60日目 僕の嘘を信じる君へ / イエスタディ・ワンスモア
オレンジ色に染まる大地が見える。
公園の高台から眺める街並みはミニチュアのようで、ただ沈み行く太陽だけが本物に見えた。
木製の白いベンチに腰掛ける僕。硬いし冷たいし、あまり座り心地が良いとは言えない。
まあ座り心地の良いベンチなんて物を作るくらいなら、もっと他に税金をかけるべき物があるだろう。僕は1人納得していた。
隣に座る冷蔵子さんも、僕と同じように黄昏空を眺めていた。
夕影の中、深い陰陽がセピア色を思わせる。
地面に長い影を落としながら、その瞳は愁いを帯びていた。
夕日が堕ちて行く。やがて夜が来るだろう。その前にと思い、僕は彼女に言った。
「見つかん無かったよ」
彼女は直ぐには返事を返さなかった。
俯いたまま長く伸びる鉄柵の影を見つめている。やがて、ポツリと呟くように言った。
「ちゃんと探したのかしら?」
「うん? まあ出来るだけね」
それっきり会話が止まる。
夕焼けに照らされた雲が空に影を落としている。
群れ行く鳥は黒い輪郭だけの存在となり、遥か彼方へと向かい行く。
僕はポリポリと頭を掻きながら、次の言葉を探した。
「高かったの?」
「そう、ね」
歯切れ悪く答える冷蔵子さん。
僕はチラリと彼女の足元を見た。彼女の右足は黒いソックスだけとなっている。在るべき靴が、そこには無かった。
遡ること30分ほど前の事である。
公園の高台にて、僕はロケットキックの練習をしていた。
ロケットキック……簡単に言うと、靴を飛ばすだけである。
何故そんな事をしていたか聞かれると困るが、一言で言えば魔が差したのだ。
そんな所を冷蔵子さんに見つかってしまった。
「……何をやっているのかしら?」
本当に不思議そうに尋ねてくる彼女。僕は言葉に詰まった。
ロケットキックでーす! なんて言った日には頭の中身を疑われそうだった。
何てこったい、日頃の行いが今日の僕を苦しめるのさ! と謎のテンションになりつつ、頭の中から適当に言葉を探る。こんな時、何と言って誤魔化すか……。
正直に言う気は全く無い。とにかく、彼女を騙せそうな作り話を考えた。
「知らない? これ、この公園で有名な恋愛祈願だよ」
頭に浮かんだ謎の恋愛祈願方法を語る。そこからの僕は凄かった。
この公園では靴を投げて恋愛成就を祈るだの、上手く銅像に乗ったら想い人と上手く行く伝説があるだの、全くのデタラメを真剣な目で語った。
ま、ちょっとユニークな願掛けだね? なんて。本当にユニークなのは僕の頭の方だが、それは認めない方が吉だろう。
さてはて。僕の話を信じたのか、それとも信じたフリをしてからかおうと思ったのだろうか?
冷蔵子さんが靴投げ祈願をすると言い出したのだ。
ははっ、やっぱり君もスピリチュアルとか信じてるの? なんて言いながら、僕はこのデタラメな恋愛祈願法のつじつまを合わせる事だけを考えていた。
「あの銅像の頭の上に乗ったら完璧だって」
そう言いながら、僕は高台にある銅像を指差した。
複雑な造形の銅像はどこが頭なのか一見して分からなかったが、勘でいい加減に説明した。
ふふん、見てなさいなんて言いながら意気込む冷蔵子さん。
意外と勝負事に熱くなるタイプである。
そして彼女が必殺シュートを放つが如く足を振り上げた時。
そのままの勢いで靴がすっぽ抜けた。狙いとは真逆へと飛んで行く靴。
呆然と振り返った僕らが見たのは、安全用の鉄柵を越え、崖になっている茂みへと消えて行く彼女の右足の靴だった。
何が悪かったのだろう?
