第1話 ゲニウスリンカー
二〇一九年。パソコンや携帯電話などに入れて使用するアプリケーションソフト『ゲニウス:クラウン』の利用者が三百万人を越したころに、その異変は起こった。
ゲニウス:クラウンのアバターが突如二次元の世界より飛び出し、三次元の世界へと侵攻を開始。日本の領土二割程がアバターに乗っ取られてしまう。
人に作られた存在である彼らは、人の英知を凌駕する力を用いて人々を殺し、蹂躙し、奪い、暴虐の限りを尽くす。
だが彼らの侵攻はものの一ヶ月でストップすることになる。アバターの中には、元の持ち主の味方をする者が数多くいた。人類側とアバターの結託により、悪のゲニウス:クラウンは一挙に駆逐され、人類は束の間の平穏を手にした。
これが今から三年前、日本という小国で巻き起こった一大抒情詩の概略。
現在二〇二二年、日本はかつてない程の無法国家と化している。
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うまいBoyという菓子がある。日本に数十年前から存在する株式会社ヤマカンズが作ったこの菓子は、今も昔も、老若男女の心を掴んで離さない大人気銘菓だ。
アルミ製の袋を開けた途端に鼻を突く油の臭いが人気の秘訣で、口に入れた後ものっとりとした喉越しで中々咀嚼できない。しかし不思議と後を引くために、日本でメタボになる人間の肥満の原因は、八割方これだとも言われている。
さて、株式会社ヤマカンズはゲニウスが発生し、その対策にやっと一段落付いた現在、やっとのこと経営を再開することができた。生産、流通がストップした数ヶ月前からは想像も付かない程、全国のコンビニでごく普通に売られている。
ただしそれは数ヶ月前と比べたらの話だ。さらに前と比べると、ゲニウスの脅威がどれほどのものだったのかを身近に思い知ることができる。売値自体は変わらずとも、生産数自体はまだ少ない。
そしてこれから非常に下らない話になってしまうが、うまいBoyがいくら菓子であろうと『食糧』であることは変わりない。人間も動物である以上、食欲には忠実だ。更に言うと、今の日本はゲニウスを手にした人間『ゲニウスリンカー』が全人口の六割を越している。
その六割の中の極一部の中に、食欲に全力で突っ走る大バカ野郎が一人や二人いてもおかしくない。
新宿方面へと流れる首都高速を走っていた大型トラックは、今まさに、その大バカ野郎のせいで立ち往生してしまっていた。
「私の名前はドラゴニック・マスク!! さあ! そのトラックの積み荷を全て私に渡してもらおうか!」
赤い鱗、燦然と輝く目、真珠のような白い牙を持ち、大人の身長の五倍はありそうな巨大なドラゴン。それを後ろに控えさせて無茶苦茶な要求を突き付けるは、新聞紙で作ったのであろう安っぽい手作りの赤い仮面を装着した細身の男だ。身のこなしと言動に震えが一切なく、一種やりなれた雰囲気を放っている。
その異様な光景を目にするトラックの運転手は、無精髭の生えた中年のくたびれた男性だ。紛うことなき強盗、それも巨大なドラゴンを伴ったそれと対峙しているにも関わらず、落ち着き払った表情でシガレットライターのボタンを押している。
「……あれが最近東京の各所でお菓子泥棒を働いてるドラゴニック・マスクか。いざ目にしてみるとチープだねぇ」
「ん?」
ドラゴニック・マスクは首を傾げる。ゲニウスリンカーが日本人口の六割を越している今、襲った相手がそうでない確率の方が少ない。
事実、お菓子泥棒を働いた際に反撃に合うことも間々あった。だがドラゴニック・マスクの持っているゲニウスは戦闘向き且つお菓子好き。士気と能力が合わさったゲニウスに勝てる者などそうそういるわけもなく、大抵は圧勝の形でお菓子泥棒を完遂させていたのだが。
「……あれ? あのー……まさか」
「んん。毎回奪われるのも芸がないだろ」
熱されたライターにタバコを押し付け、一吸いし、紫煙を吐いてドライバーは言う。
「たまには大敗も喫してみたらどうだい? ドラゴニック・マスクさんよ」
「……ッ!!」
――用心棒。
