ロビン宅にて
翌日の午後二時を回った頃、その日の加護市は快晴であった。
晴れ渡った青空の下、住宅街を見下ろせる小高い丘の上に西洋式の庭園がある。和式と異なり植物の造形に人の手が加わっていることが伝わる庭園だ。石塀と鉄柵に囲まれたその庭園には切りそろえられた低木が道に沿うように生え並んでいる。噴水から上方へ打ち上げられた水は水面に落ちて水しぶきを上げていた。短く刈り取られた芝生の緑、様々な花々が放ち出す白・赤・黄・の色々、獅子を象った石像は陽光に煌めき、その前に伸びる石畳の道を見守っている。
その石畳の道が続く先、そこには一軒の西洋式建築物があった。横長であるその建築物には窓が幾十と並んでいて、そのうちの一室に和太郎とロビンがいた。
シャンデリアが垂れ下がっているその一室は、複雑な模様が刺繍してある赤い絨毯が敷かれていた。壁には鏡や絵画、天井には凹凸により紋様が浮き彫りにされている。
「新作の漫画ってエロ漫画かよ……」
和太郎はB4サイズの漫画原稿用紙を丸テーブルの上に置いた。
「感想教え!」
ロビンは和太郎とは対面の椅子に腰掛けている。
和太郎は側頭部をぽりぽりと指でかいた。
「感想の前に尋ねていいか。二人きりになかなかならなかったから聞きそびれてたけど、お前なんで女の服 着てんの?」
和太郎がロビンの衣服に視線を這わせる。
ロビンは、身につけているワンピースの肩口を指でつまんだ。
「お嬢様気分、堪能!」
「いや、まあ、似合ってるけどよ。お前、女にも見えるし……。でも、恥ずかしくねえのか、男だろ」
ロビンはニカッと笑みを浮かべて首を横に振る。
「恥じない。滝タロ分もありい! 着る着ろ!」
「着ねえよ。俺 肩幅あるからごついし、目に毒だぞ」
「そなことなきなき。白タイツも見てみたや!」
「いや、それは……、ああ、えーと、そうだ、感想だったな」
和太郎は紅茶を一口飲むとテーブル上の漫画原稿用紙に目を落とす。
「悪い。読むのが苦しかった」
「ガビッちょ!」
ロビンは天井を仰いだ。しばらく口を開いたまま停止してしまう。
「いや、猿が人の性欲を悪い方向へ導くって設定は面白いし、以前読ませてもらった普通の漫画に比べると描き込み過ぎて窮屈ってこともなく絵も上手いんだが、楽しめなかったのは俺の抵抗感のせいだと思う」
「抵抗感?」
「あー、えーと……」
和太郎は皿に盛られたクッキーを口に放った。噛んで飲み込むと紅茶を口に含む。
「俺 エロ漫画が苦手なんだよ」
「なぜなにっちゃ?」
「読みたいって思えねえんだ。魅力を感じねえ」
「じゃじゃ、興奮なきや」
「ねえな」
「チラチラ」
ロビンは顎を上げて背を伸ばし、上から和太郎の股間を見下ろす。
「覗き見んなよ。前屈みになりゃしねえぞ」
「滝タロがエロ漫画苦手、初知りぃ。七不思議ッシング」
ロビンは目をつむって腕を組み、顔を左右に揺らす。それから開眼。
「惜しや、惜しや、もったいなき。エロ漫画の良さ伝授の助」
ロビンは拳をポンと掌に落とした。
「いや、良さとかわざわざ教えなくていいから」
「待つれ。聖書持参タイム」
「いや、だからいいって」
ロビンは椅子から立ち上がる。そして、すたすたと扉へ歩き、呼び止める和太郎を残して部屋から出て行ってしまった。
一人残された和太郎は一つため息をこぼしてからテーブルの漫画用紙を拾い上げる。
「親父さんの絵に似てるネ」
漫画用紙を見下ろす和太郎にテブクが小声で言った。
「まあな」
和太郎はロビンが描いた漫画をもう一度読み返す。見開きになる二枚ずつをテーブルに広げて、それから読む行動を繰り返した。
「猿がいい仕事してたヨ。エロ漫画てただ交尾するだけのものだと思てたアル」
