81日目 偽サーファー
「波に乗って~♪」
「ヘイヘイ!」
「ノリノリ波乗り~ジョニーは偽サーファーさ~♪」
「ヒー! ホー!」
左手を腰に当て、右手を波のようにうねらせながら。
先輩は歌う。どこまでも。
恐らくは自作の歌であろうそれに、僕は合いの手を打つ。
サルのように合いの手を打つ。タンバリンが無いのが悔やまれた。
踊りと歌謡というのは、ある種の土着的文化でもある。
かつてお百姓さん達は歌を歌い、踊りを踊りながら米作りをしたと言う。
辛い作業にある種の遊びを入れる事で、より精力的に仕事に励んだのだ。
田楽と呼ばれるその文化は、当時の日本を席巻したと言う。
先輩は踊る。いつまでも。
優雅に伸びる指先。扇情的な腰のくびれを見せつけながら。
ある種のエロチシズムがありながら、全体としてはアホっぽいという奇跡のダンスだった。
波の動きを手で表現する所とか、知性の低さを余すところ無く表現している。さすが先輩と言わざるを得ない。
僕も先輩に負けじと知性を投げ捨てる。
そう、人に必要なのは知性では無い。惰性だ。
巨大な時代の流れに巻かれ、ちっぽけな人間に何が出来よう?
例えばそう、巨大隕石が衝突する寸前だとする。
僕らの持つ矮小な智恵など何の役にも立たない。
隕石撃破? ムリムリ、物理的に無理である。
そんな事が出来るのは映画の世界だけであり、現実は厳しいのだ。
時速数万キロで迫る岩塊を、どうにかできるわけが無い。
我々の智恵で成しえる事は、我々が考えているよりも小さい範囲なのだ。
そして多くの時を惰性で過ごす。生まれた国、地域、民族。
環境に根ざし、周囲に翻弄されながら、限られた空間で生きて行くのだ。
そうであるなら、今の僕が成すべき事はなんなのか?
それは、合いの手を打つ事である。
知性を投げ捨て。身に纏う文明を否定しながら。
先輩の歌と共に、今までとは異なる文化を生み出すのだ。
文化新生。その偉業をなそうとする僕らを、冷蔵子さんは白々とした目で見つめていた。
「あなた達は、一体どこを目指しているのかしら?」
「そんなの決まってるじゃん!」
先輩が声を張り上げる。
ここでは無いどこかを見つめながら、天井を指差した。
「あの海の向こうだよ!」
「ざっぷ~ん!」
先輩の口上に合わせ、効果音を叫ぶ僕。
岩肌にぶつかる荒波をイメージしてみた。
そんな僕の姿を見て、いよいよ冷蔵子さんは辛辣な表情を浮かべる。
「あのねえ……」
頭痛に耐えるように頭を押さえる冷蔵子さん。
そんな彼女の杞憂を払うように、僕は言った。
「大丈夫だよ、僕らも現実は見てるから」
「ど・こ・が・よ!?」
ははっ。僕らが本気で、海の向こうを目指しているとでも思っているのだろうか?
彼女の思い込みを否定するように、僕は得意気な顔をして告げた。
「ジョニーは偽サーファーな男だから、そもそも海の向こうなんて見れないんだ」
「ジョニーの時点で現実を見てないでしょう!? 誰よそれ!?」
さあ誰でしょう?
僕に訊かれても分からないし、多分誰に訊いても分からないだろう。
ただ一つ、僕にも分かる事がある。きっとジョニーは英語がペラペラな人だろう。
それ以上でもそれ以下でも無い。多分。
偽サーファー・ジョニーの事を、凪いだ海のように静かな心で思う僕。
しかしそんな僕の心の静寂は、先輩の一言によって打ち砕かれた。
「ジョニーは少年の事だよ」
「ええっ!? 僕が……ジョニー!?」
「そう。君が……ジョニー」
先輩と僕の目が合う。
戸惑う僕に対し、先輩は迷い無き瞳を――折れない信念を持った目を向けた。
先輩は信じている。僕がジョニーだと。偽サーファーであると。
その理由は分からない。だが僕は感じていた。先輩は、確かに信じているのだと。
しかし残念な事に、僕は英語がペラペラでは無かった。
これではジョニーは偽アメリカ人になってしまうだろう。
偽サーファーであり、かつ偽アメリカ人な男性。果たしてジョニーに真実はあるのだろうか?
