第六話 理不尽の治世で
僕とヨシノの前では、エレティアが作り直してくれた料理が美味しそうな香りと湯気をたてていた。僕がどうぞと促すとヨシノはおいしそうにそれをほおばりながら、話を聞く体制に入った。
「さて、じゃあ話すか。……二年前、リグアナルド共和国は南方に位置するセラジエラという国と戦争、というより侵略をしていたんだ。表向きの理由は、セラジエラの民は凶悪な思想を持っており、我々と別言語を話す意思疏通のできない危険な民族であるから、だった」
「本当は違うってこと?」
頬を食べ物で膨らませながら訊いてくる。僕も頷きながら料理を一口、口の中へ放り込んだ。
「実際はそうじゃなかった。僕はセラジエラの民の言語を完璧に解析して翻訳したんだ。そしたら彼らの侵略に対する発言はみんな、我々に攻撃の意思はない、今すぐに和睦を求める、という意味のものだった。つまり危険な民族だという認識は全部、国が国民の脳に刷り込んだ虚実だったんだよ」
「なんじゃそれ! ふざけたことを言いおって!」
やはりヨシノは良い子だ、これ程までに感情移入してくれるとは……。感心すると同時に、それ故の心配もあった。この子は現実の不条理さを知らなさすぎる。……いや、そんなこと僕が気にすることでもないか。
「僕も許せないって思ったよ。だからこの結果を論文にして弁論大会に出すことにしたんだ」
忘れもしない、あの日。今でも鮮明に覚えている。
――二年前。
僕は完成させた論文の事前提出を終え、発表に備えて準備をしていた。
「お兄ちゃん、緊張しすぎじゃない? 準備万端なんでしょ〜?」
研究室の片隅に置かれたソファに寝っ転がっているシャノンが軽くバカにするように言った。それに続けて、僕が弁明をするよりも早く、シャノンの手に乗っているピールが声をあげる。
「リオンは見かけ通り、チキンだからなぁ。まあ許してやれって!」
……笑わせてくれるじゃないかこのやろう。お陰で緊張もほぐれたわ。
「本物のチキンに言われたかないわ!」
そうツッコむとピールは羽をばたつかせてキーキーとわめき始めた。あーもう、毎度毎度うるさいなあ。僕はうんざりしてピールの暴言を無視した。
「……ぷっ! あははははっ!!」
ふいにその様子を見ていたシャノンが腹を抱えて笑い出した。
「そんなに笑って、何がおかしい!」
ピールが顔を真っ赤にしながらシャノンにつっかかった。
「はは……、い、いや。なんでかな? ……なんだか私今、すっごい幸せだなって。タルカットを離れてから大変なことばっかりだったでしょ? でも今はお兄ちゃんにピールに、それからディエ兄にいも一緒で。まるで今までのことがウソみたいに思えてきちゃった」
僕は思わずはっとした。そう言って笑い涙をぬぐっているシャノンがまるで光り輝いているような、そんな錯覚に陥るほどまぶしかった。ああそうか。僕たちはいま、幸せなんだ。そう思うと自然と元気が戻ってきた。そうだ、あとちょっとでこの幸せは永遠になる。
「よし! それじゃあ午後の大会に備えて、昼ご飯を食べに行こうか。シャノン、どこがいい?」
「もちろんロクソール食堂!! ディエ兄も誘ってくるね!」
故郷タルカットを失ってから十年、最初はリグアナルドの言葉もわからず、お金はだまし取られ、暴力は振るわれ、それはもう苦痛だけのつらい日々だった。だけどそれももう昔の話。今日の午後の弁論大会。ここで国を糾弾して、首相の権利を手に入れる!そうすれば……。
……僕は浮かれていた。ここまで気を抜かずに努力してきたのに、気を緩めてしまった。いや、そうでなくても結果は同じだったのかもしれない。
ドアが音を立てて勢いよく開いた。シャノンがディエルを連れて戻ってきたのだろう。それにしては少し早いような気もしたが、さして気にせずドアの方へと向かう。
そこにいたのはワンピースを身にまとった少女でも、ベストの上に白衣を着た若い男でもなかった。
「リオン=ヴィタドール君。付いて来たまえ。……ああ、拒否なんて選択はできないし、させないんだがね」
白衣を着た中年の眼鏡の男が、後ろに屈強そうな男を控えさせて立っていた。白衣の男が命令をするや否や、後ろの男が僕にめがけて電気魔法を放った。あまりに突然のことに、僕はなすすべもなくその場で崩れ落ちた。
僕が目を覚ましたのは研究棟の地下にある牢の一室だった。ここは本来、危険度の高い研究対象を収容する場所だったはずだが……。僕は訳も分からず鉄格子のそばに駆け寄った。
「目が覚めたか、リオン。……君にはいささか失望したよ。まさかあんな論文を書き上げ、あろうことか弁論大会に提出しようとするとはね」
声を発したのは先ほどの男だった。……ああ、思い出した。こいつは同じ言語分析学者の男だ。名前は忘れたが、言語分析学科長の腰巾着とか言われていた気がする。ニタニタした顔がやたらと腹立たしい。
「おい、どういうことだこれは! 僕をこんなところに捕まえてどうするつもりだ!? ここから出せよ!」
怒鳴りながら鉄格子を揺らすと、男はまるで猛獣にでも吠えられたような演技をして一歩後ずさった。
「おお、怖い。こりゃ猛獣だからって理由で入れてもよかったかもなぁ。……おいおい、そんなににらむなよ。悪いのはお前だぜ? あんな論文、世に出してみろ。その瞬間に俺たち言語分析学者たちは売国奴だ、とか何とか言ってたたかれまくるだろうに」
「そんなことはない! たたかれるのは現首相達だろ! どうして事実を公表しようとした僕がたたかれる? ……いいから早くここから出せ! 大会にはまだ間に合うはずだ!」
男は格子の向こう側であきれたように鼻を鳴らした。
「無駄だよ。大会は昨日で終わった。何せお前は大会期間五日間、丸々寝てたんだからなぁ」
「……なんだと!? ……そんな、まさか……! ……そうか、僕に睡眠魔法をかけたな貴様!」
「だとしたら? っていうか証拠もないのに俺を疑うのはよしてほしいぜ」
開き直ったように男が言う。……こいつ、腐りきってやがる。
「まあまあ、おこんなって。……なあお前、ここから出たいか? 出たいというなら出してやるよ。お前は言語分析学者としては優秀だからなぁ。ぜひとも研究に貢献してほしい」
そういうと男は牢屋の錠を外し、格子戸をあけた。……不自然だ。僕はそう思いながらも、牢から出た。
「ああ、そうそう。ただで出すわけにはいかないんだった。条件があるんだったなあ」
男がわざとらしく言った。僕は警戒心を強めて訊いた。
「……条件って?」
「君の研究室に行けば、きっとわかるだろうよ」
部屋に戻ると、そこには誰もいなかった。いや、ピールが一羽、残っていた。だがどうにもいつもの元気がない。ピールのそばにはボロボロに穴が開いた餌袋が落ちていた。
「……そうか餌を食べてないのか。待ってろ。……なあ、シャノンはどこに行ったんだ?」
ふらふらと足取りのおぼつかないその小鳥は、あの元気なピールとは思えないようなかぼそい声で一言をしぼりだした。
「……シャノンは……さらわれた……っ!!」
その瞬間、僕は先ほどの男が放った言葉の意味を悟った。
「条件は……シャノンの身柄の……拘束…………」
幸福から一気に絶望へと転落した。僕は目の前が真っ暗になって、その場に倒れこんだ。




