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ふぐるま。~現代式神絵巻~  作者: 黒沢詩朗
#杉並区の人狼
6/8

第6話 ベイベー・プリーズ・ドレス・ミー

「……ん」

「おお勇者よ。死んでしまうとは情けない」


 保健室の白い天井と電灯を視認するや否や、声が聞こえた。上体を軽く起こし横を見ると、自分のクラスメートの蒼井がスツールに腰かけ、本を読んでいるのを見つける。

 本から顔を上げている様子はないので、北村の軽い呻き声と身じろぎの仕方だけで彼の覚醒を察知したらしい。彼女のこういう勘は頼りになると共に少し怖い。


「……負けた」

「見てたわ。気にすることはないわよ。相手は琴石先輩を降した猛者だって話だし。学園最強の人間を倒した相手に勝てるヤツがこの学園にいる道理がないじゃない」

「……んん」


 眼鏡のクラス委員の言うことは道理なのだが、それが偶然である可能性がある以上は全力で戦わざるを得なかった。そして、本気で戦った結果がこれだ。どうやらマスクが琴石に勝ったというのは、偶然でも何でもなく、徹頭徹尾実力に起因するものだったらしい。

 溜息を吐く余裕もない程に疲れ切ってしまった彼は、また眠りに落ちようと思ったが、その前に気がかりなことを蒼井に訊く。


「俺が倒れた後、忌華はどうした?」

「……あなたが気絶した途端に戦意は喪失したんだけど、害意は喪失しなくってね」

「え?」

「唸りながらマスクに砂かけてたわ。後ろ脚で」

「後で謝らないと!!」


 忌華の脚力がどれだけ強靭で強力かは知っている。彼女の後ろ脚で巻き上げられた砂はおそらく半端な量ではなかったはずだ。スピードもかなり付いていただろうから、きっとまともに食らっていたマスクは痛みで涙目になっていたに違いない。もちろん汚れもしただろう。


「日本犬は主人以外にはなびかない、ねぇ。逆に言えばいくら人間様であろうと主人でない限りは舐めているってことでしょ。私たちからしてみれば可愛くないわ、あの犬っころ」

「多分モチーフは日本犬じゃないと思うんだけどな……」

「……眠い?」


 ふと声の調子に元気がなくなってきていることに気付いた蒼井は、目線だけを北村の方へと流した。

 そこで初めて蒼井は北村と目を合わせる。眼鏡越しだとは言え、彼女の瞳の綺麗さは変わらない。嬉しさだか気恥ずかしさなのか判然としない気持ちが湧いた北村は、彼女から目を逸らした。


「ああ。ちょっと寝る……今何時くらい?」

「午後二時時」

「じゃあ今日は学校全時間欠席してやろ。あの教師、生徒指導が無茶苦茶すぎるんだよ……ちょっとくらい反抗してやらないと割に合わない」

「おやすみなさい。あ、でも最後に報告」

「……?」


 寝ようと目を閉じかけた彼は、最後の力を振り絞って蒼井の顔を見る。彼女は既に本を閉じ、スツールから腰を上げて教室に戻ろうとしていた。


「あなたの彼女、一年C組全員の玩具になってるんだけど」

「可哀想だからやめさせないと!!」


 寝ている場合じゃない。


――――――――――――――――――――――――


 大森結(おおもりむすぶ)という女子生徒がいる。

 蒼前学園高等部一年C組、家庭科委員である彼女が持つゲニウスの名は明楽(あけら)。ミルクを入れたコーヒープリンの時間を止めて、それを材料に前衛オブジェを作ったようなフォルムの傀儡型(ドールタイプ)だ。

