第4話 この時代の掟
「やめろー! 出せー! 出してくれーーー!!」
「……」
マスクと丹下は、揃って白い眼で目前の3人を見ていた。
一人は数学教師の広田。何か文句でもあるのか、とでも言いたげにふてぶてしく煙草をふかしている。
もう一人はそのゲニウスらしき童女。髪の毛が羊の毛のような質感で毛の色は純白。頭には螺旋角が2つ左右対称に突き出している。体の大部分は人間なのでおそらく人間型だろう。
最後の一人は、空中に浮かぶ『巨大なシャボン玉型の結界』の中で必死にもがいている少年だ。制服を着ていて、目付きは猫のように柔らかく、髪は直毛。背は高校男児としては高くもなく低くもない部類の、どこにでもいそうな男子高生だった。
「……えーっと……一応確認しておきたいんだけど、俺がやるのオセロとかじゃなくって、ゲニウスリンカー同士の模擬戦だよね? 見た目で人を判断したくはないんだけど、その人本当に戦闘班?」
「一応」
「あ、一応なんだ……」
納得したと同時に面倒そうな目になったマスクに、広田は言う。
「だが現状、お前にわずかでも勝ち目のあるヤツはコイツしかいない」
「!」
「模擬戦とは言え、負ける気はない。舐められっぱなしもイヤだしな」
「俺は舐められっぱなしでも構わないよ! だから出して! 不戦勝でいいから!」
「……」
元も子もない少年の訴えを、広田は聞こえてないかのように振る舞い、煙草を咥えながら指を弾いた。
それを合図に、校庭の外苑に備え付けられているスプリンクラーが作動する。
「げっ!!」
「?」
その途端、顔面蒼白になった少年を眺めているマスクは疑問に思った。その雰囲気を仮面越しに感じ取った広田は説明する。
「日子の能力『快眠羊製泡布団』は、バリエーション様々なシャボン玉型の結界を発生させる。この結界は通常の物理現象で破ることは一切できず、今この北村栄利を閉じ込めている結界は『外からは入れるが中からは出れない』という性質を持つ」
「……あっ」
「気付いたか? まあ、見えてるからな」
シャボン玉に触れた水滴は、弾かれることも変形することもなく、すっと中に入っていく。しかしそれが地面に落ちることはない。丸いシャボン玉の中に水は溜まっていき、水嵩はわずかだが少しずつ上がっていっている。
「うおおおおおお! 冗談じゃないよ先生! これ仮に窒息させる気がなかったとしても結構精神に来るんだよ!? というか時計はともかく携帯は防水加工してないから、腰のあたりまで来られると凄く困るんだけど! ねえ!!」
北村と呼ばれた少年は、上から降ってくる水滴と増していく水嵩に追い詰められ半狂乱になっている。そこに広田はダメ押しをかけた。
「……模擬戦、やる?」
「やるやるやるやるやる!! 日子ちゃん! お願いだから能力解除してーーー!!」
日子と呼ばれた羊髪の童女は、広田の顔を見上げて確認を取り、アイコンタクトで承認が得られるとシャボン玉の結界に手を触れた。これまで不自然な現象を引き起こしていた結界は、それだけで普通のシャボン玉のように弾けて消える。
溜まっていた水と共に地面に降り立った北村は、軽く身震いして水を払い落とした。
「くそう。こんな時代でなかったら訴えてるのに」
「こんな時代でなかったら俺は教師なんざやれねーよ。教員免許持ってないし」
「……」
――今さらながらとんでもない時代になったなぁ。
北村は濡れた髪をかきあげながらつくづくそう思う。スプリンクラーはいつの間にか動作をやめていて、地面はいい感じにならされていた。
「……でもいきなり何で模擬戦なんか?」
北村が固くなった地面を蹴りつつ訊くと、広田はスプリンクラーのせいで湿気た煙草を名残惜しそうに見つめながら言う。
「お前、最近戦ってないだろ」
「うっ……」
「お前の十八番は知ってる。知ってるが、長い間訓練してないとやっぱり鈍るモンだろ。真っ向から強敵を迎える準備くらいはしておいてもいいはずだ」
「……案外まともな理由だ」
