伏線の活用(1)
「山本さんは、手を離しただけで亡くなりましたね……」
笠松が言う。
「……やはり、このゲームは本物なのでしょう」
全員、無言で頷く。
「先生。いわゆるサバイバルホラーでは、この後どのような展開になるのでしょうか?」
時間は十時半を過ぎていた。ゲーム終了時刻まで、残り約一時間半。終盤に差し掛かっていると言える。
川瀬は考えを巡らせ、うつむいたまま独り言のように呟いた。
「そうですね……そろそろ、伏線の回収でしょうか……」
笠松は目を光らせ、更に尋ねた。
「と言いますと?」
川瀬は顔を上げた。
「序盤にさりげなく語られた出来事や登場したアイテムが、思いのほか役に立つのですよ。例えば……」
視線を泳がせる。それに釣られて笠松と成宮も室内を見回した。
そして、それはすぐに見つかった。川瀬の左、窓際の床の上にいかつい灰皿が転がっていたのだ。
川瀬はその灰皿に一瞬釘付けになったが、笠松も同じ方向を見ていることに気付き、あえて目を逸らした。
いかつい灰皿。これ以上凶器らしい凶器は存在しない。これを持ち歩いていたら銃刀法違反で逮捕されてもおかしくないだろう。
「……すみません。良い例が思い付きませんでした。ハハハ」
川瀬はぎこちなく笑った。
「……そうですか。それは仕方がないですね。ハハ」
笠松も似たような笑顔を作る。
不自然な沈黙が漂った。
川瀬は視線をどこに持っていって良いのか分からなくなり、瞳をキョロキョロと動かした。
笠松も、そして成宮も、同じように瞳を動かしていたのか、しばらくすると三つの視線が交わり合った。
「ハハハ……」
「ハハ……」
「ハッハッハ……」
その笑い声は徐々に小さくなり、再び沈黙が訪れた。
「コーヒーでも飲もうかなあ」
そう言って成宮が前屈みの姿勢になり、床の上の給湯ポットを操作した。
床の上の物を弄るに乗じて、灰皿を手にするつもりなのではないか? 川瀬は警戒したが、成宮の動きに怪しい点は認められなかった。彼は紙コップにお湯を入れ、一人で宣言通りにコーヒーを飲み始めた。
何度この精神状態に陥ったことだろう。警戒し過ぎていては駄目だ。怪しい動きがあれば阻止すれば良いだけなのだ。自分は灰皿の最も近くにいる。冷静になれ。
川瀬は自身にそう言い聞かせ、気持ちを落ち着かせた。
「笠松さんは、何か伏線って思い付きました?」
川瀬は日常的な会話を装って明るく尋ねた。笠松は灰皿から最も離れた位置にいる。何か策を練っているか探りを入れたのだ。
「ハハ。私は何も思い付かないですね。それよりも、先生。先生は何かに気が付いたのではないですか?」
笠松の返答を聞いて川瀬は確信した。やはり彼も灰皿を狙っている。つまり、怪しい動きを阻止出来るのと同様に、怪しい動きを阻止される可能性もあるということだ。
川瀬はそれを前提に戦略を考えることにした。
「先生?」
笠松が重ねて尋ねる。
「……先生。黙っていないで、何か良い伏線の例を見つけたのでしたら、参考までにお教え頂けませんか?」
「そうですねえ……」
川瀬は小声で言った。
「思い付いたのですね?」
「こんなのはどうでしょうか? ただし、これは例ではなく、成功すれば全員助かる方法です」
皆、川瀬に注目する。
「お聞かせ下さい」
笠松の落ち着いた声を受け、川瀬は手振りも加えて断言した。
「ズバリ。伏線は笠松さんの手帳です」
笠松が首を傾げる。
「ゲームのルールを記した手帳ですか?」
「はい。そうです」
「活用する方法が思い付かないですね」
「少し長くなりますが、説明しますね……」
そう言って川瀬は居住まいを正した。
「まず皆さん、このゲームを始めた時のことを思い出して下さい」
「サバイバルホラー小説のシミュレーションをしようという話になり、ゲームを開始しましたね」
「それよりももっと前のことです。僕が、サバイバルホラーは殺し合うシチュエーションさえあれば、そこに至る理由は後で決めれば良いって言ったのを覚えていますか?」
「はい。確かにそう仰っていました」
「今が、その時です!」
「は?」
「今現在まで、何故テーブルから手を離すと死に至るのか答えが出ていません。しかし小説でその原因が最後まで判明しないなんてことは滅多にないんですよ。つまり、あるんです、原因は。じゃあ何が原因ですかね?」
「ゲームマスターの陰謀?」
成宮が言う。
「仮にそうだとしても、どのような方法で死に至らしめたのかが必要になってきます。超能力? オーバーテクノロジー? 色々考えられますねえ? 僕はその中で、『呪い』を選びます」
「呪い、ですか?」
「そうです。僕達は呪われたのです。そこで登場するのが、伏線アイテム笠松手帳! 全ての原因はそこに集約されます」
「笠松手帳という言い方は恥ずかしいですね……で、手帳がどう関係するのか、ここまで説明を聞いても未だ分からないのですが……」
川瀬はゆっくりと頷き、芝居じみた調子で語り始めた。
「この悲劇には、笠松さんの仕事が関係しています……雑誌記者笠松は自身の仕事に誇りを持っており、常に精力的に取材を行なっていた。事件、事故の情報を耳にすれば即座に駆けつけ、その詳細を愛用の手帳に書き殴るのが彼のスタイルだった……」
「既に突っ込みどころがあるのですが……まあ、とりあえず良いでしょう。話を続けて下さい」
「……凄惨な現場、血の臭い、悲痛な叫び。笠松の手帳は人々の苦しみで満たされた。そしていつしか、恐ろしい力が手帳に宿った。それは、手帳に書かれた不吉なことが現実になるというものだった」
「ようやく話が繋がりました。要するにゲームのルールを手帳に書き込んだことで私達は呪われたのですね? では、その解決方法は一体どういうものでしょう」
十分な間。川瀬はニヤリと笑って言い放った。
「手帳を燃やすんです」
「燃やす?」
「はい。燃やします。すると、もうもうと黒煙が立ち昇り、悪霊が姿を現すのです。悪霊は苦しみもがき、やがて消滅。雲間から光が差し込んでハッピーエンド。どうですか?」
「この時間に光が差し込むことはありませんよ。それから、私は事件や事故の取材はしていません」
「ディテールはどうでも良いんです。手帳の呪いが原因で、手帳を燃やすことで解決するというのが大事なんですから」
誰もが納得していない様子だ。うつむいて唸っている。
川瀬は畳み掛けた。
「リスクのないことなら、どんどん試すべきです!」
最初に顔を上げたのは笠松だった。
「わかりました。やりましょう」
参加者達は見つめ合い、頷き合った。
「じゃあ、テーブルの上で直接燃やす訳にもいかないので、灰皿を用意しますね」
川瀬はそう言って、ソファから腰を浮かせた。
「ちょーっと待って下さい。先生!」
「へ?」
笠松は険しい顔で川瀬のことを見つめた。
「先生。長々と胡散臭い戦略についてお話をされましたが、先生の意図は他のところにありませんか? 申し訳ないですが手帳は差し出しませんよ。手帳を燃やす作戦は中止。中止です」
「でも、何もしないよりは、何かしたほうが……」
「リスクのないことならば試しますが、少しでも不安な要素がある場合は、私は協力致しません」
「…………」
川瀬は身を縮みこませてソファに座り直した。
成宮が咳払いをし、呆れたように川瀬に視線を送る。
「ネタ切れかい?」





