第十七話 果たせぬ約束
ディエルは僕を、快く中に招き入れてくれた。だがその表情は決して歓迎しているようなものではなく、何かを覚悟しているような、そんなものだった。招き入れられた僕とディエルの間には何とも言えない、気まずい空気が漂った。しばらくの沈黙の後、先に口を開いたのはディエルの方であった。
「なにか用事があるんだろう? ……早く言えよ」
すべて気が付いている、そんな言いぐさであった。
「ああ。……いくつか言いたいことはあるんだけど、まずはミコのことだ。お前が攫って隠してたんだな」
ディエルは大きなため息をついて白状した。
「……そうだよ。俺が隠していた。ヨシノには申し訳なく思っているよ。……だけど、俺にはもうそうするしかなかった」
そう前置きをしてから、ディエルはミコを攫ったいきさつや、大森林の手がかりの話などを洗いざらいすべて白状した。
「……まあ、そんなとこだ。許してくれ、なんて薄情な台詞は言わない。許されないとわかっているし、そもそも俺は間違ったことはしていないと自信をもって言える。リオンからしたらふざけるな、って思うだろうけどな」
てっきり反省してひたすら頭こうべを垂れてくるだろうと思っていた僕は、ディエルの開き直った言葉につい意表を突かれた。
「でもまあ申し訳ないって気持ちは本物だ。そこだけは誤解しないでくれ。……それより、他にも話すことがあるってのは?」
どうにもいつもと違って、なにか達観的な物言いを続けるディエルに動揺をしつつも、僕は気を取り直して本題に入った。
「あ、ああ。大事な話だ。……これを見てくれ」
そういって僕は二年前の論文をディエルに手渡した。
「……これは二年前の? これがどうかしたのか?」
ディエルは論文をぱらぱらとめくりながら首を傾げた。
「今度の弁論大会で僕はこれを修正して、再び参加する。勿論、大賞をとるために」
「……何言ってるんだ? 俺の異世界研究があるじゃないか。これなら絶対に大賞をとれる。それどころか首相選にも勝てる。それに、この論文じゃあまた二年前みたいにもみ消されることは目に見えてるじゃないか。また同じことを繰り返すのか? シャノンも助けられていないのに」
ディエルは矢継ぎ早に言葉をまくしたて、僕の発言を否定した。これは僕も想定内。どう切り返すかはすでに考えていた。
「シャノンのことはもう救った。ディエルはまだ知らないだろうけど、幸運にも地下牢にはエレティアさんの姉、ティルフィアさんがいたんだ。彼女の助けを借りて、今は僕の研究室にいる」
「なんだとっ!? いつの間にそんな……。そんないいニュース、どうしてもっと早く言ってくれなかった!」
先ほどの達観的なディエルではなく、そこにいるのはいつもの、仲間思いのディエルだった。僕は見覚えのある彼に少し安堵しつつ、言葉をつづけた。
「だってそれは、昨日のことだったからね。とにかく、これでシャノンは救った。……そしてもうあんなことにはならない」
「何か考えがあるのか?」
ディエルの問いに僕は無言でうなずき、そして計画を打ち明けた。
「僕は、学者をやめる」
「……は? リオン……正気か?」
ディエルは目を見開き、そしてそれが本当なのかを判断するべく、疑いの目を僕に向けた。
「ああ、正気だ。学者でなく、一般人として論文を提出すれば上からの検閲はない。この論文を何の検閲もなく大会での発表に結び付けることができるんだ。一般人の論文提出の手数料も……ギリギリ足りるはずだ」
この国の弁論大会に論文を提出するにあたって、法律上では誰であろうとも発表は可能だ。ただし、学者ならば特に費用は掛からないのに対し、一般人の論文発表は弁論大会の質の低下を防ぐために莫大な手数料がとられる。それゆえに、一般人が論文を発表するというケースは非常にまれであった。
「そんなことよりもだ! 学者をやめて、リオンはこれからどうするつもりだ! 何かあてはあるのか?」
ディエルが言いたいのはこの国における、学者に対する超厚遇のことだろう。学者に与えられる権利は大きく分けて三つ。一つ目は各専門研究に伴う資金・機材の提供を受ける権利。二つ目は国内のあらゆる店において、特別価格等の学者優遇が適用される権利。そして三つ目は先ほども言った、弁論大会への無条件参加の権利。
要するに遊んで食っちゃ寝生活を送っていたとしてもお金が手元に増える。それだけこの国において、学者という存在は重宝されていた。そんな厚遇を、僕はすべて捨てると、そう言い放ったことになる。確かに学者をやめれば無職。しかも一度やめてしまったものはもう二度と学者にはなれない。
「あてもなにも……。ずっと昔から言ってるだろ? 僕は首相になるって。それが僕の新しい仕事だよ」
ディエルは唖然とした表情でこちらをただ見つめていた。そして僕の交渉はここからが本番だ。僕は改まってディエルに話をつづけた。
「それで、お願いがあるんだ。……ディエル、異世界の存在はどうか公表しないでくれないか?」
先ほどから丸くしていたディエルの目はさらに大きく見開かれた。
「おい、何言ってんだよ。それってつまり俺に論文を取り下げろって言ってるってことだよな? ……さすがの俺もそれだけは譲れない」
まあ、そうだろう。予想していた通りの答えだった。事情を説明して説得しようかとも思ったが、おそらくそれでも無理だろうと僕は察した。
「そう、だよな。……仕方ない。本当はこんなことしたくはないけど。そろそろクロエラさんが来る頃だ」
そういったとき、ちょうど研究室の扉が大きな音を立てて開いた。いいタイミングだ。扉の前にはクロエラが立っていた。
……だが何か様子がおかしい。いつも冷静なクロエラは息が上がり、表情も真っ青だった。そして僕たちを見るや否や、彼女は手に握りしめた紙をこちらに向けながら声を荒げていった。
「リオン様っ! ……これは一体、どういうことです!?」
彼女が示したのは新聞紙。そしてその一面には一枚の犬の写真に加え、大きな文字でこう書かれていた。
――異世界やはり存在。証拠多数発覚。
僕は思わずディエルの方を見たが、彼もまた驚きを露わにしていた。
「リーク……された……!?」
モルスとの約束を、僕は守ることができなかったのだと察した。




