出会い
一時間後。
滝タロは犬の散歩に出かけていた。
日は低くなり、影は長くなっている。
そんななか、一人と一匹は木々に囲まれた遊歩道を進んでいった。犬の尻尾がふりふりと踊っている。
長い石段を上る。古びた寺が先には建っていた。
寺は廃墟と呼べる風化具合だった。屋根には穴が開いていて床には材木が散乱している。窓の障子は破れ、扉はなく内部は丸見え、壁や床には雑草が所々に生い茂っていた。
犬が片足を上げて木に用を足すと、滝タロは軽くロープを引いた。犬は移動しようとしない。次は足腰まで動員して両手で引き寄せる。それでも不動。
「このクソ犬! 柴犬のくせに怪力すぎるだろ! ストロンガーVマックスとか栄養ドリンク的な名前つけたせいじゃねえのか!」
滝タロは青筋を立ててロープをたぐり寄せようとする。犬と人間の綱引きだ。滝タロは真剣そのもの。ストロンガーVマックスはケロッとしている。首輪がちぎれそうではあるが、ストロンガーVマックスは一点を睨み、その場に留まっていた。
「Vマ、強え。未散には懐いて従うくせによ!」
引き合いは滝タロが折れた。
「ん? なんかいつもと様子が違うな。なに見てんだ。……瓦?」
ストロンガーVマックスの視線の先には一枚の古びた桟瓦(一般住宅に用いられる瓦)があった。寺の屋内にあり、材木の上に転がっていた。
「グルウゥゥゥゥゥ」
急にストロンガーVマックスが唸りだした。毛を逆立て、身をかがめ、吠え始めた。
「なんだ、なんだ、どうした」
滝タロはストロンガーVマックスの立ち位置へ歩み寄る。
そのとき桟瓦が激しい閃光に包まれた。
「うぉ! まぶしっ!」
滝タロは顔を背け、腕で目を隠す。
閃光は十秒ほど続き、急激に失われた。
光が収まると滝タロは細目で寺内を見つめる。
そこには成人男性くらいの高さのなにかがあった。
「……瓦の人形……か? でけえな」
滝タロは首を傾げながら呟くように言った。
桟瓦が置かれていた地点には人の形に近い、だが明らかに人ではないものが存在していた。
灰色であり固そうな質感だった。その上、黒い宝石のような物も埋まっている。わかりやすく表現すれば桟瓦の胴体に漫画チックな目と口そして黒い宝石のような物体がつき、さらに人のような手足がそれぞれ二本ずつ生えている。
桟瓦のそれはその場で足踏みを始めた。拳もグーパーを何度も繰り返している。
滝タロはそれを見ながら呆然と立ち尽くしていた。
「う、動けるのか。お、お前、誰だよ。どっかのご当地キャラか」
「ガ?」
桟瓦の動きが止まった。目線が足元から滝タロとストロンガーVマックスへ移る。
しばらくすると、桟瓦の周りの空間に歪みが生じた。そこには二つの暗色の渦が発生する。渦からは瓦がゆっくりと現れた。U字形である。それらは渦から抜け出るように出現すると宙で揺らぎながら浮遊し始めた。瓦はお互いに近づいたり離れたりしながら桟瓦のそれの周りを漂う。
「おいおい。どんな手品だよ。まさかこっちへ飛ばすとかじゃねえよな」
滝タロの表情が強ばる。額には汗がにじみ始めた。拳が強く握られ、ロープはわずかに揺れる。
滝タロは、吠え続けているストロンガーVマックスをチラ見した。
