91日目 敵に立ち向かおう、と少女は言った
90話の続きになります。
徐々に明かされていく設定。
亡羊と浮かぶ白光。
天の中心を漂う陽炎は、地上に在る物全てを等しく照らしている。
頭上から眺めれば、地上の事柄など皆同じであると言わんばかりに。
あらゆる価値を否定しながら。唯一の光が、世界を遍く照らしていた。
屋上に聳える給水塔、それに連なる登り梯子、そこに生える苔。
あるいはひび割れた床石、際間に置かれた錆びたフェンス、そこに掛けられた南京錠。
それらと同じ様に、僕らは照らされていた。
僕の正面には土竜と自称する男子生徒。彼の掛けた胡散臭いサングラスが静かに陽光を反射する。
何故僕がわざわざ学園の屋上に来て、グラサンをかけた男子と相対しているのか?
その理由は実は今を持ってもよく分からない。
差出人の無い手紙によって屋上呼び出された僕は、そこでこの男と出会ったのだ。
土竜と名乗るその男は、僕にとある提案を持ちかけて来た。
協力。あるいは、共闘。
学園内を盗聴して回る彼の組織と、僕の利害は一致しているらしい。
正直そんな犯罪チックな組織とお近づきになりたく無い僕は、土竜に対して否定の意を唱えた。
「よく分からないな。仮に僕が賢者くんと対立したとして、君達がそうする理由は何だ?」
「そいつは答えられやせんねぇ」
土竜はニタリと笑いながら言った。
それはまるで「返品不可」という単語を強調する商売人のように、酷薄な笑みだった。
多くの人がそうするように。
僕は眉間に皺を寄せながら、ぴしゃりと言った。
「それじゃあ君達を信頼出来ないな。信頼出来ない相手とは、協力出来ない」
「我々の信条としては――、」
僕の言葉を無視するようにして土竜は言葉を続けた。
ある種の話術の作法に従うように、彼は慇懃さと無礼さを存分に発揮する。
「知られる事は恥なんですよ。我々の本意は、知られてはならない」
まるで舞台に立つかの如く。
畏まるような姿勢を取りながら、土竜は謳い上げるように語った。
その仕草は明らかに一種の演技であった。
あるいは、彼の名演に拍手喝采が上がっても良かったのかもしれない。
惜しむべきは、観客である僕の心が冷め切っていた事だろう。
怪しむ目で土竜を見返しながら、僕は言った。
「盗聴器まで仕掛けて、君達は何を目指してるんだ?」
「言ったでしょう? 我々は全てを知りたい。それは――戦う為でしてねぇ」
「戦う?」
「自由。それを得る為の戦いでさぁ。我々に必要なのは親睦ではありやせん。むしろそれは、我々の意思を濁らせる。自由とは実に孤独な物ですからねぇ」
自由と孤独。
そんな事を訳知り顔で語る土竜に、僕は嘲りを込めながら言った。
「随分と捻くれた考え方じゃないか?」
今度も飄々とした態度で返して来るだろう。
そう考えた僕の予想は裏切られた。
土竜はニヤケ顔を止めると、にわかに真剣な顔を作る。
静かな怒りを漂わせながら、僕に向かって突きつけるような口調で言った。
「ダンナ、そいつは訂正してくだせぇ。我々の意思を、否定するだけの物をダンナがお持ちですかねぇ?」
「……悪かったよ」
素直に謝る僕に、土竜はそれ以上踏み込んでくる事を止めた。
肩を竦めてみせながら、まるで譲歩するかのような口調で言う。
「いえ。ダンナにはダンナの、我々には我々の意思があるという事でさぁ。そうですねぇ、何も話さないというのも、いかにも不躾。良いでしょう、話せる範囲でご説明しやしょう」
押し黙ってその言葉を聞く僕。
遥か宙の果てに輝く天陽が、静かに僕らを照らしていた。
「我々が目指すのは、我々自身の自由でしてね」
「その自由ってのは、盗み聞きを繰り返さなきゃ目指せない物なのかな?」
皮肉を込めた僕のセリフに、土竜は笑みを返した。
――もっと気の利いた皮肉を期待していた。
言外にそんな言葉を匂わせながら、彼は穏やかな声音で僕に説明する。
「我々には、直接戦う力がありやせん。ですから情報を集めるわけでして。情報は、使いようによっては武器になりやすからね」
「そもそも、戦うって何と戦うつもりなのさ? 大人達のルールと戦うなんて言わないよね?」
自由という言葉を強調する土竜に対し、僕はさらに皮肉を強めながら言った。
さてさて、今度の皮肉は何点なのだろうか?
