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律しあたわぬもの

「どうしたねアレクサンダーよ、なにか悩み事があるようだが?」



 アレクサンダー自身は父に内心を見透かされたことを意外に思ったものだが、彼の態度から彼の内心はずいぶん顕著であった。

 なにせ宿に帰るなり着替えもせずに文机の前に座り込み、しばし声をかけても返事さえない状態が続いたかと思えば、いきなり立ち上がってあちこちを意味なく歩き始めたのだ。

 この状態を見てなにごとかあると察せぬ者は、そうはおるまい。



「パーティーの時分から、ずいぶんと気もそぞろだったではないか? 私は今度の社交界入りで、お前が将来めとるべき妻の候補を見出すことを期待もしていたのだが、ご婦人のお話も上の空だったようだし、いったいどうしたのだね?」

「いえ、悩み事など……」

「先ほどから声をかけているのも、聞こえていなかったようだが? 見なさい、よく冷やしておいたぶどう酒が、すっかりぬるくなってしまったよ」



 父のいるローテーブルの上には、ぶどう酒の瓶が一つと、グラスが二つ置かれていた。

 アレクサンダーはサッと顔を青ざめさせる――なんたることだろう! 父はきっと、今日をもって自分を大人と認め、祝杯をあげてくれようとしていたのだ! それを、無視してしまうなど!



「申し訳ございません、父上……こうなっては、黙っておくのは礼を失するばかりでしょう。すべて、すっかりご報告申し上げます」

「まあ、お前も年頃だ。隠し事の一つ二つ、ない方が不自然というもの……ともあれ、掛けなさい。ぬるくなってしまったが、酒を注ごう。酒というのはな、心の鍵を開ける役割があるのだ。お前は少々真面目すぎるきらいがあるから、酒が入って、ようやく人並みだろう」

「ありがとうございます」



 よく磨かれたガラスの器に、ほんの少しだけ緑がかった透明の液体が注がれる。

 甘酸っぱい芳香と、脳を揺らすような不思議な香りが発せられていた。



「お前は思い悩んでいるわけだから、乾杯するのもどうかと思うが……まずは、今日のパーティーでの疲れをねぎらい、お前の社交界入りを祝おう」

「ありがとうございます」

「……それで、お前はなにを思い悩んでいるのか、この父に聞かせてくれるかね?」

「実は……女性にまつわる、悩みなのです」

「ほう!」



 父は身を乗りだした。

 厳格な赤毛の大男が、太い指で顎ヒゲを握りながら、興味深そうな顔をしている。

 アレクサンダーは父のこのような顔を見るのは初めてであったから、おどろいた。



「アレクサンダーよ、お前は我が家代々の欠点を色濃く受け継いでいる……それはすなわち真面目で己を律しすぎるところだが、そのせいでお前が将来女性をめとることなどないのではと、私は常々不安視していたのだ」

「しかし父上、これより先を話してしまって、ますます父上を不安がらせてしまうのではと、私は思っているのですが……」

「なに、かまわぬさ。気になる女性というのは、ひょっとして、領地の村娘か? 普段そばにいるとそれと気付かぬ相手でも、離れてみると存外大切だったと気付くことは、ままある。幸いにも我が家は東方貴族ゆえに、そう結婚相手の身分にはうるさくない……そもそも、私からして、お前が誰との結婚を望もうが、あれこれ言える立場ではないのでな」

「いえ、その……私が目を閉じれば浮かぶほどお慕いしている相手は、どうにも、イリス姫殿下のようなのです」

「なんと!」



 やや大げさなおどろきかたであった。

 物静かで厳しい印象しかなかった父だが、グラスにたった一杯の酒で、酔っているのだろうか。



「それはいかん、それは、難しい。我がオルブライト家はたしかに貴族だが、知っていよう、東方貴族は、貴族と民のあいだに立つ存在なのだ。王家の方とは、身分の差がありすぎる」