そのワードがドラゴニック・マスクの脳裏を駆け抜けた次の瞬間、首都高速のアスファルトが粉々に砕けた。一瞬早くドラゴニック・マスクはドラゴンと共に後退し事なきを得たが、遥か上空より高速で飛来してきたその黒い影に激突していたらと思うと、全身の体温が一気に冷える勢いだった。
「くっくっくっく……避けたか。お菓子泥棒なんて間抜けな異名だから心配していたんだがな」
黒い影は人の形をしている。だが全身が真っ黒だ。サイズはドラゴニック・マスクより少し小さいくらい。人間的な動きをしているにも関わらずロボットのように光沢を放っている。ヘルメットを被っていて顔がよく見えない。何かのスーツに全身を余すところなく包んでいるということに気付いたのは、砕けて舞ったアスファルトが晴れてからだった。
「傀儡型のゲニウス……?」
「不正解。道具型だ」
ドラゴニック・マスクはポケットから携帯電話を出し、ネット回線に繋いだ。そして旧ゲニウス:クラウンの紹介ページへと移動し、目に見えるゲニウスの特徴をありったけ入れて検索する。
(黒いフォルム……人型……多分、身に着ける鎧型……っと)
検索するとローディングの間を置いて、いくつかゲニウスの画像が出る。その中に、目の前のゲニウスとまったく同じ形の鎧が写った画像があった。すぐにクリックし、詳細を見る。
(IT-456。能力は『装着した人間の体がどんな加速にも耐えきれるようになる』……か)
ゲニウスの情報は、旧ゲニウス:クラウンの公式ホームページで全て調べることができる。日本が無法国家となった今でもネット環境はまだ生きているため、基本人類に『未知のゲニウス』は存在しない。
当然、ドラゴニック・マスクのゲニウスの情報も相手方に筒抜けになっていることだろう。
黒い鎧を身に纏った謎の用心棒は、腰に手を当てながらドラゴンを呑気に見ている。
「AN-639か。画像ではわからなかったがデカいなー。しかも現実に存在しない幻獣をモチーフにした動物型のゲニウス」
「ふん。余裕こいてられるのも今の内だ。我がゲニウス、命名『丹下』は強いぞ?」
「あ、名前付けてるんだ……」
変なところに関心を示すな、とドラゴニック・マスクが首を傾げる。すると、黒い鎧は親指で自分を指して見せた。
「このゲニウスの名前は、今日から『黒飴舐め太郎』だ!! よく覚えておけ!」
「ダサい!!」
しかもその鎧は、たまに暗い赤のラインが混じった漆黒のフォルム。茶色っぽさがまるで無いので、とても黒飴を連想できそうにない。
マスクの心の中でとめどなく苦言が溢れてくるが、黒い鎧はそんなことを意に介さず、構えを取ってすぐにでも戦おうとしている。
「さあ! 我が黒飴舐め太郎の能力『火竜越えの翼』の加速にどこまで付いてこれるかな?」
「……お前がそれでいいのならいいんだけども……さ」
仮面の向こうの目が気まずそうに動いていることも、やはり黒い鎧は気付かない。
マスクは手を軽く振り、丹下に指示を送る。
「やることは変わらない。行こう、丹下」
『がおー』と応えるように丹下は泣き、一体どうやってしまっていたのかと問いかけたくなる程に翼を広げる。その翼の全長は、両方合わせて首都高の幅を優に超す程のものだった。
「うまいBoyは俺と丹下のモンだァーーーッ!!」
「違う! 私たち、蒼前学園高等部購買部のモンだァーーーッ!!」
赤と黒、二つのゲニウスが激突する。
法を失い、人々の自由が互いに激突しあう時代。こんなことは日常茶飯事だった。
輸送トラックのドライバーは、腕時計を確認しながら苦い顔になる。
「やるんなら首都高でなくってもいいだろうに」
◆ゲニウス:クラウン公式HPより抜粋
ゲニウスナンバー:IT-456
能力名:火竜越えの翼
フォルム:近代化された黒い鎧
内容:鎧全体に加速装置の付いた道具型のゲニウスです。これを着ると、人体が極度に加速に強くなり、あらゆる摩擦、あらゆるGにも耐えきれるようになります。生身にピッタリと張り付き、どんな体系の人にも着こなせるようになっておりますが、その性質故に鎧内に異物が入るとセンサーが働き装着が不可能となります。着るときは全裸推奨です。