9日目 謎のヒマラヤ
「ふがふがっ、ふが」
「食べながら喋らないで下さいよ。行儀悪いですよ」
「ふがっ、ふふーふふふ」
「何言ってるのか、さっぱり分んないですって」
いつものように昼食を取る僕ら。
先輩は先日から購買のパンを買うようになった。
ようやくパンを飲み下すと、先輩は改めて僕に向かって言葉を発した。
「言葉って何なのかしら、って思ったのよ」
先輩はついに言語の概念を忘れつつあるのだろうか?
野生に帰る時が来てしまったのだろうか。
この間、面白半分にクルミを素手で割っていたが、それが悪かったのかもしれない。
握力の高まりと共に知性が減ってしまったのだろう。
「言葉、ですか」
内心をおくびにも出さずに僕は相槌を打った。
普段と変わりない態度のまま、先輩の野生化を観察しようとする。
どこだ、どこから変わっていく? 爪のあたりか?
「うん。言葉って、音の伝播じゃない。でも、ただの音の伝播じゃあない。
今だって、パンを食べながらじゃ言葉にならなかったでしょ? 音は伝わってるのに」
……。
あれ? 何か凄く学術的な話をしてないか?
「言葉と音波の関係ですか……難しいですね」
あれ? 何で僕はこんな会話をしてるんだ?
そんな懊悩を押し隠し返事をする僕。
状況に流される事には密かな自信がある。
「こんな事を思ったのはね、理由があるの」
そう言葉を切り、先輩はジッと僕の目を見つめてくる。
ジッと見つめてくる。何だ?
「購買でクロワッサンを買おうとした時だったわ」
ふいに視線を逸らす先輩。何だったんだろう。
眉間に皺を寄せた先輩は、まるで恐ろしい秘密を打ち明けるように語りだした。
「ある男子生徒が、ヒマラヤ下さい、って言ったのよ」
「ヒマラヤ?」
「購買の給仕さんは、迷わずカレーパンを差し出したわ」
…………。
「そのカレーパン、ヒマラヤっていう商品名だったんですか?」
「私も確かめたんだけど……正式な名称は『男爵カレーパン』だったわ」
「だったら何でカレーパンが出てくるんです? ヒマラヤで」
「謎、としか言いようが無いわ。ヒマラヤ……一体何が隠されているの?」
巨大な謎。それを前にして慄く僕と先輩。
僕と先輩の会話に対し、先ほどから沈黙を保っている同級生に視線を向ける。
「我関せず」といった感じで黙々と本を読んでいる。
「ねえ、何でヒマラヤって言うとカレーパンが出てくるか知ってる?」
尋ねかけると、彼女はゆっくりと面を上げた。
「……それってそんなに重要な事なの?」
物凄く冷静な言葉を投げかけられ、僕と先輩はその場に固まるのだった。




