第7話 蒼前学園一年C組戦闘班。またの名をクラス委員
「で、北村。この女、誰?」
「連絡とは何だったのか」
ついに教師であるはずの広田にもこんなことを言われてしまった。北村は間違いなく、過不足のない報告を職員室に回したはずだ。それなのに、このゲニウスの少女のことがまるで伝わっていないのはどういうことなのかと、北村は頭を抱える。
「……保護したゲニウスですよ。ナンバーは005番です」
「はあ? お前、何勝手にそんなもん連れ込んでんだよ。バカじゃねぇ?」
「はっはっは。人の話をまったく聞こうとしない教師もどきが何を言う」
「あん?」
北村は電話で回した連絡を、再び口頭で広田に伝えた。終始彼は面倒そうな顔で聞いていたが、話が終わると頷いて教室に一言投げかける。
「というわけだ。お前ら、久しぶりの客人なんだからできる限り丁重に扱えよ」
「何がというわけだ、だチクショウ!! 最初から知ってました顔で!」
「うっせーなァ!! 日子のシャボンにもっかい入れてやろうか!?」
「そうやってゲニウス任せにするところもイラッと来るんだよ!!」
「不毛だからやめなさい」
北村と広田の喧嘩は蒼井にピシャリと絞められ終わる。彼女は腕組み姿勢を作り、広田の隣に設置した学生椅子に座っているゲニウスの少女を眺める。
幸い、大森は気絶する寸前に能力で彼女を蒼前学園指定制服へと着替えさせていたらしく、見苦しい恰好にはなっていない。ただ首には、大森なりのこだわりだろうハートの金具がぶら下がったチョーカーが付けられている。
銀色のハートの中には、ゲルニカの登場人物の眼のような不気味な意匠がされていた。彼女はどうやら首にそんなものが付いていることに気付いていないようだ。少しも首を気にするそぶりを見せていないことから、そのことがわかった。
「……ここら辺では見ない顔ねぇ。杉並区のヤツじゃないことは確かよ」
「そうか。蒼井がそう言うっていうことは区外からやってきたんだろうな。他の連中はどうだ?」
広田が教室を見まわすも、どうやら彼女に見覚えがある者は一人もいないようだった。彼女を性玩具にしていた大森は今眠っているが、やはり彼女も少女のことを知らないようだったという。
ざわつく教室の中、広田は北村に話しかける。
「……で、今ごろなんだが。北村。コイツの名前、何?」
「ん? 何って先生、彼女の名前は……」
本当に今さらな疑問に応えるべく北村は口を開きかけ、数秒フリーズした後に額に汗を流した。
「そういえば知らない」
「お前、大事なところで抜けてんなぁ。じゃあ少女Aよ。お前の名前を黒板に書いてくれ」
そう広田が促すと、少女は言われるがままに立ち上がって黒板の方を向き、名前を書き綴る。
――汚い!!
それが教室にいた全員の総意だった。彼女の書いた文字はミミズののたくったような下手すぎる文字で、一文字たりとも読み取ることができない。
しかし、苦笑いを浮かべるクラスメートの方を振り向き、ゲニウスの少女は自分の名前を小さく口にした。
「漆月。言いにくいけど、そう呼んで」
「ああ! 確かに上の文字は漆黒の漆だ!」
「下は月だったのか! 分解しすぎてて朋に見えてた!」
「……」
心無い男子生徒が馬鹿正直に感想を述べると、漆月は唇を尖らせて俯き、拗ねたような表情を作る。
しかし、流石にこれは北村にも庇い立てのしようがない。本当に汚すぎて、文字ではなく唐突に絵か何かを描いたのかと思ったくらいだ。
「……で、漆月。キミは一体どこから来たの?」
北村にできることは、せめてこれ以上弄られないように話題を変えることだけだ。漆月は俯いた顔を上げて、北村の方を見ながら首を振る。
「……わからない」
「あー。やっぱり……」
何となく、そんな気はしていた。
電子生命体であるゲニウスが現実空間に現れ始めたのは三年前のことだが、未だにネット回線を通じて出現する者はいるらしい。政府が完全に崩壊する寸前に一度、ネット回線を封鎖しようという話も出たのだが、そうなると今度はゲニウス:クラウンのHPが見れなくなり、増殖を止めることが仮にできても対策が取りづらくなってしまう。その上、当然だが日本列島全体の情報伝達速度も格段に落ちることになる。
更に、ネット回線を仮に完全封鎖することができていたとしても、ゲニウスの増殖を止めることができていたかは怪しい。何故なら動物型、および人間型のゲニウスは、放っておいても交配して増殖できるからだ。こうした大きな問題点が複数上がっていたからか、この案は政府が倒れるまで有耶無耶になってしまっていた。
彼女は数日前かそこらに、様々な事情で生き残っているネット回線から、この現実空間に出現したゲニウスなのだろう。日本語をまともに読めないどころか、地名という概念があるのかどうかも疑わしい。
(その割には自分の名前と、かなりヘタッピだけど漢字が書けてるのが気になるけど……それは後で確認しようか)