 このゲニウスの能力は杉並区どころか東京全体を見てもかなり貴重で、蒼前学園は揃って大森を大切に扱っている。

 明楽の能力名は裸体少女救済伝説ネイキッドアリスレヴォリューション。内容は――


「ぎひっ……ぎひひひひひひっ! ああ美しいなァ!! 綺麗だなァ!! もっと綺麗にしたいなァ!! ぎひひひひひひひぃぃぃぃぃぃ!!」

「い、いや……いやあああああああああ!!」

「……」


 要するに『服の作成』と『超常現象じみた早着替え』がセットになった変則生産系。レアメタルや食べ物などの所謂『単品』を生産できるゲニウスは相当数いるが、このように人の手が加わった服や料理などを無から出せるゲニウスはかなり貴重だ。


 さて、そんな貴重なゲニウスとリンクしている大森は、口から涎をダクダク流し、顔を上気させ息を荒くし、今にも失神しそうな程に瞳孔を全開にして能力を行使している。明楽は大森の背後に、舞い上がった羽毛のような軽やかさを伴って浮かんでいる。

 傀儡型(ドールタイプ)道具型(アイテムタイプ)の最大の違いは人格の有無だ。有る方が傀儡型、無い方が道具型という分類をしている。明楽もその傀儡型の特徴の例にもれず人格はあるのだが、主人の大森を止める気はまったくないらしい。


 周りの男子連中も、女子連中も、騒ぎ方の内容は違うが誰一人としてゲニウスの少女を助けようとしない。ちなみに男子の騒ぎ方は下心だとかが根底にあり、女子の場合は単純に、大森コンビが作るハイセンスな服を着る少女を見ての感嘆だ。おそらくあの中の何人かは後で大森に『自分にも同じ服をくれ』と依頼するのだろう。

 大森は美しい少女、あるいは美少年と美しい服の組み合わせを見ると際限なく興奮する真性の変態だが、服を作る能力は一級品のハイギフテッドなのだ。

 今の彼女はもうかなり精神がヒートアップしているようで、止めようにも止められるのか、北村には自信がない。


「はぁーっ……はぁーっ……これは逸材だ!! 百年に一度の逸材だよォ!! ああっ……ああっ。いけない。色んな場所がグチョ濡れになっちゃうぅぅぅ!! んほぉおおおお!!」

「や、やだぁ……来ないでぇ……お前、なんか汗に混じってヤバい臭いがするんだよ! 主に下腹部から!!」


 かなり露出度を高くしたゴスロリに身を包み、露出部分を手で覆い隠しながらゲニウスの少女は悲鳴混じりに訴える。その訴えを聞いた北村は、今日一番の危機感で血の気が引く思いだった。

 ――それは本当にマズイ!

 ゲニウスの少女の証言を信じるのなら、これは本当に前代未聞の事態だ。大森はこのまま行くと気絶どころか、興奮により心臓麻痺を起こして死んでしまうかもしれない。かなり不本意だが、彼女はこの学園において衣食住の衣を一手に担うVIPなのだ。万が一にでも彼女の体調に異常が出たら、学園は杉並区民からどんな苦情を食らうかわからない。


「大森! これ以上はよせ!」


 勇気を振り絞り、大森の前に躍り出て、ゲニウスの少女を庇う。実際のところ庇っているのは危険域を突っ走る大森の健康状態の方なのだが、ゲニウスの少女にそんなことを知る由はない。

 大森の方は意識が半分吹っ飛んでいるような、正直正視に絶えないグロテスクな表情を浮かべるだけで、最早北村もゲニウスの少女も認識していないように見える。


「なぁぁぁあんだよォ! 邪魔すんなよォ! お前を一人パリコレにしてやろうかァ!? アアン!?」

「意味不明だよ!! ……と、ツッコミを入れられないところがお前の恐ろしいところだ。一人パリコレが何を意味するのかは俺にはわからないが」

「明楽! コイツ私の敵だ! そうだな!? 敵ならどんなことしたっていいんだよな!? なァ!? どんな服着せても許されるんだよなァ!! 答えろよ明楽ァ!!」


 自らの相棒に語りかけるその口調には冷静さはない。いや、そんなことはわかり切ったことだが、せめて口から垂れ流しになっている唾液をまき散らすように喋るのだけはやめてほしかった。

