本番開始 (2)
脱ぐことを提案された山本は、表情も変えず無言のままだ。
川瀬は我慢が出来ずに怒鳴った。
「樫木さん! いい加減にして下さい!」
しばらくの静寂。それを破ったのは山本だった。
「……良いですよ」
「ちょっと、もっちゃん!」
「その代わり、左手をテーブルから離して下さい」
「何言っているんだよ……」
「樫木さんだけじゃなくて、川瀬君もね」
「え?」
「脱ぎますよ。その代わり皆さん、ゲームから降りて下さい」
「いやいやいや……」
「本人が脱ぎたいって言ってんすから、良いじゃないっすか」
「その代わり、絶対に手を離して下さいね!」
「当たり前じゃん。分かってるっすよ」
「もっちゃん、そんなことやめときなって」
「わたしが何をしようと川瀬君には関係ないでしょ。脱ぎまーす」
彼女は冷静さを欠いている。山本の愚行を阻止しようと考え、川瀬は出来る限り落ち着いた口調で言った。
「もっちゃん、僕は手を離さないよ」
「はい?」
「脱がれても困るだけだって言っているんだよ」
「じゃあ何して欲しい? なんでもしてあげるよ。あんなことも、こんなことも、そんなことも。痒い所に手も届かせちゃうよ。希望であればルパンの物真似もしてあげる」
成宮が笑いながら口を開く。
「ルパンの物真似は興味あるなあ」
「僕も、それは気になる……」
「やりましょうか? その代わり手を離すんですからね?」
「じゃ、いいや……」
川瀬は素っ気無く答えた。
樫木が上唇を舐める。
「なんでもしてくれるんすね。何して貰おうかなあ」
「どうせなら早く開放されたいんで、何をして欲しいかすぐに決めてくれませんか?」
我関せずといった具合に澄ました顔でネクタイをもてあそんでいた笠松が、視線を落としたまま口を挟んだ。
「山本さん。既に手を離さないと宣言している人がいる以上、その戦略は意味を成しませんよ。ちなみに申し上げますと、私も手を離すつもりはありません」
山本は笠松を睨みつけた。
「はいはい。笠松さんはわたしが好みじゃないんですね」
「いいえ。山本さんは可愛らしい方だと思いますよ。ただ、命を懸けてまで手に入れたいかというと、それ程ではないですね」
「なんだか癇に障る言い方ですね」
「正直に申し上げているだけです。私は樫木さんのように嘘をつきたくないのです」
それを聞いた樫木が反射的に噛みついた。
「あ? 俺がいつ嘘をついたんすか」
「何をして貰っても手を離すつもりなどないですよね?」
「そんなの分かんないじゃないっすか……」
「分からないと言っている時点で手を離すかどうか疑わしいではないですか。浅はかな発言は控えた方が良いですよ」
「すいませんねえ。俺は感性で行動してるんすよ。笠松さんみたいな職業ライターと違って、アーチストなんでね」
「自然体であろうとするのは結構ですが、他人に不快な思いを与えるのはどうかと思いますよ。さらけ出す内面が醜いのであれば、さらけ出さない方が良いです。常々思っていたことですが、樫木さんは人格に問題があるのですから、まずはそれを正すことを優先すべきでしょう。感性というものにはその後で活躍して貰って下さい」
その言葉を聞いた成宮が突然声を出して笑い始めた。
「ハッハッハ。珍しく棘のある言い方だね」
「ええ。たまには尖らせてみました」
「ハッキリと伝えた方が良い時もあるからねえ」
「先生の言葉を借りるならば、彼はもう少し考えた方が良いのです。わがままと自由を履き違えていますので」
棘のチクリとした痛みどころではなく、一刀両断だ。もはや樫木の存在は二人のための笑いの肴でしかない。
「お、おっさん達は、黙ってろよ……」
案の定、樫木は怒りを露わにした。全身を小刻みに震わせている。今までは辛うじて敬語らしき言葉を使っていたが、それさえも失念している状態だ。
命令に従い、成宮と笠松は口を閉じた。
「やりてえことやって何が悪りいんだよ! 人間ってそういうもんだろ。ええ? どうせなあ! ここにいるメンバーは一人しか生き残れねえんだよ! 本性暴露して、あくどいことしたところで何も問題ねえだろ! バーカ! バーカ!」
成宮と笠松が示し合わせたように川瀬のことを見た。おっさんではないお前が反論しろとでも言いたそうな顔だ。
怒りの矛先を向けられたくはないが、仕方ないと考え、川瀬は樫木に話し掛けることにした。
「樫木さん。笠松さんの提案に賛成して、みんなで終了時刻まで争いをせずに我慢しようと決めたじゃないですか。一人しか生き残れないなんて言わず、落ち着いて下さいよ」
「あ? あんた、そんなこと信じてんのか? だいたい最初に他の奴等を蹴落とそうとしたのは、そこの女じゃねえか。そんな色仕掛けに引っ掛かる馬鹿はいねえけどな!」
川瀬は溜息をついて山本の方を向いた。
「もっちゃん、樫木さんはこういう人だよ。早まったことをしなくて良かったね」
山本はコクリと頷いた。自分よりも取り乱している者を見たことで、彼女は幾分冷静さを取り戻したようだ。
「先生、あんたも黙ってろよ!」
樫木が引き続き怒鳴り散らす。
「お前らなあ。俺に考えろって言うが、考えが足りてねえのはお前らだろ? 体格だけで言やあ、どう見ても俺が有利なんだぞ……」
皆、無言だ。
「……全員、殴り殺しても良いんだぜ? 俺はやるぞ。ハッタリじゃあねえからな。笠松さん、まずはあんたからだなあ」
樫木はいかつい灰皿を手に取った。ところが、名指しされた笠松は涼しい顔で相変わらずネクタイを弄っている。
「か、笠松さん?」
川瀬は小声で尋ねた。
「はい。なんでしょうか?」
笠松は落ち着いている。
川瀬は樫木のことを横目で見て、再び笠松に話し掛けた。
「なんでしょうかって、ほら……ネクタイを弄っている場合じゃないですよ。さっきから何をしているんですか」
「いえね。助かる方法を思い付いたのですよ」
「え?」
参加者達は一斉に笠松を見た。
笠松はその期待の眼差しに応えるように頭を上げ、全員に対し笑顔を向けた。





