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王女イリス

「もし、そこの赤毛のお方。身分ある紳士とお見受けします。どうか、わたくしの話を聞いてはいただけませんでしょうか?」



 王都東門は混沌とした有様で、アレクサンダーの他にも王宮のパーティーに参加するとおぼしき貴族の馬車があった。

 あたりには馬車やそこに積まれていたのであろう荷物、そして貴人や下男下女、それをあてこんで商売をする露天商などがおり、ちょっとしたバザーのような有様であった。


 アレクサンダーもまた荷物の検閲と手続きをしていた。

 これが半日経っても終わらず、王都到着は朝方だったが、今はすっかり夕刻だ。

 当代の女王はやけに謀反を警戒し、兵力や危険物の持ち込みにことさら厳しいので、時間がかかるのであった。


 そんな時だ――そこここに積まれた荷物の陰から、ひそめるような女性の声が耳にとどいたのは。

 アレクサンダーが目を向ければ、そこにいたのは、フードをすっぽりかぶり、丈の長いローブで全身を覆った、いかにも怪しげな人影であった。



「どうぞ、お願いがございます。しばしわたくしを、馬車に匿ってはいただけませんでしょうか?」



 アレクサンダーは眉をひそめる。

 穏やかならざる懇願であった。


 彼は冒険心などない性質の持ち主であったから、この女性の――少女の申し出を聞いたとたん、断ろうと思って口を開きかけた。

 しかし、困っている女性をにべもなくあしらうほど、冷酷にもなれない。



「申し訳ないが、名も名乗れず、顔を見せることもかなわぬ女性を、そう簡単に馬車へ招くわけにはまいりません。せめてそのフードをとり、お名前をうかがえぬものでしょうか?」

「それは――いえ、わかりました。近くへお願いいたします。他の方に見られるわけにはいかないのです。あなた様も、おどろきの声などあげられませぬよう」



 アレクサンダーが近付くと、少女は軽くフードをあげ、中身をのぞかせた。

 息を呑む。


 それは少女の面相が美しかったせいでもあるだろう。

 大人びた顔立ちに、どことなくあどけない大きな瞳。緊張のためだろう、真っ白な頬を少しだけ紅潮させたその顔には、いきいきとした美しさがあった。


 それ以上にアレクサンダーをおどろかせたのは、少女の髪と目の色であった。

 桃色なのだ――これは、初代女王イーリィから続く、王家特有の髪と瞳の色である。

 すなわち、目の前にいる乙女は――



「まさか、あなた様はイリス姫殿下では――」

「お静かに」

「これは失礼。姫殿下のご下命とあらば、なんの不都合がございましょうか。どうぞ、わたくしの馬車へ――あいにくと今手元にあります一台は、先客がおりましたが……」



 今、アレクサンダーが自由にできるのは、『月光』が乗っていた馬車のみだった。

 他は兵士たちとともに、土産物のチェックに出されている。


 ……ちなみに『月光』は、王都東門にたどりついた時には、すでに馬車内にいなかった。

 いつ抜け出したのかもわからない。ともあれ、例の香の残り香が満ちた、不可思議な調度品の置かれた馬車以外に、供出できるものはなかった。



「……まあ、不思議な……いい香りのする馬車ですのね。女性が乗っていらしたのですか?」

「……ええと」

「あら、失礼。匿っていただくのに、余計なことを……お許しください」

「いえ、そのような……」



 その時、彼らのもとへ迫る音があった。

 金属鎧と、軍靴の音である――見ればアレクサンダーたちのもとへ、慌てた様子の王都兵たちがせまっているではないか!



