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チャオプラヤーの黄昏(たそがれ)

作者: 三坂淳一

『 チャオプラヤーの黄昏(たそがれ) 』


 チャオプラヤーはバンコク市内を北から南へ流れている。

 川幅は広く、ゆったりと流れ、静かに海に溶け込む。


 「なるほど、この硬貨の裏面にある風景が見えている。ガイドブックに書いてある通りだ」

 男は手に持った十バーツ硬貨をしげしげと見ながら、そう呟いた。

 隣に座った男が笑いながら言った。

 「幹男、何を今更、言うてまんねん。その硬貨の裏面が『ワット・アルン』を摸していることは有名だぜ。今更のように、感心するなよ」

 前の座席に座っていた男が後ろを振り返って言った。

 「良彦、まあ、そう言うなよ。何にでも感心するのが、幹男の良いところだ。真面目に感心するのが、幹男だよ。高校の頃から、そうだったじゃないか。まず、感心するんだ」

 「健一、分かっているよ、勿論。しかし、その後で、かなり辛辣なことを言うのが、幹男だったよな」

 「良彦も健一も、二人共、感受性が乏しい。俺は、ただ、感受性に富んでいるだけだよ」

 硬貨を手にしている男が少し口を尖らせて言った。

 船は混んでいた。

 外国人観光客も多かったが、地元の人と思われるタイ人の姿も多かった。

 バンコクの道路は自動車、バスで溢れかえり、その渋滞振りは有名だが、川に渋滞は無く、市民の交通手段として水上交通は無くてはならぬものとなっている。

 車を敬遠する人は、BTSと呼ばれる高架鉄道か、MRTと呼ばれる地下鉄か、今、三人が乗っているロング・テール・ボートと呼ばれる長大な船を利用して、職場或いは買い物に行く。


 三人は対岸に聳え立つ『ワット・アルン』の仏塔を眺めていた。

 「『ワット・アルン』。別名、『(あかつき)の寺』。三島由紀夫の遺作、『豊饒(ほうじょう)の海』の第三巻の舞台となったところだ」

 香川良彦が感慨深そうな口調で呟いた。

 「本多繁邦とタイの王女、月光姫こと、ジン・ジャン。ここに来る前に、読んで来たよ。何十年振りにね」

 香川の言葉に誘発されたのか、佐藤健一がぼそっと言った。

 「健一は、三島事件に衝撃を受けていたよなあ。俺も、あの時は、まさかと思ったよ」

 硬貨をポケットに入れながら、中井幹男が佐藤に言った。

 香川がデジカメを取り出し、対岸の『ワット・アルン』の大仏塔を写した。

 「一応、写しておこう。しかし、それにしても、目立つ仏塔だなあ。七十五メートルという高さを持つ大仏塔だ。絵葉書では、一番人気だそうだ。特に、夜間照明に照らされた絵葉書は絶品だぜ」

 「時に、俺たちはどこで降りるんだ」

 中井のとぼけた問い掛けに、香川が答えた。

 「N9のター・チャーン桟橋だよ。そこで、ひとまず、この船を降りて、歩いて、『ワット・プラケーオ』と『王宮』に行く。案内はこの俺に任せろ。バンコク三回目の俺に」

 「香川は三回も来ているのか。バンコク・リピーターだな。バンコクって、そんなに魅力があるのか?」

 「幹男は愛妻家だから、俺のような離婚した男の気持ちなんか、到底理解出来ないよ。時には、女の肌を恋しくなるもんだぜ」

 香川が偽悪家ぶって嘯いた言葉を聞いて、佐藤がニヤリと笑って言った。

 「バンコクは男の天国か。昨日の夜、飲んだ酒場の近くの路地で見かけた『ピンク・マッサージ』というど派手な看板がお前を誘惑するんだろう」

 「けっ、そういう佐藤だって、還暦過ぎて、未だ、独身なんて、希少価値だけど、実際は怪しいもんだぜ。隠し女がいたくらいにして」

 「俺は、女より、酒がいい。吉祥寺の『いせや』で焼き鳥をつまんで、酒を飲んでたほうがいいのさ」

 「良彦も健一も、勝手にほざくがいいさ。俺は、今回の旅が良かったら、次は、女房と来るよ。このチャオプラヤーの川を見ていたら、セーヌ川を思い出した。パリ市内をゆったりと流れるセーヌ。(うるわ)しのセーヌ。思い出すよ」

 「なんちゃって。濁り加減が似ているだけだろうが」

 佐藤が皮肉った。

 佐藤の言葉を聞いて、香川が笑いながら言った。

 「外国の川って、日本の川と違って、結構濁っているものな。清冽な流れと表現される川って、日本の川くらいだぜ」

 「でも、セーヌは雰囲気があるよ。俺は女房と一カ月ほど、パリで暮らしたけど、セーヌ河沿いに歩いて、ノートル・ダム大聖堂に行くのが毎日の散歩コースだった。パリの六月、サクランボの季節は、いつまでも夜にならないんだ。十時になって、ようやく、夕暮れになる。そして、十時半で夜になる。ノートル・ダム大聖堂の前の広場のベンチに座って、鳩に餌をやる人を見ながら、のんびりと過ごす夕暮れは最高だったよ。良彦とか健一には、この情緒は分かんないだろうな」

 そう言いながら、中井は妻と過ごしたパリ滞在の日々を想っていた。

 六月はサクランボの季節だ。

 ル・トン・デ・スリーズ(サクランボの(みの)る頃)。

 滞在したサービス・アパートの近くにこじんまりとしたマルシェ(市場)があり、そこの果物屋で五百グラムほどサクランボを買って、朝・夕の食卓に添えて食べた旅を思いだしていた。

