97日目 動き出す者達
世の中には不思議なことが多い。
例えば幽霊。
見た事も無いのに、人は何故幽霊を恐れるのだろうか?
そこには人類に共通の、ある種の遺伝的な要素があるのかもしれない。
遺伝。
DNAという血と螺旋の繋がりによって受け継がれてきた物。
目には見えない何かの囁きにより。
僕らは恐れ、あるいは崇拝し、惹かれあう。
あるいは、目にも見える物。
家柄、家督、財産。
血の繋がりには、そんな物もあるだろう。
僕らのクラスにも、強大な遺伝の力を体現する人物が居た。
賢者王子。そう呼ばれる彼は、遺伝の力により端整な美貌を手にしていた。
さらに最近追加された情報によると、家柄もパネェらしい。
ありとあらゆる物に恵まれた彼は、その立場を示すかのように見目麗しい少女に囲まれていた。
女子に囲まれる賢者くんの姿を遠くから眺めながら、僕は嘆息をついた。
以前聞いた賢者くんの言葉が自然と脳裏に甦った。
――彼女達の実家はウチの分家筋に当たるみたいで、つまりはそういう関係
――彼女達は、義務として尽くしているだけなんだ。正直、辛いよ
今までただの賢者くんのファンクラブだと思っていた女子達は、実はそうでは無いらしい。
中々に複雑な立場に置かれる賢者くんの姿を見つめて、僕は再び溜息をついた。
何故か僕は賢者くんと対立している。
それはまあ別にいいんだけど、問題は彼を囲む女子達だった。
彼女達は四方天と呼ばれる四人で、選りすぐられた美貌と格闘術を持つという。
賢者くんと敵対するという事は、必然的に彼女達の敵にもなる、という事だ。
面倒この上ないが、さらに面倒なことがあった。
彼女達の内の一人は、賢者くんと関係なく僕の命を狙っている。
僕の抹殺を図る少女、飛天。
かつて僕は彼女を警察に通報した。
そんなささいな事で、僕は命を狙われているのだ。
僕が悪いのだろうか?
しかし顔をお面で隠した人が、竹刀を片手に喧嘩を売ってこられたら通報するだろう。
僕の行動は何一つ間違っていないはずだ。
そんな少女の素顔を、僕は知らない。毎回お面被ってたしね。
色々な意味で徒労を覚えながら、僕は賢者くんとその取り巻きの姿を眺めていた。
ぼーっとしている僕の机に、田中くんが通り過ぎ様に紙切れを置いていく。
僕に言葉もかけずに足早にさる田中君。
その背中を訝しむように眺めたあと、彼が残した紙片を開いた。
そこには土竜と名乗る男子生徒から、昼休憩に屋上に来るようにとの伝言が書かれていた。
「実は耳寄りな情報がありやす」
「……なに?」
土竜と自称するその学生は、胡散臭いサングラスを自慢気に光らせた。
よく分からないが、賢者くんと僕のバトルを応援したいらしい。
もっとも、彼の本心がどこにあるのかは未だもって分からなかった。
疑るような視線を土竜に向ける。
しかし彼は僕の内心などどうでも良いのか、簡潔に説明を始めた。
「四方天の一人、外天が動きやす。ダンナを狙って、ね」
四方天。
賢者くんを取り巻く女子の中でも、選りすぐられた四人を指すらしい。
戦闘力も高いという彼女達であるらしいが、狙われるとは具体的にどういう意味だろう?
まさか闇討ちでも仕掛けてくるとでも言うのだろうか?
僕に闇討ちを仕掛けてきた飛天という少女を思い浮かべながら。
一筋の汗を額から流しつつ、僕はポーカーフェイスを保ちながら言った。
「それを聞いた僕はどうすればいいのかな?」
「さあ? あっしが知っているのはそこまででしてね」
何とも無責任な口調で土竜が言う。
肩を竦めてみせる彼に、僕は震えそうな手でポケットをまさぐる。
そして綺麗に封がされた便箋を取り出すと、土竜に向かって掲げてみせた。
「今朝の下駄箱に僕宛の手紙があってね。公園で会いたいっていうラブレター」
ちなみに差出人の名前は無い。
僕に仕掛けられたドッキリの可能性を除外するとなると――残る心当たりは多くは無い。
土竜は僕の右手に摘まれた便箋をしばし眺めると、まるで祝うように小さく拍手をした。
「なるほど、もう招待されているようですねぇ。なら話は早いじゃないですか? 手紙の通りに、公園に行けばいいんですよ」
詐欺師のような笑みを浮かべながら、土竜は気軽な口調で言った。
た、他人事だと思いやがってぇ……!?