「それは私もわかっているのです。しかし、どうにも、ちらついて……姫殿下のご婚約なさるのを耳にしてからは、いっそうこの想いが強くなるばかりで……」

「ご婚約!?」

「ええ。本日のパーティーで発表される手はずだったようなのですが……発表どころか、お姿さえ拝謁できず、なにがあったのかと……」

「待て、待て。追いつかん。アレクサンダーよ、なぜそのようなことを知っている? 姫殿下のご婚約など、この私とて知らぬことであった」

「実のところ、姫殿下とは、王都に来てから毎夜のように、お会いしていたのです。そのおりに話題に出まして」

「なんと!」



 父は額をおさえて、ソファに深く背中をあずけた。

 しばし、衝撃からだろう、沈黙がおりて――



「……ふむ。まあ、よかろう」

「……よかろう、とは」

「我が家系には代々伝わる欠点が二つある。うち一つは先ほども申した『真面目すぎること』だが、もう一つは、どうにも、厄介な相手を好む、この気質らしい」

「……」

「お前には語っていなかったが、我が父が――お前の祖父がアレクサンダー大王に心酔したのも、()のお方が伝説ではとても語り尽くせぬほど向こう見ずだったからというのが理由らしいのだ。放ってはおけぬお方、と言おうか……」

「……伝説の大王が、ですか?」

「そうだ。現在の女王の御代になってからというもの、王宮の権威に対する批判ととられかねぬので、みな口をつぐんでしまったが……初代大王はとても律し得ぬ冒険心の持ち主であったと言われている。だからお前の祖父は、『イーリィ様が政治を行ってくださり、本当によかった。大王にお任せしていたら、国が一代で傾きかねぬ』とよく笑って述べていたものだ」

「……母上の語られる大王像は正しかったのですね」

「聞いたか。そうだな。あれの大王様にかんする話は、この上もなく正しい。かつてあれは――あの方は、大王様とともに旅をしたらしいのだ」

「……百年ほど前のはずですが」

「そうだとも。今のお前にならば、言ってもかまわぬだろう。あれは、そのころから生きておるのだ。私が子供のころに『月光』はお前の祖父と縁があり、我が家に来た。そして私はこの通りすっかり老いてしまったが、あれは、今もって変わらぬのだ」

「不老不死とでもおっしゃるのですか?」

「そうとしか言えぬ。よくよく複雑な事情の女だ。……縁なのかもしれんな。大王様にまつわる者に惹かれるという、我が家の血が持つ、縁だ」

「……しかし、私の場合とは少々違うように思われます。私がこの気持ちを打ち明けることは、姫殿下にとってご迷惑としかならぬのではないかと……」

「はっはっは!」



 父は豪快に笑った。

 部屋中が揺れるような太い笑い声であった。



「アレクサンダーよ――いいことを教えてやろう。私もな、『月光』にはたいそう迷惑がられたものなのだ」

「父上が?」

「そうだとも。あれは今もって、私を愛してはおるまいよ。あれはな、どうにも、好かれることに抵抗があるのだ。好意を向ければ向けるほど、居心地悪そうにするのだ。称えれば称えるほどに、あれの心は私から離れていくのだ」

「……厄介な気質ですね」

「そうだとも! ……それゆえにな、私は、あれから離れようと思ったことも、一度や二度ではない。愛をささやけばささやくほど嫌がるあれに、愛をささやくのは、迷惑だろうと考え、慎もうと思ったのだ」

「なるほど……」

「しかし、無理であった」

「……」

「我が家系は、どうにも情が深いらしい。そのうえ、不器用だ。真っ正面から当たる以外には、どうにもできぬ。――ああ、思い出す! かつて青春にたぎったこの血の熱さを! あれは、あの熱は、とても我慢のきくものではなかった!」

「……父上」

「貴族の当主としてお前をあきらめさせる立場にある。父として、お前をいさめる立場にある。だが、男として、お前の背を押したい」

「……」

「……まあ、お前と姫殿下とのあいだがらを私はさっぱり知らぬので、大したことは言えぬが……お前の気持ちが、抱えたまま秘するにはとても耐えられぬものだとは、知っている。……ああ、いかん、いかん。私はな、酒には弱いのだ。そして恋にも弱い。あとは、頼む」



 父はそう言ったきり、目を閉じてしまった。

 頼む――酒酔いゆえの言い間違いだろうか?

