順序通りの犠牲(4)
しばらくすると参加者達は目配せをし、笠松が口を開いた。
「先生、開き直りますか?」
川瀬は引きつった笑みを浮かべて答えた。
「そりゃあ、先に皆さんが開き直ったんですから僕だって開き直りますよ。誰も手を離す気なんてないじゃないですか」
「それはやってみないと分からないと思いますが」
「さすがに分かりますって……」
「先生は他人を騙そうとお考えでしたので、他人も自分を騙すものと思い込んでいらっしゃるのでしょう。残念ですね」
「ハハハ……良く言いますよ。これは騙し合うゲームなんですよね? 笠松さんもそう言い切っていたじゃないですか」
笠松が笑顔で肩をすくめ、首を横に振る。その表情に台詞を付けるとしたら、『何言ってんのか分かんなーい』だろう。
川瀬は苛立ちのあまり声を荒げた。
「これは、こういうゲームなんですよ!」
川瀬自身、美し過ぎる開き直り振りだと思った。
成宮が、呆れるのを通り越したのか、感心したように頷いて穏やかな声を出した。
「つまり、川瀬君は『いわゆるサバイバルホラー』のシナリオに従うことを決意したんだね?」
それを聞いが笠松が真剣な面持ちで尋ねる。
「いわゆるサバイバルホラー、ですか……成宮さんは先生の仰っていた仮説を信じていらっしゃるのですか?」
「ハッハッハ……さすがに川瀬君が自ら手を離すというのは信じなかったけどねえ。小説にありがちな展開通りになるという考えには同意するよ。その通りだと思うね。事実、全員で協力するイベントも見事に失敗に終わったじゃないか」
「なるほど。物語を破綻させるどころか、更に話を進展させたということですね」
「まあ、そういうことだねえ。彼のやろうとしていたことは、『囚人のジレンマ』だったのだから、当然と言えば当然だがね。ねえ川瀬君、君は、作戦失敗は確実ということを踏まえた上で、一人でも運良く引っ掛かれば良いくらいに考えていたんだろう?」
川瀬は曖昧に頷き、溜め息をついた。
「あのー、囚人のジレンマってなんですか?」
山本が小さな声で聞く。
すると成宮が、またもや、したり顔で説明を開始した。
「囚人のジレンマというのは一九〇〇年代半ばに提唱されたゲーム理論の一つだよ。互いに協力し合えば利益を得られるが、相手が裏切った場合は自身が大きな損害を被るという状況における人間の行動を分析したものだね。例え話に囚人が用いられることから囚人のジレンマと呼ばれているんだ。サバイバルホラー小説やギャンブル漫画などでは頻繁に取り上げられる題材なんだよ」
それを聞いて笠松が質問を投げ掛けた。
「理論というからには、結論が提示されているのですよね?」
成宮は十分な間をおいてから、ゆったりと答えた。
「うん。今回の作戦のように一度きりの勝負の場合、人は裏切りを選択する」
「なるほど」
そう言って笠松は深く頷いた。
「人は愚かだってことなんですねえ……」
山本が川瀬を見ながら呟く。
「もっちゃん。まるで僕が愚か者みたいに言わないでくれる?」
「違うの?」
「自分だって裏切ったでしょ? それから、囚人のジレンマにはオチがあるんだ。裏切り合った囚人達は互いにある程度の損害を被るんだよ。成宮さんは、その部分を伏せることで、僕のことを利益だけを求めた貪欲な奴に仕立て上げようとしているんだ」
「川瀬君、それは勘繰りが過ぎるねえ」
成宮が指摘する。
「そうですか? それは失礼しましたあ」
川瀬はおざなりに頭を下げ、再び山本の方を向いた。
「良い? 少なくとも、囚人のジレンマは人の愚かさを述べたものではなくて、リスク管理について言及したものなんだよ。身近な例えだと、量販店Aが値下げをしたとするでしょ。すると競合する量販店Bは客を奪われないためにAよりも値下げをするんだ。それを知ったAはBよりも更に値下げをする。それが繰り返されて価格競争になる。仮に取り扱われている商品が市場においてABの寡占状態だった場合、価格競争をするよりも値を吊り上げた方が双方得をするんだ。それでも大損害を回避するためにAもBも価格競争をする。協力さえすれば利益が出ることは分かっているんだけれど、そうせざるを得ないんだよ。ジレンマたる所以だね。分かる?」
「ごめん。ちょっと良く分かんない」
「……もういいや」
川瀬は途端に馬鹿々々しくなり、話すのをやめた。
「私は分かりますよ……」
笠松が言う。
「……要するに先生は、ご自身の行動を正当化したいのですね。そして、囚人のジレンマを御存じだった成宮さんは、先生の思惑を看破しておきながら作戦に応じたということですね」
「そんなこと言っていないですよ。それから、笠松さんだって本当は手を離す気なんてありませんでしたよね?」
「いいえ。私は作戦を実行するつもりでいました。しかし不穏な空気を悟ったので、危険を回避するために手を離さなかったのです。先生や成宮さんとは違うのですよ」
成宮が笠松を睨んだ。
「気のせいかな? 私にも矢が飛んできているようだが」
「ご安心下さい。気のせいではないです。私は間違いなく先生と成宮さんに対して矢を放ちました」
「私達を次の獲物にするつもりかい?」
「とんでもないです。単純にお二人の行為を非難しただけです。私は、いわゆるサバイバルホラー小説の展開を熟知しておりませんので、次に誰が犠牲になり得るのか見当も付きません。自衛という理由でもない限り、率先して行動なんて致しませんよ」
それを聞いた成宮は不敵な笑みを浮かべた。
「賢明な判断だね。下手に悪巧みを実行していれば笠松さんが死んでいただろうね」
「どういうことでしょうか?」
「武田さんや樫木さんが何故死んだかということだよ。彼等は我欲に囚われて攻撃的になり、それで自滅したんだ。これはね、サバイバルホラーでの鉄板展開なんだよ」
「確かに、悪者が倒されるのはどんなドラマにおいてもセオリーですね。それを基準に考えると次の犠牲者の予想が出来ますかね……」
「もっと簡単に誰が死ぬのか知る方法があるよ」
「興味深いですね」
「勝者以外は全員死ぬんだ」
「ハハ。誰が犠牲になるのか考えるのと同じではないですか」
「笠松さんは本当にサバイバル系小説のことを分かっていないんだねえ。サバイバルホラーの構成は非常に単純でね。おおむね、主人公視点で展開し、そして、主人公が生き残るんだ」
川瀬が付け加える。
「いわゆる主人公補正ですね」
笠松は合点が行ったらしく、顎に手を当てて頷いた。
「なるほど。極端な話、一ページ目から誰が生き残るのか分かる場合もあるということですね?」
「いや、もっと極端な話、あらすじや裏表紙の解説、電車の中吊り広告でも誰が生き残るのかが分かるよ。特に、作家名と主人公の名前が同じ場合は九十九パーセント、主人公の勝ちだ。まあ、これは連続殺人を題材にしたミステリーに多いパターンだけれどね」
「仰りたいことは分かりました。とりあえず、主人公が誰か分かれば必然的に誰が死ぬのかも分かるということですね。では、私達の中で主人公は一体誰なのでしょう?」
いくつもの視線が交差する。そして、その問いに成宮が答えた。
「主人公、それは私だ」
皆、呆気に取られ、口を開いたまま成宮を見つめた。





