赤毛の女
堅い床の上で目を覚ます。
目を覚ますと体の節々が痛かった。
筋肉痛か痣か堅い床で寝たせいかのどれかは分からない。
体は冷え切っていた。
くたびれたローブと一張羅は体に馴染み眠りを妨げる事は無かったが冷気を防ぎきる事は出来なかった。
まだ、暖かい季節だからこれで済んでいるが寒くなったらもう何枚か必要だろう。
懐に余裕のある冒険者は娼館にいって暖めてもらうらしい。
そんな贅沢は言わないから暖かいシチューを腹一杯食べたい。
その未来がやってくるかどうかはこれからの頑張りに掛かっている。
一人前になるのは無理だとしても誰か稼いでいる人とお近づきになれば上手い事、道が開ける可能性がある。
無くなってしまった門を潜り外に出る。
スラムには動く人影は無かった。
壁にもたれ掛かって動かない人影なら幾つかあった。
眠っているのか死んでいるのかは分からない。
ギルドに向かって歩き出す。
ギルドに近づくにつれ道は太くなり店が軒を連ね忙しなく動く人影が見えてくる。
いつかこっちの方に引っ越すのがスラムに住まう子供達の夢だ。
ギルドの扉の横には既に何人かの人影があった。
紛れるように座り込む。
横から声が掛けられた。
「よ、よ、よう。ノ、ノ、ノイン」
吃音の酷い彼は同僚のグラム。
頭一つ高い身長と倍近い横幅を誇る戦士職だった。
「おはよう」
「き、き、昨日、潜ったんだ、だ、だってな」
「うん」
「い、い、い、幾ら、も、も、貰った?」
「5枚」
正直に答えた。
「え、そ、そ、そんなもんなの。俺ならもっと」
何かに気づいたように顎を上げると言い放つ。
「お、お、お前、そ、そ、そ、僧侶だもんな」
何度か繰り返した覚えのあるやり取り。
毎回新鮮な苛立ちが沸き上がるがまだ耐えられる範疇だった。
「まあな」
それからの時間は苦痛だった。
頼んでもいないのに始まる人生相談。
目を合わせず只相槌を打ち続けた。
「お、お、お前さあ、ち、ち、違うし、し、仕事、み、み、みっけたほうが良いんじゃない」
一理ある。
冒険者に見切りをつけ違う仕事で食っている例もある。
それはそれで間違ってはいないのだろう。
でも、それは逃げに見えてしまう。
どこかで憧れを持ってしまっているのだろう。
剣一本で道を開く冒険者に。
不意に話が途切れた。
陰が、おちる。
グラムの前に男が立っていた。
声さえ掛ける事も無く犬を呼ぶように指で招かれる。
グラムは腹を空かせた犬のように立ち上がった。
「じ、じ、じ、じゃあな」
ノインに向けて勝ち誇ったように笑うと去っていった。
それからも続々と子供達が連れられていく。
もう、ノインを含め数人しか残っていない。
まるで誰の目にもうつっていないかのようだった。
他の仕事を探した方が良いかも知れない。
そう迷い始めた時、前に誰かが立った。
冒険者御用達のブーツから視線を上げると革鎧を着込んだ赤毛の女性が立っていた。
目つきは鋭く髪は短く、鎧の胸の部分が曲線を描いていなければ男だと思ったかもしれない。
「あんた、暇」
外見通り硬質な声だった。
突き刺すような問いに肯く。
「着いてきて」
そう言うとさっさと背中を向けてしまった。
慌てて着いていく。
てっきり職業を聞かれると思ったがそれもなかった。
安心と同時に不安もある。
まだ、僧侶であることがバレないと言う安堵といつかばれるんじゃないかという不安だった。
特に気を使う風も無く進む彼女の後に必死で続く。
扉を潜り一つのテーブルに近づいた。
椅子に座っていた人影の一つが顔を上げる。
「連れてきたよ」
「そいつか?」
「ああ」
不意に声を掛けられる。
「職業は?」
「僧侶」
途端に横に立つ女が睨みつけてきた。
騙したななとでも言いたげだった。
聞かれなかっただけだが知られたくないと思っていた事は否定しない。
目を合わせないように気を付ける。
「えー、僧侶?ホントに」
さっき話した男の隣に凭れるように座る女が話し始めた。
「レンちゃーん。何でそんなの連れてきちゃったの?」
