『母』
※本作は『セーブ&ロードのできる宿屋さん』(http://ncode.syosetu.com/n9497dd/)キャラクター中編です。
先に本編を十一章まで読むか、書籍の4巻までを読んでおくことを強く推奨いたします。
「お前を母親に会わせようと思う」
執務室で父は言う。
この時、彼のおどろきは半端なものではなかった。
母! それは彼を生んですぐに亡くなったと聞かされていたのだ。
それが生きていて――しかも、会える場所にいるとは。
彼はしばらく口もきけないほどであった。
重厚な文机では、父が、あの厳格な父が、普段見せぬような困った笑みを浮かべていた。
「今までお前に母の存在を隠していた父を許せとは言わぬ。だがな――これには深い事情があったことも、どうか察してほしい。そのために、お前が十五歳となり、立派な大人の男となるまで待ったのだ」
「私は今まで母のない身、身元の不確かな子として、苦労もしてまいりました。是非とも『事情』とやらをうかがいたいものです」
彼の口調には、やや反抗的なところがあった。
彼がこうまで父へ反発心をあらわにすることは、珍しい。
しかし気持ちを察してだろう、父はとがめもせずに、笑う。
「お前の申し出、もっともだ。だがな、まずはなんにも聞かず、母に会ってみてはくれまいか? そうすれば、私がお前に母を会わせなかった事情の一端はわかるはずなのだ」
父は厳格で強い男であった。
その父が立派な口ひげをしおらせんばかりに、ここまで弱々しく頼み込むのだ。
燃えるような赤い髪はどことなく勢いをなくし、普段きりりと一文字にひき結ばれた、意思の強そうな厚い唇は、妙な愛想笑いに歪んでいる。
シャツに包まれている大きな筋肉を備えた体はひとまわりほど縮こまり、文机の上でこまねいた手は、せわしなく指が組み替えられている。
よほどの事情があるに違いないと察するには充分な様子であった。
「わかりました。それでは、母にお目通り願いたく思います」
「そうか、そうか! お前であればわかってくれると思っていた! 母は屋敷内の、お前にはかたく『入ってはならん』と言い聞かせた部屋にいる」
「なんと、そのような近くに」
「正体を世間に秘してもらうために、あいつが出した条件なのだ。『同じ屋敷内に住まわせること』――お前がもう少しやんちゃであれば、勝手に部屋に入り早々に母と邂逅を果たすこともあったであろう。そしておそらく、あいつはそれを望んでいたはずなのだが……」
彼は冒険心とはおよそ無縁の男であったから、父に禁じられたことは決してしなかった。
父一人子一人という事情や、将来は王都東にあるこの領地を治める身――貴族の当主となることなどが、彼の人格をかたく律していた。
「私は今まで、父上の言いつけに背いたことはございません」
「そうだとも。お前は本当にいい子だ。だからこそ、心配でもあるのだが……」
父は不安そうに顔を陰らせる。
しかし、ハッとした様子で、話題を戻した。
「ともあれ――アレクサンダーよ」
父は真っ直ぐに彼の目を見て、言った。
彼――アレクサンダーは、うなずく。
「はい、父上」
「『開かずの間』へ行き、母に会うのだ。そうすれば、私がお前にあの母を隠し続けた理由もわかるであろう……それとな」
「なんでしょう?」
「母の姿を見て、あまり父を軽蔑してくれるな」
「?」
罪でも告白するような様子。
アレクサンダーは首をかしげたが、まずは母に会ってみることにした。