『任せる』や『好きにしろ』という方が、アレクサンダーに語るには適切であったように思われるのだ。

 だけれどその疑問は、次に聞こえた声により、すっかり解消される。



「貴様の父――ジェファスンは、こういうヤツじゃ」



 ベッドの方からの声であった。

 アレクサンダーがそちらを見れば、まるで最初からいたかのように、『月光』がベッドの上で寝そべり、なぜだかふてくされたような顔をしている。



「貴様が生まれてすっかりまともになったが、若いころにはその真面目さを間違った方向に発揮し、近隣のダンジョンを荒らし回っておった。その攻略法というのが、命がいくつあっても足らぬようなものでな……わらわへの贈り物を探すと言うて何度もダンジョンで死にかけられ、ついに、わらわが『貴様の嫁になるから危険なまねはよせ』と折れた」

「…………なんと申し上げたらよいやら」

「まあ、もとより適当なところで子供はこしらえるつもりであったし、ちょうどよいとも思っておったのじゃ。ジェファスンは強い男ゆえにな。きっと、その子供も強い者が――特殊な才覚を持った者が生まれるじゃろうと、そういう根拠のない推量じゃな」

「……私は」

「貴様は無能であったな」

「……」

「そしてつまらん男じゃった――が、ようやく面白くなってきた」

「?」

「イリスに会いたかろう? 会わせてやる」

「……!」

「城にいる、わらわと縁ある者の話によれば、貴様との密会がバレて、今は謹慎中とのことじゃな。……まあ、イリス本人の目的はどうあれ、婚約を控えた王女が夜な夜な男と密会というのは、なかなかの醜聞じゃろう」

「……私は最初から、ご迷惑だったのでしょうか?」

「当たり前じゃろうが」

「……そのようなつもりは、ただ、お目にかかりたい一心で……」

「世間の者は『考えればわかるだろう』と言うじゃろうな」

「……おっしゃる通りです」

「わかっておらんな」

「……え?」



 アレクサンダーは意外という顔で『月光』を見た。

 その時、彼女はベッドから跳ね起き、足音もなく近付いてくるところであった。



「人は理屈ではなく衝動により動くということを、さっぱりわかっておらぬ」

「……」

「己の命さえ犠牲にして笑えるような、恋という衝動を世は知らんのじゃな。人がいつでも理性と理屈で動くと考えておる――まったく、『周囲を見回してそこまで沈着冷静な者など一人でもいるか?』とたずねてまわりたい」

「しかし、己を律さぬのは、悪いことです」

「……貴様の背を押してやっているわらわに反論してどうする」

「いえ、しかし、なんと申し上げますか……私は、己の考えなしと、軽率な行動を、ただただ恥じるばかりです」

「では、イリスに会わずに王都を去るか?」

「……」

「幸いにも――ではないな。イリスの口が固いお陰で、密会相手が貴様ということは、わかっておらん。ただ、夜な夜な、男と会話するイリスの声を聞いた者があるだけじゃ」

「……このまま帰れば、おとがめはないのでしょうね」

「左様。好きに選べ」

「私は……私は、この気持ちが恋というものなのか、未だに自信がありませぬ。しかし……お会いしたいのです。顔も拝見できぬまま、王都を去り、二度と会えぬのは、耐え切れませぬ」

「天命が貴様に味方しておらんとしても同じことが言えるか?」

「……言えます。お会いしたい。この気持ちはなにがあろうと変わりません。この気持ちのためならば、危険を冒すこともかまいませぬ。いえ、危険を危険と思えないのです」

「よろしい。では、冒険を始めよう」



『月光』はニヤリと笑う。

 平時であれば、それはイヤな笑顔と映ったはずなのだけれど、今のアレクサンダーには彼女の不敵さがとても頼もしいものに見えた。

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