侮蔑の視線より甲高い声に耐えきれなくなり半歩下がる。
「何か問題でもある」
問題はある。
僧侶に比べ戦士や斥候ならば筋力に優れているのでより多くの荷物が持てる。
それは報酬、つまりは生活に関わってくる。
「まあ、いい」
ババ引いたことを咎めない男の態度。
器のデカさに関心する。
仲間の失敗を喜ぶようなリーダーもいた。
「もしもの時はお前にもがんばってもらうぞ」
レンちゃんと呼ばれた女に言いながら席を立つ。
女も腕にぶら下がるように立ち他の男達も席をたった。
少し遅れて歩き始めた赤毛の女の後に続く。
漆黒の迷宮を歩く。
隊列は斥候風の男の後に恋人達が腕を組みながら歩きさらに後ろに白いローブに首から十字架を掛けた男。
少し離れた処を背嚢を背負った赤毛の女とノインが歩いている。
勿論、最後尾はノインだ。
迷宮に、潜ってからも恋人達んお会話が途切れる事は無かった。
「ねえねえ、聞いて」
「何だ」
腰に下げたランタンしか光源が無いにも関わらず腕を組み歩く姿はまるで日の当たる公園を歩いているかのようだった。
場を弁えない態度にも仲間達は何も言うことは無かった。
慣れているのか。
赤毛の女は若干怒っているような気がする。
背嚢が重いだけかもしれないが。
ノインは申し訳なく思った。
もし戦士なら一人で荷物を持ち運べただろう。
漸く恋人達の言葉が途切れる。
斥候職が警戒を発したからだった。
敵に備え構えていく。
赤毛の女も背嚢を下ろし剣を構えていた。
どうやらポーターと戦士の中間のような役割らしい。
正直何だかチグハグだった。
戦士なら前線に出るべきだ。
まさか幾らでも代わりの居るポーターを守っている訳でもあるまい。
戦闘が始まると中枢を担ったのは恋人達だった。
戦士らしい彼氏が前線に立ち彼女が後方から魔術を放つ。
青白い肌に装飾品だけをつけた敵たちは叩き切られあるいは炎で焼かれていく。
危なげなく敵は片付けられた。
皆が武器を仕舞う。
一番早く仕舞ったのは赤毛の女だった。
まるで人に見られたく無いかのように。
探索は続く。
少し進むと広場があった。
大して広くも快適でも無かったが不意打ちを防ぎやすい環境だったので休むことにする。
背嚢を戦士の彼に渡すと食い物が配られる。
各々好きな場所に座ると胃を満たし始める。
恋人達は身を寄せ合いながら囁き合っていた。
ノインはふと赤毛の人が足をさすっているのに気づく。
「痛いの」
ノインが話しかけるが目も合わせなかった。
「別に」
それが事実なのかそれとも強がりかは分からなかった。
「治す?あんまり効果は無いだろうけど」
沈黙が返ってきた。
断られたと判断しようか迷っていると不意に女が呟く。
「やって」
近づくと野良猫に触る様に足首に触れる。
蝋燭よりも細やかな光が漏れた。
赤毛の顰められていた眉が僅かに緩む。
手が離されると赤毛の女は足首を回して確かめてみた。
一瞬顔がしかめられる。
「ごめん。あんまり、効果無かった?」
申し訳なさそうな声音だった。
「嫌、大分楽になった」
恐らく、殆ど意味は無かっただろう。
治癒は深度で難易度が異なる。
表皮の損傷が最も治療し易く内蔵や神経の損傷が最難度だった。
恐らく関節を傷めたのだろうこの場合を何とかするだけの力はノインに無かった。
それでも楽になったと言ったのはお世辞も合ったろうが心が癒されたという意味も有ったかもしれない。
号令が掛けられ出発する。
さっきまでよりノインと赤毛の距離が狭まっていた。
順調に探索は進む。
恋人達の力量と連携は確かだった。
恋愛感情が上手いこと回っているようだ。
しかし、恋愛は終わってしまうとパーティーとしてもやっていけなくなってしまう可能性がある。
まあ、今は関係ないが。
この日は特に何事も無く終わった。
何日も掛けて探索するなんて上級のパーティーだけだ。
日が暮れる前に外に出た。
いつも通り相場より少し安い額の駄賃を貰い余った保存食を貰うと夕暮れの道を帰っていった。