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ふぐるま。~現代式神絵巻~  作者: 黒沢詩朗
#杉並区の人狼
8/8

第8話 無貌の欲張り

(……間に合う!)


 それが今の自分の体力と身体能力、そして蒼井のパラグライダーの速度を計算に組み込んだ末に、北村が出した答えだった。

 夕刻は既に過ぎ、宵闇が世界を支配するこの時間に蒼井の姿が見えるのは、皮肉にも浜田山から上がる炎に彼女が照らされているからだ。だが狼の眼では、遠くの光景はぼんやりとしか見えない。空を走る影が彼女であると認識できるのは、視覚の外にも嗅覚や聴覚をフルに活用しているからだ。


 知覚できる世界が人間のときのそれと大きく変わってしまうため、北村はここ数ヶ月、忌華と体を全換装するのを避けていた。視覚や味覚、触覚はともかく、その他の五感である聴覚と嗅覚はほぼ人間の上位互換のため、こっちに慣れると後で人間に戻ったときに戸惑ってしまうのだ。

 加えて、素の身体能力は比べるべくもない。実際の体重は狼体の方が重いのだろうが、この速さで走っていると体重という概念を忘れてしまいそうになる。

 そうやって調子に乗っているとすぐに息切れしてしまうのだが、本来北村の体でないせいか、狼体だと疲労のことを苦痛だと思えなくなってしまう。

 疲れを苦痛だと認識するのは、決まって足腰が使い物にならなくなる程に震え始めるのとほぼ同時だ。忌華はそんな間抜けな体の使い方はしないが、少なくとも北村はこうなってしまうことが度々あった。この状態で北村が人間体に戻ると、忌華が疲労を全て引き受けることになるため、彼女は恨めし気に主人を睨む。

 普段は従順につき従ってくれている分、彼女のそういう目は堪えるものがあったのも理由かもしれない。

 だが悪癖というものは治らないから悪癖なのだ。今の北村の速度は、忌華にとってしてみればかなり『無茶』な体の使い方をしなければ出せないものだった。

 この場に彼女がいたら頬を膨らませて、苦言の一つや二つを吐いていただろう。


(……有喜!!)

「んお?」


 地面と蒼井との距離、おおよそ十五m。蒼井は地面を走る白い影を認識し、その目をじっと観察した。狼の眼が赤いことを確認すると、蒼井は表情を明るくする。


「栄利! 思いの外早かったじゃない!」

「ぐるるっ!!」


 狼体だと、人間の言葉を話そうにも何故か単なる鳴き声になってしまうため、北村は憎々しげに牙を剥いてドスの効いた声を出すだけに止める。

 蒼井の方は無邪気に喜んでおり、パラグライダーで滑空しながら足をパタパタと揺らしていた。


(……ああっ! バカ! 余所見しちゃダメだって!!)

「おっと」


 蒼井は軽く足を上げ、電線を寸前で回避する。その行動があとコンマ数秒遅かったら、電線の束に足が絡まって、一人分の焼けた肉の塊が出来上がっていたことだろう。


「そろそろ危なくなってきたなぁ。安曇。能力解除よ。かーいじょ」

「!?」


 蒼井がこともなげにそう言うと、パラグライダーが瞬きも終わらない内に宙に溶けて消えてしまった。空に蒼井を固定するものがなくなり、彼女は重力に逆らうことなく無情に落ちて行く。

 その途中か、あるいはパラグライダーが消える寸前なのかはもう北村は覚えていないが、蒼井は確かに北村に視線を投げかけこう言っていた。


「クッション役、お願いね」

(無茶苦茶だよ、お前!!)


 やってやれないことはないが、無茶振りに付き合わされる方の身にもなってほしい。後で絶対にそう言ってやろうと決心するが、おそらく寮に帰るころにはそのことを忘れているだろう。

 狼になって記憶力が落ちたとか、そういうことではなくただ単純に、北村は誰かへの恨みを忘れやすいタチなのだ。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 浜田山商店街の光景は、苦痛と恐怖が渦巻き、逃げようにも逃げられないという点において地獄という形容が最も似合っていた。

 電柱は倒れ、それに巻き込まれて千切れた電線はスパークを起こしている。

 建物は燃え上がり、火の粉を広範囲にまき散らしながら周りを侵食していく。

 人々は逃げた傍から攻撃され、抉れた地面の上に乱雑に倒れていた。子供も大人も老人も。逃げたら攻撃を受けるのだから、ほとんどの住人はいつ攻撃されるともわからない建物の中に隠れるか、立ち向かうかの二択を迫られていた。

 燃え上がる商店街の中心にて、スポットライトを全身で浴びるような恰好で立つスーツ姿の少年は、恍惚とした表情で炎熱を受け、顔を真っ赤にしていた。


「素晴らしいぞ! これでこそ苦労して手に入れた甲斐があったというものだ!」


 少年の名は神田火灯(かんだひともし)。つい最近ゲニウスとリンクを結んだゲニウスリンカーで、戦闘特化の能力を手にして有頂天になっている彼の名字を、日本で知らない者はいない。

