そこまでの経緯 (2)
「なんだ? 煙いな……」
やってきたのは営業部長の奈良坂だった。
遅れたことを悪びれる様子もなく、まるで、国賓かのように片手を悠々と振りながら満面の笑みで近付いてくる。一歩歩む度に、でっぷりとした腹が揺れる。彼はスリーピースのスーツを着込んでいた。日中とは違う服装だ。写真撮影のために着替えてきたに違いない。
笠松が立ち上がろうとしたが、左手をテーブルから離す訳にもいかず何度か腰を上げ下げし、苦悩の末、結局ソファに座り直して首だけで挨拶をした。
武田が席を離れ、ソファの横に膝をついて座る。そして奈良坂に席を促す。
「いいよ、いいよ、武田君、ソファに座って。私はあまり時間もないので立ったままで良いから」
その言葉に従い、武田は深く頭を下げてから再びソファに腰を下ろした。
奈良坂は口をへの字に曲げながら片手で両つるを押さえて眼鏡をずり上げた。どこで売っているのか、煌びやかなチェーンのついた眼鏡だ。奈良坂は眼鏡を押さえたまま全員を見下ろし、咳払いをすると突然演説を始めた。
「ええー、本日は、枝島ラッピング株式会社へようこそおいで下さいました。弊社は創業三十五年を迎え、今、新たな挑戦をしております。情報化の進歩や小売形態の変化が著しい昨今において、長年培ってきた弊社の技術を最大限に活かすにはどうすれば良いか。その方法として、ご存知の通り、新たな販売チャネルの開拓を始めました……」
成宮や笠松らが来社した際、既に奈良坂との顔合わせは済んでいる。とは言え、大幅に遅れてきておきながら予告も無しに一席ぶつのは失礼だろう。
川瀬は演説の切りの良いところで奈良坂にそっと声を掛けた。
「あの、奈良坂さん。来るのが遅いですよ……」
すると奈良坂は我に返ったかのように動きを止め、それから声を出して笑い、手の平で自身の額を叩いた。
「ハハハハハ。遅くなって、すみませんでした。仕事が長引いてしまって。ええ」
笠松が笑顔で応じる。
「こちらこそ、お忙しいところお時間を頂戴し恐れ入ります」
「良いんですよ。さて、インタビューは進んでいますか?」
「はい。川瀬先生から色々と面白い話を伺っています」
「川瀬君は面白いんですよ。ねえ、川瀬君。川瀬君は面白い」
そう言って奈良坂は川瀬の背後に立ち、肩を揉んだ。
川瀬は引きつった笑みを浮かべた。
元々今回のインタビューの発案者はこの奈良坂だ。複数の文芸誌やビジネス誌編集部宛に自社新製品と川瀬の小説についてのプレスリリースをこちらから送ったのだ。そして興味を示した成宮と笠松が枝島ラッピングまで来ることとなった。
奈良坂は事前に何を語るのか考えていたのだろう。その為、件の演説となった訳だ。
奈良坂は咳払いをすると次の演説を始めた。その内容は川瀬のことについてだった。
「ええー、弊社営業部に所属しております川瀬は文筆家としても活動をしております。まだ新人の彼ではありますが、弊社におきましては、彼のような若手の声も会社の運営に役立てております。年齢や役職に囚われず、独創性を重んじているのです。それに伴い弊社は、社内クラブやボランティアなどの業務外活動にも積極的に力を入れております。そういった自由な環境によって、この川瀬も創作活動に勤しむことが出来るのだと、私は考えております……」
ややこじつけ感のある演説だ。『新たな発想を育む社風』というテーマで大学生にでもレポートを書かせれば、似たような内容が出来上がるだろう。
奈良坂は額に汗を滲ませ、拳を握っていた。
一通り話が終わると、笠松が礼を述べた。
「貴重なお話、ありがとうございます。先生の作品は御社皆様の力の結晶なのですね」
それは言い過ぎだ。川瀬は心の中で一人ごちた。
礼を言い終えた笠松が樫木に何やら囁いた。すると樫木は思い出したように奈良坂にカメラを向けた。
「奈良坂部長、集合写真良いっすか?」
「ええ。もちろん良いですよ」
そう言うと奈良坂は襟を正し、自分の立ち位置を求めた。
「んん? 皆さんは円陣を組んでいるのですか?」
全員が左手をテーブルに置いていることに彼は今更気が付いた様子だ。
面倒臭くなりそうな気配を察したであろう山本が即答する。