「ま、万が一逃げるときに反抗したら見捨てるからな。お前のこと好きじゃねぇし、お前のためとかねえからな。従えよ。逆らうんじゃねえぞ」
ストロンガーVマックスが鳴き止むと、滝タロは唾を飲み、視線を寺内へ戻した。
「ガーッ!」
桟瓦の咆吼が大気を揺らした。
とともにストロンガーVマックスが駆け出した。寺とは逆方向にある石段へと激走する。
「ちょ、おわっ」
滝タロはロープを引っ張られてよろめく。そのとき耳になにかが擦れた。
滝タロは土の上に転倒、ロープを手放してしまう。
「痛ッ!」
耳を手で押さえた。掌にはうっすらと血がついている。耳はわずかに流血していた。
「ガ、ガ、ガ」
背中側からの異音に滝タロは慌てて体を反転し、寺の屋内を見る。
桟瓦のそれは寺から外へ歩み出るところだった。先ほどまで桟瓦に従うように浮いていた二つのU字形の瓦は一つだけに減っている。
「まさか攻撃してきたのか。ふざけんな!」
耳に手を押し当てながら滝タロは眉をつり上げた。
桟瓦が土を踏みしめる足音は近づいてくる。
滝タロは顔面蒼白になった。尻餅の体勢で後ずさる。
滝タロは起き上がり、エチケット袋(犬の糞を収容する袋)を回収して逃げだした。転びそうになりながらも石段を目指していく。
だが、それは途中で阻まれてしまった。突如 空に渦が発生すると無数の瓦が降り注いで積み重なり、それらが壁のように行く手を塞いだからだ。
「おい。なんだこれ。邪魔すんな。俺は家に帰って、逃げたVマに報復として胡椒で嫌がらせするって決めてんだ」
滝タロは分厚い瓦の壁を拳で何度も叩く。ビクともしなかった。
「林に逃げ込むしか」
滝タロは横を向く。その先も瓦の壁に置き換わっていた。四方八方は瓦が埋め尽くしていて、逃げられるとすれば瓦の最上段である上方のみ。そこは到底よじ登れそうもなかった。
「どうすりゃいいんだ」
「ガ、ガ」
桟瓦の化物は滝タロへと歩んでくる。
滝タロはじりじりと壁の隅に追い込まれてしまった。
滝タロは握っていたエチケット袋から片手用のスコップを抜き取り、刃を桟瓦の化物へ振り向ける。
「やるしかねえ。覚悟しろよ瓦の化物。このスコップはVマのクソを回収する専用なんだ。テメエの自尊心とかへし折ってやる」
滝タロはスコップの刃先を桟瓦の化物へ向けると、突く動作を繰り返した。大きく息を吸い込む。
「野郎ッ!」
滝タロが飛びかかろうとしたそのとき、轟音が鳴り渡る。
突然 周辺を囲んでいた壁の一部が崩壊した。頂きから底にかけて一直線に裂け目ができる。
「今度はなんだよ!」
砂塵にまみれて現れたのは五本の突起がある存在だった。
「て、手袋?」
滝タロはスコップを片手に立ち尽くす。桟瓦の化物も崩れた壁へ体を向けて固まっている。
手袋と呼ばれた白いそれは、その名の通り人の手袋の形をしていた。五本の指で大地に接し、重力に逆らい立っていた。人でいう手の甲の部分を滝タロたちへ向けている。隣に茂っている雑草と大きさはドングリの背比べである。
手袋はブルブルと揺れ、かかっていた埃が拡散する。手袋は純白になった。
「ガ、ガ、ガ」
桟瓦の化物は手袋に向き直った。身近に浮いている瓦を手袋へと高速で放つ。放たれた瓦の軌道は正確に手袋を捉えていた。
ガシャン!
