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『彼女』との出会い

 執事から鍵を受け取り入ったその部屋は、香が焚かれていた。

 不思議に脳髄を刺激するような甘い煙の中を彼は見渡す。


 当世風とは微妙に様子の異なる、不思議な調度品の数々。

 部屋の中央には、薄紫色の不思議な布でできた御簾のかけられた場所があった。


 どうやら母がそこにいるらしいことが、布の向こうにうすぼんやりと見える影でわかる。

 そしてアレクサンダーは、その影だけでだいたいの事情を察した。


 その影は人間ではなかったのだ。

 一目でわかった――頭らしき場所に生えた、ピンと立った三角形の耳は、あまりに大きな存在感を放っている。


 母は獣人――つまるところ、人間以外の人類。

 今の世では『亜人』と呼ばれるモノであった。


 現在の女王の御代になってからというもの、人間以外への差別がひどくなっていた。

 民はそこまででもないが、貴族が人間族以外の妻をめとるのは、御法度とされている。


 だから父は母を隠したのだろう。

 アレクサンダーが秘密を守れる大人になるまで、彼にさえその存在を明かさずに。


 そこまではわかったのだが――

 アレクサンダーは、御簾の向こうの影に、もう二点、不思議な点を認めていた。


 そのうち一点は、母の姿の小ささであった。

 子供のような矮躯なのだ――ドワーフには見えない。獣人としては、まさしく子供と言える体躯であろう。


 もう一点、これは見間違いかと思われた。

 御簾の向こうには母の全身図があり、これは当然、尻尾も見えている。


 だが――

 その尻尾が、三本生えているように見えた。


『獣人』と世ではひとくくりにされるものの、その内実は様々な獣の特性を備えている。

 それでも、三本尻尾がある種というのは彼の知識になかった。


 きっとまぎらわしい服装をしているのだろうと彼は考えることにする。

 なににせよ、御簾を上げればわかることだ。


 彼は汗ばむ手を何度か開閉し、ごくりとつばを飲み込む。

 いないと思っていた母親にこれから会う――そのことが、彼を今までになく緊張させていた。



「なにをしておる、アレクサンダー。近くへ寄れ」



 幼い少女のような声がして、アレクサンダーの心臓は跳ね上がった。

 そうだ、声が、体が、あまりに子供のように見える――自分の年齢が十五歳であることと、成人が十五歳であることを加味すれば、母の年齢は三十前後になるはずだ。

 それにしては、体の大きさも、声も、あまりに子供。



「あなたは、本当に私の母なのですか?」



 アレクサンダーは問いかける。

 しばし、おどろいたような沈黙があって、母は笑う。

 カッカッカ、という、世間ではあまり聞かぬような笑い声であった。



「そうか、貴様はそのように育ったか。なるほど、ジェファスンとの約束の日まで、わらわに姿を見せぬわけじゃ。真面目一辺倒、言いつけを守ることを至上と考え、清く正しくあることを喜ぶつまらぬ男――そんな様子じゃな」



 ジェファスンというのは、アレクサンダーの父の名であった。

 それを呼び捨てる――子の前で夫を呼び捨てる妻というのは、この時代にはありえぬものであった。


 だいたい、口調からして妙である。

 いちいちもったいぶっているかのようというか、高飛車というか、おおよそどのような環境で育てばそのようにしゃべる者が育つのか、まったく見当がつかない。


 アレクサンダーが『母』というものを想像したことは、一度や二度ではなかった。

 もちろん想像上の母は人間族であったから、その容姿がどうやら予想とかけ離れていることは仕方ない。

 それにしても、人格や口調の方までこのように想像だにしなかったものだとは……



「アレクサンダー、なにをしておる? はよう、御簾の中へ来い。母にその顔を見せい」



 招かれる。

 この時点で、アレクサンダーは迷っていた。


 母に会うのはやぶさかではない。

 しかし、この母に会うのは、己の中で知らずふくらんでいた『母』という像がとりかえしのつかぬほどめちゃくちゃに破壊される予感がして、ためらったのだ。


 だけれど、ここで引き返すのも、それはそれで父にあわす顔がない。

 アレクサンダーは決意を固め、力強い足取りで御簾へ近付く。


 そして、なめらかな感触の、うすい、紫がかった御簾の端に手をかけ――

 一気にめくりあげた。



「……なっ……」



 母の姿を見て、彼は思わず声を漏らす。

 それはそうだろう――幼いのだ。

 父よりはもちろん、彼より年下であろうとしか思えない容姿をしている。


 外見の年齢は、十をそう離れてもいないだろう。

 しかしそれとは相反するような、すなわち、長い時間を生きたかのような雰囲気も持ち合わせている。

 おそらく高飛車な微笑のせいだ。この微笑はどこか傲慢なのだけれど鼻につかない。一言で言えば年季が入っているように感ぜられる。人を見下すことに慣れ、そして人に見上げられ続けた者のような印象。


