第5話 お菓子と愛と青春と
「……フェイントだね。避けようとすれば当たってた」
深紅の槍の矛先は確かに北村に向いていた。だが念動力のようなもので射出される寸前、槍はそれぞれ微妙に矛先を変えていたのを北村は見逃さなかった。
標準は北村の元々いた位置ではなく、全て『逃げ道に突き刺さる方向』へと射出されていたのだ。
傷一つ付いていない北村を見て、マスクは仮面の裏でニヤリと笑う。
「なるほど。確かに戦い慣れしてるな。それも一ヶ月や二ヶ月そこらじゃない。一年、いや二年、それ以上戦ってきましたって感じだ。素人ならフェイントに気付かずに槍が突き刺さってジ・エンドだったろうに」
「彼女と出会ったのは三年前の『ゲニウス災害』のちょっと前さ」
北村はそれ以上語らない。口を滑らせかけてしまったことに背筋を冷やしながら、周りに突き刺さって制止している槍を見た。
(……色が変わってるな)
その色は溶けた蝋燭のようなツヤのある赤から、情緒も風情もない鈍色に変化していた。再び動いて北村の方に向かってくる気配もない。
(確信はないけど、鱗を動かすにはエネルギーが必要なのかな。赤い鱗は『エネルギー満タン』の状態。今の槍の鈍色は『エネルギーゼロ』の状態、ってところか。なら)
北村は覚悟を決めて、また動き出さないとも限らない槍を手に取る。ひやりと冷たく、鉄のように固いそれを校庭から引き抜いて、慣れた手つきで構えた。
「ん。棒術を使うのかい?」
「兄貴の影響でね。自分の棒を作る程に熱中はしなかったけど」
そう言う北村の槍の持ち方は、難しそうな動きは一切していないにも関わらず、変幻自在に変わっていく。先ほどは剣道のような手つきだったはずだが、いつの間にか槍の中程を持っていて、そしてまた気付くと違う構えを取っている。
まったく激しい動きはしていない。彼の纏う雰囲気は動というよりは静のそれだ。それ故か彼の動きに『写真の中の人物が動いている』ような凄まじい違和感を感じる。
「六尺棒くらいはあるか……よし!」
「――ッ!?」
マスクは目を疑った。北村と自分の距離は少なく見積もっても十mは離れていたはずなのだ。
なのに、何かを確信して頷いた北村を見たと思ったら、北村は自分の首に槍を突いていた。
瞬きはしていなかったはずだ。距離感を誤認していたのかと思ったがそれもない。何かの能力で自分の時間間隔がストップし、その間に距離を詰められたというわけでもなさそうだ。
遅れてマスクは、彼が瞬間移動をしたのではなく『認識できるかできないかの高スピード』で自分に突きを食らわせたのだということを、遅れて理解した。ちゃんと彼は、彼が移動するところを見ていたのだ。
「……むっ?」
だが勝負は決しなかった。北村の手には、正確にマスクの喉仏を突いたという手応えがなかったからだ。どこかに当たって制止はしているが、何かがおかしい。
「……いくら尖ってない方だとは言え、これ突かれたら相当痛かったんじゃないかな?」
「うっ?」
喉に突きつけられている槍をマスクは右手で握りしめる。すると握った部分から、槍が鮮やかな赤色に変わり、完全に射出前の状態に戻ってしまった。
(まっず! これリンカーが触るとエネルギーが戻るのか!?)