正論だった。最近北村が戦闘訓練や演習に身を入れてないのは事実だし、それで勘が鈍ったんじゃないかと言われれば心当たりがある。
ちょっと前、忌華とリンクを結んだ直後あたりの方がまだ強かったんじゃないかというくらいに弱化している自覚もあった。それは北村が蒼前学園の組織としての仕事を放棄していたという意味ではなく、彼の性格的に後ろから戦う仲間を助けたりする方が好きだったから、というだけで戦闘から本当の意味で身を引いていたわけではないのだけども。
「……あーあ。忌華が戦闘系の能力じゃなくって、生産系の能力持ってればよかったのに。食堂の白岩さんみたいなさ」
「お前この前の家庭科の点数破滅してなかったっけ?」
冷えた煙草に何とか火を付けようと努力する広田を北村は睨み付けた。
広田はその視線に気づくと肩を竦め、煙草を携帯灰皿に入れながら日子に声をかける。
「じゃあ日子。頼むな」
「任せてよ」
広田に自信満々に応え、日子はポケットからシャボン玉用のストローを取り出した。シャボン液に浸すことなくそれを咥え、日子は思いきり空気を吹き込む。
それはまさに一瞬のスペクタクル。あっという間にシャボン玉は、日子の身長どころか校庭の百mトラックよりも巨大になり、風に揺られて大きくたわみながら尚も膨らんでいく。
十秒もしない内に校庭と同程度に膨らんだシャボン玉は、一度ストローから切り離された後、空へとゆっくり舞いあがり、そして落ちてきた。
落ちたシャボン玉は校庭にいる北村とドラゴニックマスクと丹下、日子と広田を抵抗なく中に引き入れ、球の底が校庭に触れると半球状のドームに変わった。ドームは校庭をすっぽり覆い尽くしている。
「よし。ゲニウスの攻撃を防ぎきれるかどうかは自信がないが、巻き上がった砂塵や石片は絶対に結界の外には出ないと保証しよう。いい子だ」
広田は日子の頭を優しく撫でた。日子は嬉しそうに顔を綻ばせながら広田を見上げる。
「後で飴買ってー」
「飴なー。虫歯になるから別のにしようぜ」
「飴がいいのー」
親子のような微笑ましいやりとりを尻目に、北村は準備運動とストレッチを行っていた。北村の戦い方は移動が激しい。もしも足がつったりしたらその時点で負けが決まってしまう。
充分に体を解した後、北村はマスクと丹下に向き合う。
「よしっ。やろうか」
「おや?」
マスクは小首を傾げている。北村の傍にゲニウスの姿が見えないことを訝しんでいるらしい。
「アンタの疑問に答える義務はない。かなり卑怯だけど、何としてでも勝ちにいかせてもらうよ。この先生を黙らせるにはそれしかないみたいだしさ」
「ふむ……」
彼が操るのは小型のゲニウスなのか、とマスクは予測を立てた。服の下に着込んでいるか、あるいは体の中に埋め込んでいるかしているのだろうと。
ゲニウスなしで戦闘能力持ちのリンカーに挑もうという概念は、この時代に存在しない。それはキングの駒なしでチェスを挑むような、大前提すら満たせていない愚行だからだ。時間稼ぎはできても勝つことだけは絶対にない。これはマスクの認識というよりは、ゲニウスという存在の仕組みと表現した方が手っ取り早いだろう。チェスの駒を正攻法で討ち取れるのは、同じくチェスの駒だけなのだ。
マスクは逡巡した後、広田に一つ問うた。
「広田先生。殺す以外のことは何をやってもいいんだったな?」
「ああ。うちの保健委員は優秀だからな。決定的な致命傷を負わせない限りは何をしても許す」
その言葉にマスクは頷き、纏う雰囲気を大幅に変えた。
「……その言葉、後で撤回しないように。丹下!」
「がおー!」
ドラゴンの翼が大きく広がる。丹下自身の体躯よりも大きく、雄大に開いたそれからは、威圧感のようなものが発せられ、空気を震わせ北村の肌に伝わってくるようだった。
マスクの眼光は仮面越しでもわかる程に鋭くなっており、本気で北村を潰す気になっているということがわかる。
「卑怯だと言ったな。ならば、こちらも卑怯な手を使わせてもらおう。キミにはこれから先、携帯をいじくる暇を与えない!」
「!」
――しまった!