 食べた、食べた、あの一か月の間で、十キロは食べた。

 五百グラムで三ユーロ(三百円ほど)という値段も嬉しかったが、粒も大きく、甘かった。

 レッド・チェリーの他、佐藤錦と似たようなナポレオンという品種もあった。

 ナポレオンという品種は昔、確か、日本でもあったような。

 値段的には、普通のレッド・チェリーより少し高かった。

 高級ブランドだったんだろう。

 でも、俺は大粒のレッド・チェリーの方が好きだ。

 何と言っても、甘くて、しかも、大粒だから食べごたえがある。

 ナポレオン。

 フランス人はナポレオンが好きだ。

 多くの若者を戦場に駆り立て、死なせた張本人だが、フランスという国を一等国に仕立て上げたこの軍事の天才を今でも誇りに思っているのだ。

 ルーブル美術館を見れば、分かる。

 一番、肖像画が多いのは、このナポレオンだ。

 いろいろと、旅の思い出は尽きない。

 いずれにしろ、旅の思い出は貴重な無形の財産だ。

 人は皆、墓の中で平等になる、という言葉があるが、この(とし)になってつくづく、そう思う。

 金とか土地はあの世には持っていけないが、思い出はいくらだって持っていける。

 死ぬ間際になって、俺はきっと、沢山の思い出に包まれてあの世に旅立っていけることを、もし神様がいるとしたら、その神に感謝することだろう。

 きっと、妻もそう思っているに違いない。

 中井はそう思い、ふと、過剰に感傷的になっている自分に気付き、微かに笑った。

 齢か、と思った。


 「しかし、この川の川幅は広いな。ゆうに、三百メートルはある。セーヌだって、こんな川幅は無いだろう」

 香川が顔にかかった水飛沫をハンカチで拭いながら言った。

 船は水飛沫を立てながら快調な速度で進んでいく。

 対岸に、赤い屋根のワット(寺院)が見えていた。

 屋根の先端が天に向かって反り返っている。

 澄んだ青空に映えて、美しく優美な姿を見せていた。


 高校で俺たちは同じクラスになった。

 終戦直後は一時期、女子も入学していたそうだが、いつの間にか、男子校に戻ってしまい、俺たちが入学した頃は女っけのない殺風景な高校となっていた。

 女と言えば、教師と事務員だけの学校だった。

 今は、ようやく、共学となっている。

 羨ましいものだ。

 十五、六の少年にとって、恋は眩しく、キラキラとした存在だった。

 丘一つ越えたところには、女子高があった。

 俺は校庭にある野球部のグランドで練習に明け暮れていた野球少年だったが、時々、ベンチに座って、その女子高の方を見ながら、好きだった女の子の顔を思い浮かべていた。

 恋に恋する少年の一人だった。

 笑っちゃいけないが、当時の俺は本当に、そうだった。

 恋をすると、女は大胆になり、男は臆病になるという格言があるが、その格言に漏れず、俺は本当に臆病な男だった。

 好きだった女の子には口もきけなかった。

 でも、色恋には敏感な性質で、度が過ぎているのではないか、と一人で悩むこともしばしばだったが、高校に入って、俺の敏感さは度を過ぎたものではなく、普通なんだ、ということを知った時は本当に安心した。

 みんな、恋に敏感な、言わば、多感な少年たちだった。

 入学したての頃だった。

 香川はチャオプラヤー河の対岸をぼんやりと眺めながら、佐藤、中井との初めての出会いを思い出していた。

 健一はノッポだった。

 バスケット部に入った男で、地黒で精悍な顔付きの男だった。

 無口で、どうにも無愛想な男で、とっつきにくい男だった。

 そのノッポが一躍、クラスの人気者になった。

 国語の授業の時だった。

 読本として、樋口一葉の『たけくらべ』が採り上げられていた。

 今でも、思い出すと笑ってしまう。

 信如が坊さんの修行に出る時の例のエピソードだ。

 『たけくらべ』の末尾の一番印象深いところだ。

 美登利の家の格子門から一本の造花の水仙が差し込まれていた、というシーンであった。

 先生が突然、佐藤を指名して訊ねた。

 「佐藤健一君、この水仙は誰が差し入れたと思うかね?」

 佐藤は迷惑そうな顔をして、ぶっきらぼうな口調で答えた。

 「信如、です」

 先生の質問は続いた。

 「そうですか。では、信如はなぜ、そうしたのですか?」

 佐藤の顔は急に赤くなった。

 正確に言えば、地黒の顔が急に赤黒くなったのだ。

 暫く、沈黙が続いた。

 どうしたんだとばかり、クラス全員の眼が佐藤に集中した。

 やがて、佐藤が意を決したように言った。

 勇気をあるだけ搾ったような口調で言った。

 「好き、だった、からです」

 その言葉を聴いて、クラス全員が爆笑に包まれた。

 勿論、馬鹿にした爆笑では無く、好意的な笑いであった。

 顔を真っ赤にして言った佐藤に誰もが好意を抱いた。

 その後、暫く、『好き、だった、からです』という言葉がクラスの流行語となった。

 香川、お前、何で野球をやっているんだ、という質問をわざとする級友に、俺は、佐藤の口調を真似て、好き、だった、からです、と答えたものだった。

 でも、『好き、だった、からです』と答えた佐藤に、恋のキューピッドは訪れなかった。

 今もって、独身でいる。


 中井にも愉快な思い出がある。

 中井は佐藤ほどノッポでは無かったが、すらりとして、色白の美少年だった。

 今でもそうかも知れないが、当時は学校の制服のまま、映画館に行くことは校内規則で禁止されていた。

 そして、生徒補導の教師が放課後、町の映画館を巡回し、制服を着て観ていた生徒を補導する、という話が生徒の間で喧伝(けんでん)されていた。

 補導された生徒は翌日、校長室に行って謝罪しなければならない、という話も、本当かどうかは知らないが、ひそかに囁かされていた。

 でも、禁じられていることを行なう、ということにはワクワクするようなスリルがある。

 映画を観るのに、制服の有無は関係無いだろうという意識もあり、制帽、制服姿のまま、ひと月に一回ぐらいは、放課後に映画を観に行った。

 教師の中には、生徒を呼ぶのに、『おい、そこの悪太郎』と呼ぶ先生も居たが、入学後の初めての授業で、十五、六のまだ青臭いガキのような俺たちに向かって、『君たちは高校生だ。僕は、君たちを紳士として扱い、接する』と語って俺たちを感激させた先生も居た。

 禁じられていたが、佐藤、中井、そして俺、悪太郎三人組は放課後、頻繁に制服姿のまま、映画館に行った。

 その頃、ショーン・コネリーの007シリーズものや、エルビス・プレスリー主演の甘いラブ・ロマンスの映画が流行っていた。

 どんな映画を観た時だったか、もう忘れてしまったが、一度、補導教師に捕まったことがある。

 君たちを紳士として扱い接する、と宣言してくれた先生だった。

 映画が終わり、場内が明るくなった時のことだった。

 俺たちの前に座っていた男が立ち上がった。

 男を見て、俺たちは腰が抜けるほど、びっくりした。

 補導担当の先生だった。

 俺たちに気付き、映画館の片隅に俺たちを連れていった。

 帽子を取って、しょげる俺と佐藤の前に、中井が立った。

 中井が言った。

 「先生、すみませんでした。でも、先生は僕たちを紳士として扱い接する、とおっしゃってくださいました。僕たちも、先生がずっと、映画を観ていたなんていうことは、誰にも話しません。今回は、紳士同士の紳士協定でお願いします」

