第八話 ふたりぼっちの街の中
僕とヨシノが研究室へ帰って来たのは、もう日が沈みかけようとしている頃だった。研究室のドアに鍵を刺したとき、僕はその違和感に気付いた。
「……あれ? ……ドア、開いてる……?」
はて、僕が施錠を忘れていたのだろうか。……正直に言って僕の研究室には大した貴重品がないから、施錠を忘れることがよくある。今回もきっとそうなのだろう。気をつけねば。
首を傾げつつもドアを開けると、その瞬間、部屋からピールが飛び出してきた。危うく激突しそうになったことを叱ろうとピールを見やった僕は言葉を詰まらせた。この小さな小鳥のこの様子を、僕は以前にも一度見たことがある。僕の脳裏にはトラウマのようにそのシーンがリプレイされた。
『……シャノンは……さらわれた……っ!!』
……いや、きっと気のせいだ。僕は自分の脳裏で再生されたそのシーンをかき消してピールに恐る恐る問いかけた。
「……なにか、あったのか?」
「ミコが、どこにもいないんだよ!」
ミコ……?ヨシノが連れていた異世界の犬という生き物か。僕は少し安心した。きっとどこかへ逃げ出したのだろう。飼っている生き物がいなくなるのはよくあることだ。ピールだって勝手に窓の外へと、何の気なしに出ていっていつの間にか帰ってきているということがよくあるじゃないか。ドアの鍵が開いていたならなおさら、勝手に出て行ったっておかしくはない。
「なんだ、そんなことか。……大丈夫だよ、きっと体を動かしたかったんだろう。この世界に来てからずっと研究室にこもってたしな。こちらにやって来た時だって活発だったし、やんちゃなんだろう」
僕がピールと、飼い主のヨシノをなだめると、一人と一羽はしゅんとしながらもうなずいた。僕はヨシノに元気づけてもらった。だからってわけじゃないが僕だって元気づけてやらないとな。
「心配ならあとで探してみよう。きっとどっかにいるさ。……案外ディエルのところにいたりしてな」
僕が笑いかけると、少しは元気になったようだ。同じように笑い返してくれた。
「そう……じゃね。……まったく、ミコはやんちゃじゃけえ困ったもんじゃのう」
ヨシノはやっぱり笑顔じゃなくちゃな。僕はさりげなくヨシノの頭をポンとたたきながら、そう感じた。
ミコがいなくなってから一週間がたった。あれからいろいろなところを探し回った。ディエルにも聞いてみたが、知らないといわれた。迷子のお知らせの張り紙も出したが、一向に見つかる気配はない。さすがに一週間も見つからないとなると、僕たちにも焦りが現れ始めた。更ににぎわう街中の雑踏の中、僕とヨシノは落胆していた。
「ミコ……。一体どこに行ってしもうたんじゃ……」
「なあ、ミコはきっと大丈夫だ。これだけ呼びかけたんだ、きっとじきに見つかる。……だから探すのはいったんお休みしないか?」
もちろんミコのことは心配だが、いつまでも探しているわけにもいかない。弁論大会までもう半月を切った。そろそろ論文を提出して、準備を始めなくては。ミコは……たぶん大丈夫だ。少なくとも殺される、なんてことにはなっていないはずだ。皮肉なことに、ミコはこの世界にはいない生き物。希少性は超がつくほど高い。仮に捕まったとしても、犯人はきっと、殺すには惜しいと思うはずだ。
とにかく、今はこれ以上探しても時間の無駄だろう。今やるべきことをするまでだ。そう思って僕は研究棟へと戻ろうと踵を返した。
「……ミコは。私にとって唯一の家族みたいなもんなんじゃ」
「……え?」
ヨシノがぽつりと言った。雑踏にかき消されそうなその声が、不思議なことに僕の耳にははっきりと聞こえた。僕が振り向くと、ヨシノは言葉をつづけた。
「私の家族はみんな頭が良くてのう。いろんな才能もあって、周りからは天才一家なんて言われとった。……でも、私だけは平凡だったんじゃ。じゃけん、私は疎外感を感じとった」
ヨシノが自分から語るのは初めてのことだった。
……ヨシノが元の世界に戻りたがらなかったのは、そういう理由があったからだったのかと僕は気が付いた。いつも元気にふるまっていたヨシノにも、苦悩があったのだ。
「なんとなく家にもおれんくなってきて、私は学校が終わったらいっつもミコを連れて散歩に出かけてたんじゃ。最初はミコとの散歩は家にいなくていい理由じゃった。でも、だんだんミコは私になついて。気が付いたらうちの誰よりもなついてくれた。今ではもう欠かせない存在なんじゃ、ミコは」
うつむいて語るヨシノの目には涙が浮かんでいた。そして次の瞬間、耐えきれなくなったという様子でその顔を、僕の胸にうずめてきた。
「……!」
「だから……だから! お願いだから、ミコを何としてでも見つけてほしいんじゃ! リオン! お願いだから…………」
そんな経験のなかった僕は、一瞬どうしていいかわからなかったが、すぐに両手でヨシノの頭を包み込むようにぎゅっと抱きしめた。柔らかく、いい香りが僕の鼻をくすぐる。抱きしめたその瞬間、ヨシノは安心したのか、大きな声で泣きじゃくり始めた。
……結局、僕たちはどちらも、もろくて弱かったんだ。だから互いに慰めあって、生きていく。僕は泣きじゃくるヨシノを抱きしめながら、そんな当たり前のことに、今更気が付かされた。
「……わかった。絶対に見つけ出す、絶対に」
周囲の雑踏などもはや耳には届かない。僕たちはいつまでもそうやって、ふたり、立ち尽くしていた。