北村は歯噛みする。呑気に話し込んでいたせいで、敵のゲニウスの情報を調べることを失念してしまっていた。そして相手は携帯をいじくる暇を与えないと言う。おそらく、携帯を彼の目の前で取りだしたが最後、それは一瞬で叩き壊されるだろう。
(情報がないのはお互い様か。いや、禁止にされて『はいそうですか』と大人しく聴く道理もないな)
「……とは言っても、隠す程内容のある能力じゃないんだが」
頭の回転を中断させるようなタイミングでマスクは行動を開始した。右手を軽く上げ、丹下に合図を送る。丹下は足をしっかり地に付け、ふんばり、翼に力を込める。何か、固いモノが連続で割れるような音がした。
その音が大きくなるに連れて、丹下の背後に赤く光る何かが風船のように浮遊し始める。
「……鱗か!」
「正解。じゃあまずは小手調べ」
翼から剥離した赤い鱗が、まるで流動体のように柔らかく滑らかな動きで変形し、無数の細い棒になった。
しかし、よく見てみるとそれが棒ではないことに北村は気付く。先の方が鋭く尖っているので、装飾や色彩は一切ないが、まさしくそれは槍だ。
「まずは百本の深紅の槍をキミにあげよう」
「――ッ!?」
槍の全てが先端を北村の方に向け、重力や風の抵抗を加味すると不自然なほどの直線を描き、北村の方へ突っ込んでくる。
空を切る音がここまで強く聴こえたのは、初めてのことだった。
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(……バカだアイツ)
ゲニウスの少女は、どさくさに紛れて一年C組の教室へと侵入していた。先ほど北村に貰ったブレザーを握りしめながら、砂塵の舞う校庭を窓から見ている。
(さっき自分のゲニウスと別行動を取ったばかりじゃないか。下手な意地を張らずに、ちょっと待ってもらえばよかったのに……)
「心配してるのかしら?」
ゲニウスの少女に話しかけたのは蒼井だ。蒼井は楽しい見世物でも見ているかのように、少女の顔を見て笑っている。
「何?」
「いやぁ? マジックショーで面白いのって、何もマジシャンそのものじゃないなって思ってね。隣でアホ面引っ提げてる無知な子供の顔も中々のショーだと思うの」
「……」
ほぼ初対面の相手に向かって、随分と口が悪い。少女は憮然とした顔を作る。
蒼井の後ろにいるクラスメートの女子は、その様子を見てすぐに弁解した。
「ご、ごめんね! 蒼井ちゃん、口は悪いけど根は悪い子じゃないんだよ!? というかコレほとんど無意識で口にしてるだけで、含みは特に無いの!」
「それはそれでどうなんだよ……」
「あ、そろそろ砂塵が晴れてきたわよ」
蒼井に促され、少女は窓の外に目線を戻す。
「……!?」
目を剥かずにはいられなかった。あの槍は、どうやっても人の身で避けられるようなものではなかったはずだ。遠目だからこそ、それがよくわかる。
なのに、窓の外に見える光景はそれを容易く裏切ってみせていた。
「ほら。こういう表情が面白いのよ」
蒼井の声も聞こえない。
少女の眼は、校庭の北村に釘付けになっていた。
無数の槍の隙間を縫うようにして、平然と立っている北村に。
ゲニウスナンバー:HN-841
能力名:快眠羊製泡布団
フォルム:羊の角と羊の毛が頭から生えている人間。
内容:シャボン玉に似た形の結界を作り出すことができます。結界の種類はバリエーション様々。結界の強度は折り紙付きで、通常の物理法則に従っている限りはどんなことをしようと割れることはないでしょう。
ただし、触れない物、触ったことが実感できないものは、この結界の影響を受けません。よって、遮光効果や断熱効果などは一切期待できませんのでご注意ください。