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最期の時

 アレクサンダーはたしかに、王都詰めを許される『中央貴族』になった。

 異例中の異例とのちに言われる昇進であったし、彼の功績や努力は、彼の一族――オルブライト家の名声を高めた。

 だけれど、それには二十年の歳月が必要であったのだ。


 王女とは、次代に胤を残さねばならない存在である。

 これが三十五歳まで未婚でいることは不可能であった。


 イリスが名うての西方貴族と結婚したのは、彼女が二十五歳のころであった。

 これは、この時代の価値観からすれば、かなり遅い。


 この遅すぎる結婚について、多くの者が騒ぎ立てた。

『イリス王女は男性に興味がないのではないか』という噂もあれば、『いやいや、毎夜毎夜男をむさぼっていて、誰にするか決めかねているのだ』という暴言もあった。

 ともあれ大衆の想像をかきたてるだけかきたてた『王女の未婚問題』は、彼女が二十五歳を迎える誕生日に、多くの謎を残したまま、いちおうは決着したと言えよう。


 王都は王女結婚の噂で持ちきりであったから、同じころ、一人の東方貴族が領地の村娘と婚約したのを知る者はいない。

 アレクサンダーもまた、王女の結婚が発表されてからそう間をおかぬ、二十五歳のころに結婚した。


 彼は見た目に優れ、また新進気鋭であったから、寄ってくる婦人にはことかかなかった。

 時にはありえぬほどの良縁に恵まれることもあったけれど、彼はかたく――王女の結婚が耳にとどくまで、かたく誰も妻に迎えなかった。


 そうして最終的に彼がめとったのは、同じ領地でともに遊んだ村娘であった。

 これは中央進出を狙うのであれば大きな枷でもあったけれど、彼を愚かと笑う声は、彼の心にとどまることはできなかった。

 彼は己が中央に進出することを確信しており、また、実際にそれを成し遂げたのだ。


 アレクサンダーは三十五歳で、領地を執事だった男に任せ、王都詰めを許された『中央貴族』となる。

 彼が四十のころ、前オルブライト家当主のジェファスンが亡くなった。

 子や孫、妻に看取られての大往生であったことは、特に付け加えるべきであろう。


 時間が流れていた。

 誰の身にも――否、ほとんどの者の身に、平等に。


 女王が変わり、時代が移る。

 四代目女王イリスの御代は、先代の汚名をそそぐのに費やされたと言えた。

 だけれど先代から始まった『人間の他種族への差別意識』は容易に消えず、その後三百年ほど経っても、貴族が人間以外の種族と婚姻を結ぶのはタブー視されることとなる。


 四代目がその王位を五代目に移すころ、精力的な一人の貴族が病床に伏せる。

 アレクサンダー・オルブライト。

『東方貴族』から『中央貴族』に成り上がり、その後も清貧を貫き、国政の良心と呼ばれた人物であった。


 だけれど一方で、彼にはずっと、妙な噂がつきまとい続けていた。

 彼のそばにはいつでも一人の獣人がいた。


 その獣人というのが妙で、三本の尻尾を持ち、そしてなにより、どの時代を切り取っても、『童女であった』と評されるのだ。

 歳をとらぬ、狐獣人。



「母上」



 病床に伏せるアレクサンダーに、かつてのみなぎるような若さはない。

 日当たりのよい窓際に設置されたベッド。資料でごみごみとした文机。

 部屋は豪華な調度品などなく、貧乏な書生の下宿のようであり、人が三人も入ればいっぱいになってしまうほどで、主の清廉な生活ぶりがうかがえた。


 部屋の主――今は子に家督を譲り渡したアレクサンダー老人は、すっかり白くなった髪を差しこむ昼の光にきらめかせながら、すぐ左手にある開けられた窓の外を見ていた。

 そこからは、街がよく見えた。

 少し高いところにあるその家からは、王都に暮らす民がよく見えたし――国政を動かそうという局面において、アレクサンダー老人は、この部屋で民の顔を見ながら考えるのが常であった。