 顔つきもどことなく、過去の日本で憎悪の対象の一人となった『彼』と類似点を見出せるような作りで、彼と対峙して倒れたリンカーたちは例外なく怪訝な顔をするか、驚いて彼の名字を呼ぶかという反応を見せていた。

 彼もその反応に気分を良くし、驚いた相手には漏れなく名乗ってから攻撃を加えていた。おそらくこの混沌の中で、最も大量の人間を仕留めたのは彼だろう。


「……おや?」


 一際強い風が吹き、神田はスーツとネクタイをはためかせながら振り向く。遠方からこちらに走ってくるのは、獣だろうか。もう少し近づいてくると、神田はその上に人間が乗っていることに気付いた。


「……!!」


 銃声が聴こえたと思ったら、神田のその身に銃弾が突き刺さっていて、獣はいつの間にか倒れ行く彼の傍を通り過ぎている。

 傍を通り過ぎたそのときはまるでスローモーションのように見えた。ミドルヘアの髪を靡かせ、炎の光を眼鏡で反射させながら疾走する彼女の両手に握られているのは、女性の柔らかい手には不相応な程に無骨なオートマチックの拳銃だ。

 普通の人間ならば、その光景を最後にして意識を手放し死亡していたのだろうが、神田はそれを見てぐにゃりと顔を歪める。


「……ん。まあ、死なないわよね」


 笑顔を向けられた彼女、蒼井はまだ弾の残っている銃を無造作に投げ捨て、北村にしがみ付きブレーキの指示を送る。


「ストップ。どうやらアイツが大将みたいよ」


 北村は蒼井の負担を考えながら、出来うる限り緩やかにスピードを殺す。


(……あの顔。どこかで見たかな?)


 当たり前のように立ち上がるスーツ姿の少年を遠目に認識するが、既に顔を識別できない程の距離にいるため、北村は違和感を覚えるだけだった。蒼井に至っては敵が誰だろうと興味がないようで、面倒そうに鼻を鳴らしている。


「栄利。アイツの体に着弾した弾丸、何か変な音した?」


 蒼井の問いにどう答えたものかと、北村は体の調子を確認しながら考える。

 しなかったと言えばしなかったが、変なことには変だったからだ。


(……無音だったな)


 防弾チョッキに着弾した音も、肉と骨を砕く音も聞こえなかった。弾丸が空気を裂く音が消えるタイミングも、何か妙だった気がする。まるで弾丸がどこかに消えたようだった。


「キミが北村栄利か? へー。ほー。ふーん」


 シャツをはためかせ、空気を服の中に取り込みながら神田は一人と一匹に近づいていく。その途中、湯気を放ち、地面に落ちると軽い金属音を立てる小さな何かが数個彼の服から出てきた。

 視力の悪い今の北村でもわかる。それは弾丸だった。血の匂いが一切しないことから、相手がまったくダメージを負っていないことがわかる。


「……男だと思ってたんだがなぁ。はて」


 どうやら相手方は、中途半端に杉並区の蒼前学園のことを調べた上で襲撃をしたらしい。笑みを消し、眉を顰める彼は蒼井のことを本気で北村栄利だと思い込んでいるようだ。

 蒼井の方も、それを特に訂正しない。自分の情報を誤解しているなら、そっちの方が幾分かは戦いやすいと考えてのことだ。

 しかし神田は、獣の眼が赤いのが炎のせいではないことに気付いた途端、納得した顔で頷いた。


「……目も赤い。あ、そうか! 『そっち』が北村か!!」


 蒼井は舌打ちする。


「そのまま誤解したまま死ねばよかったのに」

「……ふーん。どうやらキミの方が蒼井有喜みたいだな。予想よりも甘い口調じゃないか」

「どうせならもっと、蕩かせる程に甘くしてやりましょうか?」

(おい。皮肉を言っている場合か?)


 がる、と一鳴きした北村に、興冷めしたように蒼井は肩をすくめた。


「はいはい。わかってるわよ。融通の利かないヤツねぇ」

(たっく……どいつもこいつも、何でこんなことに楽しみを見出せるのか意味不明だ)


 心の中で毒づきながら、北村は蒼井の指示を待つ。彼女は首をゆっくり回し、商店街の惨状を眺めた後、一言つぶやいた。


「こんな場所で遊んじゃダメよ。踏切の向こうに公園があるから、そっちで相手をしてやるわ」

「……疑問だな」


 神田は蒼井の提案に水を差した。意図的に、楽しみながら。


「何が?」

「二つある。一つ目に、何故こんな酷いことをしたのかと僕を問い詰めないこと」

「どうだっていいわ。街を襲う理由なんて、この時代ならいくらでもある。食糧を奪うためだとか、服を奪うためだとか、住居を奪うためだとかね」


 ただ、それは最近落ち着いてきたところだったから、蒼井も何でもないような顔の裏で疑問には思っている。しかし、そんなことは相手を叩きのめしてから拷問して吐かせれば済む話。後でできることならば今やる必要はないと、蒼井はあっさりと優先順位最低の場所に捨て置いた。