すぐに手を離そうとするが、その前に槍が変形し、手錠のような形になったそれは北村の両手首を拘束した。端の方をマスクが持っているから、完全に逃げられなくなっている。
「確保。そして既に、次騨装填済みだったりして」
「!」
顔に影が出来たのを自覚し、北村は上を見上げる。先ほどのようなフェイントではない。百本の槍が北村を睨んでいる。再びそれは射出され、空気を裂いて北村へ襲いかかる。
「……!」
だがそれが突き刺さる前に、北村はマスクの眼前からいなくなっていた。マスクが手綱を持つ力よりも強い脚力で、北村が後ろへ跳んだからだ。その直後に金属と金属がぶつかるような音がしたので、槍に手枷をわざとぶつけて拘束の破壊までしていったようだ。
槍の巻き上げた粉塵のせいで今一前がよく見えないので、予測を立てるしかないが、彼はおそらくそう遠くまでは行っていないはずだと考えた。
「隙ありィ!!」
「がおっ!?」
マスクは目を丸くする。まだ自分の前からそう遠くには行っていないはずだった北村は、なんと後ろから丹下の鱗をすれ違いざまに切り裂いていたからだ。丹下の右の翼は縦に大きく切り込みを入れられ、落ちる寸前になっている。
「丹下!? 大丈夫!?」
「がおる……」
丹下の顔にはダメージよりも、驚きの色が浮かんでいた。彼女の眼にも北村は遠くに行っていないように見えていたのだろう。
砂塵と槍を陰にして後ろに回り込み、助走を付けて飛び上がり、すれ違いざまにゲニウス能力で翼を切ったとしか思えないが、一体どれほどのスピードがあればそんなことが可能なのだろうか。想像するだけで鳥肌が立つ。
「……高速、か」
それも前に戦った琴石のような、猪突猛進、一直線なスピードではない。可変自由、敵を後ろから切り刻むのが得意な曲線のスピードだ。
まるで獲物を後ろから追跡する獣のようだとマスクは思った。
「いや。これは本当に……」
――獣だ。
マスクは確信する。翼に付いている切り傷は、三つに並んだ縦の傷。まるで獣の爪に引っかかれたような等間隔の傷だった。
(獣に変じる能力は一体いくつあったかな? 五十件、三十件……いや、もっと少ないか)
校庭の地面を抉りながら靴底でブレーキをかけている北村を注意深く観察しながら、マスクは声を上げて笑った。
「はははははっ! 楽しいモンだなぁ! 巨大な力の撃ち合いっていうのはさぁ!」
「俺はそんなに。勝負は楽しみより勝利こそが目的だもん。特にちょっと前だったら、敗北がそのまま死亡とイコールだったしさ。未だにそういう戦いもあるしね」
右手の平に目を落とし、北村は溜息を吐いた。三年前にゲニウスを手に入れたという彼は、この国の法体系を崩したゲニウス災害の当事者でもあるのだ。
彼だけに止まらず、この三年の内に大きな何かを失った者は数多くいる。マスクすらも、あの災害において大切なものを失くした一人だ。事情を聞かずとも、彼が自身と同類であることは匂いでわかる。
「……マスクさんはさ。どうしてこの学園に来たの?」
「ん? んー……」
ばつが悪そうに首を掻くマスクに、北村は踏み込んだ質問をする。
「アネ……琴石さんに惚れたとか?」
「みゃっ!?」
図星を突いたようで、マスクはその途端に余裕を失くしてあたふたと忙しなく体を捻ったり、ぐねったりする。
「い、いいや!? 別に、そんなことはないけどっ!? あの程度の女の子なら別に! 七十億人中一人くらいの女の子になんて、ぜーんぜん興味ないよっ!?」
「それほぼ全人類中のたった一人じゃん。遠回しな告白かよ」
「……」
ミシ、とマスクの関節から軋む音が聴こえた。彼は体を捻る動作をやめたかと思うと、地団太を踏みながら北村に怒鳴り始める。
「ああ好きだよ! 惚れたさ! 恥ずかしいことに一目惚れさ! 笑えよ! この時代に似つかわしくないロマンチストだと嘲笑ってみろよォ!!」
「開き直るなよ!! 別に好きなら好きでいいじゃんか!!」
「弁解させてもらうけどなァ! あんな女の子、日本列島どこ探したっていないって断言してやるぞ! 絶対に折れない不屈の精神、希望を見据えているかのような煌めく瞳、この時代においても人を思いやれる美しい心! これで惚れない方がどうかしてるんだよォーーーッ!!」
「ウゼェ! ガチ惚れしてやがる!!」
あまりにも本気だったものだから、訪ねた本人である北村の方が引いてしまう。確かに北村の眼から見ても、それどころかおそらく学園にいる教師、生徒の総意を集めた上でも、琴石蜜は綺麗な女の子だった。別にこういう輩が数人出てきてもおかしくはない。ただし、これは少し情熱的に過ぎているが。
「……誰が誰に惚れようと自由だ。だけどさ。彼女は自分より弱い男にはなびかないよ」
「それは」
「わかってるさ。前に勝ったってことは。でも」
言いかけるマスクを制し、北村はブレーキの体勢のままだった構えを元に戻した。しっかりと地面を踏みしめ、力強い瞳でマスクを睨んだ。
「ここで俺に負けたら、それは偶然でしかないってことになる。彼女の名誉を守りきるためにも、俺はここで倒れるわけにはいかない!」
「……キミも好きなのか?」
「いや。恋愛対象としては見てないよ。だけど色々とあるんだ」
北村は言いながら両手を軽く上げ、1回手を叩く。
「色々と、さ」
「がるるるるるるるっ!!」
一瞬にも満たず、手拍子と同時に、丹下の左の翼を食いちぎる白い影は、驚くマスクと目が合うや否や標的を彼に変え、恐ろしいほど研ぎ澄まされた牙を剥き襲い掛かった。
(――ッ!? この獣、いつの間に!?)
