96日目 た、タコですかね……?
ちっ、コメディーになってしまったぜ……!
「何よ、あなたどうしてそんなに疲れているのかしら?」
「ちょっとね……」
机に突っ伏す僕に向かって、冷蔵子さんが声をかけてきた。
星のように冷しく輝く美貌。
金の髪がさらりと流れ、その様が光の奔流のように僕の目に映る。
宇宙世紀のような彼女の容貌を眺めながら、僕は力尽きていた。
休日に自宅に戻った僕は、ジイちゃんに連れられて行った先で謎の実戦形式の試合を組まれたのだ。
ジイちゃんがトシちゃんと呼ぶその人は、一見して理知的な初老の男性に見えた。
ところがどっこい、ジイちゃんと同じくらい性格が破綻したそのジジイとの試合により、僕は今日になっても疲れが抜けないままだった。
まるで打ち上げられたマグロのようにぐったりと机に伏せる。
そんな僕の姿を見下ろしながら、冷蔵子さんの声は徐々に温度を下げていく。
冷え冷えとした低温を感じさせる声音でもって、囁くように言った。
「格闘技のサークルだったかしら? あなた、まだそんなバカな事をやっているの?」
「やっているって言うか、やらされていると言うか……」
モゴモゴとした口調で僕は答えた。
別に僕は格闘技のサークル活動なんてやっていないし、冷蔵子さんは少しばかり誤解していた。
しかしいちいち説明するのも面倒だったので、僕は彼女が誤解するに任せていた。
……格闘技サークル、つまり大阪さんとバカの集いの会の事を説明するのは正直辛い。
大阪さんを中心とした、自ら王を自称する五人のバカ達。
活動内容は未だによく分からないが、対立組織を潰したりしているらしい。
ちなみに僕は、新たなる王に選ばれているらしい。
六人となった王がどこへ向かうのか?
出来れば考えたく無い事柄ではあった。
だがしかし、そんな僕の気持ちはお構い無しにと、冷蔵子さんは冷たい声で言い放った。
「いつまでもバカを自慢してないで、真面目に生きなければダメよ?」
「ば、バカを自慢って……」
「あら? ちょっと前に自慢気に言ってたじゃない? 僕はバカですって」
「ぐぬぬ……!」
彼女の言葉を否定出来ないのが悔しい。
確かにそうさ! 僕は満面の笑みで言ったさ! 僕はバカですと!
どんなに悔やんでも、時は戻せない。発言も取り戻せない。
苦渋を浮かべる僕に、冷蔵子さんは「大体ね、」と前置きしてから言った。
「この前の彼女は何なのよ?」
「彼女?」
「ほら、あの格闘技サークルの仲間っていう」
「ああ、風の王の事か」
冷蔵子さんに指摘されながら、僕は風の王と名乗る少女を思い浮かべる。
ショートカットに小悪魔的な微笑を浮かべる少女。
名も知らぬ少女。そして、僕が決闘を果たした少女でもある。
「その、風の王って言うのは何かしら? ニックネーム?」
非常に言い辛い事をズバズバと訊いて来る冷蔵子さん。
思わずパスと言いかけた僕の機先を制し、釘を差すように言ってくる。
「パスは無しよ?」
ひたり、と彼女の瞳に射抜かれて、僕は出しかけた言葉を失う。
動きを封じらた僕は、観念するように語った。
「……仲間内で、王っていう称号で呼び合ってるんだ」
「バカじゃないの?」
「うぐぐ……!」
彼女の言葉を否定出来ないのが悔しい。
何故なら僕もバカだと思っているから!
王ってなにさ!? 何王朝なのさ!?
大阪さん、あなたは一体何を目指しているんだ!?
不意に心の中に大阪さんの面影が浮かんだ。
面影の中で、大阪さんは「すまん……坊主……!」と呟きながら崩れ落ちていった。
色々なものに謝らなければいけない大阪さんの人生。
そんな大阪さんに思いを馳せていると、急に横から長ソバくんが話に割り込んできた。
「王って言うと、王権神授説って話しがありますね!」
やけに嬉しそうに日本史の知識を披露してくる長ソバくん。
冷蔵子さんと会話をしたいらしい彼は、常々こういう機会を窺っていたのかもしれない。
彼が仕入れた雑学がいかほどか。
その力を見せてもらおうと、僕は嬉々としてにわか知識を語る長ソバくんを静かに見守った。
「…………?」
冷蔵子さんはしばし長ソバくんの姿を見つめた。
どうしていきなり話に入って来たのか考えるように。
あるいは、そもそもこの人誰? とでも言わんばかりに顔に疑問符を浮かべている。
彼女の中でどう答えが着いたのかは判然としないが、冷蔵子さんは僕の方を見ながら説明を始めた。
「王権が神によって与えられたという説ね。日本においては、そもそも皇の祖先が神だと言われているわね。国の成り立ちにおいて、宗教が多大な影響を与えていた証拠とも言えるわ」
「お、おう」
ナチュラルに無視された長ソバくんを見つめながら、僕はおざなりな返事を冷蔵子さんに返す。
状況に適応できずオロオロする長ソバくん。
そんな彼を置き去りにしながら、僕らの会話は続いた。
「神。神に連なる王。つまり王は、人の中にあって人では無い存在なのよ」
「つまり、そういう箔付けをしなきゃいけなかったって事?」
人であって人で無い。
それはいわゆる半神という奴である。
神童、天才、異端。神から与えられし才能。
人はある種の才能を持つ人物に対し、神の夢を見る。
では大阪さんの場合はどうだろうか?
