妹
十分後。
「だから兄ちゃんは異世界人に取り憑かれて白タイツ姿だったんだけど、未散に見られたくなかったから消してくれって頼んだら全裸になっちゃったんだって」
和太郎はトランクス一丁の姿でベッドの前に正座をしていた。ベッドには未散が腰掛けており、眉がつり上がっている。
「じゃあ、そのテブクって異世界人と話しさせてよ。そしたら信じてあげる」
「話しかけても返事しなくなった」
「嘘つき」
「いや、マジだって。兄ちゃんを信じてくれ」
「信じられるわけないじゃん。あーあ、兄貴に嘘つかれた」
未散は腕組みをしながらそっぽを向いた。
「兄ちゃんは嘘ついてないぞ。謝らないぞ。未散に嫌われても真実に生きたと胸を張れるぞ」
未散は和太郎をチラリと横目で見る。
「本気で言ってんの?」
「当たり前だ」
和太郎は未散を見つめながら大きく頷いた。
未散は和太郎をしばし睨み続ける。
「兄貴が〝未散に嫌われても発言〟するときはたいてい嘘ついてないからなあ。勘違いは結構あるけど……。嘘ついてもあまり得はなさそうだし」
「信じてくれるのか」
「信じないけど、スルーしてあげる」
「よし」
和太郎は片手を掲げて正座の姿勢から立ち上がる。
「正座を崩していいとは言ってないよ」
「へ」
未散は和太郎の足元を繰り返して指さす。
和太郎は伏目になり、ゆっくりとまた正座に戻った。
「未散はなにが不満なんだ」
ベッドに深々と腰掛けている未散を上目づかいで見る和太郎。
「兄貴の汚いものを触らされた」
「え、あれは不可抗力」
「兄貴は不可抗力で済ませる気?」
「いや、その、えーと、そうとしか」
「すっごい苦痛だった。お肌が荒れるかもしれない、枝毛が増えるかもしれない、不眠症になるかもしれない、声を失うかもしれない、爪が曲がるかもしれない、味覚が消えるかもしれない」
「うむむ」
和太郎の眉根がよる。
「兄貴のこと嫌いになるかもしれない」
「すまなかったあッ!」
和太郎は土下座して床に額をこすりつけた。
「ということで不満を解消したいなあ。立って」
未散は掌を上方に振った。
「え、いや、あれはちょっと……。くっ、わかった」
和太郎は立ち上がると周囲を見回し、直立したまま動かなくなった。
未散はベッドから腰を上げると、右腕をぐるぐると回転させてから和太郎の正面に立つ。
それから中腰になって右手を腰に引き寄せると息を吐き……
「とおぉりゃあぁあああぁぁぁああ!」
ボディブローを和太郎の腹に叩き込む。
「ひでぶっ」
和太郎は腹を抱えてうずくまる。額はまたも床にこすりつけられた。
「ああ、なんて良い殴り心地」
未散は頬を紅潮させながら殴った右手を見つめ、白い歯を覗かせる。そして、うずくまっている和太郎の前で膝をついた。
和太郎は腹を両手で押さえながら上半身を起こす。そこへ未散が正面から抱きついてきた。
「兄貴、ありがとね」
「お、おう。すっきりしたか」
「うん。おかげさまで」
未散の視線が和太郎の背中に合わさる。そこには縫い傷があった。四センチほどの古傷だ。
「兄貴」
「なんだ」
「傷はまだ残って……ううん。なんでもない」
抱き合った姿勢のまま未散は息をのんだ。
和太郎は未散を横目で見続ける。
「最近 学校はどうだ。誰かにいじめられてないか」
未散は密着した身体を離した。正座で座る。
「いつの話だよ。心配ないない。兄貴こそ大丈夫?」
「俺のことはどうでもいい。なにかあったら教えろよ」
「うん。そのときは相談するよ。でも、大丈夫。昔と違って嫌なことは嫌だって主張するし、どうでもいいやつのあしらいかたも板についてきた。うまくやってるよ。お父さんの仕事もバレてないしさ」
「そうか。ならいいんだが」
「気にしすぎ。じゃ、わたし帰るね」
未散は立ち上がるとドアへ歩いていく。ドアを閉じるときに軽く手を振った。
和太郎は掌を見せる仕草をする。