「設定だけなら面白かったな。超能力を持った猿が人をエロく覚醒させるってやつ」
「セルフガソリンスタンドでの情事がアホぽくて お気に入りネ」
「エロ覚醒させられた若奥様風の女と店員の話か。若奥様は車に給油しながら店員にバックで突かれて最後は子宮に精液満タン、とんでもねえ話だったな」
「ロビンはこんなこと考えて、変態ネ」
「父さんも見た目は真面目そうだから人は見かけじゃわからねえってことだろ。ロビンは実写のエロ本には食いつきが悪いんだけどな。二次元への愛が強いんだろう」
しばらくすると、ドアからノック音がした。
和太郎は「はい」と返事する。
「失礼致します」
メイド服姿の若い女性が扉を開け、頭を下げたのちに手押し車を転がして入ってきた。彼女はロングストレートの金髪・青い瞳・女性としては高めの身長の持ち主だった。
白い手が操る手押し車には漫画本が幾層にも積み重ねてある。肌が露出している女性の絵がてっぺんの漫画本の表紙を飾っている。
メイド服姿の女性は手押し車を和太郎の正面にあるテーブルに横付けした。和太郎は横付けされた漫画とメイド服姿の女性を交互に横目で見る。
「滝タロ、お待たセロリ」
ロビンも姿を現わし、歩いて戻ってきた。
「リリィ、漫画 よろよろ」
ロビンはテーブルの漫画原稿用紙を回収すると、人差し指を手押し車からテーブルへと移す。リリィと呼ばれた女性は返事を述べて和太郎の前に漫画を並べた。そのなかに好色一代の名前がある。和太郎は目を細めた。
「まさかここで読めとか言うんじゃねえだろうな」
和太郎は椅子の背もたれに体を預けて眉間にシワを寄せる。椅子に座ったロビンは笑みで返した。
「読まねえぞ」
「よろしければお読みいたしますが」
「え」
突然聞こえてきた横からの言葉、和太郎は顔を振り向けた。メイド服姿の女性、リリィは静かに微笑む。
「これエロ漫画だぞ」
「存じております。以前ロビン様にお勧め頂き拝読致しました。問題ございません」
「問題ございませんって……。いや、そもそも漫画って二人で読むもんじゃねえし」
「私はロビン様と一緒に楽しませて頂きましたが」
「二人で読んだのかよ!」
和太郎の顔が勢いよくロビンに振り向く。ロビンの頬が赤らんだ。
「男女でそんなことすんなよ! 間違いが起こるかもしれねえだろ!」
「狙っていたのですが失敗でした。二人きりのタイミングを見計らって促したのですが……」
「あんたが提案したのか!」
「愛人の座を射止めるのは大変でございます」
リリィは口元だけ笑みを携えている。
「その笑みが怖くなってきた! ってか正妻じゃなくて良いんだな」
「正妻は社交場への出席など色々と面倒です。お金と愛を頂ければそちらの方が」
「効率的で打算的だなアンタ! その上 メイドなのに面倒くさがり屋のおまけ付き!」
「あと適当で嘘つきでもあります。では、お読み致しましょう。臨時ボーナスのために」
「臨時ボーナス? ってロビンてめえ!」
和太郎はロビンを睨んだ。ロビンは和太郎から顔を背けて口笛を吹く仕草をとる。音色は響かず息だけが流れた。
「ロビン様は関係ございません。これは私の独断でございます。滝様を説き伏せるにはどうすればいいか相談は受けましたが、指示はされておりません。自ら進み出たのです。臨時ボーナスとは滝様の懐柔に成功した際の報酬要求でございます」
リリィはロビンに目配せした。ロビンはウインクする。
「ではまず、ロビン様と何度も読みたいこの本から……。この本は素晴らしい出来です。百合本で同性愛の良さをふんだんに」
「読まねえから!」
「二人で読むのもなかなか楽しいものですよ。特にこうやって体を密着させながら読めば興奮が増します」
