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ゴリラ先輩ラーメン子  作者: 彩女好き
ささやかな友情編(王子復活)
88/213

88日目 星の楡、月の桂 僕の決意、彼女の幸せ

これだけは言えます。

ここ最近の私は絶好調です。

金漢星楡(せいゆ)(すず)しく、銀河月桂(げっけい)秋づく。

かつて詩人は、天の星を(にれ)にたとえ、静かな月に木犀(もくせい)の甘い香りを思ったという。

実に美しい言葉である。

僕の目の前には、そんな美しい言葉を体現したかのような人物が居た。


その瞳は、星の光のように(すず)しく映える。

しなやかな曲線を描く肢体からは、月桂のように甘い香りを漂わせ。

流れる髪は、金の瀑布(ばくふ)


ロマン主義の巨匠が一心に描き上げたかのような。

そんな美貌を誇る少女を、僕は冷蔵子さんと呼んでいた。

呼ぶ、と言っても心の中での事である。


まるで儚い恋を抱く大正時代の学生のように。

僕は己の胸の内だけで呼びかけた。


嗚呼(ああ)、冷蔵子さん。冷蔵子さん。

貴女(あなた)はどうしてそんなに冷たいんだ?

見つめるだけで、相手を冷温保存出来そうな……その、冷たい視線。

どうして、どうして。僕の前に座る貴女(あなた)は。




どうして、そんな目で僕を見つめるのか?




などという哲学的な疑問を抱えつつ、僕は冷蔵子さんの視線に怯えていた。

いつもの部屋に、いつも通り腰掛けながら。

僕は何故か凄い勢いで、冷蔵子さんから睨まれていた。

彼女は僕の前の席に座り、イスの向きを反転させて僕と正対していた。


「ねえ?」


冷蔵子さんから話しかけられ、僕はガタガタと震えた。

なんだろう、いつもの彼女じゃ無い。

漠然とした違和感の中。

彼女の放つプレッシャーが、徐々に増大している気がした。


……いや、認めよう。僕は(かぶり)を振った。

僕は彼女の全てを知っているわけでは無い。

だから今日の彼女が、いつもの彼女と違うというのは僕の思い過ごしかもしれなかった。


しかしながら、そんな解答は僕を助けはしなかった。

何故なら現時点で僕は凄く睨まれており、もう少し時間が経てば体が凍りつくのでは無いかと思われた。

何故!? どうして!? そんな疑問が頭の中を駆け巡る。


そうそう、駆け巡るといえば走馬灯というのは……いや、今はそんな事を考えている場合ではない。

無駄にはびこる雑念を払いながら、僕は震える声で訊き返した。


「な、なんでしょうか?」


「その人は、誰かしら?」


()の人と言えば誰だろうか?

三国志以前の中国王朝の事はあまり詳しく無かった。

かと言って三国志時代に詳しいわけでも無く、それ以降についても造詣(ぞうけい)が深い訳では無い。

つまり僕は中国の偉人について尋ねられても、全く答えようが無かった。


()()っすか? ()って何王朝って言うんだっけ?」


「あなた、ふざけてるの?」


「いえ、自分は常に真面目であります!」


僕は顔面にビッシリ汗を掻きながら、久々に軍隊口調になっていた。

こんな恐怖を感じたのはいつ以来だろうか?

