでしょうけど」
ボロボロ宿のここの木の壁の隙間から外の様子を覗き見ると、そこには五、六箇所に火の手が上がり村の中心あたりには、この二階建ての宿よりも高い銀毛の巨狼が村人の家を前足で踏み潰し、人を食していた。
「ワオオォォォォオン!」
銀狼の遠吠えが夜空に響き渡る。
アルベルト暗殺計画は即座に白紙に戻した。
「随分と気持ちよさげに吠えるんですね」
壁から目を離し、少し思考の海に沈む。
村人を助けるという余裕はまず無い。
だからといってこのまま引き篭もっておくのも狼は鼻が利くため、得策とは言えない。
結局、ちーちゃん至上主義の俺はその主義に則って行動するわけなのだが。
「ちーちゃん、やばくね?」
ポロッと素の口調が出るぐらいに俺は内心焦っていた。
いや、仮にもちーちゃんは転生者。
易々と殺られるとは考えにくい。というか考えたくない。
取り敢えず、この宿を出てちーちゃんに会ってから考えるとしよう。
まずは自身の能力把握。
★★★
名前:ミラ=ジョーカー
性別:女
種族:人間
等級:1
(陣営:遊戯神イルサーン)
寿命:17/86
固有スキル:(『毒分泌器官Lv.7』)
特殊スキル:『陣営鑑定(固定)』(『猛毒精製Lv.6』)『毒吸収Lv.1』
希少スキル:『テリトリー視覚化Lv.1』『毒制御Lv.7』『猛毒耐性Lv.6』
一般スキル:『逃げ足Lv.1』『毒耐性付与Lv.3』
SUP:0
★★★
前に見た時と何ら変わりはないが、ある程度の方針は立った。
俺は床に置いていたショルダーポーチを肩にかけ、部屋をぐるりと見渡して忘れ物がないことを確認する。
「ベトは一緒に来ますか? そこに居ても構いませんよ」
「勘弁してくれ。さっきの嬢ちゃんにナヨナヨした奴は嫌いって言ったばかりなのによ。勿論ついていくぜ」
そう言ってベトは俺の頭に飛び乗る。
そこは髪がベタついているように感じるからやめろと言ったはずなのだが。
ギシギシと鳴る階段を慎重に降りて、出入口に設置されている扉を開こうと手を掛けた時、後ろから嗄れた声が掛かった。
「あんた、強いのかい? せっかく宿も貸してやったんだ。せめてこのアタシを逃がすぐらいはしてくれてもいいんじゃないかい?」
にたにたと粘着質な笑顔で近づいてくるこの宿の経営者のクソババアに運悪く会ってしまったようだ。
「残念ながら私は見た目通り弱者です。頼るのならば他の人に頼んだ方が生存率は上がりますよ。それに私は宿を借りた対価をきちんとお支払いしましたので、その主張は通らないと思ってください」
こんな奴を相手にしている間にもちーちゃんが危険な目にあっているかもしれないというのに、あろうことかクソババアは俺の手首を力一杯掴んできた。痛い。
「冗談じゃないさね! こんな所に残ったら死ぬよ!」
「じゃあ死ねばいいじゃないですか。誰にも見つかることなく無駄死にしてください。私はあなたがどうなろうと関係ありませんので」
強引に手を振りほどき、クソババアを冷たく見据える。
――ここで殺した方が楽なのではないだろうか。
そんな思いが一瞬脳に掠めたからだろう。
クソババアが俺の瞳を見た途端、腰を抜かした。
「……ひっ! こ、この悪魔め! 地獄に落ちな!」
おそらく自身のプライドの問題なのだろう。
怖い相手に虚勢を張り、萎縮しているくせに悪言を口に出す。
俺はそれを見下ろしても何の感情も抱かなかった。
「生きていたら、また会いましょう」
心にもないことを吐き捨て、俺は扉を開けて外に出る。
響き渡る咆哮は相変わらず元気な様子だが、村人達の叫び声がほぼ聞こえなくなっていた。
そして一瞬。遠目に見た巨狼と目が合ったような気がした。
いや、気のせいではなかったようだ。
狼が出した、弾丸のような速度で単続的なブレスもどきがまさに俺の頭上を通り過ぎ、今出た場所に直撃して破壊、そして炎上。
一瞬のうちに宿が崩れ落ち、クソババアの悲痛な叫び声も聞こえてくる。
もう少しあのクソババアに引き留められていたら、確実に死んでいたところだった。
「は、は、ふぅ」
純粋に怖い。
少なくとも二百メートルは離れているところから狙撃された上、精度も高い。
到底俺には太刀打ち出来そうもなく、それ以前に俺の心臓の鼓動が鳴りっぱなしで、脚が震え全く前に進もうとしないのだ。
「はぁ、はぁ、ふー。落ち着け、落ち着け。ちーちゃんを助けに行くんだろ」
必死に自分に言い聞かせ、この際都合の悪いことは全て思考の外へと放り出す。
あの巨狼の攻撃は当たらない。ちーちゃんは生きている。俺は昼間に行った所にただ辿りつければ良い。
死ぬ覚悟なんて出来ていないが、取り敢えずは、これでいい。
「ミラ、進まないのか? あの攻撃なら一発ぐらいは防いでやるから安心して走れ!」
頭の上から降ってきたベトの言葉に、そういえば俺の頭にベトが乗っていたなということを思い出し、自身の余裕のなさに再度愕然とさせられた。
しかもよりにもよってベトに気を使われたことが情けない。
「よし。『テリトリー視覚化』」
気持ちを切り替えるためにわざと声を出し、スキルを発動させる。
表示されたのはここ周辺を覆う赤い領域、つまり巨狼の攻撃範囲だった。
どこに行っても変わらないと思った俺は巨狼よりも東にいるはずの人に会いに短い緋袴を翻しながら走った。