ごめんよジョニー。僕が不甲斐ないばっかりに……!
僕のせいで、嘘だらけの人生を送る事になったジョニー。
その生涯に涙を飲みながら。
偽サーファーになるのなんて真っ平ごめんなので、僕はきっぱりと否定した。
「先輩。今気が付いたんですけど、僕はどうやらジョニーじゃないみたいです」
僕の返答に、先輩はしばし考え込んだ。
そしてカッと目を開眼しながら言った。
「むう。ならば……私がジョニー……!?」
「先輩が……ジョニー!?」
新たなる驚愕の事実が判明した。
ジョニーは女の子だったのだ。
偽サーファー、偽アメリカ人の上に、性別すら偽っているとは。
巨大な波のように、戦慄の予感が迫る。嘘だらけの世の中に、僕は我知らず打ち震えていた。
「あなた達、そろそろ飽きないのかしら?」
辟易とした口調で冷蔵子さんが言う。
そんな彼女に僕は真顔で訊いた。
「この際、君もジョニーって事にしない? 実はジョニーは三人居たって設定で」
「ジョニーはもういいわよ! はいはい、終り終り!」
パンパンと手を叩いて静止をかける冷蔵子さん。
そしてこの目である。凄い冷たい目で僕を睨んでいる。
彼女は凍えるような視線を僕に向けながら言った。
「ねえどうして? どうしてあなたはバカなの?」
「うわぁ。その言い方は、僕はどうかと思うナァ」
どうしてバカなのかと訊かれた時、果たしてどんな言葉を返せばいいのだろうか?
バカとは、知性とは何だろうか? 思考とは?
時に頭を空っぽにしようとするのも、思惟の一つであると言うのなら。
無知と全知の間にある差とは一体なんだろうか?
冷蔵子さんが眉を顰めながら僕を見つめる。
果たして僕は彼女に何を伝えるべきだろうか?
そして、彼女は僕に何を望むのか?
ちっぽけな僕の知性では、答えは導き出せないようだ。
人間は考える葦であると誰かが言った。
しかし僕は葦を見た事が無い。
であるからして、僕にはその言葉の意味が分からない。
言葉の意味が分からない僕と、僕の分からない言葉を使った誰か。
どちらがより賢く、どちらがより愚かなのか?
それを決めるのは誰か? 巨大な時の流れの中で。
嗚呼、かくも知性はちっぽけである。
だが、そんな僕にも分かる事がある。
海の向こうを見たい。
冷たく湿った海鳴りの風に吹かれながら。
誰も見た事の無い彼方の風景に憧れた。
そうか。僕はバカかもしれない。
だから何時までも憧れるのだ。
ちっぽけな論理に縛られずに。
胸の中に輝く答え。それを抱きしめながら。僕は言った。
「……そうだね! 僕はバカかもしれない!」
キラキラと輝く世界を舞台に。
僕は花束を投げる時のような、満面の笑みを浮かべた。
「うわあ……。少年、その発言はちょっと」
「大丈夫よ。私が彼を更生させるわ」
「あれ!? 何その反応!? ここは感動する場面じゃないの!?」
「どうしてバカに感動しないといけないのかしら? バカなの?」
「うぐぐ……! 言われてみればその通りだけど……!」
「これまで少年を甘やかしたのが悪かったかなぁ?」
「ちょっと先輩!? 甘やかされた記憶なんて無いんですけど!?」
「さあ。いつまでもボケて無いで、真面目な会話を練習するのよ」
「ボケてるつもりは無いよ!?」
じゃあ天然ね、という冷蔵子さんのクールな一言が胸に痛かった。