手袋は飛び跳ねると手刀の形になり、瓦を叩き割った。
桟瓦の化物は次々と瓦を発生させては手袋に放出する。手袋はそれらをことごとく粉砕した。
「よくわからんが、今のうちに」
滝タロは桟瓦の化物が手袋を攻撃している間に化物から離れた。
一方、手袋は迫りくる飛来物を砕きながら桟瓦の化物に接近していく。そして桟瓦の化物に埋まっている黒い宝石のような物体へ空手チョップを食らわせた。
ところが、桟瓦の化物は平然としていた。それどころか手袋を片手でつかむと地面へ投げつけ、追撃として足で踏みつけようとした。手袋は飛び退いてそれを避ける。
「なんで戦ってんのかわかんねえけど、この間にうまく逃げださねえと」
距離を置いている滝タロは忍び足で壁伝いに歩き出す。彼は手袋たちの戦闘を横目で見やりながら一歩ずつ足を進め、先ほど壊れた壁へと近づいていく。やがて瓦の残骸が散らばる脱出口付近に到達した。
「よし、これで」
だが物事はそう上手く運ばなかった。殴られた手袋が猛スピードで突っ込んできたからだ。
「どわっ!」
滝タロは手袋の体当たりを側面から受け、壁に激突する。その上、地面に倒れ込む際に頭を瓦の残骸で強打した。
滝タロは目を見開いたまま動かなくなった。瞳孔は開き、呼吸も停止している。
滝タロにのしかかられる形となった手袋は滝タロの下からずりずりと這いだした。這いだした後、手袋は再び桟瓦の化物へと挑んでいった。
しかし、手袋はすぐに桟瓦の化物に吹き飛ばされて また滝タロの傍へ戻ってきた。
地面に転がっていた手袋は飛び跳ねるように起き上がると、次は瓦の化物ではなく滝タロの体へ寄っていく。そして、手袋は滝タロの右手に重なった。重なると、手袋の姿が透明になっていく。
次の瞬間、滝タロの服装が変化した。全身 白タイツのような姿になる。滝タロは呼吸が再開し、むくりと立ち上がる。それから口を開く。
「うまくいたネ! 意識の直結も気穴もこれ以上ないくらいフィトしてるヨ。大成功アル」
滝タロは自分の体をぺたぺたと触りだした。
「さあ、混乱獣 勝負アル! ファイティング宇宙拳の力 思い知るネ!」
滝タロは体の重心を低くし、掌を胸元まで上げて構える。
「ガ、ガ、ガ!」
桟瓦の化物は瓦を次々と出現させた。それらを滝タロへ放つ。放たれた瓦は高速で迫りくる。
「アタッ! アタタタタッ!」
滝タロは全てを叩き割った。
「楽しい! ワタシ今 猛烈に輝いてるヨ! この男の知識ではこの飛来物は瓦っていうらしけど、叩き割るとき天命を感じるネ! 道がワタシに砕けと囁いてるヨ!」
滝タロは瓦攻撃の間隙をつき大ジャンプ。
「快調ヨ。瓦を見ると疼くアル。ホワチャーッ! ハイ! ハイ! ホイ!」
近くの壁を手当たり次第に攻撃し始める。破砕音と粉塵が空気に混じり、壁が崩れて夕日が入り込んでくる。
「ガーッ! ガーッ!」
桟瓦の化物の目が逆三角形に尖った。大量の渦とともに瓦が出現して滝タロへ送り込まれていく。滝タロはそれらを処理しつつ壁の破壊もこなした。跳躍で壁の頂点まで達すると踵落としで壁を断裂させたり、降りても頭突きで崩したりと忙しない。
「師匠の言う通りだたヨ。人間の体は気をどんどん引き出せるアル」
滝タロへの瓦攻撃が止んだ。それにより生じた一段落に滝タロは掌をはたいた。
「ガガガ」
桟瓦の化物は足を踏み鳴らした。
「まだ本気を出してない? 攻撃が通じなくとも守りは鉄壁だ? ハッ! 混乱獣 先ほどまでのワタシと思わないことネ」
滝タロは人差し指をメトロノームのように振って舌を鳴らした。
