64日目 雨に唄えば
「ええか坊主。俺達には使命があるんや」
「使命、ですか」
灰色の空からは激しい雨が降っていた。
梢を伝って落ちる雫。傘も差さず、僕らは雨に打たれている。
公園の高台には僕ら以外には誰も居なかった。
大阪さんは崖の際に立てられた柵に肘を乗せ、眼下の景色を眺めている。
僕はそんな大阪さんの隣に立っていた。
地面を穿つ雨が空気を掻き乱す。
荒涼とした風が僕の前髪を揺らした。
大阪さんは、ジッと崖下の街並みを見つめている。
その瞳が映す物は何だろうか。
使命。約束。願い。さまざまな思いを抱えながら、僕らは今日を過ごしていく。
雨が降る。暗い雲から止む事無く、雨が降る。
髪を、肩を、腕を。耳朶を打つ雫もそのままに、僕らは前を見る。
暗い空と、薄汚れた街。ひび割れたコンクリートのアパート。鳴動する大気の中、白く煙る。
見るとも無くそんな景色を見ながら。大阪さんは深い声で語りだした。
「俺達は、この街を守らなあかん。このクソったれで懐かしい、この街を」
言葉とは裏腹に、切実な目を向けていた。
寒々しい空と、冷えたコンクリートに包まれた僕らの街。
揺りかごのような街を眺めながら、僕は搾り出すように声を出した。
「どうして、」
大阪さんが僕に視線を向ける。
「どうして僕ら何ですか? 僕は……そんなに強くは無い」
それは悲痛な叫びだった。
使命の重圧は、僕の心に重く圧し掛かっている。
数々の戦い。協力と裏切り。かつての勝利と友人の死の狭間で、僕の心は疲弊していた。
……という設定で行こう。傷付いた能力者の演技をする僕。
大阪さんはノリノリで乗って来てくれた。
「坊主。」
再び街を遠く眺めながら。
大阪さんはポツリポツリと語り始めた。
風がざわめく。葉擦れの音が静かに響いている。
「強い人間なんておらへん。あるのは、強く在ろうとする人間だけや」
雨に打たれながら大阪さんは言う。
どうして僕らは雨に打たれているのか? 傘も差さずに。
その理由は簡単だ。傘を持って来るのを忘れたのだ。
突然の豪雨は、僕らに退避を許さなかった。逃げる間も無くびしょ濡れになった僕と大阪さんは、ヤケになって雨に打たれ続けている。
さらにヤケになりながら、冒頭のやり取りを開始しているわけだ。
僕らの言葉に意味は無い。強いて挙げれば、雨に打たれながら心打つ会話をしようという事だろう。
ロマン溢れる設定になるように心がけながら、僕は大阪さんに言った。
「僕は大阪さんみたいにはなれません」
雨雫が石畳を打つ音が響く。
イイ感じの間を空けながら、大阪さんは言葉に深みを付け加えていった。
「俺にならんでもええ。坊主は、坊主の思うままでいろ」
ヒーローの師匠的なキャラを作る大阪さん。
何故僕らは阿吽の呼吸でこういう馬鹿なやり取りが出来るんだろうか?
それを考えると不思議な思いも湧くが、今はそれを考える場面では無いだろう。
一言一言。言葉を吟味しながら、僕は続きを演じていく。
完全にアドリブ。全てはその場のノリで紡がれる、謎のストーリー。
降りしきる雨だけが僕らの観客だった。
「それでも、」
泣き出す寸前の――そんな気配を醸し出しながら、僕は言う。
ヒーローに憧れながら、そうなれない少年。そんな感じだ。
「僕は、あなたに憧れた! あなたのように強くなりたいと、そう願っていたんです!」
ザァァァ……。
慟哭のようなセリフが、流れる雨を背に響く。
大阪さんは答えず、静かに街を眺め続ける。
イイ感じの間だ。雨の音がちょうどいい塩梅で背景音楽っぽい。
盛り上がる何か。紡がれる嘘の記憶。
クライマックスに向かって行く僕らのストーリー。
その最後の章へ踏み込むため。大阪さんもまた、言葉を紡いで行く。
「俺は……そんな立派な人間やあらへん」
暗く沈んだ街と同じ色に染められたように。
氷雨に打たれる大阪さんは、苦悩に顔を顰めている。
そしてとうとう、己の罪を吐露するのだった。
「かつて俺は、親友であるお前の兄を見殺しにしたんや……!」
「!」
衝撃の事実を明かされた僕は、驚きのあまり両目を見開いて大阪さんを見た。
そうか、僕には兄が居たのか……。
さてどんな兄貴にしようかと、記憶の捏造を始めようとしたその時だった。
僕らしか居ないはずのこの舞台へニューカマーがやって来た。
「運命って残酷。弱き者は淘汰される……分かるよネ?」
「……誰や!」
突然背後からかけられた声に、僕と大阪さんはゆっくりと後ろを振り返った。
まだ演技は続行中だ。土砂降りの雨の中、僕らの目の前にツインテールの女の子が立っている。
彼女が着ているセーラー服はガンガンに濡れていた。中学生か?