 先生は笑って頷き、悪太郎の俺たちを解放してくれた。

 暫く、俺たち三人組の間で、『紳士協定』という言葉が流行ったのは言うまでもない。

 中井は見掛けによらず、神経の太いところがあった。

 その事件以後、佐藤はともかく、俺は中井をひそかに尊敬するようになった。

 高校の三年という時はあっという間に過ぎ、俺たちは卒業し、それぞれの道を歩んだが、年末年始は極力可能な限り会って、言わば、旧交を温めた。

 中井は商社マンとなり、三十過ぎた頃、遅い結婚をしたが、子供には恵まれなかったようだ。

 その分、愛妻家になった。

 佐藤は製造メーカーに勤め、転勤族となったせいかどうかは知らないが、結婚は面倒だと言い続け、今もって、独身を貫いている。

 俺も佐藤と同様、製造メーカーに勤め、転勤族となり、結婚はしたものの、子供の学校の関係で単身赴任生活が長く続き、俺自身の不始末により、妻とは離婚する羽目になった。

 俺たちは、いわゆる団塊の世代であり、いろんな日本を見てきた。

 全共闘ならずんば、大学生にあらず、とばかり安保絡みで学園が揺れた政治の季節、右肩上がりの経済成長が続いた時代、ジャパン・アズ・ナンバーワンと、むやみともてはやされた日本、バブル経済が華やかなりし時代の日本、身の程知らずの借金がむしろ元気印と言われた時代、米国の領土が全部買えるんじゃないか、とまで言われた無茶苦茶な土地暴騰、バブル熱狂が消え、失われた二十年、インフレ狂乱物価とデフレによる景気減退、貧乏と貧困が話題の中心となり、落ちぶれていく日本、大地震・大津波・原発事故で今揺れている日本、マスコミを通して知った多くの美しい人々、美しくない人々の群れ、等々、いろんな日本を見てきた。

 (たいらの)(とも)(もり)では無いが、見るべきほどのことは見つ、と言いたいような感じすら持っている。

 特に、経済バブルの頃には、俺が立てた身の丈に合った起業予算を頭から小馬鹿にして、もっと金をかけて、元気な起業を目指せ、若さが足りない、と発破をかけた本社の阿呆な役員たちも居た。

 有利子負債が一兆円を越えても、平気な顔をしていた役員たちの顔を俺は思い出す。

 おかげで、バブルが弾けてから、十年ほどは給料カットが続く事態となってしまった。

 団塊世代の俺たちは、それぞれの世界でいろんなことを見てきたが、今回の俺の呼びかけに応じて、一緒に旅行している佐藤も中井も、昔の溌剌とした活力を失っているように思われてならず、俺は少しがっかりしている。

 そう言う俺だって、佐藤とか中井の眼から見たら、くすんだ顔をして、皺の増えた還暦過ぎの男にしか見えていないのではなかろうか。

 とんだお笑い草かも知れないな。


 やがて、三人を乗せたロング・テール・ボートは船体をギシギシと軋ませながら、ター・チャーン桟橋にその長い身体を擦り付けた。

 桟橋には古タイヤが取り付けられており、乱暴な接岸にも耐えるようになっている。

 実際、船はその横腹をゴムタイヤにぶつけるようにして停船していた。

 船から降りた観光客は多くの露店が軒を連ねる桟橋前の市場に吸い込まれていった。

 三人も多くの観光客に交じって、露店を横目で見ながら歩いた。

 焼き肉を売る店、練り物の団子を串に刺して焼いて売る店、蜜柑のような果実を搾ってプラスチック容器に詰めて売る店、竹で編んだ籠を売る店、陶器の象を売る店、などがひしめき、市場は混雑していた。

 様々な臭い・匂いと呼び込みの賑やかな声、露店市場は喧騒に満ちていた。

 「タイの人って、きちんと並べるのが好きらしい。この市場ばかりでは無く、昨日見た歩道脇の露店もそうだった。とにかく、狭い売場スペースにきちんと分類して並べるのが好きみたいだな。売れて、少し、歯抜けになったら、そのままにせず、また、並べ直す。飽きもせず、忍耐強く繰り返す。少し、売れたら、またきちんと並べ直す。これって、タイの人の特徴かい?」

 売場の台の上に整然と並べられている品物を見ながら、香川が感心したような口調で言った。

 「ふーん、そんなもんかい。ヨーロッパの市場では、品物の分類毎に、並べず、どちらかと言えば、山盛りにして売っていたなあ。山盛りにせず、整然と並べる。タイ人の国民性といったところかな」