「はい。円陣みたいなものです」
「じゃあ、私もそれに参加しようかな」
奈良坂はテーブルに左手をつき、武田の横でしゃがみ込んで川瀬達に近付いた。中年独特の脂と整髪料の臭いが漂う。
「あーあ、手を置いたっすね……」
樫木のその発言を聞いて、川瀬、山本、武田は、余計なことを言うな、という念を飛ばした。しかし樫木は気が付かずに話を続けた。
「今はサバイバルホラーゲームの最中っすから、その手を離したら死ぬっすよ」
奈良坂が怪訝な顔をし、川瀬を見た。
川瀬は腹をくくり、彼に事の経緯とゲームの説明をすることにした。
「…………と、いう訳です」
説明を聞き終えた奈良坂は顎を撫でて頷き、笑い声をあげた。
「ハハハハハ。川瀬君はやっぱり面白いね。面白いね、川瀬君。じゃあ、私もそのリサイタルゲームに参加しようかな。ほうら、ほうら、誰か私の手を離させることが出来るかなあ? ハハハハハ」
予想通りの煩わしさだ。そもそもリサイタルゲームとはなんだ。
奈良坂の間違いを指摘する者はいなかった。複数の掠れた笑い声だけが響く。
そのタイミングで、樫木が自分の犯した過ちなど気にも留めず、撮影の準備を終えてファインダーを覗き込んだ。
「じゃ、川瀬先生中心に四名で撮るっすね。武田さん、ちょっと寄って貰えるっすか?」
カメラのフラッシュが瞬く。傍から見れば仲の良い四人に見えるだろう。なにせ全員揃ってテーブルに手を置いているのだ。奈良坂に至っては右手の親指を立てている。
「いいねー」
樫木が言う。サムアップと掛けているのだろうか。
続けて、二度、三度、四度とフラッシュが瞬いた。
「あざっした。バッチリっす」
樫木は上機嫌だ。彼は無駄に大きな声を出した。
「アザァシタ?」
奈良坂が首を傾げて川瀬を見る。巨体に似合わない小動物のような表情だ。
「『アザラシタン』というキャラクターのことです。日常会話で、このキャラクターの名前をバッチリに掛かる枕詞のように使うのが最近の流行りなんですよ」
川瀬は小声で適当なことを伝えた。奈良坂は納得したようだ。
無事撮影を終え、笠松が問い掛けた。
「奈良坂部長、いくつかお聞かせ頂いてもよろしいですか?」
ようやくインタビューらしい雰囲気だ。
ところが笠松が質問をしようとした瞬間、ドアをノックする音が聞こえた。
川瀬が返事をすると扉が開き、総務部に所属する沢渡が姿を現した。
三十代前半、紺のスーツを着た沢渡は企業人然とした雰囲気の持ち主だ。彼は非常に恐縮した調子で奈良坂に告げた。
「失礼します。奈良坂部長、福本課長がお探しでしたので伺ったのですが、どうされますか?」
奈良坂は腕時計を見やり、口をへの字にして答えた。
「ん、そうか。もうこんな時間か。分かった。すぐに行こう」
彼はそう言うと、笠松の方に向き直った。
「申し訳ありませんが次の用事が控えておりまして、ここらでおいとまさせて頂きたいと思います。弊社の詳細については川瀬がお答えしますので……」
笠松は何も質問出来なかったためだろう、少し唖然としていたが、すぐに気を取り直して笑顔を向けた。
「お忙しいところ申し訳ありませんでした。引き続き川瀬先生からお話しを伺わせて頂きますので、ご安心下さい」
「アザラシタン。バッチリなインタビューになりましたか?」
「ええ、もちろんです。こちらこそ、ありがとうございました」
不思議と噛み合っている会話が面白く、川瀬は肩を震わせた。
その様子を見た山本が川瀬を強く睨む。またふざけた悪戯をしたのだな、と言いたげな表情だ。
別れの挨拶を終えると、奈良坂は持参した紙袋の中身をテーブルの上に広げた。A4サイズのカラフルな袋とワイヤー入りリボンのセット複数と、高さ二十センチほどの黄色いぬいぐるみ一体だ。
「弊社の商品と、マスコットキャラの『ラッピィ』です。どうぞ、お持ち帰り下さい。ああ、皆さんもどうぞ」
彼は、笠松、成宮達にお土産を勧め、それから満足そうに立ち上がった。必要なことは全てやり遂げたと言わんばかりだ。しかも何事もなかったかのように左手をテーブルから離している。
「川瀬君、面白い話を頼むよ。では皆様、お先に失礼」
奈良坂は笠松と握手を交わし、沢渡と共に部屋を後にした。