 語りかけられる明楽は沈黙を守るばかりだ。もう面倒になって喋る気も失せているのだろう。


「女の子をリンチする趣味はないんだけど。みんな! もうパーティは終わりだ! このバカを今すぐ拘束しろ!」

「へーい」


 名残惜しそうにはしているが、女子も男子もクラス委員長である北村の指示を聞いて、戦闘態勢を取る。生身で押え切れるようなヤツではない。後片付けができるようにあらかじめ背後に控えさせていたゲニウスに指示を飛ばし、戦闘態勢を取る。

 大半は戦闘系の能力を持っていないが、能力なしでもゲニウスは桁外れの身体能力と強度を持っている。つまりないよりはマシなのだ。

 大森は自分を囲むゲニウスリンカーの群れを見て、真っ赤な唇を三日月状に曲げる。


「来いよマネキン共ォ!! 百鬼夜行(ファッションショー)の始まりだァァァアアアア!!」

「上等だ!! やってみろってんだこの変態女ァァァァァ!! 最終決戦だ野郎共ーーー!」


 北村が先導する対大森部隊は、中心にいるラスボスに向かって雄叫びを上げながら突進していく。

 この戦いは、後に第一次大森大戦と呼ばれる大乱闘へと発展していくのだが、そのことを彼らはまだ知らない。


―――――――――――――――――――――――――――――


「……あら? あなた……」


 その大乱闘を遠巻きに、教室の外から覗いている蒼井の傍には、いつの間にかドラゴニックマスクが立っている。彼の頭の上には真っ赤な鱗の、小型犬サイズの愛らしいドラゴンが乗っていた。これが彼のゲニウス、AN-639の本体だろう。先ほどの激闘で疲れているのか、欠伸をしたり、目を薄く開いたり閉じたりを繰り返し、今にも寝てしまいそうになっている。


「……元気だな。みんな」


 マスクは眩しそうに教室の中を眺め、ぽつりと言う。


「でしょう? たまにうるさくってプチンと来ちゃうけど、いいクラスよ。ここ」

「キミは切れ性なのか?」

「ブッダの蜘蛛の糸よりは頑丈よ」

「その例えは例えになっているか微妙なんだが」

「で、何の用かしら?」


 蒼井の眼には敵意も恐れもない。実に事務的にマスクの相手をしていた。既に二回学友と交戦し、そのどちらも降しているのだが、彼女にとってそんなことはどうでもいいことのようだった。


「……北村くんのことなんだが」


 マスクは訪ねる。


「彼は琴石さんとどういう関係なんだ?」

「琴石先輩は彼の義理の姉になるはずだったの」

「……」


 教室の中を黙って見ていたマスクは、その言葉の意味を理解した瞬間蒼井の方を二度見した。


「はああああああっ!?」

「あ、はずの話ね。はず。今の琴石先輩はフリーよ」

「!!」


 何となく話の筋が見えてきてしまった。

 本当にイヤな時代になったものだと、マスクは辟易する。蒼井はマスクのその気持ちを察してか、少し柔らかい口調で語り始める。できるだけ悲壮感を出さないように務めながら。


「彼には兄がいたのよ。琴石さんとの幼馴染で、とても優しい兄だった。そんな彼は、三年前のゲニウス災害のときにリンカーになったのよ。理由は……うん。弟を守るため、かしら。ゲニウスとリンクをしたのは、弟の栄利の方が先だったらしいわ」

「今はともかく、三年前に?」


 まだ人間の味方をするゲニウスの存在感が薄かったころだ。最初の内は彼らに一方的に蹂躙されるだけで、まさかその同類が味方をしてくれるなんて人類の誰も思わなかったころ。ゲニウスリンカーが増えてきたのは、その災害が終わって一年程経ってからなのだ。