ドアが閉まると、和太郎は床に散らばっている自分の服を拾って着始めた。
「テブクの野郎、素っ裸にしやがって。服は脱ぎ散らかしたみたいに床に点在してるし、まったくどうなってんだ」
「服を着せたまま闘気装を消すのは苦手なのヨ」
「おわ」
和太郎は着衣の動作が止まった。が、また着始める。
「いきなりしゃべんなよ。さっきまで応答しなかったくせに」
ジーパンをクローゼットにしまうと、タンスからハーフパンツを取り出す。
「黙てたらどうなるか見てみたかたからネ」
「なに! ……お前」
「一般人には存在をできるだけ隠せと約束させられてたから、しゃべりにくかたというのもあたヨ」
「約束? 誰にだよ」
「教えて信じるかネ」
「なんだよ、もったいぶって」
「神ヨ」
またも和太郎の着衣が止まる。だが、すぐにハーフパンツを履き終えた。
「リアクションが薄いアル」
「まあ、お前の存在も衝撃的だったからな。いてもおかしくないんじゃね的な考えにはなってる」
「ありがたい考えヨ。おそらくすぐに関係者と知り合うことになると思うけどネ」
「どういうことだ」
「混乱獣がまた現れたぽいヨ。気が増してル。そこに現れても不思議じゃないアル」
「行かねえぞ。そろそろ晩飯だ」
「ワタシとの約束を忘れたカ」
「俺にとっちゃ修業より、晩飯の方が重要だ。そのあと行ってやるよ。というか気になってたんだが」
「なにカ」
「俺が気を失えばお前の意識が表に出るんだろ。なんで気絶させねえんだ。よくわかんねえけど、気とかいうやつで俺を卒倒させるぐらいできんじゃねえのか」
和太郎は靴を履くと床に転がっていたサッカーボールでリフティングを始めた。
「そういう方法もあるネ。実はそれも考えたヨ。でも、それは最後の手段にしようと思たアル」
「どうしてだ」
「気絶させると退屈しそうだからヨ。始めは身体の共有なんて面倒かもと感じたけど、よくよく考えてみれば気軽に話せる相手が誰もいないというのは寂しいアル。この星じゃ神によて人間との会話に制限が入るし尚更ネ。修業は苦行である必要はないから、それなら折り合いをつけながら頑張ろうと思たネ」
「でも、俺が起きてるときはどうすんだよ。お前の修業になんねえぞ」
「そうでもないヨ。一流の武闘家を育てれば超一流だと師匠が言てたアル。和太郎を一流にすればワタシ超一流アル。和太郎の修業がワタシの超一流への修業ネ。いずれならなきゃならないから、それも同時進行させてもらうアル。神に認定証をもらえるよう頑張るヨ」
「え。認定証とかあんのかよ。てか、俺 武闘家にならねえよ」
「じゃあ、最終手段を使う必要が……。未散とは先ほどが今生の別れに――」
「冗談じゃねえ。脅しじゃねえか」
「否定しないネ。だけど見返りも提示したアル。諦めるネ。逃げ道はないヨ」
「くっ。だが、今は行かねえぞ。飯を食う」
「ふーん。そうカ。それは大変アル」
「な、なんだよ」
「いえネ。混乱獣の話だけど、その影響下は割と近くだからこの家にも被害出るかもネ」
「なに?」
「未散に危害がおよぶかもとも言えるネ」
「お前そう言えば俺が動くとでも」
「思てるアル。お兄ちゃんは妹に甘々ネ」
和太郎は頭をかき、目を閉じると軽く息を吐く。
「ぐ、ぐぐぐ。畜生! どこだ」
「ワタシあなた好きになれるかもしれなイ。案内するアル」
和太郎は靴を脱ぎ、ジーパンをクローゼットから取り出すと、着替え、ドアに歩いていく。
「また着替える羽目になるのか。せっかく着たのによ」
消灯して、和太郎はドアの取っ手に手を伸ばした。
個人的には殴られるのは嫌です。
だけど、それを受け入れる和太郎は妹に甘いという印象をもってほしかったからちょっとした刺激の意味でこの設定を付与しました。
あと和太郎の古傷をそれとなく読者に示すには、キャラクターの誰かにその傷について言葉にしてほしかったというのがあったので、未散が抱きつく形にしてます。