そして、桟瓦の化物をビシッと指さした。
「宣言するヨ! ワタシはこれからこの人差し指一本でお前の守りを突破してみせるネ。全力で防御するがイイ! ハイヤーッ!」
滝タロはそう言い残すと夕焼けの光を受けながら高らかに跳んだ。ぐんぐん高度を上げていく。
「ガ、ガガ、ガガガガガ!」
桟瓦の化物は滝タロが最高点に達して下降に移り始めたとき行動を開始した。巨大な渦が発生して、そのなかから幾百は確実に重なっているだろう巨大な瓦が出現する。高さは高層建築物さながらであった。緑豊かな山頂に瓦式の塔がそびえ立った。
「その瓦の塔はワタシの地球デビューに華を飾るだけネ。段々重ねの瓦は瓦割りをお願いしているようなものアル」
滝タロは右手の人差し指を先頭に重力加速度の援護を受けて急降下してくる。人差し指が瓦の塔と接する直前に滝タロは叫んだ。
「ファイティング宇宙拳 一本指ィィィィ!」
夕焼けの逆光を受けて山にそそり立つ一棟の巨大な塔。それが天から二つに分かれていく。砕け散る残骸は夕日を反射して煌めいた。
「ホアァァァァァァアアアァァァアァアぁぁチャーーーーッ!」
塔の割れ目は土台とも呼べる最下部の桟瓦の化物へ。
滝タロの人差し指は桟瓦の化物が備える黒い宝石のような物体に突き立てられていた。
パキッ! パキキッ!
黒い宝石のような物質はヒビ割れ、線が枝分かれしていく。
「ガ、ガーガガッ、ガガガッガ」
「――鬼瓦と鯱の型をまだやてない? もと強い防御技を出し惜しみしなければよかた? 全力出せと言たのにどゆことカ!」
滝タロは桟瓦の化物を踏み台にしてその場を離脱する。
「ガフガフ」
「――お前は全力の俺に勝たわけじゃない、本気を出せばお前など? ……あなた格好悪いヨ」
桟瓦の化物は地面へ崩れ落ちた。光の粒子が桟瓦の化物から抜け出るように立ち昇る。
やがて桟瓦の化物はご当地キャラクターのような姿になる前の状態、つまり桟瓦に戻った。周囲の瓦もまた同じく光となり大気へ溶けていった。
あたりは従来の景色である木に囲まれた雑草広場になる。寺の廃墟だ。
「終わたネ。――痛ッ!」
滝タロは急に頭を抱えた。地面に膝をつき、うな垂れる。
「頭が痛いヨ。どういうことネ。気が不規則に」
滝タロはうな垂れた姿勢で静止してしまった。ぴくりとも動かない。
しばらくすると顔を上げる。
「ん? ここはどこだ? 俺はたしか……」
キョロキョロと周辺を見渡す。立ち上がると服装を見て
「おいおい! なんで俺 白タイツ着てるんだよ!」
「しまた。本体が蘇たネ! 意識が消滅しきてなかたアル」
「あれ? なんか声が聞こえるぞ」
滝タロは後ろを振り返ったり空を見上げたりした。
「誰もいねえ」
「こちヨ! 右手右手!」
滝タロは視線を右手に落とす。装着されている白い手袋を眼前に持ってきた。
「もしかしてこれ 瓦の化物と戦ってた手袋か!? こいつが喋ってんのか!?」
滝タロは手袋の甲と平を何度も裏返す。
「あなた なに勝手に蘇てるカ! せかく良い道具見つけたと思たのに酷いヨ!」
「手袋が喋った!」
滝タロの体がビクリと震えて硬直する。
「手袋じゃないネ。ワタシの名前はテブク・ロン! 許可なく名前を省略しちゃダメアル」
「テブク・ロン? いや、訳わかんね。気がついたら白タイツ着てるし、どっからか声が聞こえると思ったら手袋がいきなり喋り出すし」
滝タロは左手で頭をかく。
「まあ、いいネ。ところであなたには悪いけど体から離れさせてもらうヨ」
「離れる? そりゃ構わねえけど」
「あなた死ぬかもしれないけど覚悟よろし?」
