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恋文

 荷物や兵を連れ込むための手続きを終え宿に入るころには、すでに夜半をすぎていた。

 アレクサンダーはようやく部屋に腰を落ち着ける――一番街、すなわち王都でもっとも栄えた区画に存在する高級宿『輝ける絹糸亭』の広く豪奢な部屋で、一人思い悩んでいた。


 悩むべきことは山のようにあった。

 初めての王都。

 初めての社交界。


 本来であれば父も同行するはずだった旅路である。

 領地でちょっとした、しかし領主の裁量なくしては解決適わぬ問題が発生したため、父はあとから来る手はずになっているせいで起こった、思いがけぬ一人旅。

 父はパーティーには間に合うとのことだが、もし一人で行かねばならぬ事態となったらどうしよう――

 不安は、尽きぬはずだった。


 だというのに。

 アレクサンダーの頭を占めるのは、桃色の髪と瞳を持つ、可憐なる少女――イリスのことのみであった。


 聞こえ来る王家の風聞は現在、女王の様々な――だいたいがよからぬ――噂がその大部分を占めている。

 だけれど、そういえば、耳にしたことがあった。


 当年とって十五歳になる、美しき姫の話。

 将来、五代目の王にして四代目女王となるであろうその美姫の噂を、アレクサンダーは今さらながらに思い出す。


 彼女は無事に王宮へ帰れたのだろうか?

 母王の許しを得ることはかなったのだろうか?



「……パーティーで、また、会えるのだろうか……」

「なんじゃ惚けたツラをしおって。貴様らしからぬ」



 突如聞こえた声に、アレクサンダーはびくりと身をすくめた。

 振り返れば――部屋に一つきりの立派なベッドの上に、『月光』がいるではないか。


 アレクサンダーは顔を赤くし、ふるえた。

 今のつぶやきを――いや、それ以上に、内心を読まれてはいないだろうか、不安でたまらない。

 だから彼は、ことさら怒ったような大声をあげつつ、立ち上がる。



「私の部屋に勝手に入らないでいただけないか!?」

「そうは言うが、わらわの部屋がないでな。存在を秘した身ゆえ、別室をとってもらうわけにもいかぬ――貴様の父がいれば話は早かったのじゃが、今はおらんで、貴様の部屋で世話になるより他にないじゃろ」

「あなたは、私の部屋で寝泊まりする気なのか……!?」



 それはアレクサンダーからすれば耐えがたいことであった。

 母親――とはいえ、最近知り合ったばかりの、幼い見た目をした、とても母とは信じられぬ三尾の獣人である。

 同じ部屋でこれから父の来るまで過ごすというのは、心情的にあり得ぬことだ。



「まあ落ち着けアレクサンダーよ。わらわの活動は基本的に夜に行われる――つまり、貴様が昼にそこここに出かけている時にわらわはこの部屋で眠り、夜はおらんというわけじゃ。今日は初日ゆえここで眠るが、明日以降は安心せい」

「そうは言うが……」

「それより貴様、今までなにを考えておった?」



『月光』の顔には、ニヤニヤと意地の悪い――それでいてすべてをすでに知っているかのような笑みが浮かんでいた。

 アレクサンダーはうろたえ、うつむく。



「……別に。これから、王都で社交界入りするにあたり、不安なことなど、少し……」

「不安? 馬鹿を申せ。先ほどの貴様のしまりのないツラは、好きな女のことを考える男のツラじゃったぞ」

「すっ、好きな女など!」

「いや、その年齢でおらんのも、それはそれで問題じゃろ」

「……」

「正直に申せ。わらわならば相談に乗ってやれる。そもそも、わらわは貴様と貴様の父、そして執事以外に知る者がおらん、亡霊のようなものよ。わらわに漏らした言葉が、よそに漏れることはありえん。墓場まで持っていこう――わらわが墓場に入る日が来るかは知らんが」

「……?」

「いや、いい。貴様はどうせ信じぬ。それより――恋の話をしようではないか」



 ベッドにうつぶせになり、両手で顔をはさみこむようにしながら、『月光』は言う。

 揺れる三つの尻尾に、ばたばたと動く足により、彼女がこの状況を楽しんでいることがアレクサンダーにも如実に伝わってきた。

 不愉快である。



「……あなたに話すことなどない」

「まあまあ。まあまあまあ」

「……なんですか」

「逆に、わらわ以外の誰に相談できる?」

「……」

「それとも、貴様の感情は、貴様一人でどうにかできそうか? その経験が、知識が、貴様にあるか?」

「……それは」

「さあ、恋の話を申せ。なに、わらわなど、受け答えをする壁のようなものと思えばよい」



 どうにも退いてもらえそうな気配がない。

 アレクサンダーは覚悟を決めた。



「わかりました。恋と申してよいかはわかりませぬが……」

「女の話じゃろ? 男の貴様が」

「……それは、そうですが」

「ならば恋じゃろう。それ以外にない」

「いや……」

「若者よ、先達として言うがの――若い時間など、気付けば過ぎ去るものじゃ。それを照れや見栄で謳歌せぬまま過ごすというのは、いかにももったいない。恥じらいなどなんの役にも立たんでな。よいから、さっさと、わらわに助言を請うがよい。わらわなど生まれた時にはすでに青春も半ばじゃったんじゃぞ」

