自宅にて
「お前のせいだぞ!」
犬小屋がある庭付きの一軒家、その二階の一室に夜に逆らう明かりが灯っている。声はその部屋から飛んできた。
部屋にはベッド、クローゼット、漫画や雑誌が並んだ書棚、勉強机がある。ペンギンのようなキャラクターフィギュアも散見でき、サッカーボールがフローリングの床に転がっていた。
「ランドセルを背負った女の子に怖がられたし! 警官に呼び止められたし! 同級生に見つかったし!」
白き闘気装を身にまとっている和太郎は椅子に腰掛けながら机をバシバシ両手で叩いた。
「……Vマは家に帰ってくつろいでたし」
声が震えている。
「なにも知らない母さんが『フェンシングでもやってきたの? 似合ってるわ。ずっとそのままの服でいいのよ。和太くんも大きくなったのね』って目線を下げたとき自分の運命を呪った! この姿はどうしてこんなにもっこりが目立つんだ!」
和太郎の視線は下半身の股へと落ちる。そこには膨らみがあった。丸みのある滑らかなラインが男性器の位置にはあった。
和太郎は両手で目を隠す。
「死にたくねえけど、こんな姿で生きるのも苦しい。このままじゃ学校だって恥ずかしくて行けやしねえ。全校朝礼とかで浮きまくりだ! 学級写真でも俺ばっかり目立つし! ぷぷぷ、誰こいつ的な嘲笑が。ああ、クソ!」
和太郎は頭を抱えて俯いた。
「深く考える必要ないヨ。もっこりを処理すれば問題解決ネ」
「うるせえ! 処理するってどう……。まさかッ! 消すとか言うんじゃないだろうな!」
「その通りヨ。もっこりがなくなればいいわけよネ。なら消すのが一番」
「ふざけんな。男の象徴をなくされてたまるか!」
和太郎は椅子に座ったまま太ももを寄せる。
「そういう意味じゃないヨ。ワタシの言うもっこりとは闘気装の一機能を指すアル。戦闘中にちんちんを挟まないよう保護している自滅防止機能のことヨ。その名も〝もっこりん戦闘仕様!〟」
「なんつー名前だ」
「もっこりん戦闘仕様!」
「尋ねたんじゃねえ。ネーミングセンスを疑ったんだ! その名前じゃ勘違いされるだろ!」
「もっこりん戦闘仕様!」
「話 聞けよ!」
「ホイ」
和太郎の股にある膨らみがしぼんでいく。
「お、小さくなった。嬉しいんだが、なぜだろう。敗北感がある。いや騙されてはいけない。幸せなことだ!」
「でも大きさがモロにわかるようになたネ」
「うっ。それはそれでまずい。普通の大きさだと信じているが、それをさらけ出すのは……、いやしかし、ああ! そもそもこの闘気装じたいが消えればこんな悩みは生まれないのによ」
「消せるヨ」
「……へ?」
「だから闘気装は消せるアル」
「いや、へ? なぬ? 脱げねえって言ったじゃねえか! 嘘ついたのか!」
「嘘はついてないヨ。本当に脱げないネ。闘気装だけが単体として独立するような脱着はできないアル。ただし闘気装の出現や消失は自由にできるヨ」
「早く教えろよ!」
「尋ねられなかたし、そのままの方が楽しそうだたから、つい」
「ついじゃねえ! ふざけんな! こっちはどんだけ恥ずかしかったかわかるかこの野郎!」
「ちょと面白かた」
和太郎は肩をわななかせながら歯ぎしりした。
「クソがぁッ! 腹黒手袋め! 散々痛めつけてから掃除用の雑巾にしてやらぁ。このっ」
机の上に載せた手袋に和太郎は思い切りゲンコツで殴りつけた。
「痛ってえ」
「ダメヨ、そんな乱暴しちゃ。同じ体に住んでるんだから痛みも共感ヨ。さきはわかりやすさを優先するために手袋にワタシが宿てるように振る舞たけど、実際はあなたの体のどこからでも声は出せるし、手袋が本体じゃないアル。全身がワタシでありあなた、二人で体を共有してるわけヨ」
「てことは俺の痛みはお前の痛みか?」
「それはそうネ」
和太郎は机の台面にヘッドバットをした。