 横たわる母が身にまとっているのは、不思議な、布をたっぷり使った、前合わせの、布製のベルトでとめる装束であった。

 見慣れぬ縫製なのだが、これがあつらえたかのように似合っている。


 種族はやはり獣人。

 銀色の髪の中には、同じく銀色の体毛に包まれた三角形の耳がピンと立っている。


 そして――

 腰の後ろから生える、太くしなやかな銀色の尻尾は、やはり、三本あった。


 尻尾がうねる。

 それは、おどろくアレクサンダーを嘲弄しているかのようであった。



「ほう、いい容姿に育ったものじゃな。その赤毛、身長、精悍な顔つき――若いころの貴様の父に、そっくりじゃ」

「……」

「けれど、貴様はつまらんな」



 母は笑う。

 つまらぬと言うわりに、楽しげな笑みが浮かんでいた。



「よもや『アレクサンダー』の名を付けられ、こうまで普通の者が育とうとは思わなんだ。初代大王の異常性はやはり鮮烈じゃな。あれよりおかしな『アレクサンダー』は、まず生まれぬじゃろうて」

「……あなたは、本当に私の母なのですか?」



 アレクサンダーの声には憤慨があった。

 先ほどから母は、どうにもアレクサンダーを小馬鹿にしたかのような態度が目立つ。



「母じゃとも。ジェファスンから、『母に会え』と言われここに来たのじゃろう?」

「しかし、あなたはあまりにも……」

「若い、か?」

「……」

「これには少々事情がある。が、普通の考えしかできぬ貴様に話したところで無駄じゃろう。母は若く見えるが、たしかに二十年ほど前にジェファスンと出会い、いつしか貴様を身ごもり、産み落とした――わかりやすい事実だけを、把握せよ。今はそれでいい」



 アレクサンダーは母の尻尾をジッとながめる。

 それは彼が困ったような顔を見せるたび、楽しげにうねっていた。



「しかし――このぶんでは、『スキル』の方も期待できそうもないのう」

「……スキル?」

「異能――貴様には、他の者と比べなにか特殊な才覚はあるか?」

「私は貴族の家に生まれました」

「ハッ! それが貴様の誇るべき『異能』か! 出生が貴様のもっとも誇るべきものと、そう言うか!」

「……貴族というのは、希少なものです。初代大王――畏れ多きアレクサンダー大王が国を興す際に強く貢献した者の子孫だという自負が、私の血には流れております」

「その初代大王アレクサンダーが聞いたら顔をしかめそうな話じゃのう」



 母は笑った。

 アレクサンダーは理解する――これとは会話をするだけ損であり、言葉を重ねれば重ねるほど、彼女は自分を見下すばかりなのだろう、と。



「……最後に、お名前だけでもうかがっておきたいのですが」



 声は冷え切っていた。

 アレクサンダーの目に、母はもはや無礼な童女としか映らなかった。

 長年心の底に描いていた『母親』というものの像を砕かれたことも、その冷淡な態度の要因として小さくはなかったであろう。



「『月光』」



 母は笑っていた。

 アレクサンダーの冷淡な態度さえ――そのような態度を見せるにいたった心の流れさえ見透かし、面白がるような、意地悪い笑み。



「……母上、私には本当の名を名乗れぬと?」

「いいや、これこそが、わらわの本当の名じゃ。『月光』――さる少女が目にした光の名残。それから、遠い遠い、こことは異なる世界においては、人を狂わす力を持つと伝わっておるらしい『それ』こそが、我が唯一の名じゃ」

「……」

「貴様の中の『常識』が、『月光』を名と認めぬか? ならば貴様も、もう少しだけ月に愛されよ。初代大王アレクサンダーと同様にな」



 意味ありげに、母は笑う。

 アレクサンダーは渋面を浮かべ、退出する。

 おそらく二度と、母と顔を合わせることはないだろう――そう思いながら。

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