「あの集団に追われているのです」



 馬車の幌を閉めながら、そっとイリスは言う。

 アレクサンダーはぎょっとした。



「なぜ、姫殿下が、国の兵に……」

「お静かに、お静かに。彼らが去れば、すべてお話しいたします」



 アレクサンダーは何気ないふうを装いながら、兵士たちの行く末を視界の端で見守る。

 兵たちは散開し、あちこちを見て回ったが――

 けっきょく、周辺にいる貴族たちには声をかけず、目視したのみで去って行った。


 遠ざかる金属鎧のがしゃがしゃという音。

 それを聞いて――イリスが、幌の中から顔を出した。



「危ないところでした」



 にこり、と安堵したように微笑む。

 その彼女を見て、アレクサンダーは強く胸を突かれたかのように、たたらを踏んだ。



「いかがなさいました?」

「いえ……自分でも、なにやら。その、姫殿下、事情をうかがえると……」



 まともにイリスの目を見ることもできず、アレクサンダーは言う。

 イリスは不思議そうに首をかしげたが、気にしないことにしたらしい。



「お母様を怒らせてしまったのです」

「……現女王陛下を、ですか?」

「ええ。近頃のお母様には、少々目にあまるところがございますでしょう?」



 無邪気な質問だった。

 アレクサンダーが弱り果ててうめくしかなかったのは、言うまでもない。



「貴族のみなさまの謀反を疑い、税を重くし民を苦しめ……ですから、わたくし、ひいおばあさまの――初代女王イーリィ様の御代ならば、そのようなことはなかったと、諫言いたしましたのよ。そうしたら、どうにも、お怒りをかってしまったようでして……」



 現在の女王陛下は、気性の荒さでも人の口にのぼる人物であった。

 それを相手に諫言などと、度胸があるのか、鈍いのか……



「謹慎を命じられましたのですが、わたくしは間違ったことは申し上げておりませんので、処分は不当なものと思いましたの。それで、受けるいわれのない処分を受けぬため、王宮を抜け出てきたのですが――あとはご存じの通り、近衛兵のみなさまがたに追われておりますのよ」

「……は、はあ……」



 なんというおてんばな方だろう、とアレクサンダーは思った。

 度胸に行動力、それになにより――自由闊達な冒険心を持っている。

 この華奢で美しい少女が内に秘めた膨大すぎるエネルギーのせいだろう、アレクサンダーはまたしても胸を打たれたような気分になり、声も出なかった。



「ともあれ、助かりましたわ。赤毛で精悍なお方、お名前をうかがっても?」

「は、はい! わたくしめは、東の領地をおあずかりしております、オルブライト家のジェファスンの息子、アレクサンダーと申します」

「まあ、ひいおじいさまと同じお名前ですのね!」



 イリスは嬉しそうに両手を合わせた。

 その所作ひとつひとつが、アレクサンダーの胸をしめつけ、呼吸を難しくさせた。



「あ、あの、姫殿下はこれから、どうなさるおつもりで?」

「夜半まで逃げ回れば、お父様がお母様を説得してくださると思いますので、それまで、上手にやりますわ。こう見えて、王宮を抜けたことは、一度や二度ではございませんので、隠れ潜むのも上手ですのよ」

「なるほど」

「今回はちょっと、東門の方で色々な方がいらっしゃってるのを見物に来ましたの。そうしたら、このあたり、隠れる場所が街の中ほどはないでしょう?」

「たしかに、そのようで……」

「うっかりしておりましたわ」



 イリス姫殿下には少々のんびりしすぎたところがある様子であった。

 どうしたことだろう――アレクサンダーは不思議に思う。『城を抜ける王女』『女王に諫言するその娘』。それらは彼の基準で言えば理解しがたいものであるはずだった。

 ところが、イリスの声で言われると、それらすべてが正義の行いに思えてくるのだ。


 彼女の行動一つ一つが正しく、かわいらしい――そう思ってしまう。

 このよくわからない衝動は、彼が生きてきた十五年で初めて感じたものであった。

 だからだろうか。



「あの、姫殿下、よろしければ、帰る時刻まで、わたくしがお守りいたしましょうか?」



 今までにありえないほどの冒険心が、言葉となって口から出てくる。

 イリスはちょっとおどろいた様子であったが、すぐににこりと可憐に笑い、



「いえ、これ以上のご迷惑をおかけするわけにはまいりません」

「そ、そうですか……」

「次は、このような非公式の場ではなく、パーティーでお目にかかりましょう」

「……は、はい!」

「それでは、アレクサンダー様。あなた様がわたくしに馬車を貸してくださったこと、決して忘れませんわ」



 イリスは素早い動作で幌から飛び出すと、フードを深くかぶり直し、駆けていった。

 アレクサンダーはその後ろ姿を見送る。

 彼女の姿が王都東門の中に消えても――いつまでもいつまでも、その背中を心で追っていた。

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