75日目 覚醒する少年
「どうしたの? 溜息なんか吐いて」
「いや、まあな……」
教室の席に着きながら、長ソバくんは苦悩していた。
長髪とソバカスがトレードマークの彼は、深い深い溜息を吐く。
懊悩する彼に向かい、労わるように声をかけた。
「恋の悩みとか?」
「うん……まあな」
躊躇いがちに語り出す長ソバくん。
恐らく、彼は初めて自分の悩みを打ち明けるつもりなのだろう。
その悩みの原因を、既に僕が知っているとも知らずに。
ことの始まりは、単純なドッキリのつもりだった。
長ソバくんに偽のラブレターを送って驚かせよう! そんな企画だった。
しかし――僕お手製のラブレターはあまりに完成度が高く……。
本物のラブレターを越えているんじゃないか……!?
自画自賛した僕は、簡単にネタばらしするのが惜しくなった。
そんな理由で、真実を伝えないまま偽のラブレターを送り続けているのである。
現在、長ソバくん宛ての架空のラブレターは五通目に達してる。
内容はこんな感じだ。
『あなたが好きです。今は告白する勇気がありません。でも、いつか……』
騙していてなんだけど、五通目ともなれば疑いを持って欲しい気持ちもあった。
しかし長ソバくんは気付かない。
むしろ想いを深めているのか、切なそうな表情で僕に語り出した。
「その、どうも俺の事を好きな人が居るみたいなんだ。でも相手が誰か分からなくてな」
「ふーん。そうなんだー」
「あ、お前。俺の思い込みだと思ってるだろ?」
感情が込められていない僕の返事。
長ソバくんは、どうも僕が信じていないと思っているようだ。
だが実際のところ、感情を込めると何かがばれてしまう可能性がある。
事実の隠匿のため、僕は気持ちを表に出さないように努めた。
「いやいや、そんな事ないよー」
「ふん、確かに居るんだよ。お前には分かんねーだろうな、この手の話は」
長ソバくんは面白く無さそうに呟いた。
これ以上この話題が続くと不味い。
話題を終わらせるために、僕は言った。
「ふふっ、そうだね。分かんないや」
「何で得意気なんだよ!? 皮肉だぜ!? 今の!?」
いかんいかん、つい黒幕の余裕が出てしまったようだ。
僕はとっさに話題を変えてお茶を濁した。
しかし、ここまで来るととことん行きたいところだ。
時に贋作が本物を上回るように。
偽物から生まれた想いが、本物から生まれた想いに劣ると誰に言えるだろうか?
そう、長ソバくんの想いは本物を超えているのだ。
ならば……僕も、本物を超えねばなるまい。
静かに決意する。
今までに長ソバくんに送られたラブレター。
それはどこまで行っても架空の人物からのラブレターだった。
だからこそ偽物だったわけだが……。
この際、本物を用意してはどうだろうか?
僕はそう考えているのだ。
どういう事か? 早い話が、代役である。
今までは僕の生みだした架空の人物が、長ソバくんに宛ててラブレターを書いていたわけだ。しかし今この時点から、その架空の人物の代わりに本物の女性を用意するのである。
偽物が本物に……あるいは、本物が偽物にクロスチェンジする。
まさにコロンブスの卵的な発想。
常人には思いつけない、天才のみが成せる技である。
後の問題は、長ソバくんにラブレターを書いてくれるような、シャレの通じる女性を探す事だけだった。
昼休憩の時間。
共犯となってくれる女性を考えるため、僕は先輩の居るいつもの部屋には行かなかった。
あれで生真面目な所がある先輩である。
僕の計画を知れば、眉を顰めるのは間違いなかろう。
こんな時は屋上にでも行ってみるか。
僕は屋上へと続く階段を一人登った。
屋上へと続く扉を開ける。
目の前には、一面に広がる青。
地鳴りのような音を立てながら。
遮る物の無い空から、風が止め処なく吹き寄せていた。
屋上に足を進める僕の目に、転落防止用に立てられた緑色のフェンスの群れが見える。
地平線から広がる巨大な群青の中、か細いフェンスはいかにも頼りなく映った。
そんな金網の傍に、一人の少女が立っている。
短い髪を風にそよがせながら。地平を見つめていた少女が、こちらを振り返る。
僕と、目が合った。
何故かニコリと笑う少女。
制服のスカートを涼しげに揺らしながら、こちらに近付いて来た。
少し伸ばした、ショートカットの髪。
どこか不思議な感じがするのは、捉え所の無い瞳の色のせいだろうか?