先ほどまで影も形も見えなかったそれに、しかしマスクは既の所で対応してみせた。服の中に隠し持っていた丹下の鱗を棒に変形させ、地面に突き刺す。如意棒のように伸びたそれの端を掴んでいたマスクは、なんとか獣と距離を取ることが出来た。続いて牽制に、丹下自身から鱗の槍を生成し、飛ばす。当然獣はそれを避け、マスクから更に離れた。
一度は凌ぎ切ったが、どうやら獣も北村もこのまま畳みかける気のようだ。槍を避けた獣はまだ丹下とマスクに殺気を放っているし、北村の方も素手でこちらに向かってきている。
(どっちも油断できないなぁ。北村くんの方も丹下に傷を付けてるわけだし……だが)
もう携帯でゲニウスの正体を突き止める時間はお互いにない。そして、マスクの方はその必要がなくなっていた。
(ゲニウスナンバー、AN-137。能力名は『不合理な交換』。その内容は――!)
「うおおおらああああ!! 行くぞ忌華ぁーーー!!」
「がるるらららららら!!」
真正面から来る彼らの力の正体を、今度こそ正確にマスクは理解する。人間の北村の手は、獣のそれとまったく同じ『猛獣の手』に変化していた。
(主従関係間における交換! ゲニウスとリンカーの間柄でならどんなものでも交換ができる! 体、所持品、主従関係そのものまで! そしてこの交換の不合理な点、それは!)
マスクは忌華と呼ばれた白い狼の方にも目を向ける。忌華の手は、北村と交換している途中にも関わらず、変わらずに獣の手のままだった。
(主人側の所持品と、従者側の所持品。交換成立に微妙なラグが発生しているということだ! つまり戦力はそのラグ分、一人と一匹ではなく『ゲニウス二匹』というカウントになる!)
先ほどの一瞬で距離を詰めての突きは、おそらく獣の脚力を使ったのだろう。交換の途中で能力を中断したから、彼の足が獣のそれに変じたことに気付けなかったのだ。北村が丹下の後ろに回ったときも、獣の脚力を使ったに違いない。切り傷に関しては言うまでもない。
(厄介な能力だな……)
マスクは、彼らを迎える前に大きく素早く息を吸い込み
(厄介すぎて面白すぎて愛おしいよーーー!!)
狂喜を顔面いっぱいに張り付けて大きく笑った。とても人目には晒せないような表情だったから、仮面を付けていてよかったと心の底から安堵した。
「たぁぁあああんげぇぇぇえええええ!!」
仮面が共振でひび割れる程に叫び、丹下もそれに呼応し、死力を振り絞って翼の鱗を全て槍に変えて射出した。夥しい量の槍のスコールが北村たちに降り注ぐが、彼らはそれでも前進をやめない。槍は爪で叩き落とされ、ときには踏み潰されていなされた。
しかし、全てを叩き落とすことはできない。北村と忌華は決定的なダメージにならない槍をあえて無視していたため、ときには脇腹を、ときには頬を、ときには腿を槍が掠めていた。
「忌華!」
二匹が爪の射程圏に入るのに時間はかからない。忌華は大きく地面を蹴り、丹下の腹に食いつき、そのまま弾丸のように背中まで突き破った。
(……勝った!)
血の混じった汗に全身を包む北村は、声には出さないが勝利を掴んだと目を煌めかせる。
「……?」
だが、勝利の雄叫びを忌華は上げない。まるで虚を突かれたような、感情が抜けた目で疑問に思う。そして、忌華が開けたその穴を見て、北村も同様の目付きになった。
(……内臓が、ない)
「ごめんね」
最後に聞こえたのは、マスクの申し訳なさそうな言い訳だ。
「丹下の本体はチワワサイズなんだよ」
赤い鱗でコーティングした右拳で殴られた北村は、そのまま校庭に沈み、意識を手放した。