ACT-1
そこは校庭のど真ん中、『奥田貴子』は目の前で只管土下座する、度のきつい真ん丸黒縁メガネで今時珍しいテクノカットの『田中幸男』こと『幸』に向かってきっぱりとこう言い切った。
「断るっ!」
貴子は足を肩幅に開き、胸の前で大きく腕を組みつつ、梅雨時特有の湿った重い風にポニーテールの髪の毛とスカートの裾を靡かせながら、ぎらぎらと輝く鋭い視線を彼に向かって浴びせ続けた。
この何かのコントにしか見えない光景を下校する生徒達が興味深々の視線を浴びせながら遠巻きにゆっくりと流れて行く。
「でも、しかしですねぇ貴子さん、うちは部員が僕一人だけなんです。これ以上こういう状況が続くと部費も貰えず、路頭に迷ってしまうのですよ」
彼は滂沱の涙を右手で拭いながら必死で訴えたが彼女は間髪入れず「当たり前だろ幸、自分の趣味に走った変態科学部など滅んでしまえ」と罵倒して、くるっと背を向けるとそのまま振り返る事無く校門に向かってがつがつと去って行った。
幸は地面にぺったりと座り込み、両手を地面に着いて絶望と共にがっくりと頭を垂れると同時に頭の中では廃部の二文字がラインダンスを踊りつつゆっくりと遠ざかって行く。
そんなどん底の状態で、口をついて出て来た言葉は「でも貴子さん、廃部になっても約束は必ず守りますから」と……
幸は徐に顔を上げ雲でぼやけた太陽を見上げながら拳に力を入れて自分の胸に当てて見せた。
その様子を校舎にそっと身を隠し、うるうるの熱い視線で見つめ続ける女子がいたのだが、幸は最後までその視線に気付く事は無かった。
一陣の風が埃を巻き上げながら校庭を駆け抜け、土の匂いを残して消え去った。夏が来るまでにはまだ当分時間が掛かりそうだった。
★
不機嫌丸出しで校門を出ようとしている貴子の前にひょこっと現れた大親友の『見田則子』は小豆色のジャージ姿で後ろで手を組み、満面の笑顔で彼女と視線を合わせ、ちょこんとお辞儀して見せてから、物凄く甘えた口調でこう言った。
「貴子ちゃ~ん、宜しくお願いしま~す」
とても嬉しそうに話す則子に貴子はちょっと嫌そうな微笑を見せながら溜息混じりに呟いた。
「はいはい、お嬢様、ちゃんと存じ上げておりますよ。期待しないで待っててね」
「サンキュ、持つべき物は頼りになる友人だね」
則子はそう言ってから元気に手を振り体育館方面に向かって走り去った。その様子を目で追いかけて、彼女が体育館に入り見えなくなった処で再びはぁっと大きく溜息をついた。
「誰がやっても同じだと思うよ……」
そう呟いてからゆっくりと歩き出し校外に出て行った。
相変わらず風が重くて髪の毛やスカートの裾が纏わり付いて鬱陶しいが、季節に八つ当たりしても虚しいだけだと言い聞かせながらバス停に立つと、間もなくバスが到着する。
そして先に並んでいた数名の生徒と共に貴子は車中の人となった。これから起こる出来事に全く気付く事も無く。
★
自宅最寄のバス停に降り立つと、貴子は近所の商店街を訪ねて必要な材料を買い求めてから帰宅した。
玄関を開けて「ただいま~」と言うと母親の「お帰りなさい」の声。玄関に置かれている靴を見た感じ、弟と父親はまだ帰っていない様だ。そして二階の自室に入ると制服から普段着に着替えてベッドにどさっと寝ころんで、そのまま自分の視線を天井に泳がせる。
「気持は分からなくもないんだよね」
そう呟いて、さっきの土下座事件に考えを巡らせる。幼馴染の幸は幼稚園も一緒で、何時も彼を苛め倒して頻繁に泣かせていたらしいのだが、その記憶は年齢と共に薄れて行って、ここ最近はすっかり忘れてしまい、幸が時々嬉しそうに話す「約束は守ります」と言う言葉の意味すら忘れ去っていた。
貴子は幸に何を約束させたのだろう、その都度聞こうとするのだが幸は優しく微笑んで見せるだけで、何時も何も言わずに去って行く。
「幼稚園の記憶なんて大した事無いのにね、素直に何の約束だか言えば良いじゃん」
そして目を閉じると、さっきの土下座事件で見せた幸の必死の表情を思い出し、ちょっと酷い言い方したかと、ほんのちょっとだけ反省して見たのだが、今迄さんざっぱら騒ぎを起こした科学部、いや、幸の趣味部の所業からして即刻廃部と言われても不思議では無い。
何しろ校庭のど真ん中にでかいクレーターを作って見せたり部室を爆破したり重力の実験とか言って超ミニブラックホールを作り出し、制御不能に陥った挙句、皆で『事象の地平線』目掛けて落っこちそうになったりと、その危険極まる活動により、廃部にする理由には事欠かない。いや、今迄存続出来ていた事が奇跡だと思われた。
そんな部だから部員になってくれと言われても二つ返事で「はい」などと言える訳が無い。自分から問題児扱いされる行為などしたい訳が無い、自分は立派な文芸部員なのだ……と、言っても文芸部の実態は開店休業状態で、この部も部員だけが多くて存続の危機に晒されている事も確かだった。
「人の事は言えないか」
そう呟くとベッド上にむくっと起き上がり、机に置いた鞄を開いて宿題の山をぶち撒ける。
「なんでこんなに課題が多いんだ?時間内で教えきれないのは教師のせいだと絶対思うんだけど」
そんな愚痴を言いながらも、やらなきゃ終わらないと言う事実を噛みしめる。
窓の外はまだ陽も高く、自宅の真ん前に有る小さな公園から子供達の歓声が響く。
その声を聞きながら、貴子はマジに小学生に戻りたいと、心の底で叫んでみた。