僕は採点者である土竜の顔を真っ直ぐに見つめる。
そんな土竜は、先ほどよりは幾分か興が乗ったような面持ちだった。
「ではこの世界の全て、と言いやしょうか?」
「馬鹿げてる。中学生の妄想でも無いんだし、もっと真面目に生きなよ?」
僕の辛辣な言葉も、彼にとっては耳元をそよぐ微風のようだったらしい。
土竜は益々笑みを深めながら、まるで僕に教えを説くように語った。
「ならこう言い換えやしょう。我々は、大人達の代理戦争を演じていやす」
「何だよ、それ」
「ダンナもお分かりでしょう? 我々を――本家と分家という立場が取り巻く関係を。あっしと同じく、分家に生まれたあなたなら、ね?」
「本家に逆らいたいって言うの?」
彼の言葉に同調する事を、意識して避けながら。
僕は土竜の内心を探るように言葉を投げかけた。
しかしどうやら、僕の指摘は核心を掴み損ねたらしい。
的外れな意見を楽しむようにして、土竜はほくそ笑んだ。
「いえいえ、事はそう単純じゃありやせん。ただ――あの賢者と呼ばれる少年は、少々特殊でしてね? 表向きは分家となっておりやすが、どうやらそれはフェイクのようでして」
「フェイク?」
「でなければ、わざわざ身辺警護なんてやらないでしょう。四方天なんて立場まで作ってね? そうですね、あの男は我々の敵です」
「その我々って言葉に、まさか僕も入ってるんじゃないよね?」
「そうであれば良いと思っておりやす」
土竜は慇懃な態度で僕にそう言った。
どこまでも本心が読めない彼にイラつきを覚えた僕は、突き放すように返事を返した。
「嘘つきとは組めないな」
「ダンナ、あっしを嘘つき呼ばわりとは酷いじゃありませんか?」
「あんたは――、」
言い返してくる土竜の言葉を遮るようにして、僕は言葉を連ねた。
彼の慇懃さと無礼さに対する意趣返しとして。
知られる事は恥、と語った彼の秘密を暴くように。
僕は溜まった苛立ちを解消するために、口元に不敵な笑みを浮かべながら言った。
「直接戦える人だよね? その間合いの取り方はどこで覚えたのかな?」
隠し切れない物と言う物はある。
例えば、ふとした仕草。
呼吸のタイミングや、重心の取り方。
長年の修練が、体に嘘を吐かせてくれないのだ。
僕から常に一定の間合いを保つ土竜は、その点で正直者と言えた。
僕の指摘に土竜は一瞬、虚を突かれたような表情になる。
そしてその相貌に浮かべる笑みをさらに深めながら。慇懃な態度を崩さぬまま、彼は言った。
「……ダンナは、思ったよりも怖い人ですねぇ。あっしは恐怖で泣きそうでさぁ」
その言葉とは裏腹に、彼は寸分も恐れを抱いていないように見えた。
あるいは――それは彼なりの反語だったのかもしれない。
いつでも僕を倒せると言う自信を隠しながら。
土竜はそっと秘密を打ち明けるようにして、その言葉を口にした。
「実を言うとですね。我々の間では、ダンナこそが危険であると言う主張もありやした。あの賢者と呼ばれる少年よりも、ね」
「どういう基準なんだよ?」
そいつは答えられやせん、と呟いた後、彼は訳知り顔で言葉を続けた。
それはドアを開けるにはノブを捻る必要がある事と同じ様に、彼にとっては当たり前の事実であるようだった。
「我々はダンナに協力しやす。四方天にぶつけるには、ダンナだけでは足りやせんから。バランスってやつが大事でしてね」
そして、と前置きしてから、土竜は薄暗い笑みを浮かべて言った。
「出来れば共倒れになってくだせぇ。あっし、戦うのは苦手なんですよ。これは本当です。そこに隠れている、風の王にも勝てるかどうか」
土竜は「ではまた今度」と言い残すと、悠然とした足取りで屋上から去って行った。
後に残された僕は、ゆっくりとした動きで給水塔を見上げる。
そんな僕の視線の先に一人の少女が現れた。
白い巨大な筒状の給水塔。その影に身を潜めていたらしい。
それは、自らを風の王と名乗るちょっと痛い女の子だった。
「あれ? 気付かれてた、かな?」
「もろにね」
言外に土竜の存在を含めながら僕は言った。
風の王は、はためくスカートを押さえながら呟いた。
「気配、消してたつもりだったんだけどね。怖いね、あいつ」
いや、君の方が僕にとっては怖いよ。
何で気配を消す必要があったのさ?
居るんなら居るって言えばいいじゃないかっ!?
……などとは言い出せないまま、僕は平静を保ちながら風の王に訊いた。
「君はなんでこんな所に居るのさ?」
「だって、ワタシはあなたの部下でしょう?」
敵には一緒に向かわなきゃね、と彼女は笑顔で語った。
そんな彼女に微笑みを返しながら。僕は軽い恐慌状態にあった。
敵……。敵……!?
敵と戦うのに部下は必要か!?
いやそもそも、部下ってなに!? 敵ってなんだ!?
子供の僕には分からない。いや、大人になったとして分かる物なのかなぁ!?
僕は何かを振り切るようにして、遥かなる陽光を見上げた。
日常生活における敵とは何なのか。
共倒れを期待される立場とは、一体どういう立場なのか。
いつの間にか日常を踏み外していた僕。
その事実に遅まきながら気付き……僕は風に頬を叩かれながら、慄然として立ち竦んでいた。