「どういう意味ですか?」

「よい。わらわのことはよいのじゃ。それより」

「……私が思い悩んでいるのは、イリス姫殿下のことです」

「ぶふぅ!?」

「……なんですか、噴き出すなど、無礼でしょう」

「い、いや……笑ったわけではない……許せ。なんというか、思いがけず知った名が出てきたので、ついな」

「……まあ、もっともかとも思います。誰しも、姫殿下のことで、いち地方領主の息子にしかすぎぬ私などが思い悩んでいると知れば、意外と思うでしょう……」

「そういう話でもないのじゃが……で、あのイーリィの見た目にアレクサンダーの性格を足したような小娘に、貴様は惚れておると」

「ですが、さすがに私は身の程を心得ております。『東方貴族』と『中央貴族』には高い身分の壁があり、私は『東方貴族』にすぎませぬ。姫殿下に恋慕を抱こうなどというのは、さすがに人には申せませぬ」

「それゆえに人ならざるわらわに申せ、と言うておるのじゃ」

「……『受け答えをする壁のようなもの』を相手に申せば、私はたしかに、姫殿下をお慕いしているのでございましょう。ご尊顔を拝謁したのは本日が初めてでございますが、彼女の顔立ちも、彼女の声も、私の記憶の中できらめいているのです。そのきらめきは片時もおさまってはくれず、私の頭の中はいつしか姫殿下のことでいっぱいになり、他のことが手につかないのです」

「恋じゃな!」

「……私はこれほど苦しんでいるのに、あなたはなぜそんなにも嬉しそうなのですか」

「恋の話で喜ばぬ女などおるか、たわけが!」

「私は女のことはちっともわかりません」

「じゃろうな! ふむ……一つ貴様を安心させてやるとじゃな、わらわは『身分違いだから』とか『一回会っただけだから』とかいう理由で、貴様の想いを否定したりはせんぞ。そのような普通のことは、普通の者に言わせておけばよい。わらわはそう普通でもないゆえ、普通でつまらんことは言わん」

「……」

「なにより、息子の恋路は応援するのが母というものよ」

「……あなたは……」

「なんじゃ?」

「……いえ。それでは、経験ある先達のあなたにおたずねしますが、私はこれから、どうしたらよろしいのでしょうか? この苦しみは、どうすれば紛れるのか、ご教授願いたいのです」

「イリスに会え」

「それができれば苦労はないのです。いえ、もちろん、パーティー会場での再会を姫殿下は約束してくださいました。それを疑うわけではないのですが、パーティーまではまだ日がありますので」

「わらわならば、橋渡しができるぞ」

「…………」

「疑うのは勝手じゃが、ここは信じた方がよいとは思わぬか?」

「たしかに、そうかもしれません。しかし……」

「なに、王宮には月に一度忍び込んでおる。内部にわらわの事情を知る者もないではない――伝手に伝手を重ねて深窓の姫殿下に手紙を運ぶ程度、しくじりはせぬわ」

「手紙?」

「貴様が恋文を書き、わらわがそれをとどけ、姫殿下を呼び出すのじゃ」



 アレクサンダーはすっかり固まった。

 呼吸も忘れるほどのおどろきだったのだ。



「……こ、恋文……恋文!? 私が、姫殿下に!?」

「まあ貴様、顔はイケとるし、大丈夫じゃろ。背も高いし、体つきもがっしりしておる。見せて恥ずかしい体でもあるまい」

「そういう問題ではありません! 恋文など、畏れ多い! いえ、それ以前に、私はそのようなもの、書いたことなど……」

「くそ真面目だけが取り柄じゃからな……」

「私のことを知ったふうに語らないでいただけないか」

「まあまあまあ。よいよい。恋文の書き方から、わらわが懇切丁寧に指導してやる」

「……しかし」

「ジェファスンが――貴様の父がわらわに送った恋文などを実例に、どこがよくてどこが悪いかを教えながら指導してやるでな。安心せい」

「それは、それはなにか、父に申し訳がないような……!」

「さしあたって――よいか、恋文はな、『自身の長所』『相手の想いを得るためならば自分にはなにができるか』『時候のあいさつ』『情熱』などをふんだんに盛り込むのがマナーじゃ。それゆえに考えるべきは、まず『貴様の長所』じゃな」

「……」

「これが大変じゃぞ。なにせ――王女に出す恋文の中で、『私は貴族です』などと、なんの自慢にもならんからな」



 言う通りであった。

 アレクサンダーは思い出す――『月光』と初対面の時、己が誇るべきことを『貴族であること』と語ったのである。


 その想いには未だ揺るぎはなく、身に流れる血を誇っている。

 だけれどそんなもの、相手が自分より尊い血筋になったとたん、なんの効力も発揮しないのだ。



「さあ冒険せよアレクサンダー。世に天命はなく、努力が必ず報われるとは限らず、善行を重ねたところで悪い運には巡り会うものじゃ」

「……」

「しかし、初代大王アレクサンダーは、不運すら楽しむと言ってのけた。まあ、言ってのけただけじゃが――貴様も楽しめ、若者よ。このような冒険が許されるのは、それこそ貴様が若いうちだけじゃ」

「……」

「はっはっは! 苦しめ苦しめ! そうしてひねり出した貴様のとっておきの恋文を、わらわが確実にイリスへとどけてやる。このような好機、二度はないぞ! さあ全身全霊をもって恋文を書け! はよ! はよ!」



 かくしてアレクサンダーは恋文を書くことになり――

 徹夜した。

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