確か、初めて冷蔵子さんをキレさせて、人差し指を折られかけた時以来だ。

忘れられない悪夢を思い返しながら。僕の体の震えは(とど)まる事を知らなかった。


「あらら? 怖い怖い」


僕の後ろに立つ少女が面白がるように言った。

その少女は何が楽しいのか、後ろから僕の首に手を回している。

そして抱きつくようにしながら、僕の肩に顎を乗せてくる。暑苦しい。

少女から上乗せされてくる体温に反比例するように、冷蔵子さんの瞳の温度がさらに下がったような気がした。


「あなたの後ろに居る人は、誰なのかしら? 初めて見るのだけれど?」


その言葉で、ようやく僕は気付いた。

冷蔵子さんは、僕の後ろに立つ人物は誰なんだ、と訊いていたのだ。


この部屋に居る人物と言えば、先輩か冷蔵子さんか僕である。

しかし僕の後ろに立つ少女は。そのどの人物にも当てはまらなかった。

新たなる登場人物。それは……それは……。




名前、知らないや。




今さらになって僕はその事に気が付いた。

自称、風の王。僕が死闘の果てに倒した相手であり、柳の動きという武術を修めた少女。

現在では僕の協力者であり、これから先はドッキリ企画に付き合ってもらう予定である。

そんな彼女の名前を、僕は依然として知らないままだった。


マジかよ、名前知らなかったよ。あはは。

自分でも笑ってしまうような事実に、僕は思わず苦笑を漏らした。

微苦笑を浮かべながら、僕はその事を冷蔵子さんに告げようとして口を開いた。


「いやそれが、僕も知らな……ぁあぁ嗚呼あア!?」


机の上に置いていた僕の右手が、いつの間にか冷蔵子さんの両手の中にあった。

白蛇のように絡みつく彼女の指が、僕の右手の人差し指をいきなり限界まで曲げる。

限界というか、既に一、二ミリくらい限界を超えている気がする。

笑顔のまま蒼白になり。僕は、艶然とした笑みを浮かべる冷蔵子さんの相貌(そうぼう)を見つめた。


「ふざけたら、分かるわよね?」


「もちろんさー!」


もちろん僕は分かりたく無かった。

僕がふざけた場合、冷蔵子さんが何をするのか知りたく無かった。

それでも――僕の人差し指は、曲がってはいけない方向に舵を切られているから。

僕は全力で、彼女に向かって肯いていた。


助けを呼ぼうにも、僕はどう考えても孤立無援だった。

頼みの綱の先輩は、今日に限っていない。

僕の後ろに居る風の王は、正直言って役に立つのかどうか未知数だった。

ダクダクと汗を流す僕に対し、冷蔵子さんは今シーズン最低気温の声で言った。


「その人は、誰?」


ふざける事は許されない。

などと言いつつ、この土壇場においても僕はそうする選択支を有していた。

しかしそれは、僕の人差し指という尊い犠牲を出した上での話だった。


長年連れ添った大事な指を失ってまで掴み取る物では無い。

即座に判断した僕は、テストの二択問題に答える時のような真剣な顔を冷蔵子さんへと向けた。


「彼女は……!」


「彼女は?」


「風の王。……ぅぉおぉおおオ!? なんでぇ!?」


キャプテン冷蔵子さんに面舵一杯切られた僕の人差し指。

ミシミシと音を上げならが、恐らくは二、三日は違和感が残るであろう位置まで曲げられている。

そんな僕の指に何の感慨も抱かないかのように。

冷蔵子さんは満面の笑顔を浮かべながら言った。


「ふざけないでって、言ったでしょう?」


「僕は何一つふざけてない! ぎゃあああア!?」


言葉を重ねれば重ねるほどに。

何故か僕は、冷蔵子さんの信頼を失っていくようだった。

それと同時に、人差し指の腱からも何かが失われていく。

失ってはいけない物を失いながら。それでも僕は、事態の打開を目指した。


「か、彼女は、知り合いの知り合いだよ!」


「あら? なんだか婉曲な表現ね。あらあら、何でそんなに遠回りなのかしら?」


「そうとしか言い様が無い! 何故なら僕も、あんまり彼女の事を知らないから!」


「ふうん? その割には、やけに仲が良さそうね」


「ぐぎぎ……!? そ、そういう性格なんだろうさ……!」


思いを重ねれば重ねるほどに。

まるで降り積もる雪のように、冷蔵子さんの握力は増していった。

雪の下に咲く花のように。僕の指は、圧倒的な力に押し潰される寸前だった。

舞い散る白銀のように静かに、冷酷に。冷蔵子さんは無慈悲な詰問を続けた。


「それで、その知り合いって誰かしら?」


「き、君も知ってるだろ? ほら、公園で。縛られてたアホな人がいたでしょ?」


「……ああ、居たわねそんな人も」


かつての出来事を思い出すように、どこか上の方を見上げる冷蔵子さん。

そんな彼女に、僕は畳み掛けるように言葉を連ねた。


「彼は同好会の会長みたいなのやっててさ、僕も無理矢理そのメンバーに入れられてるんだ。全く困った話だよね? そのメンバーの一人が、後ろの彼女らしい。マイナー団体の連帯感って言うのかな、何だか妙に親近感持たれて、僕も困惑しきりなんだよ」


僕の頑張りが功を奏したのか。

冷蔵子さんはしばしの間、僕を見つめた。

吟味するかのように注意深く僕を眺めた後、まるで査問するような口調で言った。


「それはどういう会かしら?」


「大阪を愛する会さ!」


「ワタシ、別に大阪とか、好きじゃないよ?」


「……彼女はああ言ってるわよ?」


「グギャアアアア!? そんなバカな!?」


ありえない展開に驚きの声を上げる。

何故だ!? 大阪さん、あなたは僕に嘘を吐いていたのか!?


不意に心に浮かぶ大阪さんの面影。

面影の中で、大阪さんは鼻からウドンを垂らしながら笑顔で親指を立てていた。

クソッ、あのバカ! バカバカバカ!

なんていうか、心の底からバカ野郎と叫びたい!


これからは大阪さんへのバッシングを心の(かて)にして生きよう。

そう決心する僕の後ろで、風の王が囁くように言った。


「でも、カレの言ってる事は本当」


その言葉に冷蔵子さんの指の動きがピタリと止まる。

首の皮一枚繋がった僕の人差し指。

それが奏でる限界の弦音を楽しむかのように、風の王は言葉を続けた。


「最初はね、大阪好きの集まりだったみたいだよ? でもね、ワタシがそこに参加したのは、技を知りたかったから」


「技?」


訊き返す冷蔵子さんに対して、風の王は依然として僕の肩に頭を乗せたまま言った。


「総合格闘技、かな? そういう事をやってる集まりだったしね」


「格闘技……って、あなた一体なにやってるのよ? バカなの?」


「ひ、人は流されながら生きるのさ。知性よりも惰性で生きているからね」


冷たい視線を向けて来る冷蔵子さんに、僕は(かす)れ声で答えた。

そんな僕に、彼女はますます温度を下げた瞳を向けて来た。


「格闘技なんて学んで、どうする気なのかしら? 人を傷付けたら、取り返しがつかないのよ?」


そんな言葉を僕に投げかける冷蔵子さんは、真剣な目をしていた。

そういや以前も、無闇に命を奪うのはいけないとか何とか言ってたな。雑草に対して。

彼女の意外な慈愛の心を思い返しながら、しかし僕は別の事を思い出していた。


賢者くん。僕らのクラスの爽やかボーイにして、心に闇を抱える男。

冷蔵子さんの事が好きだと言った彼に対し、僕は一つの決意を抱いたのだ。

彼が冷蔵子さんを、ただの孤独な女だと考えている間は――。

彼自身の絶望を埋める道具だと考えている間は。僕は彼女を渡さない。決して。


僕は改めて、冷蔵子さんの(すず)しげな相貌を見つめた。

果たして僕はどんな表情を浮かべていたのだろうか?

冷蔵子さんは不思議そうな顔をして、僕を見つめ返した。


月のように甘く薫る彼女の香りを感じながら。

ささやかなる友情の証として。

僕は彼女の幸せを願った。





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