 香川の言葉を受けて、中井もふんふんと頷きながら、言った。

 少し大きな通りに出た三人は、ほっとしたような感じで、香川を先頭にゆっくりと歩き出した。

 右側に白い壁が続く歩道を暫く歩いた。

 季節は二月であったが、バンコクはいつでも暑い。

 日本には四季があるが、バンコクの人は、バンコクには季節は二つしか無い、と言う。

 暑い季節と、すごく暑い季節、の二つの季節しか無い、と。

 少し、歩くと額とか首筋に大粒の汗が噴き出してくる。

 香川が尻ポケットから大判のハンカチを取り出して、汗を拭った。

 ハンカチは汗を吸い、次第に重さを増していく。

 この重さの増加が俺には憂鬱だ、余計、暑さを感じる、と香川は恨めしく思った。

 「良彦、運動不足だな。これきしの暑さで、もう汗だくかい。野球で敏捷な動きを誇った、かつてのショートのなれの果てかい」

 中井の言葉に、香川が振り返りながら言った。

 「新陳代謝がいい、と言ってくれよ。朝、オレンジジュースと水を飲み過ぎたみたいだ。がぶがぶと飲まなきゃ良かった。明日からは注意しよう」

 「ビュッフェだと、食べ過ぎてしまうし、飲み過ぎてしまう。貧乏人の悪い癖だ」

 佐藤が憎まれ口を叩いた。

 やがて、数人の武装した兵士が護る大きな門に着いた。

 兵士の一人は、機関銃も持っていた。

 この中にある、と言う香川を先頭にして、門を潜った。

 広い道路を歩き、斜め左を見ると、入場券売り場があった。

 タイ人は無料だが、外国人は有料だと香川が言った。

 動物園含め、タイという国はそんなシステムを採っている、一種のポピュリズムかも、と香川は続けた。

 入場券を買って、少し歩くと、門がある。

 その門を潜ると、そこは、『ワット・プラケーオ』である。

 英語名では、『エメラルド仏の寺院』と呼ばれている。

 燦然と金色に輝く巨大な仏舎利塔にまず多くの観光客は圧倒される。

 「いかにも、タイだなあ。黄金の仏舎利塔だよ。凄い」

 中井が感嘆の声を上げた。

 「俺は昔、静岡の御殿場に住んでいてね。そこにも、大きな仏舎利塔があった。但し、色は白かったなあ。白亜の仏舎利塔だった。杉花粉の凄いところでね。俺はむせながら、その仏舎利塔の周囲を歩いたものだよ。しかし、それにしても、巨大な金ピカ、仏舎利塔だ。恐れ入ったよ」

 佐藤が黄金色に輝く仏舎利塔を見上げながら言い、デジカメを向けた。

 三人は、金の仏舎利塔、アンコール・ワットの巨大模型を観た後、荘厳華麗な本堂に入り、秘仏とされるエメラルド仏を観た。

 エメラルド仏と呼ばれているが、実際のところは、翡翠(ひすい)であると言われている。

 翡翠は古代では珍重された緑色鉱物である。

 生命の石、と云われた。

 メキシコのマヤ文明では特に珍重され、翡翠を持つ者は王族、貴族に限定されていた。

 しかし、それにしても、これだけ大きい翡翠は珍しい、と香川が説明した。

 タイの建築は、カンボジアのクメール文化の影響を色濃く受けており、その文化の最高傑作であるアンコール・ワットには最大限の敬意を払っている。

 明日、予定しているアユタヤ遺跡なんか、その典型だ、アンコール・ワットのミニサイズ版だよ、と香川の説明は続いた。

 本堂見物後、壁画の回廊、人の肉が好物という緑の顔をした魔除けの鬼・ヤックを見物し、『王宮』に入った。

 重要な建物の入り口には、完全武装の衛兵が直立不動で立っている。

 これらの衛兵は兵士の中でもエリートであり、暑さの中、決められた時間、立たなければならない。

 身じろぎ一つせず、直立不動で立つ警護の衛兵の隣に立って、三人は写真を撮り合った。

 剽軽な香川が衛兵に、『サワディー、クラッ(こんにちは)』と挨拶したが、衛兵は無表情に正面を見ているだけだった。

 所々に、漢民族風な容貌をした石の人物像も置かれている。

 中国風の衣装を身に纏っている石像であった。

 「金ピカ、金キラリンの仏塔・仏像、そして、赤・黄・青・緑の極彩色の建物。まさに、タイの仏教文化は華やかだ」

 佐藤が少し、唇を歪めて、皮肉っぽく呟いた。

 その言葉を聞いて、中井が言った。

 「日本だって、昔はそうだったんだ。奈良時代の白鳳天平文化なんか、その最たるものだろう。時代は変わっても、権力者の意識は変わらない。絢爛豪華なものを権力者は求めるものだ。ほら、俺たちが昔、小学生か中学生の頃、修学旅行で行った、日光東照宮なんかもそうだ。極彩色の彫塑、飾りで一面覆われている。仏像だって、奈良の大仏を見ろよ、あれなんか、昔は陸奥から出た金で全身覆われていたんだ。金ピカの仏像、極彩色の華麗な建築、これこそインド仏教なんだよ」

 「しかし、それにしては、今、京都とか奈良で見る仏像、寺院なぞは全て地味で煤だらけだぜ。みんな、有難がって拝んでいるけど」

 「まあ、それはそれとして、本来の仏教はど派手だったんだ。煤だらけの黒く変色した仏像なんか、誰が有難がるものかよ」

 中井と佐藤の遣り取りを香川は黙って聴いていた。

 ふと、香川は数年前に息子と行ったドイツのクリスマス市場を巡るツアーを思い出した。

 四泊六日の安いツアーがあったので、気晴らしに嫌がる息子を無理やり連れて行ったツアーだった。

 ドイツのクリスマス市場は十二月二十五日のクリスマスの一か月前から開かれる。

 別れた妻と一緒に暮らしている娘から、なかなか趣があっていいわよ、グリューワインというシナモンが入ったホットワインも美味しいし、お父さんたちも行ったらどう、と予てから言われていたツアーであった。

 クリスマス・マーケットなんか見て、どうするの、俺は行かないよ、と言っていた息子を何とか説得して行ったツアーだった。

 十一月末の寒い日々が続いた頃で、案の定、ドイツは雪に覆われていた。

 ヴィースの教会見物もそのツアーの旅程に含まれていた。

 外観は素朴な造りの教会であったが、中に入って驚いた。

 豪華絢爛な彫刻、彫塑、装飾に覆われて、金キラリンという卑俗な印象を持つ内装であった。

 宗教なんて、みな同じだ、人々の心を捉えるにはインパクトが無ければならない、女と同じで、第一印象が決定的なものとなる、そのためには、美しくなければならない、綺麗でなければならないのだ、侘びとか寂びといった渋いものは知る人ぞ知る、であり一般的ではないのだ、綺麗なものを見れば、心が自然と浮き立つ、生きていることの喜びも感じられる、功徳を積めば来世はもっと良く暮らせると約束される、それを信じて生きる、それが宗教だ、宗教とはそういうものだ、必ず、来世を約束する、それが宗教だ、仏教だって、イスラム教だって、根っこは皆同じだ、と香川は歩きながら思っていた。

 来世を信じない者に宗教は無縁な存在だ、死は全ての人に平等に訪れるが、来世を信じる者は心安らかにそれを受け入れる、死を受け入れる準備をさせる、それも宗教の役割の一つだ、と香川は思った。