僕は笑顔を保ちながら、内心で激しく土竜を罵倒していた。
何が悲しくて女子の襲撃を受けなきゃいけないんだ!?
僕は公園に行った時に己を待ち受ける運命を思った。
土竜から聞いた所によると、賢者くんの取り巻きは外天、夜天、飛天という二つ名を持つらしい。
夜天は聞き覚えが無いが、残る二つは僕の脳の中に悪夢としてインプットされていた。
まず飛天さま。語るまでも無いが、ささいな事から僕の命を狙う少女である。
最初の出会いは、大阪さんと共に謎のお面軍団の襲撃を受けた時であった。
飛天さまはお面集団のリーダーらしき立場にあるようだった。
つまりあのお面を被った女性との集団は、賢者くんの親衛隊だったという訳だ。
今さらながらに気付く事実に、背筋に悪寒が走るかのようだった。
続いて外天。
それはかつて星降る夜に僕が見た悪夢。
笑いながら女生徒二人を木刀で乱打していた悪鬼の名前である。
くそう……忘れかけてたのに! 今さら名前が出てくるとは!
なるべく思い出したく無いその二人の姿を思い浮かべながら。
僕は笑顔を引き攣らせながら、目の前に立つ土竜に言った。
「公園に行かなかったらどうなると思う?」
「さあ……? 出来れば行って欲しいですね。あっしの苦労が無駄にならないためにも」
「苦労?」
「実を言うと、外天を動かしたのはあっしでしてねぇ」
「……っは?」
ポーカーフェイスを放棄し、驚愕に歪む僕の顔。
そんな僕をどこかおかしそうに眺めながら、土竜は薄っぺらい笑顔を浮かべて話を続ける。
「協力すると言ったでしょう? あっしも色々と頑張ってるんですよ」
「あんた、もしかして僕の事を売ったのか!?」
いけしゃあしゃあと言い放つ土竜に対し、僕は絶叫した。
しかし土竜は気にした風も無く、飄々とした口調で返す。
「売るなんてそんな。ちょいとばかし、ダンナが賢者少年に近々ヤキを入れようとしてるとか、そんな話を吹聴して回っただけでして」
「ホワット!? なぜそんな嘘を!?」
「いやいやそれが、ダンナのためでしてね」
丸縁のサングラスに陽光を反射しながら、土竜は笑った。
サングラスに隠された彼の相貌。
果たして彼の真意が何なのか。
分からないまま、僕は土竜の話を黙って聞くしか無かった。
「まず第一に四方天という存在なんですがね? 彼女達は、賢者少年の意向を無視して行動することが常態化していやす」
「なにそれ?」
「己の判断で行動しているという訳ですよ。もっとも、その行動基準の中心は賢者少年ですがね。賢者少年の敵になりそうな存在を、片っ端からぶちのめしているみたいですねぇ。だからすでにダンナは彼女達のターゲットになっていましてね? まあ今はまだ保留みたいですが、その内大人数で責めかかって来るでしょうねぇ」
「ぶっ!!」
以前、大阪さんと共にお面女の集団に囲まれた事を思い出した。
あれは大阪さんがターゲットだったんだろうけど、再びあれと同じ目に遭うというのか……!?
ダラダラと嫌な汗を掻く僕に対し、冷ややかな声で土竜の説明が続く。
「だからこちらから情報を仕掛けた訳です。出来るだけ有利に事を運ぶためにねぇ? 四方天はそれなりの武装集団でして、一度に動かれれば厄介でさぁ。しかし彼女達にも都合がありやしてね」
「都合?」
「我々が情報を流したのは外天の二つ名を持つ女でしてね? こいつは他の三人に黙って動くでしょう。どうも四方天の中でも、手柄争いというのがあるようでしてね……。部下も動かさず、単独でダンナを狙うはずです。仮に動かそうとしても、あっし達が止めやす。一対一で外天を潰してくだせぇ」
薄暗い笑みを浮かべる土竜。
そんな彼の顔は、太陽の強い日差しを浴びて影になっている。
あるいは影その物のように佇む彼に。
僕は強い視線を返しながら言った。
「潰すっていう意味が良く分からないんだけど?」
睨み付ける僕の視線にも動じず、土竜は笑っていた。
空に浮かぶ白光が彼の掛けるサングラスに反射する。
わずかに目を細める僕に向けて、土竜は答えにならない答えを返した。
「外天に会えば分かるでしょう。あの女は……いやいや、あっしの言葉なんて、ダンナは信じやしないでしょうからねぇ」
はぐらかすように言いながら。
土竜はやはり、悠然とした足取りで屋上から去って行った。