北村は深く追求しない。今日の彼女のスケジュールはあまりにも過密すぎる。これ以上疲労を蓄積させたら、いかなゲニウスといえど体調を崩してしまうだろう。
半分以上は職員室で連絡が止まっていたせい、つまりほぼ教師の広田のせいなのだが、それを言ったところで蒼井が言うところの不毛な争いに発展するだけなのは目に見えているので陳情しない。
「……今日はもう彼女を休ませよう。で、誰が漆月の世話を見る?」
蒼井は眼鏡を上げながら、疑問形で北村に提案する。
「大森?」
「大森が興奮で死ぬ上に休みの要素がどこにもなくなる」
「あなた?」
「俺男なんだけど」
「私?」
「候補としては一番ありだな」
「じゃあ私ね。漆月。後で学生寮に案内してあげるわ」
蒼井が柔和な笑みを浮かべ、それを漆月に向けると微妙にイヤそうな顔をした。北村は訊く。
「お前、何した?」
「ちょっと世間話しただけなんだけどなぁ」
「漆月! コイツ口は悪いけど性根は悪いヤツじゃないから安心しろ!!」
「……うーん」
北村が弁明するが、それでも漆月の顔は明るくならない。一緒にいれば彼女のいいところはわかるだろうと、北村は希望的観測を立てて空笑いした。
自分に関係ないことだというのに、何故ここまで気を揉まなければならないのだろう。クラスメートのために頑張るのは自分に関係のあることだからまだわかるのだが。
「北村先輩に似てきたわねぇ」
くつくつと、北村にわからないように蒼井は嬉しそうに笑っていた。
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蒼前学園の学生寮は、学舎の傍にあったマンションを修繕、改築、増築した末に出来上がった建物だ。その部屋一つ一つは決して小さくはない。小さくはないのだが、如何せん全てが能力発動時の丹下程でないにしろ、ゲニウスはそれなりに巨大だ。
電波時計のような電子機器にゲニウスを『潜ませる』ことはできるが、どうやら機械の中は種類やスペックに関わらず、等しく彼らにとって窮屈な空間であるらしく、長時間その中に入りたがらない。
特に人間型はその傾向が顕著で、数時間入っているだけで軽い自傷行為を起こす程のストレスが溜まるらしい。次いでその傾向が強いのは動物型。その次に傀儡型、最後に道具型が入るが、傀儡型は主人に絶対忠実な上、時間間隔が希薄なので動物型との間はかなり開いているらしい。
大森が試しに明楽のことを三週間程、電波時計の中に封じていたことがあるが、長い封印を経て出てきた彼の第一声は『ついに私が恋しくなったか』という不敵なものだったという話を北村は聞いたことがある。
そんな事情があるので、寮に住む人間の暮らしぶりは持っているゲニウスによってまったく様相が違うものとなる。
人間型のゲニウスとリンクを結んでいる者は同居。
傀儡型のゲニウスとリンクを結んでいる者は同居か、あるいは肌身離さず身に着けている電子機器に封じている。
道具方のゲニウスとリンクを結んでいる者は、近くの電子機器に封じているのがほとんどのようだ。
動物型のゲニウスとリンクを結んでいる者は半々に分かれている。一方は、蒼前学園飼育委員が運営し、学生寮の隣に並ぶように建っているマンション、通称犬小屋にゲニウスを預ける者だ。
動物型ゲニウスを持っているリンカーであれば基本出入り自由なそこは、動物の巣窟とは思えない程に清潔に保たれ、体力の有り余っているゲニウスを走り回らせるにしても充分な広さがある巨大なアスレチックの集合体。肉食動物は肉食動物の区画に、草食動物は草食動物の区画に入れて、後は飼育委員に任せてさえいれば問題は特に起こらない。
北村に割り振られている寮室はかなり上の階で、しかも忌華は二m前後の体長を持つ。暇になった忌華が暴れまわった末に寮室から落下したら流石に彼女でも怪我を負ってしまうので、北村と忌華のペアはこちらに属していた。
その他は、やはり同居だ。このマンションはどの部屋も防音性に優れているので、鳴き声はほぼ気にしなくていい。
最後の特徴は『男子寮と女子寮の分け方』なのだが、蒼前学園はゲニウスを使ってゲニウス関連の事件を解決したり、災害以前の安全で豊かな暮らしを取り戻すために存在している以上、あまり区民に負担はかけられない。既に蒼前学園自体がかなりの場所を取っているため、マンションを更に占拠することは望ましくなかった。
つまり、この寮一つで男子寮と女子寮を兼任するのがベストだったため、蒼前学園にはこの建物以外の寮は存在しない。
しかし、そこは教育機関。しめるところはしっかりしめる。この建物は、上半分が女子寮、下半分が男子寮という形になっていて、エレベーターが二つある。片方は女子寮のある階層にしか止まらないエレベーター。もう片方は、男子寮のある階層にしか止まらないエレベーターだ。