 『王宮』を見物した後、三人はぶらぶらと歩いてN9ター・チャーン桟橋に戻り、下流へ行く船を待った。

 「幹男、お前んとこ、津波は大丈夫だったんだよな。確か、港に近いところに住んでいたから、心配していたんだ」

 ふと、香川が訊いた。

 「ああ、お陰様で、地震はひどかったが、津波の方は大丈夫だった」

 「俺とか佐藤は東京に住んでいるんで、被害は無かったが、地震は相当ひどかったんだろう」

 「震度六強か六弱が知らんが、ぐらぐらと揺れ、怖かったよ。三月十一日の時は、女房は丁度外出していて、俺が留守番をしていたんだが。昼寝から目が覚めて、テレビでも見ようかと思って、テレビのスイッチを入れた途端、女のアナウンサーが引きつったような口調で、大地震が来ます、大地震が来ます、と言ったんだ。えっ、と思ったその瞬間、グラグラと来た次第さ。何も出来なかったね。思わず、揺れるテレビを抱えながら、踏ん張るのが精一杯だったよ。後ろの台所では食器戸棚が開いて、食器が落ちるけたたましい音、冷蔵庫の扉が開いて、中から、物が落ちる音、立っている脇では重いピアノが床から滑り出す音、隣の部屋では本棚が倒れる音、とにかく、長く揺れている間、俺は情けないことに、テレビを両手で抱えて、右・左に揺れながら、何も出来なかったんだ。あんな経験、二度としたくないな」

 「で、その後の津波は?」

 「地震から五十分後くらいに第一波が押し寄せたんだが、住んでいるところは港から離れていたんで、何にも被害は無かった。でも、港では五メートルほどの津波が押し寄せて、船は港の岸壁に上がる、市場は全て流される、臨海駅のコンテナは流される、家には流された車が二、三台突っ込んで来るといった甚大な被害が出て、亡くなった人も十名前後は居たという話だよ。でも、地震、津波だけだったら、何とかなったが、例の原発騒ぎがまあ、余分だった」

 「俺の実家で、原発から四十キロ。確か、幹男のところは原発から五十キロは離れているだろう」

 佐藤の言葉に、香川も頷いた。

 「健一のところも、良彦のところも大体、四十キロのところか。俺のところは、健一の言う通り、五十キロといったところで避難とかいう話は無かったんだが、年末頃から近くに避難民のための仮設住宅が出来てね。今、ほとんどの住宅が埋まっているんだが」

 中井が暫く、考え込むような素振りをした。

 やがて、思い切ったような口調で話を続けた。

 「彼らは、二重の被害者なんだ。一つ目は勿論、原発そのものの被害者、さ。二つ目はあまり、言いたくないんだが、同情されない被害者になっている、ということさ。俺の住んでいるところの人なんか、全てじゃないんだが、こんなことを言っているひとも中には居るんだ。あの人たちは、原発で今まではいい思いをしてきたからね、と。同情とは縁遠い発言をする人が結構居るんだよ。つまり、原発絡みで、立派な施設を建てて貰ったし、電力会社からの莫大な寄付金で、裕福な財政状況で運営されてきた町の住民だったじゃないか、という、以前からの一種の嫉みを持っていた人も結構居たんだよ。勿論、いい気味だと言う人はいないにしても、心の中ではそう思っている様子が窺われるんだ。被害者なのに、受け入れた町の住民からは、あまり同情されない被害者になっているんだよ。二重に悲劇だな。どうにも、情けない話をして、悪いけど。これも一つの現実なんだ」

 中井はそう言って、げんなりとした顔をした。


 十五分ほど待って、オレンジ旗をパタパタと翻しながら現われた船に乗り込んだ。

 プラスチックで出来た黄色の座席に座った。

 集金箱をガチャガチャと鳴らしながら近づいて来た女の集金人に十五バーツの乗船料金を払った。

 「これから、どこに行くんだ」

 中井が香川に訊いた。

 「『ワット・ポー』だよ。次のN8ター・ティアン桟橋で降りて、歩いて行く。ほら、涅槃仏(ねはんぶつ)、というか、()釈迦仏(しゃかぶつ)で有名な寺院だよ」

 「知ってるよ、それくらいは。でも、俺は仏様より、タイ式の古式マッサージの総本山、『ワット・ポー』の方に興味があるな」

 「おや、中井は古式マッサージに興味があるのか。俺は去年、ここに来た時に一度、古式マッサージとやらを受けてみたが、一度で懲りたよ。下手なマッサージ師にあたったのかは知らんが、体が変になったよ。中井は俺と違って、体が少し柔らかそうだから、案外、気持ちよくマッサージを受けることが出来るかも知れんな」

 船はN8ター・ティアンに着いた。


 桟橋を出て、『ワット・ポー』へ歩いていく途中、少し洒落たカフェがあったので、三人は入ってみた。

 コー・ガーフェー・サーム(コーヒー、三つ下さい)、と香川が近寄って来たウエイトレスに注文した。

 ウエイトレスが去った後、香川が小さな声で話した。

 「コーヒー、という日本人の発音は誤解されやすい。コー、は『下さい』という意味だけど、ヒー、はねえ。大きな声では言えないけど、女性の性器を表わす俗語なんだよ。コーヒー、危ない言葉だ」

 香川の真面目な顔を見て、中井と佐藤は思わず笑ってしまった。

 「ほんとかよ。俺なんか、今朝の朝食の時、ウエイトレスに何回も、コーヒー、と言ってしまったよ。でも、その女の子、変な顔はしなかったよ」

 中井が少しおどけた口調で言った。

 「きっと、幹男の発音がそうは聞こえなかったんだろう。タイ語の発音って、難しいから。もし、通じたら、大変なことになるはずだ。ホテルをおん出されることになったかも」

 香川が笑いながら言った。


 「時に、健一よ。お前はどうして、独身を貫いているんだい。高校の頃、俺たち三人の中で、女子に一番もてたのはお前だったろう。バスケのスターでカッコ良かったお前なのに」

 香川が少し真剣な顔をして、佐藤に訊いた。

 「縁が無かったんだよ」

 佐藤がぶっきらぼうな口調で言った。

 佐藤の不機嫌そうな顔を見て、香川は話題を変えた。

 「しかし、ここのコーヒーも美味いな。一般的に、タイのコーヒーは不味くて飲めない、という話が昔は有名だったが、今は違うな。今朝、飲んだホテルのコーヒーもまずまずだったしね」