「死ぬ? ええっ! 死ぬ危険があるのかよ。ならダメに決まってんだろ」
「でも、あなたの意識あるときにワタシはあなたの体 動かせないし、それ面倒ヨ」
「なに言ってんだ、よく分からねえが、我慢しろよ。死ぬのはごめんだ。逃がさねえぞ」
滝タロは右手に被さっている手袋を逆の手で握りしめた。
「無駄ヨ。そんなことしても止められないネ。じゃ、さよならヨ。恨んでいいアル」
「いやだ、死にたくねえ!」
しかし、手袋は滝タロから離れることはなかった。
「おかしいネ。融合が解けない。強く結びつきすぎたらしいアル」
「つまり」
「離れられないネ」
「よし!」
滝タロは拳を握り、腰に引きつけガッツポーズをした。
「ひとまず命の危険はなくなったわけだな。色々と飲み込めないことがあるから説明しろよ」
「あなた頼み方を知らないネ。不貞不貞しいヨ。もう少し私に丁寧に応対するアル」
「いきなり俺の体に取りついた奴になにを、って、痛っっってえぇぇぇえっぇぇ!」
滝タロは頭を抱えると、地べたに倒れ込んだ。足をばたつかせて のたうち回る。
「ワタシ 気を操作できるアル。操れればこんなこと朝飯前ヨ」
「ギブギブギブギブ! 悪かった! 痛たたたたっ!」
「わかればいいヨ」
滝タロは息を弾ませながら上半身を起こす。まみれた土埃をはたいて落とした。
「めんどくせえやつに取りつかれたな」
「なにか言たアル?」
「なんでもねえ。ところでお前は何者なんだ。頼むから教えてくれ」
滝タロは地べたに座り込んだまま右手を天へかざす。
「うーむ。あまり応対が変わてない気がするけど、ま、軟化したと捉えておくヨ。ワタシは簡単に言えば異世界人ネ。ハンズカバーから修業のためにこの世界へやてきたアル」
「異世界人? 人なのか? 手袋にしか見えないが」
「そう思いたいならそれでいいヨ。ワタシは事実を口にしただけアル。信じるかどうかはアナタ次第ネ」
「そ、そうか。で、修業ってなんだ」
「さきの化物 覚えてるカ?」
「瓦のやつ」
「ああいうのをたくさん倒すことが修業ネ。その経験によて一流の武闘家になるのが目的アル」
「へえ、武闘家ってことは強いんだな」
「そのつもりでいるヨ。ただ井の中の蛙かもしれないから今回の修業は見聞を広める意図もあるネ」
「向上心あるな。ところで瓦のあいつ何者だ。いきなり攻撃してきやがって」
傷つけられた耳の箇所を滝タロはタイツの上から撫でた。
「ワタシはあいつのような存在を混乱獣と呼んでるネ。詳しくはわからないけど、混乱獣はその多くが世の中の治安を悪化させるように活動するとのことアル」
「えらく抽象的だな」
「それだけ多くの種類が存在するてことネ。ひとまとめにしにくいぽいヨ」
「ふーん。その混乱獣ってのはもう現れないのか?」
「今後も現れるはずヨ。各地に出没するらしいアル。そしたらまた戦うネ。だから一緒に――」
「いしょに?」
「…………。今ワタシ、なんと言たカ?」
「え、なんだよ。遺書にか?」
「一緒に、カ。 ワタシ、一緒にと……」
テブクはしばらく無言になった。
「おい、どうしたんだよ」
「なんでもないヨ。悪かたネ。改めて言わせてもらうアル。あなたも一緒に戦てもらうヨ」
滝タロは目を瞬かせてから固まった。
「ええぇええぇぇぇぇっっ! いやいやいやいや! 戦わねえぞ! 断固として俺は戦わねえ! ペンギンが菓子折つつんで持参しても、ペンギンが世界の中心で天下布武を唱えても、ペンギンが戦友になっても戦わねえからな!」
額に汗をにじませながら滝タロは左手を大きく横へ振った。