このエレベーターに乗るには、駅の改札のような装置に自分の生徒手帳、あるいは教員手帳をかざして自分の性別を証明する必要があり、それを無理に乗り越えようものなら一階に取り付けられているゲニウス由来のトラップが総出でその不心得者に襲い掛かる。
噂によれば、このほかにも男女を分ける装置が大量に用意されているらしいが、無事に男女の壁を乗り越えることができた者が存在しないため真偽は不明だ。
ハイテクさだけなら杉並区一の寮の一室、北村はベッドに寝転がり、今日の敗北のことを思い出す。
「……」
保健委員の手によって、北村の傷は一晩も明けないうちに完治しているが、あのとき殴られた感覚だけはまだ消えない。
「……イヤだな」
マスクの顔と、琴石の顔を交互に瞼の裏に映しながら、誰にともなく呟いた。次に連想するのは、自分たちを守るために散った兄の笑顔。
割り切らなければ、と思ってはいる。いくら望もうと死者が戻ってくることはないし、彼らに祈りを捧げることはともかく、想いを捧げるのは無駄以外の何物でもない。
だが彼を差し置いて、マスクが琴石に想いを寄せているのが、どうしても引っかかってしまうのだった。
「……?」
何かの残響音が北村の耳に届いた気がした。ベッドから起き上がり、吸い込まれるようにベランダに出る。
柔らかい風が吹き込むが、特に変わりのない街並みが広がっているだけだった。
「……誰かがどこかで爆竹でもハジケさせてんのかな?」
無意味だと思いつつも、下の階を覗くようにベランダから身を乗り出す。
「――っ!?」
今度は何に遮られることもなく、直に爆音が聞こえた。思わず肩が震え、体勢を崩しかけ、あわやベランダから落下しかけるところだった。
欄干をしっかり掴み、体を無理やり後ろへと移動させ、目を凝らす。
「浜田山……!?」
浜田山駅周辺が煙を上げ、炎のようなオレンジ色の光に満たされていた。いや、おそらく本当に燃えているのだろう。風に混じって悲鳴が聴こえてくるのはきっと気のせいではない。
段々とその光は広がっていき、そう時間がかからない内にこの寮全体を照らす程の勢いだった。煌々とした光は段々広がっていっている。
「安曇!! 行くわよ!」
「んっ?」
上の階から蒼井の声が聞こえた。それは別にいい。彼女の部屋が、自分の部屋の真上にあることは前々から知っていたことだ。だがその声と同時に、目の前に影ができたのはどういうことなのだろうか。
「……お前何やってんのーーーっ!?」
その影はベランダからどんどん遠ざかり、小さくなっていくが、蒼井有喜そのものだった。落下して遠ざかっているわけではなく、滑空して遠ざかっている。妙に影が大きいと思ったら、どうやらパラグライダーで飛行しているようだった。
彼女はこちらに顔を向け、大声で言い切った。
「戦闘班だもの! 乱の香りがするのなら行かないとダメでしょう!?」
「そりゃそうだけど! 何もそんな方法で!」
風が吹いて操縦性を欠いたら、一気に建物に激突しかねない。いや、仮にどこにも激突せずに下に降りられたとしても電線に引っかかる。ゲニウス災害で被害を被った国で、一番最初に復旧したのが電力だ。
復旧というよりは奪還という形に近いが、どっちにしてもこれらは災害以前と変わらずに通っている。グライダーに引っかかったら感電して、現場に行くどころでは済まないだろう。
「大丈夫よー! 安曇が付いてるものー!」
「え、ちょ……流石に安曇を信用しすぎだと思うぞーーーっ!?」
彼女のゲニウス、安曇が気の毒で仕方がなかったので叫んでおく。彼女はあがり症だから、期待をかけすぎると精神が高スピードで摩耗していくタチなのだ。
「先に行ってるからすぐに来てねー!」
三度轟いた爆音に遮られ、これ以上彼女の声を聞くことができない。
蒼井が心配で仕方がない北村は、焦ってその場でまごついている。
「エレベーターで……いや! 忌華! いきなりで悪いけど――!!」
自分の服装を確認してから、北村はゲニウス能力『不合理な交換』を発動させる。今度は一部分ではなく、全部分の交換だ。
白く淡い光が北村の体を末端から包み込んでいき、着ている服を巻き込むような形で、腕と脚から『狼の体』へと変わっていく。
二秒程で、北村は忌華とまったく同じ姿形の白い狼となった。彼女との相違点は、目の色が赤だという点と、忌華が雌なのに対して北村の狼体が雄だという点の二つ。
北村は壁に爪を立て、半ば落ちるようにマンションを降下していく。途中でベランダから浜田山を見ていた生徒たちが北村の姿を認識し、応援の声をかけたりしてくれた。
(まずはあの跳ね返り娘に追い付かないと!!)
応援を背に受ける北村は、自転車置き場の上に貼ってあるトタンを緩衝剤にして地面に降り立つ。
「がうっ!!」
誰かにぶつからないように注意を最大限払いながら、全速力で蒼井を追う。