恐らく枕詞に「馬鹿な」と付きそうな女の子は、不敵に微笑みながら言った。
「アタシはそう、第七封殺者。いずれあなた達と闘う者……カナ?」
本当に誰だこの娘!?
謎の新設定をぶら下げて、僕と大阪さんのロマン世界に接合してくる挑戦者を眺めながら、僕の背には戦慄が走っていた。
こんな雨の中。訳の分からない会話を繰り広げる僕らと、自ら同じ地平に立とうと言うのか!?
そんな果敢な少女を目の前にして、僕は無言で大阪さんにアイコンタクトを取る。
(どうするんですか!?)
(行ける! 俺達はまだ行けるはずや!)
続行決定。第七封殺者である彼女と戦う運命が切り開けた。
恐らく、既に何人かの封殺者は僕らに倒されているのだ。
そこで第七封殺者たる彼女の登場である。
幼い少女の見かけなのに強い! 凄い! ってパターンだろう。
となれば僕らが取る行動は自ずと決まって来る。
数々の戦闘経験から目の前の少女を舐めてかかる。そんな感じだ。
瞬時のそれらの設定を思い浮かべながら、僕は目の前の少女に言った。
「僕達二人を相手に勝てると思ってるの?」
「せやな。嬢ちゃん、痛い目みいひん前に、飴でも舐めてお家に帰りや……!」
見事なコンビネーションを見せる僕ら。
何故僕と大阪さんは同じ設定を考え着けるのだろう?
それを考えると謎の焦燥感が湧くが、今はそれよりも神経を集中すべき事がある。
気勢を上げる僕らの前で、ツインテールの少女は傲然と笑みを湛えている。
裂帛の緊張が走る。
激しい雨の中、対峙する僕達。
やがて少女はその均衡を崩すかのように、ゆっくりと足を踏み出した。
「アタシの、ふわぁぁ!?」
短い悲鳴と共に足を滑らす少女を、僕と大阪さんは呆然と見ていた。
雨が降る。街を、コンクリートを、石畳を濡らしていく。
ついでに、石畳の上に倒れ伏す少女の上にも容赦無く降り注いでいた。
どうすればいいんだ!?
この寸劇の落とし所を見失った僕は、うろたえながら大阪さんを見た。
「大阪さん……大阪さーーーん!?」
大阪さんもまた倒れていた。
無慈悲な雨が、傷付き倒れ伏す戦士の体を打つ。
「何が!? ……どうして!?」
一体どういう設定が大阪さんの中で展開されているのか。
分からなくなった僕は、倒れ込んだ大阪さんを抱きかかえた。
僕の胸の中で、大阪さんは弱々しく語る。
「あの女……、」
痛みに顔を顰める演技をする大阪さん。
彼女が倒れる瞬間、攻防があったという事なのか?
すばやく設定を汲み上げていく僕。
大阪さんは、苦しげに息を吐きながら言った。
「恐ろしい奴やった。……相打ちとはな」
ゴフッ、と血を吐く演技をする大阪さん。
あの一瞬で相打ち……っていうか、この後の展開を考えるのが面倒になって、自ら倒れる道を選んだんじゃないか?
ズルイよそんなの! この後の収拾を僕に投げるって言うのか!?
「そんな、大阪さん、嘘ですよね!?」
この後どうすれば良いのか。
何も分からない僕は、ただただ大阪さんの肩を揺する。
演技を超えた必死さがそこにあった。
「すまん……坊主……!」
ガクリと全身から力を抜く大阪さん。
僕は、絶叫した。
「大阪さーーーん!!」
悲痛な声を上げる。
相打ちに倒れる大阪さん。
そして、さっきからずっと倒れたままの少女。
勢いとノリと悪ふざけで築き上げたこの舞台。唯一生き残った僕が、素面に戻って終りを告げねばならない。
冷たい雨に打たれながら、その瞬間の気恥ずかしさを思う僕。
遠くに薄汚れた街が見える。雨雫が白く弾け、荒涼とした風が吹いていた。