「痛えええええェェェエェエ!」
「あなた馬鹿ネ」
「お前も痛いだろ。ざまあみろ畜生!」
「痛いヨ。でも、おそらくあなたほどじゃない。痛みの感受性はあなたと違うし、ワタシは戦い続けてきたから痛みに強いアル。言うなれば鈍感ヨ」
「じゃあ、もっと強い痛みを!」
机の角に和太郎は額を乗せる。そして頭を持ち上げた。
だが、頭を振り上げると
「痛えっぅっぅえぇ!」
振り下ろすことなく、後頭部の首の付け根を指で押さえて足をばたつかせる。体がそり、座っている椅子が後方へ傾いた。椅子の背もたれとともに和太郎は床へ倒れ込んだ。
「ぐぉう!」
背中と後頭部をそれぞれ押さえる。寝転びながら和太郎は悶えていたが、やがて喉元で両手を合わせる。
「息が。……息が」
「慌てないアル。気が乱れて整えにくいヨ。ショックで呼吸困難とかどんだけ取り乱してるカ」
和太郎は息を吸い込む。徐々に呼吸は静まっていく。
「兄貴、うるさーい。誰かいんのー?」
部屋の扉からノック音がした。和太郎は上半身を起こし扉を振り向く。
「未散か。いや、誰もいねえよ」
「本当? なんか声が会話調だったけど」
「気のせいだろ」
「ふーん、ま、いっか。そ、そ、借りてたマンガを返したいんだけど、入るよ」
「いや、待て。今は都合が悪い」
和太郎は立ち上がってドアへ駆け寄った。
「気にしなーい」
ドアが開きかかる。
和太郎は取っ手を両手で固めて押しつけた。ドアは開きかけていたが、閉じてしまう。
「え? 開かない。なんで?」
「今は本当に都合が悪いんだ」
「兄貴、まさかブロックしてんの? 可愛い可愛い妹が足を運んできたんだよ」
「可愛い妹の部分は否定しないが、今はダメだ。兄ちゃんは兄ちゃんの威厳のために拒否らせてもらう」
「なに訳の分かんないこと言ってんの。ひょっとして隠し事? 隠し事しないって約束したじゃん」
「か、隠し事なんか、し、してねえぞ。兄ちゃんは未散に全面オープン解放モードだ。だが、今はとにかくダメなんだ。マンガは廊下に置いててくれ。あとから回収する」
「むむむ。マンガとかどうでもよくなってきた! 兄貴がなにしてるかが気になる。開けて。じゃなきゃ わたし頑張る」
「頑張るってどう頑張るのか! まさか、ジジイの道場に通ってるからってドアをブチ壊すとかじゃねえよな」
「壊さないよ。お母さんに怒られるから。でも、大丈夫。サッカーやめた兄貴に足腰で負ける気がしない。押し勝つし!」
ドアが少しずつ開いていく。
「テブク、どうにかしろ」
和太郎は体をドアに押しつけながら囁くように言った。
「どうにかてどうするネ」
「こんな姿 未散には見せたくねえ」
「闘気装を消せばいいアルか」
「そうしろ。早く。まずい、力負けする。早く!」
和太郎は更に腰を落として告げた。ドアの開閉戦は膠着状態となった。
わずかに開いているドアの隙間に未散の目が覗いている。和太郎は死角に入っていて視線内になし。
「兄貴、もしこの押し合いでわたしの指がドアに挟まれたら切断で大怪我するかもよ。兄貴は優しいから配慮してくれるよね」
「ぐっ。心理的にも揺さぶってきたぞ。力が出しにくくなった。もう無理だ」
ドアが勢いよく開いた。と同時にポニーテールの髪型をした少女が飛び込んでくる。勢い余って和太郎ともつれるように床に倒れ込んだ。
「イタタタ。いきなり力を弱めないでよ。あれ? 手に変な感触……?」
未散が顔を上げる。見下ろした先には素っ裸の和太郎が寝転がっていた。未散の左手は和太郎の股間に重なっており、未散の顔色はみるみる生気を失っていく。
「き」
未散の表情が強ばった。
「きゃああああぁあぁああッ!」
フェンシングのユニフォームは白タイツじゃないとはわかってますが、読者のイメージを助けるために母の口から出させました。