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本番開始 (1)

『今は二十時五十七分ラッピィ!』


 ラッピィのクチバシを樫木が押していた。


 樫木は苛立たしげに頭を掻き、大きく溜息をついてショッポの箱を取り出した。しかし箱の中身は空だった。


「ちくしょう……」


 そう呟き、彼はいかつい灰皿の中の吸殻を漁った。そして、比較的長い吸殻を拾い上げて口に咥えたが、すぐそれを灰皿に戻し、カーペットの上に唾を吐いた。灰が口の中に入ったようだ。


「タバコが切れたっすよ」


 樫木は誰に言うでもなく愚痴を零した。


「買ってくれば良いんじゃないですか?」


 川瀬はうつむいたままそう言った。


「あ?」


 樫木が眉間に皺を寄せる。


 そのやり取りを見た成宮が口を開いた。


「川瀬君。大人気ないことを言うのはやめようじゃないか」


 川瀬は不貞腐れ、膝の上に立て肘をついて入口の方を向いた。


「ヒャハハハハ……」


 人を小馬鹿にしたように樫木が笑い声をあげる。

 成宮の言葉を言い換えると、ガキの相手はするな、という意味になることを、この男は理解していないようだ。


 その後、樫木の笑い声がフェードアウトして室内が静かになった時、カチリという音が鳴り、突然電気が消えた。

 微かにノイズを流していた空調も急激に出力を低下させている。


「あ、九時だ……」


 山本が呟く。


「どういうことっすか!」


 樫木は喚いた。


 状況を察した川瀬は渋い顔をし、来客者達に告げた。


「すみません。すっかり忘れていました。このビルは、無断残業防止と節電のために、夜九時になると照明と空調とエレベーターの電源が自動的に落ちるようになっているんです。事前に申請しておけば回避出来たのですが……」


 部屋の光源は緑色の非常灯と窓から入る街灯の明かりだけになった。

 薄暗がりの中、樫木が不満を口にする。


「冗談っすよね。ただでさえ時間を長く感じてたのに、更にこんな暗い状態じゃ気が狂うっすよ」


 笠松が微笑む。


「せっかく暗くなったので一眠りするというのはどうでしょうか? そうすれば時間なんてすぐに経過しますよ」


「本気で言ってんすか? そんなの信用出来ないっすよ……」


 その意見には川瀬も共感する。この状況で居眠りなどしたら何者かの手によって脱落されかねない。


「……それにすぐって言うっすけど、十二時まであと何時間あると思ってんすか」


「三時間ですね」


「そうっすよ。三時間っすよ。ゲームを始めてまだ半分も時間が過ぎてないんすよ。頭おかしいっすよね」


「ハハ。何の頭がおかしいのですか」


「何だって良いっすよ。とりあえず、十二時なんて遅過ぎっす」


 川瀬は余計なことを言わないようにしようと思っていたが、樫木の無責任な発言が気になり、口を開かずにはいられなかった。


「十二時が遅いって、その時間にしようって言ったのは、樫木さん、あなたじゃないですか……」


「あ?」


「僕の提案通り九時を終了時刻にしていれば今頃開放されていましたよ。責任は? 取るんですか?」


「全員で話し合って決めたじゃないっすか。それから俺は、こんなゲームに興味なんかなかったんすよ」


「…………」


「俺は久美ちゃんのことを家まで送れればそれで良かったんすよ。電車のない時間までゲームをやれば車で送れるじゃないっすか。それだけだったのになあ……」


 間抜けな正直者の典型だ。そんなこと告白しなくても良いのに。

 川瀬が呆れて何も言わずにいると、山本が嫌悪の眼差しを樫木に向けた。


「わたしは樫木さんに送って貰うつもりなんてありませんでしたからね? わたしは笠松さんに送って貰うつもりでした」


「久美ちゃんは笠松さんが好みなんすねえ。へえー」


「いいえ。全く好みではありません。樫木さんの車に乗るのが嫌なだけです」


 樫木と笠松が声を揃えて呟く。


「その言い方は酷いなあ……」


 声を揃えた二人は互いの顔を見て、すぐに視線を逸らした。


 誰も指摘しなかったが、川瀬は山本の言い回しが引っ掛かった。

 彼女は、『……つもりでした』と、過去形で発言をしていた。意識的なのか無意識なのかは判別出来ないが、いずれにしても彼女は、大手を振ってこの部屋から出られるのは一人だけと思っているに違いない。樫木の言う通り、ゲーム終了までまだ三時間もある。この調子では裏切る者が現れるかも知れない。油断は出来ない。


 川瀬は左手に力を込め、山本の顔を見た。それから順に参加者達の表情を観察し、最後に武田の死体を見つめた。


「コーヒーでも淹れましょうか」


 空気を察したように笠松が言う。


 川瀬は警戒した。彼は毒でも入れるのではないか? 他の参加者達も警戒をしているらしく、誰も返事をせず、躊躇いがちに互いの顔色を確認している。


 すると、成宮が挑むような目付きで笠松に声を掛けた。


「一杯、貰おうかな」


「分かりました」


 笠松はバスケットから小さなインスタントコーヒーの瓶を拾い上げ、それを脚の間に挟んで右手で蓋を回した。

 成宮が言う。


「皆さんも、眠るつもりがないのであれば、カフェインを摂取した方が良いんじゃないかな?」


 相変わらず返答はない。


「……樫木さん、どう?」


「俺は……いらないっす……」


 そう話をしている間にもテーブルの上に成宮と笠松の分のコーヒーが並んだ。

 早速成宮はコーヒーを一口飲んだ。それから彼は口を広げてゆっくりと息を吐き出し、安らかな表情を浮かべた。

 それを見て川瀬は考えを改めた。コーヒーに細工をすることなど出来る訳がない。冷静になれば分かることだ。何より、争いをやめてゲーム終了時刻を待とうと提案したのは笠松だ。そんな彼が率先して裏切り行為をするとも思えない。