リリィは漫画を持ちながら和太郎の背中に回り込んだ。それから、和太郎の肩に白い二の腕を載せて体を押しつけた。胸と背中、頬と頬が合わさる。和太郎の前には漫画本が用意される形となった。
「ちょ、近いから! 見ず知らずの相手にそこまでするなよ」
和太郎は体を揺らしてはがそうとする。それでもリリィは離れない。
「中学時代に時折遊びにいらしたではないですか。見ず知らずなど水くさい。それとも、私をお嫌いですか。滝様のために普段は使用しない特別な香水をかけてきたのですよ」
「ん? そういや良い香りが……」
「私も滝様の匂いが好きでございます」
「俺の匂い……? いったいどんな……」
「お金の匂い……」
「やられた!」
「では、めくります。滝様を甘美なエロの世界へご案内~」
リリィが漫画本を開く。だが、それと同時に和太郎は身をかがめて椅子から逃げ出した。
「帰る!」
和太郎は立ち上がると、扉へ走り、勢いよく開けた。
「ん?」
開けた先にはメイドたちが並んでいた。部屋の外には左右に伸びる廊下があるのだが、その廊下を寸断する形で五名ずつのうら若きメイドが左右に人壁をなしていたのである。そして、扉を開けた和太郎の正面には身長二メートルはありそうな筋骨隆々のメイドが佇んでいた。
「お帰り下さいませお客様」
メイドたちが声をそろえて一斉に頭を下げた。
「お帰りなさいませが常套句なのに、お帰り下さいませって……、おい、なにをするやめろ」
和太郎は二メートル級メイドに抱き上げられてお姫さまだっこで部屋へ連れ戻された。手足をばたつかせるが、二メートル級メイドは笑顔で応じている。
和太郎は座っていた椅子に下ろされた。
「お帰りなさいませ滝様」
リリィが深々とお辞儀する。上げた顔は満面の笑みであった。
「帰ってきたくなかった」
和太郎は頭を垂れる。その後、顔を上げて背後を見、扉を一瞥するが、二メートル級メイドが扉の前で直立姿勢になると先ほどより深く頭を垂れた。
「ダメ臭のする滝様も素敵でございます」
リリィが和太郎に覆い被さり、耳元で囁くように言う。
「ロビン、友達が嫌がることはしないもんだろ」
和太郎はロビンを上目づかいで見た。
ロビンは眉を八の字にして黙っていた。和太郎は大きくため息をつく。
「俺がエロ漫画を苦手なのは俺の生い立ちに原因があるんだよ。それはまだ割り切れない事柄で、仲が良かろうが友達にも明かせず秘密にしてることなんだ。だから理由は言えねえが、どうしてもエロ漫画は読みたくねえ」
「滝タロ、オレの読んだ」
「お前のは仕方ねえよ、読むって約束したんだから。でも、プロの作品は読まねえ。わかってくれ、頼む」
和太郎は膝をつかみながら頭を下げた。ロビンは人差し指を顎に当てると天井を見上げ、頭をゆらゆらと揺らす。
「じゃあ、こうしようぜ。読まないけど、お前が漫画の魅力を語ってくれよ。それを俺は聞くからさ」
和太郎が提案するとロビンの目線が下りてきた。
「おけおけ」
ロビンは親指を立てる。同じくしてリリィが和太郎から離れた。
リリィはロビンの傍らに歩いて移動すると体をかがめ、口を隠しながらロビンの耳に顔を寄せた。
「外堀は埋まりましたね。あとはどこかの偉人を真似て、約束を違えて内堀まで埋めれば……」
「聞こえてんぞ」
和太郎の声にリリィはうっすらと笑みを浮かべた。
一方、ロビンはテーブルに並んでいる漫画を指さし、嬉々としながら語り始めた。
ロビンが描いた漫画はエロ漫画だったと読者にわかってもらえればよいと思って書いた話です。
和太郎がエロ漫画を嫌っていると改めて強調する話でもあります。