 神田はピースの形を作って、二つ目の疑念を訊いた。その目の中には、炎の光とは別の強い閃光が宿っている。


「二つ目。この僕と対峙して、場所を移す余裕があると思えてるのか?」


 弾かれたようなスピードで神田が蒼井と北村に肉薄し、北村の頭蓋を踏み抜いた。それは狼の頭を強固な地面に埋めるような凄まじい踵落としだ。


「――!?」


 蒼井はすぐに自らのゲニウスを出し防御を固めようとするが、間に合わない。そのまま体勢を立て直した神田は、北村の頭を軸にした回し蹴りを蒼井の鳩尾に叩き込む。

 その力はとても人間のものとは思えない程に強力で、蒼井の体は北村の背中から剥がれて吹っ飛ぶ。


(――人間のバネの力じゃない。体の中に何か仕込んでる!)


 痛みで真っ白になっている脳の隅でそう考えることができたのは、一重に蒼井が戦い慣れしているからだ。蒼井は追撃が来る前に、やっとのこと彼女の名前を呼ぶ。


「あ、ずみっ!!」


 腕時計が光り、何もない場所に影が出来始める。ゲニウスが電子機器から召喚される典型的な予兆だ。神田はその前に決着を付けようと北村の頭から足をどけた。地面に足を付け、再び跳ぼうとして――


(ええい! 調子に乗るんじゃない!!)

「うわっ」


 あまりにも速くスタン状態から回復した北村に噛まれそうになって、咄嗟に後ろに跳び退いた。


(有喜!)

「あー、ぎゃんぎゃんうるさいわよ。心配してくれるのは嬉しいけど、敵から目を逸らさないで」


 腹を押え、よろりとした佇まいで蒼井は神田を見据えている。額には汗が浮かび、呼吸も大きく乱れていた。


「くっそ、不意打ち食らった。リンカー同士の闘争なんて久しぶりだからなぁ……安曇。ビビってないで何か言いなさいよ」


 忌々しげにその名を呼ぶと、蒼井の傍に複数の箱が現れた。大きさはバラバラだが、全てが立方体だ。少し曇ったガラスか、継ぎ目のない飴細工に見える立方体は、蒼井の周りを心配そうに周回している。

 ぎょろり、とその立方体の内一つの中心点に人間の眼球が現れ、蒼井を凝視する。それにつられるように、周りの立方体も連鎖して眼球が現れ、その全てが蒼井を凝視していた。


「お嬢様! 大丈夫っすか!? いきなり大ピンチじゃないっすか!」


 立方体には口なんてないはずなのに、その中のどれか一つからクリアな生物の声が聞こえる。まだあどけない女性の声だ。

 やっぱりその声に蒼井は笑いかけながら憎まれ口を叩く。


「うるさいわねぇ。私じゃなくって、あっちのいけ好かないスーツ太郎を睨みなさいよ。アイツにやられたの見てたでしょう?」

「イヤっすよ! おっかねーっすもん! 私に尿道があったら今の一撃でビビって漏らしてましたよ!」

「相変わらずのヘタレね」

「あ、肛門もないんで屁も垂れられないっすよ」

「……」

「いやん! そんな目で見ないで! ちゃんとお嬢様の役に立とうとは思ってるんすから!」


 そう言って複数の眼球の内一つは、立方体の重心から一切動くことなくローリングして神田の方を見た。


「……んん? あの男、どこかで見たような気がするんすけど、気のせいっすかね?」

「それは僥倖ねぇ。でも今はどうだっていいでしょう。身元を割るのは、あの憎たらしい顔に弾丸を一発ぶち込んでからでも遅くないわ」

「本当、お嬢様はおっかないっすわ……」


 安曇の口調は軽薄だが、その声色は心底恐怖して震えていた。パートナーが主人に恐怖してどうする、と蒼井は思わないでもないが、仕方ない。彼女は根っからの怖がりなのだ。


「……栄利! 敵がコイツだけだとは思えない! 雑魚処理は任せたわよ!」

「がるっ!」


 安曇の出現を確認した北村は、高く跳んで燃えていない建物の屋根へと消えていく。逃げ遅れた人と倒れた人の救助を蒼井は口にして命じていないが、口にしていないだけでそれも含まれていることを北村はきっと理解しているだろう。

 蒼井は彼のことを信頼して、目の前の強敵を睥睨する。


「一先ずあなたは見せしめにぶっ殺すわ。首から下はいらないから蒸発させるけど、かまわないわよね?」

「お嬢様!? 仮に相手がよくっても私、そんなスプラッタショッキングな映像見たくないっすよ!!」

「……」


 ――締まらない。

 蒼井は引き攣った笑いを浮かべ、立方体の内一つを叩いた。

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