「なら、取引ネ。戦てくれたら、嫌いな食べ物を美味しく食べられるようにしてあげるヨ」
「別にそんなの望んでねえし」
「寝起きの悪さを解消し目覚めを快適にしてあげるヨ」
「……少し魅力的だ。でも、断る。てか体質バレてるし」
「飼い犬があなたに従うよう調教してやるヨ?」
「! そんなことがっ。うむむ。こ、断る!」
「好きな子とHな関係にしてあげるヨ」
「!!!!!! すずゆ と!? アイドル歌手だぞ!? そんなことできるのかよ!」
勢いよく滝タロは立ち上がった。右手首を左手で揺さぶる。
「できるヨ。気で発情させればいいネ。技はまだ未完成だけど修行してるうちに習得できると確信してるアル」
「ホントかよ」
「信じるかどうかはあなた次第ネ」
「ぐぬぬ」
瞼を閉じ滝タロは歯を食いしばった。
「俺の負けだ。協力する。でも、嘘だったら許さねえし協力やめるからな」
「生き物の本能は偉大ね。俗物感謝アル」
「俗物って言うな! それに俗物じゃなくても同じ選択をする。お前はすずゆの魅力をなにもわかっちゃいない。すずゆが魅力的すぎるんだよ!」
「どうでもいいけど、すずゆ にとては災難アル」
「幸せにすれば問題ねえよ! 俺はそのためなら努力する!」
拳を握りしめて滝タロは鼻息を荒げる。
「とりあえず交渉成立てことでよろしいカ」
「おう」
「ところであなた名前はなんというアル?」
「滝 和太郎だ」
「和太郎と呼んでもいいカ?」
「いいぞ。お前はテブクでいいのか」
「構わないヨ。よろしくネ和太郎」
「おう。こちらこそなテブク」
和太郎が応じたときには既に空は暗色に染まり始めていた。和太郎は残光のなかスコップとエチケット袋が落ちている方角を向く。そちらへ歩み寄った。
「これからどうする。お前 住むとこあるのか」
「この星にはないアル」
「じゃあ、俺ん家に住むしかないな。俺の体から離れられないわけだし」
「そうさせてもらうヨ」
「家に帰るか。でも」
「でも、何ヨ」
「この服 脱げねえの」
白タイツのような服装の胸部を指で押さえ和太郎は唇を尖らせた。
「脱げないネ。闘気装は脱ぐように作られていないアル」
「闘気装? この白タイツの名前か? ハハハ。脱げねえとか冗談だろ。面白くもなんともねえぞ」
薄ら笑いで和太郎は落ちていたスコップとエチケット袋を拾う。
「なんで黙ってるんだよ。冗談だよな」
「どうして嘘つく必要があるヨ」
「!」
手からスコップが落ちた。和太郎の顔色は青みを帯びていく。エチケット袋をその場に置くと、和太郎は闘気装を鷲づかみして引っ張った。
和太郎が身につけている闘気装は額から顎にかけてだけ円状に肌が露出する服である。要は顔の表面部だけ穴が開いているのだ。和太郎はその開口部をこじ開けようとする。だが、伸びず脱ぐまでには至らない。顔を赤くして引き裂こうとしても無駄だった。
和太郎は肩で息せき切るまで闘気装からの脱出を試みた。だが、叶わなかった。
地面に仰向けに寝転んでいた和太郎は起き上がるとスコップとエチケット袋を無言で回収し、石段まで歩いた。石段の最上段で立ち止まり、直立して動かなくなる。
「明るい時間が終わる。さらば平穏の光」
白き闘気装・手袋・スコップ・エチケット袋を装備した和太郎は無表情で言った。
遠くにある団地の裏へ太陽は沈んでいく。
廃墟に闇が忍び寄り、和太郎の影は押し寄せる夜に同化しつつあった。
書くときに寺の廃墟がいまいち想像できなかったので、動画サイトにて廃墟の映像を見てからイメージを強めたのを記憶してます。