 佐藤はコーヒーを飲みながら思った。

 恋愛と戦争は同じこと、という格言を昔見たことがあるが、過程と手段を重んじて、カッコつけ過ぎた俺は恋愛の勝利者にはついになれなかった。

 ドン・キホーテの中に、孕んだあたしを見て、あんたはあたしに処女を求める、という言葉があったが、その通り、俺は畢竟、無いものねだりをしていたのかも知れない。

 女もありのまま見て、幻想を抱かず、そのまま受け入れるべきだったのだろう、嫌なところを見ても、過剰に幻滅せず、ありのまま受け入れるという寛容さが恋愛には不可欠だったのだろう、俺は畢竟、小さな男だった、と佐藤は思った。

 コーヒーがほろ苦く感じられた。


 『ワット・ポー』は『菩提の寺』、『涅槃寺』という意味である。

 三人の目の前に、黄金色に輝く巨大な寝釈迦仏が在った。

 長さは四十六メートル、最大高さは十五メートルといった巨大さを誇っているこの涅槃仏はあまりにも有名である。

 真珠貝が使用されている眼と足裏を除き、全身が金箔で覆われている。

 その眩さにも圧倒される。

 しかし、残念なことに全体の姿は巨大な石柱に遮られて、眺めることは出来ない。

 この涅槃仏の周りには、百八の小鉢が一定の間隔をもって、ぐるりと置かれ、人々はその鉢の中に一サタン硬貨(百分の一バーツ)を入れながら、巡礼する。

 百八という数字はとりもなおさず、人間が持つとされる煩悩の数であり、一サタン硬貨をその煩悩の小鉢の中に捨てることによって、煩悩を捨てるという行為を実現することになるのだそうだ。


 『ワット・ポー』見物の後、三人は歩いて元の桟橋まで戻り、対岸の『ワット・アルン』まで渡る渡し船の到着を待った。

 渡し船の料金は三バーツであった。


 香川が少し苦い思いを抱きながら、渡し船の中から過ぎ去っていく水面を見詰めていた。

 今、娘は妻と暮らしている。

 お前を愛している者ほど、お前を泣かせる、という言葉がふと、香川の脳裏を過ぎった。

 妻と離婚して別れることはさほど辛いことでは無かったが、娘と離ればなれになることは辛かった。

 元はと言えば、俺の浮気が離婚の原因だった。

 単身赴任の期間が長過ぎたのだ。

 男盛りにとって、五年間の単身赴任期間は長過ぎた。

 浮気相手の女が妻に電話をかけて、離婚して頂戴、なんていうことを告げるとは思いもしなかった。

 後は、お決まりのドタバタ騒ぎ。

 妻と協議離婚はしたものの、新しい妻とも結局はうまく行かなかった。

 娘は妻の元に、息子は私の元にそれぞれ別れて暮らすという事態になっただけだった。

 娘は小さい頃から妻よりは私になついていたが、その娘から、お父さんの馬鹿、もう嫌いになった、と泣きながら言われた時は本当に辛かった。

 でも、その娘もこの頃になってようやく、息子を通して、俺に連絡をするようになってきた。

 娘の元気そうな声を聴くことは喜びとはなったが、妻との生活に満足している様子には少し腹立たしさを感じている。

 出来れば、到底無理だろうが、もう一度、娘と暮らしたい。

 出来れば、もし可能であれば、妻とも、もう一度・・・。


 桟橋から、少し歩くと、『ワット・アルン』に着く。

 英語では、『暁の寺』と呼ばれる。

 五十バーツという入場料を払って、中に入った。

 七十五メートルの高さを持つ大仏塔の正面に立った。

 中井が十バーツの硬貨の裏面を見せながら、香川に写真を撮ってくれ、と言った。

 硬貨の表面には国王の顔が、裏面には四つの小塔に囲まれた大仏塔の姿が刻印されている。

 香川が笑いながら、中井の写真を撮った。


 『ワット・アルン』はトウモロコシのような形をした大仏塔で知られる。

 高さは七十五メートルで、その周囲を四つの小塔が取り囲んでいる。

 全体が仏教で聖地とされる須弥山(しゅみせん)を具現化していると云われている。

 仏塔の表面には様々な模様、彩色が施された陶器がモザイク状に嵌め込まれている。


 三人は大仏塔に登ってみた。

 塔の半ばまで階段を登って行くことが出来る。

 階段の角度は急であったが、手すりを伝って、登った。

 登り切って、下を見ると、チャオプラヤー河が一望出来た。

 河の水は濁っていたが、川幅は広く、両岸の寺院、民家が小さく見えた。

 雄大な眺めを三人は満喫した。

 「天本英世さんという俳優を知っているかい。もう、亡くなった人だけれど」

 ふと、佐藤が言った。

 香川が笑いながら応じた。

 「知ってるさ。俺は自慢じゃないけど、仮面ライダーのファンだったんだ」

 「あの『死神博士』を演じた役者だろ」

 中井も佐藤を見ながら言った。

 二人の反応を確認した上で、佐藤が話し始めた。

 「俺は、スペインが好きでね。よく行くんだ」

 「天本英世さんもスペイン好きでね。スペイン永住が夢だったんだけど、その夢は叶わなくてね。でも、本人の遺志により、遺灰はスペインで彼が愛した川に撒かれたということだ」

 佐藤は話を続けた。

 「アンダルシアのコルドバを流れるグアダルキビールという川の上流らしい。俺もコルドバには二回ほど行っている。コルドバにはローマ橋といって大きな橋がある。ローマ帝国がスペインに進駐した時に建造されたという堅固な橋だ。そして、その下を悠然と流れているのが、そのグアダルキビール川さ。その川も結構濁っていてね。このチャオプラヤー河の濁りと同じようなだ」

 中井が思い出したような口調で言った。

 「天本英世さんを俺は見かけたことがある。いつだったか、忘れたが、銀座の三越デパート前の交差点で見た。彼は、おばさんたちに囲まれて、迷惑そうな顔をして突っ立っていた。ほら、天本さんって、背が高いだろう。健一と同じぐらい、背が高く、痩せていた。その時は、しつこいおばさんたちを振り切って、怒った顔で交差点を足早に渡って行った。確か、生涯独身で女嫌いだったのかも知れないな。女嫌いと言えば、この健一君もそうか」