彼の場合は阪神という奴である。
僕の心のツッコミが届かない冷蔵子さんは、さらりと会話を続けた。
「箔付けという側面もあるわね。でもそれだけじゃ無いわ。あなたはヒミコを知っているかしら?」
「邪馬台国の女王でしょ?」
「私としては、邪馬台国では無くて大和国という説を推すのだけれどね」
そんな事を言いながら、冷蔵子さんは瞳を鋭くする。
説明が好きな彼女はこういう時に真剣な表情になるのだ。
「日巫女の事で、あなたが知っている事はどんな事かしら?」
「えーと、国産車をベースにしたチューンドカーとか?」
「何よそれ?」
車ネタには食いつきの悪い冷蔵子さん。
あっさりと僕の話を流すと、そのまま続けた。
「日巫女により国が治まった、と歴史書には記載されているわ。問題はどうやって治めたかって事なんだけれど、そこに宗教的要素が絡んで来るのよ」
「信仰の力ってやつ?」
「そうね。そしてその信仰の源は、日巫女の予知能力にあったと言われるわ」
「予知能力?」
「そう。それが知識による予見なのか、それとも人智を超えたものであったかは分からないけれど。日巫女は少なくとも、そう信じられるだけの才能を有していたのよ」
エスパーが国を統治か。
カッコイイ話である。
俺の国の王様、予知能力者なんだぜ! と当時の日本人もはしゃいだ事だろう。
なるほど、国を治めるだけの事はある。
変に納得する僕。
そんな僕に対し、冷蔵子さんが説明を続ける。
「常人には無い才能を持つ者。すなわち、人であって人で無い者。王にはそういった側面もあるわ」
「ふーん。つまり、優れた人間が王となり、人を率いるって事かな?」
「その逆とも言えるわね」
「逆?」
「人は、優れた人間に惹かれるのよ。あるいはそう信じられる何かに。かつての武士が、源氏の血に集ったように、ね」
果たして大阪さんに何が優れたところが一つでもあっただろうか?
ふとそんな事を思ったが、よく考えてみれば大阪さんは王を自称しているだけである。
しょせんは養殖物。天然の王とは違うのだから、取り立てるような才能なんか持っていないだろう。
しかしそんな大阪さんには仲間が居る。
大阪さんを入れて五人となるチーム大阪。
彼らは何を思い、考え、そして大阪さんの元に集ったのだろうか?
大阪の地。果たしてそこに何を信じたのだろうか?
考えれば考えるほど、どうでも良い事のような気がしてきた。
もっとも最近では、大阪が関係なくなっているらしい。
チーム大阪の解散の日も近いだろう。
国破れて山河あり。
いつしか王と国民はすれ違い、同じ夢を見れなくなる。
その時、王は王足る事を思い、民は民であろうとして剣を持つだろう。
幻想の臣下を。まだ見ぬ王を想い。欠落を埋め合うように奪いあう。
切ない物語を作り上げながら。
僕は冷蔵子さんを見つめた。
まるでバックライトがあるかのように、輪郭が光って見える。
そんな彼女の相貌を眺めて言った。
「国を失った王はどうなるのかな?」
「それはもう、王とは呼べないでしょうね」
仲間を失い、王とは呼べない大阪さんを想像する。
それじゃただのバカじゃないか。
何てこったい、今と別に大差無いじゃないか。
そんな事に今さら気付きながら、僕は何故か清々しい気持ちになっていた。
ニヤリと笑いながら。僕は冷蔵子さんにささやかな反論を試みた。
「そうかな? 例え屋台でたこ焼きを作ってても、王様は王様だと思うね」
「斬新な考え方ね」
苦笑する彼女に向かい、僕は両手を広げて言った。
「少なくとも、そうだな。僕だけはそのたこ焼き屋を王と呼んでも良い」
「何の王様なのよ、何の」
「た、タコですかね……?」
微笑みながら、呆れたように僕を見つめる冷蔵子さん。
そんな彼女の疑問に答えるように。
存在を忘れられまじと、長ソバくんがか細い声を上げるのだった。