そこまでの経緯 (6)
武田が、入口から見て左手の壁に頭を打ち付けていた。
彼は後頭部を壁に擦り付けながら、ゆっくりと仰向けに倒れ、ピクリとも動かなくなった。白目を剥き、頭を壁に持たせ掛けて首が九十度に曲がっている。
「た、武田さん?」
川瀬は声を震わせながら尋ねた。しかし、返事はない。
山本が席を立ち、左手をテーブルに付けたまま体を時計回りに回転させ、一人掛けソファを退かして武田に近付いた。
「武田さん!」
体を揺さぶっても反応はないようだ。
山本は武田の口元に手を近付け、それから手首を取った。
「息してないですし、脈もありません……」
山本の発言を聞いて全員が唾を飲み込んだ。
「きゅ、救急車呼ばないと」
川瀬はそう言って尻のポケットに触れたが、そこに携帯電話はなかった。携帯電話は沢渡に渡したままだ。
「もっちゃん! 携帯ある?」
「ごめん。自分のデスクに置きっぱなし」
成宮達が懐から携帯電話を取り出し、笠松が『一一九』と押した。しかし繋がらない。
成宮が呟く。
「電波がきていないな」
「私も……」
川瀬は成宮達の携帯電話を覗き見た。
「ひょっとしてAV社かSaltBank社の携帯ですか? ここはDokomo社の携帯じゃないと繋がらないんですよ」
成宮達は苦々しい表情をして頷いた。
川瀬はそれを確認すると窓際を見た。
「樫木さ……」
「俺は携帯持たない主義っす」
期待してはいけなかった。
川瀬は少し考え、思い付いたことを述べた。
「武田さんは携帯持っているかなあ?」
男達は山本のことを見つめた。
「は、はい?」
山本は自分自身を指差した。男達が無言で頷く。
視線によるプレッシャーに負けて、山本は躊躇いながらも武田の体をまさぐった。彼の携帯電話は胸のポケットに入っていた。
電源を入れる。アンテナは五本立っている。ところが、ロックが掛かっていた。武田らしいと言えば武田らしい。
万事休すだ。テーブルに手を置いたままでは救援を呼ぶことも出来ない。
樫木が声を張る。
「先生、どうするんすか!」
「そう言われましても……」
「武田さんが言ってた通り、ゲーム始めたのは先生っすよね? 責任取ろうって思わないんすか?」
「責任って、たかがゲームを提案しただけじゃないですか」
「そう思うなら手を離して下さいよ」
「またこのやり取りですか?」
「暢気なこと言ってる場合じゃないっすよ、先生。あんたは人を殺したんすよ?」
「あれは……事故ですよ。それに、武田さんはテーブルから左手を離したから……」
樫木は目を細めた。
「あ? さっきは、たかがゲームって言ったっすよねえ? 言ってること矛盾してないっすか?」
成宮が頷く。
樫木は鈍いのか鋭いのか分かり難い男だ。
川瀬は出来るだけ冷静な素振りをした。
「確かにサバイバルホラーゲームをやろうと提案したのは僕ですけど。でも皆さんは自分の意思でゲームに参加したのですよね? それを今更、全部僕の所為にするなんて酷くないですか? こんな状況になったのは連帯責任ですよ」
樫木が吸殻を川瀬に投げ付けた。
「あのさあ、先生。たかがゲームって言ったことに対しての返答になってないっすよ」
「謝って下さい……」
「あ? 何を?」
「タバコを投げたことですよ!」
普段見たことのない川瀬の怒った姿を目の当たりにしたからだろう、山本が慌ててなだめた。
「川瀬君、落ち着こ」
「大丈夫。僕は落ち着いているよ」
二人のやり取りを見た樫木は怒鳴り声をあげた。
「人殺しが! 人殺しに比べれば吸殻を投げたことなんて些細なことっすよねえ! 話を逸らさないで下さいよ、先生さんよ!」
その大声は窓ガラスを震わせた。
すると、今までずっと無言だった笠松が、おもむろに口を開いた。
「皆さん、少し冷静になりましょう……」
場違いな落ち着き振りだ。参加者達は笠松を見つめた。
「……このような異常な状況になって気が動転するのは分かります。もちろん私も動揺しています。ただ、武田さんのことに関しては明らかに事故ですよ。先生の所為にするのは違うと思います。それから、私は先生の気持ちが何となく分かるのです」
樫木が不満げに噛み付く。
「あ? 笠松さんは先生の味方するんすか?」
「誰の味方とか、そういうのではないのですよ。良いですか? 皆さん聞いて下さい」
参加者達は何も言わず、ただ笠松を見つめ続けた。笠松はそれを相槌と受け取ったらしく、静かに話を続けた。
「私も先生と同じように、このサバイバルホラーゲームを、たかがゲームだと思っています。テーブルから手を離しただけで人が死に至るなんてことがあるとは思えません。しかし、既に手を離した人が三名も犠牲になっています。正確には奈良坂部長と沢渡さんに関して現況確認は取れていませんが……ああ、腹を割って話をしましょうか。皆さんも思っているのでしょう? 三人死んでいるって。先程も申し上げた通り、ゲームで人が死ぬとは思えませんので、それはおそらく偶然でしょう。ただ、それは凄い確率の偶然です。あり得ないこととは分かっていながらも、心のどこかに不安が残るのですよ。もしかしたら自分も犠牲になるのではないかと……」
川瀬は自分の考えを確認するように何度も頷いた。
「……今の状態で誰が最初に手を離すのかという話になれば、争いが起きるだけです。たかがゲームとは言いましたが、私も残念ながら真っ先に手を離したいとは思いません」
「じゃあ、どうするつもりだい?」
成宮が質問する。
「何もしないのです」
「ええ?」
「提案します。このゲームは十二時に終了します。手を離させようとすると争いになりますので、何もせずに時間を過ごしましょう」
「それじゃあ全員死ぬじゃないっすか!」
樫木が不機嫌そうに意見した。
「ハハ。それは怖いですね。ただ、それはそれで諦めがつくのではないですか? と言うより、繰り返しになりますが、私は九十九パーセント、たかがゲームと思っています。残りの一パーセントの気持ちが手を離すことを躊躇わせるのです。そんな迷いも十二時を迎えれば解消されます……」
全員うつむいて考えを巡らせる。
「……十二時まで、あと約三時間半です。たったそれだけの時間をじっと我慢するだけで良いのですよ。どうですか?」
参加者同士其々の顔色を窺い、提案に賛成することにした。
笠松は柔和な笑みを浮かべた。
その顔は、今の状況を楽しんでいるようにも見えた。