 中井の言葉に佐藤は笑って答えた。

 「女嫌い、俺が? そんなわけ、無い。コルドバにカルデナルという店がある。ここはフラメンコのショーで有名なところだが、フラメンコを観た後は、女が欲しくてしょうがなくなってしまうよ。フラメンコって、ほんとにセクシーだぜ」

 「で、フラメンコを観た後は、近くのバルに行き、女の子を口説くっていうことか」

 香川がニヤリと笑って、茶々を入れた。


 香川はぼんやりと眼下に広がる風景を見ながら、ふと、別れた妻のことを思っていた。

 俺は、驢馬に乗っていながら、その驢馬を探していたのかも知れない、と思った。

 時間というのは一番の名医、という格言が脳裏を過ぎった。

 大嫌いだと言っていた娘もこの頃、電話では俺と話をするようになってきた。

 息子は息子で、俺に隠れて、妻と会っているようだ。

 妻とは、妻が嫌で離婚したわけじゃない、全て俺に原因があり、別れることになっただけだ。

 政治家の言葉では無いが、まさに私の不徳の至りでございます、ということだ。

 二カ月に一度くらいしか帰れない単身赴任は罪なものだ。

 ふとした心の隙間に、浮気心は忍び込んでくる。

 出来るものなら、もう一度、妻との暮らしに戻りたい。

 青い鳥の例えでは無いが、十分幸せなのに、より多くの幸せを勝手に求めていた哀れな男だったに違いない。

 どうにもやるせない寂寞の念が香川の心の中に満ちていった。


 『暁の寺』はどうしても三島由紀夫を思い出させてしまう。

 佐藤は欄干に凭れ、滔々と流れるチャオプラヤー河を眺めながら、そう思っていた。

 あの頃。

 空飛ぶ禿鷹より掌中の小鳥、とは思わなかった『あの頃』。

 現状を否定し、在るべき姿を模索し、ぎらついた欲求不満の大きさにもがいていた『あの頃』。

 逮捕覚悟で、デモ隊の先頭に立っていた『あの頃』。

 フランシーヌの場合は、という歌を聴いて涙を滲ませていた『あの頃』。

 佐藤は、『あの頃』、を回想した。

 全共闘運動が終息を迎えようとしていた『あの頃』を思い出していた。

 三島由紀夫と彼が率いた楯の会が起こした自衛隊駐屯地への乱入事件は衝撃的な事件だった。

 事件の数年前から三島由紀夫は過激な思想活動と奇矯とも思われる言動を繰り返していたが、まさか、その言動を現実的な行動に移すことになるとは誰も思っていなかった。

総監室へ乱入し、バルコニーから演説し、演説の後、室内に戻り、切腹し介錯される、といった事態は思いもかけないことだったのだ。

 自分はその時、大学近くの行きつけの喫茶店で仲間とぐだぐだと全共闘活動のだらしない停滞振りを話していた。

 その時、この事件のニュースが飛び込んで来たのだ。

 頭をハンマーでがつんと叩かれたような衝撃を感じた。

 鐘つきはいつも安全なところに居る、という西洋の諺があるが、反体制を標榜する自分たちの居る場所をサーチライトで照らし出された、そんな気がしてならなかった。

 敵の襲来を知らせる鐘つきはいつも敵からは遠い安全な場所に居るものだ、という皮肉に満ちた諺の矛先は、三島事件によって、実は自分たちに向けられている、と自分は思った。

 時代に警鐘を鳴らしていると思っていた自分たちは随分と安全なところに実際は居るんだということを痛切に知らされた出来事だった。

 つまり、言葉に酔っていた者は全て、三島由紀夫という行動者になぎ倒された瞬間であった。

 その後、俺は全共闘運動から逃亡した。


『ワット・アルン』の桟橋から渡し船に乗って、N8ター・ティアン桟橋へ戻った。

そして、N8ター・ティアン桟橋から船に乗って、CENサートーン桟橋に向かった。


 佐藤は右岸の夕焼けにぼんやりと浮かぶ『ワット・アルン』の仏塔を観ながら、思った。

 俺は独りの人生を生きてきた。

 おそらく、これからも独りで生きることになるだろう。

 都会の中で孤立し、そして、孤独死を迎えることとなる。

 確実な孤立死、孤独死が俺を待っている。

 (まつ)るべき子孫を持たぬ者は鬼になる、と云われている。

 不祀之(ふしの)(おに)