 川瀬もコーヒーを頼むことにした。


「笠松さん。僕も一杯貰って良いですか?」


「もちろんですよ」


 笠松が笑顔で応じる。二時間も片手のみで過ごしたせいか、彼は随分と手際良くコーヒーを淹れた。

 その作業を樫木がじっと観察していた。不審な点がないか探っているようだ。そして時折、聞き取れない音量でブツブツと何か言っている。タバコが切れたことで落ち着きがなくなっているのだろう。このまま放っておけば何をするか分からない。


 山本が不安そうに樫木に話し掛ける。


「樫木さん? 大丈夫、ですか?」


 少し間を置いて樫木は小声で返事をした。


「駄目だ……」


「はい?」


「駄目っす。耐えられないっす」


「頑張りましょうよ」


「久美ちゃんとなら頑張れるかなあ?」


「……はい。みんなで! 頑張りましょう」


 山本は芝居じみたガッツポーズをした。

 樫木は何も言わず、再びラッピィのクチバシを押した。


『今は二十一時五分ラッピィ!』


 それを聞いた彼は嘆いた。


「まだ五分しか経ってないっすよ……」


 樫木はすぐまたクチバシを押そうとしたが、それよりも先に山本がラッピィを素早く取り上げた。

 彼女は、ラッピィを自分の顔の横に並べ、裏返った声を発した。


「僕はラッピィ! みんな頑張るラッピィ。ラッピィも応援してるラッピ」


 そしてテヘペロ。

 大火傷だ。


 皆、山本を見て固まった。


 静かな間。


「駄目っす! やっぱ十二時までなんか頑張れないっす!」


 樫木が下を向いて叫ぶ。

 山本が鼻を鳴らしてラッピィをテーブルに叩きつける。

 転がるラッピィを川瀬が拾い上げてテーブルに置き直す。


「いやあ、ラッピィはオスだったんだねえ?」


 暢気な質問をしたのは成宮だ。


「僕も始めて知りました」


 川瀬は答えた。


 山本が苛立ったように早口で言う。


「そんなことどうでもいいじゃないですか。くだらないこと言わないで下さい。樫木さんもグズグズ言うのやめて下さい。文句を言っても終了時間は変わらないんですから」


「あっ」

 そう言って樫木は顔を上げた。

「……そうっすよ。終了時刻を変えれば良いんすよ」


「はい?」


「先生が決めたルールと違って、終了時刻はみんなで話し合って決めたじゃないっすか。じゃ、もう一回話し合って手帳に書いた時間を変えれば良いんすよ。ね、笠松さん!」


「うーん、どうですかねえ……」


 笠松は意見を求めるように川瀬のことを見た。

 求めに応じ、川瀬は鼻から息を吐き出して静かに答えた。


「意味がないと思いますよ」


「そんなのやってみないと分かんないじゃないっすか」


「例えば仮に終了時刻を一分後に書き換えたとします。そして一分経ちました。全員無事でした。その状況で樫木さんは最初に手を離すことが出来ますか?」


 樫木は無言になった。


「……終了時刻のことだけではありません。ルールを書き換えたところで、実際に変更されたかどうかを確かめるには誰かが試さなければいけないんですよ。それって結局、今と全く状況は変わっていないですよね?」


 樫木は押し黙ったままだ。

 川瀬は追い討ちを掛けるように言い放った。


「少しは考えて下さい」


 咄嗟に笠松が樫木をなぐさめる。


「アイデアを提供してくれてありがとうございます。これからも遠慮せず、また何か思い付いたら意見を言って下さいね」


 彼は樫木の扱いに慣れているようだ。樫木は黙って頷いた。


「樫木さんもコーヒーを飲みますか?」


 笠松の提案に対し、樫木はようやく口を開いた。


「じゃ、一杯貰うっす……」


「私も……」


 山本の分のコーヒーも淹れ、結局人数分の紙コップがテーブルに並んだ。全員、黙ってコーヒーを飲む。


 しばらくの間、コーヒーを啜る音だけが室内に響いた。


 熱いものを飲んだためだろうか、川瀬の首筋に汗が滲んだ。川瀬はネクタイを外し、シャツを扇いだ。

 笠松もネクタイを外した。樫木もストールを外している。

 どうやらコーヒーの所為だけではないようだ。空調が停止してから十数分。室温が上昇しているのだ。比較的薄着の山本も暑そうにしている。


「なんか、少し蒸しますね……」


 彼女は髪を耳に掛けた。

 その様子を見た樫木はいやらしい笑みを浮かべた。


「久美ちゃん。脱げば?」


「はい?」


 笠松が真面目な顔で注意する。


「樫木さん。その発言はセクハラですよ」


「暑そうだから気を使っただけっすよ」


「そんな言い訳が通用するほど世の中は甘くないのですよ」


 まるで保護者と子供の会話だ。


「どうでも良いじゃないっすか。笠松さん、こんな命の懸かった状況で善人振るの疲れないっすか?」


「少しの時間、我慢するだけですよ」


 その返答を聞いた樫木は目を細めて呟いた。


「我慢して善人の振りねえ……」


 笠松が樫木に冷たい視線を送る。


 樫木は鼻で笑い、カメラを手に取って再び山本に声を掛けた。


「そうだ。写真を撮るって約束してたっすよね。ヌードでどうっすか? だから久美ちゃん、脱げよ」


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