まず、冷蔵子さんの運動神経が悪かった。これは間違いない。
そして、場所が悪かった。自然を生かした作りのこの公園は茂みが多い。しかも今いる場所はちょっとした小山の上のような場所で、つまりは小山の上から崖下の茂みに物を落としてしまったような状態になっていた。
まあ何より悪いのは作り話をした僕である。
罪悪感からすぐさま彼女の靴を探しに行った。しかしこれがまあ見つからない。
見つかるのは空き缶とハリセンとお面だけ。この公園の使われ方が不憫でならない。
しまいには薄暗くなってくるわで、僕は発見を諦めた。
とぼとぼと冷蔵子さんの元に帰り、その隣に座りながら残念会が始まったというわけである。
高かったという彼女の靴は見つからず。
しかしそれはそれとして、別の問題にも目を向けなければならない。
「んでさ、どうやって寮まで帰る?」
穏やかな夕日に照らされながら僕は聞いた。
僕らの学園では、基本的に学生は寮暮らしだ。
つまり僕も彼女も帰る所は同じ敷地である。
「代わりの靴を取ってきてもらおうかしら……」
しょんぼりと呟く冷蔵子さん。
靴を無くした事か、自分の運動神経の無さか。あるいは靴投げ祈願という馬鹿げた行いを恥じているのだろうか、彼女はどこか元気が無かった。
ズキズキと良心が痛む僕だったが、それはそれとして思いついた問題点を上げてみた。
「僕が女子寮に行って靴を持って来れるかな? 怪しまれない?」
「そうねぇ……」
そう言ったきり、考え込む冷蔵子さん。
橙色の塊となった太陽は容赦なく沈んで行く。
夜が来る。時間はあまり残されていない。
僕は現実的な案を提示した。
「僕が背負って帰ろうか?」
彼女は俯いたまま黙る。地面を見つめたまま返事をして来た。
「……何を?」
「君を」
僕の言葉の後も、彼女は俯いたまま動かなかった。
夕焼けに全身をオレンジ色に染め上げられながら深く黙考している。
西へと向かう鳥の群れ。遠鳴きが聞こえた。
「はっ?」
僕を黙殺したかに思えた冷蔵子さんが、突然驚きの声を上げた。
その驚きが何を指しての物なのか瞬時には判断でき無い僕。ややあってから、僕の提案に対しての物だと気が付いた。
「いやだから、僕がおぶって帰ろうか?」
言葉を変えて言い直す。
どうせ帰る場所はほぼ同じなんだし、代わりの靴を探すよりは手っ取り早く思えた。
しかし僕の素敵な提案を冷蔵子さんはきっぱりと断った。
「イヤよ」
「なんで?」
「……イヤらしい」
「えっ!? 何でそういう話になんの!?」
急に肩を抱くようにして僕を睨む冷蔵子さん。
意味不明の行動に、僕は抗議の声を上げる。
彼女は少し頬を染めながら僕を糾弾した。
「その……胸が当たるでしょ」
なるほどそこは気が付かなかった。
彼女をおんぶするとなれば、必然的に彼女の胸部が僕の背中に押し付けられる形になる。
自分自身のデリカシーの無さに恥じ入るばかりである。
ならばと僕は再び提案した。
「じゃあさ、背中合わせで腕を組んでおんぶってのはどう?」
「それはただの組体操じゃないかしら?」
呆れ顔で言う冷蔵子さん。
まあその通りだろう。未だかつて背中合わせのおんぶで人を運んでいる姿を見た事は無い。
頭を悩ませる僕だったが、人の抱きかかえ方にバリエーションなんてほとんど無い事に気付いた。
前か後ろか。後ろがダメならもう前しか残っていない。
僕はさながら茹で卵をテーブルの上に立てたコロンブスのように、自信満々に解決策を言った。
「じゃああれだよ、お姫様抱っこってやつしか無いよ」
「それは本当にイヤ!」
何がイヤなのか、顔を赤く染めながらキッと僕を睨む冷蔵子さん。
しかし太陽はもう半分以上沈み、辺りは夜の喧騒に包まれ始めている。
悩んでいたり躊躇っている時間は残されていないのだ。
僕は正面から彼女を見据えながら説得を始める。
「そんな事言ったって、門限まで時間無いよ?」
「イヤイヤ! 絶対にイヤ!」
聞く耳持ってねえ。
早々に説得を諦めた僕は実力行使に出た。
無言で彼女の膝裏と背中を抱えると、そのまま持ち上げる。あら? 案外軽いな。
彼女の食生活を母親のように心配する僕に、彼女からの怒号が響く。
「ちょ、ちょっと! 下ろしなさいよ!」
「下ろさない! そして夕食はきちんと食べなさい!」
ギャアギャア騒ぐ彼女を抱えて走り出す僕。
果たして門限に間に合うだろうか――!?
ゴールした瞬間に伝説になるとは露知らず。
僕は冷蔵子さんをお姫様抱っこしながら、ひたすら寮を目指した。