誰が見ても可愛いと答えるだろうその容姿は、不吉な妖しさに彩られていた。
小悪魔的な女性、という言葉が似合いそうだな。そんな感想を抱く。
訝しげに見つめる僕の前まで来ると、少女は改めて笑った。
その顔は、全然見覚えが無かった。
つまりこれは屋上に来た者同士の、一種の挨拶みたいなものなんだろうか?
反応に困る僕に、少女は涼しげな声で話し掛けて来た。
「初めまして、かな?」
「……えっ? 僕の事?」
「そうだね。キミの事、かな?」
どっちなんだよ。
出来れば僕の事では無い方が望ましい。
初対面の少女に対し、僕は早くも苦手意識を持っていた。
しかしそんな僕の様子には気が付かないのか、はたまた気にして無いのか。
少女はどこか自慢するように言った。
「ワタシはね。前からキミの事を知ってたよ」
「え? なんで?」
「さあて? 何でかな?」
なんだこの女?
何でかなって、答えが分かるわけねーだろ。
ノーヒントじゃねえか!
憤る僕を知ってか知らずか。少女は緩やかに笑みを作りながら、続ける。
「キミの事なら、割と知ってるんだよ? ワタシ」
「ふうん。そーなの」
半眼になりながら答える僕。
何だかとっても、お友達になりたく無いタイプの女性だ。
この手の面倒臭い人間を、僕は他にも知っていた。
それは親戚のとある女の子の事だが、その子が無邪気なのに対し、この少女は確信犯だろう。
ジリジリと後ずさりしようとする僕に対し。
少女は黒幕的な余裕を出しながら言った。
「例えば、公園で色々やってる事とか?」
何で疑問系なんだ?
ははーん、あれか。あえて特定しない事で、あたかも真実を知っているかのように演出する話法だ。
そんな冴えない占い師みたいなやり口に、騙されるかよ!
甘いんだよ小童が!
「公園で、ねえ。まあ、確かに色々あるだろうね」
小馬鹿にするような口調で言う。
そんな僕に、少女は今度こそ確信を込めた口調で言った。
「キミが王になる事、とか?」
何故その事を知っている!?
僕は今度こそ驚愕に慄いた。
かつて――僕はとある知人から、王になれと言われた。
その人は何やら五人戦隊を組んでいたらしく、その五人がそれぞれ王を名乗っていたらしい。全く意味不明の活動だ。
当然僕は断った。断ったはずだ。
だがその後どうなったのかは、全然確認していなかった。
王って。王ってなにさ!?
いつから日本は群雄割拠していたんだ!?
そして、何でその話が広まっているのさ!?
驚きに歪む僕の顔を面白がるように見つめながら。
少女は、瞳に試すような色を浮かべて言った。
「どう? ワタシに興味が湧いてきた?」
「恐怖が湧いてきたよ……!」
「くす。やっぱり面白いね、キミ」
そう言って、面白そうに目を細める。
本心が見えない笑顔だ。
演技する事に手慣れているような、そんな雰囲気を感じる。
怖え。何だかとってもマジで怖い。
恐怖に竦む僕を後にして、少女が去っていく。
去り際に彼女は、何かを言いかけた。
「そうそう、言っておくね。ワタシは風の――」
その時一陣の風が舞った。
容赦無く捲れ上がる、少女のスカート。
そして見えるクマさんパンツ。
「……見た?」
「何が?」
顔を赤らめながらこちらを振り返る少女に、僕は即答した。
どこか演技っぽさが抜けた彼女。それに対し、僕はポーカーフェイスを向け続けた。
未知の少女が去った後。
僕に残された謎はあまりに多かった。
見知らぬはずなのに、何故か僕の事を知っている少女。
ただの冗談だと思っていたら、まだ続いているらしい王の話。
そして……高校生にもなって、動物プリントのパンツを履く意味とは。
解けないパズルを前にして、僕は頭をフル回転させる。
果たして僕はパズルを解けるのか?
そして、長ソバくんへ送るラブレターはどうなっていくのか?
「クマさんパンツをネタに脅せるか……?」
冗談を吐く時は全力で。
長ソバくんへ送るラブレタードッキリ、その一大フィナーレの為に。
あの謎の少女を陥落し、ラブレターを書かせる方法は無いものか?
風がはためく。屋上に一人立ちながら、僕は緩やかに笑みを作った。