「優しいけどバカだったのよ。早死にするタイプのバカね」

「辛辣だな……」

「色々こっちも苦労したもんだからね。話、続けても?」

「あ、ああ。すまない。話の腰を折って」


 くすりと蒼井は笑った。


「別に、ここから先はどこにでもある悲劇よ。彼は当時、ゲニウス災害の避難場所だった蒼前学園を守って守って守り切って……終盤の総仕上げを琴石先輩と弟の栄利に任せて一足先に逝っちゃった」

「……そうか」

「琴石先輩も北村先輩も、多分お互いの好意に気付いてたんだと思うんだけどね。実質両想い。そのことを一番喜ばしく思っていたのは弟のアイツよ」


 くい、と呆れたような笑顔で蒼井は教室の中の北村を目線と仕草で指し示してみせた。彼は今、パンクロッカーのような服を着ていて、その後ろから彼を頼るようにゲニウスの少女が必死の表情で抱き着いていた。その重りのせいか、興奮状態の大森を気絶させるのに手間取っているようだが、彼はそれを振りほどいたりはしない。


「アイツはまだ北村先輩のことを忘れてない。忘れたがらない。そして、琴石先輩にも北村先輩のことを忘れてほしくないみたい。死んでる彼のことを、ずっと愛していてほしいのよ。栄利のヤツ、ブラコンだから」

「……だから彼は俺のことを倒したがったのか」

「自分自身でもわかっちゃいるとは思うんだけどねぇ。琴石先輩を、兄を理由に縛り付ける権利はどこにもないって。でも踏ん切り付かないんだもん。きっかけとかないし」

「忘れる必要はないんじゃないか?」


 蒼井は、声には出さなかったが『え』という顔になってマスクの顔を見る。


「忘れさせる必要もないよ。結局誰も過去を振り切ることはできないんだからさ。できないことを無理にしようとするから苦しいんだ」

「……真理だけど、さ」


 そう割り切れたらどれだけ楽か。蒼井はまた笑った。


「……そう言われてアッサリ切り替えられたら、人間なんてやってないわよ」

「それはそうか」


 マスクはそれだけ言って、踵を返した。出口へと歩きながら、背後に向かって手を振る。


「高尾山に行ってくるよ。もう時間結構経ってるけど、会えるかもだしさ」

「……諦めてくれないのね。琴石先輩のこと」

「諦めさせるつもりだったのかい? じゃあ無理だ」


 一度立ち止まり、マスクは仮面を外して、右顔だけが見える程度に振り返ってニヤリと笑いかける。


「俺は愛とお菓子に生きる男、ドラゴニック・マスクだぞ」

「……くっせー」

「ははははははは」


 仮面をまた取り付けて、また出口へ歩き出す。もうマスクは振り返らない。手を振りもしない。


「変なヤツ」


 誰にともなくコメントし、蒼井は意を決して教室の中へと入っていき、大乱闘へと参加した。最早大森は気絶しているのだが、彼らは未だに大乱闘を続けていた。誰かを傷つけるためではなく、ただ楽しむために。

 今この瞬間に生きるために、彼らは目の前の敵を薙ぎ倒していく。


「私も入ーれてっ!!」

「げ、げぇーーーっ!! 蒼井が来たぞーーー!!」

「気を付けろーーー! 真っ黒に染められるぞーーー!!」


 この乱は、広田が帰りのホームルームをするために教室に入ってくるまでずっと続いた。

ゲニウスナンバー:DO-295

能力名:裸体少女救済伝説

フォルム:ミルクティー色の体に純白の螺旋が入った人形。


内容:使う人のセンスが問われる上級者用のゲニウスです。このゲニウスは対象にピッタリの服を作ることができますが、それはサイズの話であってデザインの話ではありません。DO-295に望みどおりの服を作成させるには、使役者の方に相応の才能と努力が必要でしょう。

 使役者にそれが備わっていれば、さしだされた設計図がかなり大雑把な線画でも、意志を汲んだ完璧なデザインをしてくれます。

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