 人として生まれた者の最も悲しむべき不幸な運命、と中国では忌み嫌われている。

 何のことは無い、俺が、その人間となるのだ。

 特にその運命を選んだわけでは無いが、結果的に、そのような運命になった。

 人はそれぞれ自分自身の運命の作り手、という言葉があるが、今、痛切に俺の心に響いて来る。

 俺は今、ハッピイ・エンドの無い人生を送っているのか。

 幸いにして、衣食住には困らないが、心の中はどうにも空っぽな感じがしてならない。

 どうしよう。

 ほんとに、どうしよう。


 中井は夕陽という荘厳な借景に浮かぶ、『ワット・アルン』の仏塔を観ながら、思った。

 妻との間に、子供は出来なかった。

 その分、今の妻が愛しい。

 この旅、束の間の旅を終えて、日本に帰れば、また、妻との二人ぼっちの生活が待っている。

 そして、どちらが早く死ぬかは知るすべは無いが、いずれは、どちらかが残り、独りぼっちになる。

 そして、思い出に生きることとなる。

 年齢から言えば、俺の方が先にあの世に逝く。

 さて、俺は妻に、どのような思い出を与えることが出来ただろうか。

 あまり、自信が持てない。

 あまりどころか、ほんとに自信が持てない。


 香川は暮れなずんで闇の中に溶け込んでいく『ワット・アルン』の仏塔を観ながら、思った。

 俺たちは皆、人生の黄昏を迎えている。

 高校の頃、俺たちは仲良し三人組でいつも一緒だった。

 でも、大学進学で別れ、それぞれの会社人生を歩み、今、かつての仲良し三人組として、このタイに遊んでいる。

 いつまでも、一緒にはいられない。

 人生というものは、死までのモラトリアム(執行猶予期間)に過ぎない。

 モラトリアムはやがて終わる。

 その内、確実に、様々な愛憎、煩悩ともお別れする時がやって来る。

 愛した人、憎んだ人とも綺麗さっぱりお別れする時が来る。

 人生という短いような、長いような、奇妙な旅の終わりだ。

 独りで生まれ、独りで死んでいく。

 裸で生まれ、死ぬ時も裸、失ったものも、得たものも無い、と嘯いたサンチョ・パンサも、狂気に生き、正気に死んだドン・キホーテの死後、独りで死んで行った。

 さて、俺はいざ、あの世に旅立つ時、何を思うだろうか。

 生きたい、もっと生きたい、と思いながら、無様に死んでいくのか。


 三人はCENサートーン桟橋から隣接するBTSサパーン・タークシン駅の方角に歩いた。

 途中、タイには珍しい米国風のカフェテリアがあったので、入ってみることとした。

 メニューもハンバーガー、ポテトフライ、オニオンリングといった、いかにも米国風の料理が並んでいた。

 誰からともなく、まあ、とりあえずビールか、ということになり、シンハー・ビールのジョッキを注文した。

 少し、小腹が空いたな、と言った佐藤はハンバーガーも注文した。


 「今、日本で自殺する人が年に三万人ほどいる。これは、異常だよ」

 香川がジョッキに入ったビールを飲みながら話し出した。

 「しかも、その内で三十五パーセントが六十歳以上の人なんだって。まあ、痛ましいというか、何と言おうか、まともじゃない状況になっている。経済的に追い詰められて自殺するのか、孤立死とか孤独死を迎える前にいっそ死んでしまえとばかり、自殺してしまうのか、鬱になり、どうしようもない閉塞状況の中で絶望して自殺してしまうのか、いろいろと原因はあるんだろうけれど、いかにも痛ましい状況になっている。しかし、こう言っている俺だって、息子がどこかへ転勤してしまったら、独りっきりになってしまう。そして、独りに耐え切れなくなって、自殺、という事態になることもそう不思議ではないんだ。昔と違って、いびつな家族構成になっているのかなあ」


 「俺たち、団塊世代もそろそろ高齢化するしねえ」

 中井も話し出した。

 「今はさあ、右肩上がりの時代を経験した俺たちは結構、収入的にも恵まれ、ほどほどの退職金もあり、六十歳からの報酬比例分とやらの厚生年金も受給している身分で、なかなか気楽なものだが、将来は判らないよ。日本という国が破産してしまえば、年金なんぞ糞喰らえ、といった状況にもなりかねない。そうならないといった保証は残念ながら何一つ無いんだ」


 「六十五歳以上を老人と言うんだっけ。俺たちももうすぐだなあ」

 佐藤が呟くような口調で言った。

 「六十五歳になれば、今の報酬比例分に老齢年金が加算される。まあ、結構な金額になるよなあ。一番多く貰えるのは、この中では中井、か。配偶者扶養の分が加算され、より安泰な年金暮らしを享受出来るのは」

 年金の話になり、お前は実際、どれくらい貰っているんだ、という話題で暫く盛り上がったが、その内、三人とも憂鬱そうに押し黙るようになった。

 三人にとって、年金の話はあまりにも具体的な話であり、元気が出るような話題では無かった。


 「元気を出せよ、みんな。太陽はまだ、土塀の上にある、という言葉もあるじゃないか。いくら、今の日本が貧乏と貧困がはびこる国になってしまったとしても、まだ、望みはあるよ。死を別にすれば、何事にも手立てはあるものよ、という言葉もある。生きていさえすれば、さあ。そうさ、生きていることで味わえる喜びは、たとえ、ほんの小さな喜びであったとしても、あるんだよ。そうだろう、中井よ、佐藤よ」

 香川の言葉が湿っていた。

 カフェテリアの中は静まりかえり、外は夜の帳に包まれ始めていた。

 「俺はもう、大麦の茎はもう麦笛を作るには固すぎる、なんていう生き方はやめるつもりなんだ。実はもう一度、俺は別れた妻に求婚するつもりなんだ。今更、虫のいい話だ、ということは百も承知の上、言っているんだ。まだ、間に合う。もう一度、やり直してみるつもりなんだ。覆水、盆に返らず、というのは真実だが、零れたら、また、注げばいいんだ。零れたら、何度でも注げばいいだけの話なんだ。俺は今、そう思っているんだ」

 香川は更に続けた。

 「俺たち、もっと元気を出して生きようじゃないか。佐藤だって、吉祥寺で酒ばかり飲んでいないで、そこで、仲間を作れ。元全共闘なんて、おそらく、ごろごろいるぜ。その仲間とつるんで、何か、行動を移せ。市民運動だって、NGO、NPOだってあるじゃないか。中井、次は奥さんをこのタイに連れてきて、一か月ばかり暮らしてみろ。きっと、良い思い出が出来るぜ。パリもいいけど、アジアの風を感じ、においを嗅いでみろ。この賑やかで雑然とした町のエネルギーを感じてみるのも悪くない。とにかく、中井は奥さんとの旅を大切にしてくれ。佐藤も持てない、そして、俺も持てない旅の思い出をいっぱい持てるのは中井、お前だけだ。そして、いつかまた、三人で気の置けない旅をしよう。もっとも、その時は立派な高齢者になっているかも知れないが。その時、近況報告をしようじゃないか。佐藤も変わっていると思うし、中井も変わっていると思う。勿論、俺も変わっているはずだ。まだ、今回の旅は終わっていないが、俺たちの人生の旅だって、まだ、終わっちゃいないさ。今日、チャオプラヤー河で眺めた夕陽、素晴らしかったじゃないか。生きていればこそ、美しいものを見ることが出来る。確かに、俺たちは既に還暦を過ぎ、人生の黄昏を迎えていることは事実であるし、現実だろう。でも、現実はただの現実に過ぎない。ただ、認めるだけでいい。それ以外の意味なんて、無いんだ。人生を引退することは無いんだ。寿命が尽きて、あの世からお迎えが来るまで、俺たちの人生、俺たちしか生きられない人生を生きていこうぜ。さあ、元気を出して、たった一度の人生だ。大いに、エンジョイして、命尽きたら、サヨナラ、グッドバイしようぜ。潔く、いこうぜ。空元気でも、いいさ、とにかく元気を出して生きようぜ、なあ、みんな。悔いを残さず、生きていこうぜ」

 香川の、らしくない演説に、佐藤と中井は思わず笑った。

 三人の明るい笑い声は店内に響き渡り、カウンターで話していた女の子たちが一斉に好奇の眼を向けた。


 そこに、朗らかに笑っている三人の男たちの姿があった。

 バンコクの夜。

まだまだ長く、そして、暑い。




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