「ごらんください。母上……いっときあった亜人への――エルフやドワーフ、獣人への差別はなりをひそめ、みなそれぞれ、王都で暮らしております」



 彼の声は切れ切れであった。

 もはや、ただ声を発するというだけのことが、老いたアレクサンダーには大変な運動なのである。



「母上も、ずいぶん表を歩きやすい世になったでしょう。私は、この長い人生で、そればかりは誇ってもいいものと思っております」



 ベッドの横には、一人の獣人が、椅子に腰かけている。

 未だ十歳をそう離れぬであろう年齢の童女だ。

 銀色の体毛を持つ――三尾の、狐獣人。

 歳をとらぬ、アレクサンダーの母親、『月光』。



「たわけ。そうではなかろう。貴様が中央を志したのは――そんな理由では、なかったであろう」



『月光』は高飛車な笑顔を浮かべる。

 しかし、すぐに見られぬよう顔を伏せる。


 わかっているのだ。

 アレクサンダーは、もう長くない。

 今がきっと、最後の会話であろうと、『月光』には――今までも多くの者を看取ってきた、永遠に幼いこの少女には、わかっていた。



「母上、どうか顔をお上げください。私の初恋は貫徹すること適いませんでしたが、それでも、母上が私のために動いてくだすったことを、私は深く感謝しているのです。せめてもの恩返しをしたかったというのも、偽らざる私の本音なのです」

「愚か者。わらわは、貴様を利用しようと思っておっただけじゃ。息子が王族と婚姻関係になれば、なにかと利用価値もあると――そういう遊びを、しておっただけじゃ。まんまと引っかかりおって。貴様は本当に、真面目すぎるほど真面目な、愚か者よ。だから、感謝など……」

「母上、私は、あなたのそういうところが心配なのです」

「……どういうところじゃ」

「あなたは、愛されることを怖れていらっしゃる。賞賛されることを忌避していらっしゃる。だからそうして、嫌われよう嫌われようと努力を重ねてしまうのです」

「……」

「なぜ、それほどまでに怖れるのか、私にはわかりませぬ。父もあなたのその性分に、ひどく手を焼いておられました」

「……ふん」

「私では、あなたに愛を教えて差し上げることあたわなかった」

「……」

「息子として、あなたを愛しておりました。……私も、もう長くない。今にも命数は尽きようとしている。もはやどれほど言葉を尽くしたとて、あなたが抱く愛に対する怖れを取り除く時間はないでしょう。ですから、一つだけ、覚えておいていただきたいのです」

「なんじゃ」

「すべてが平等と言われる天の国で、私は、あなたの幸福を願っております」

「……」

「いつかあなたが、恋人でも、子供でも、友人でも――怖れず愛し、愛される相手にめぐりあえますように。あなたのことを理解してくれる人が、きっときっと、あなたの目の前に現れますように……」



 白髪となった老人は、若者のように相好を崩した。

 しわまみれになった顔を、いたわるようにゆがめて――

 アレクサンダーは、その長かった生涯を、誇らしげに終えた。



「……そうは言うがな、アレクサンダーよ。わらわには、わからんのだ。愛されるということが、うまくつかめぬのだ。身を焦がす恋だけは知っているが――それはわらわの想いでも、わらわの記憶でもないのだ。わらわはただ、生まれてはいけぬ命であった。それだけを確信する者なのだ」



 それはきっと誰にも理解されぬ言葉であろうと、発言した『月光』本人わかっていた。

 だから――今、ささやく。

 そこに倒れる息子が、もうなにも答えられぬことをわかったうえで、



「……さらばじゃアレクサンダー。愛していたと、自信をもって断じてやれぬこの母を、どうか、恨め」



 立ち上がる。

 たっぷりとふくらんだ袖口で、目元をぬぐう。

 ――立ち去るあとには、一滴の痕跡さえ残さず。


 銀色の狐獣人は静かにその家から消え――

 あとには、風が静かにカーテンをそよがすのみ。

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