57日目 あなたは草か?(いいえ違います)
「第1回! 草むしりの効率的な方法について~」
いつもの殺風景な部屋の中。
ホワイトボードの前に立つ先輩が何やら喚いていた。
ボードには『むしれ』とだけ書かれている。
もうちょっと何か他に書くべき事があるんじゃないだろうか?
後ろの方に座る冷蔵子さんを見る。
我関せずと言った様子でジッと本を読んでいる。
まあどうせ後で参加してくるだろう。そんな事を思いながら、僕はホワイトボードの前で熊の木彫り人形のように立ち竦む先輩に向かって言った。
「先輩、『むしれ』の他にも何か書いて下さい」
「むむっ?」っと唸った後、先輩はホワイトボードに向かった。
黒のフェルトペンのキャップを外すと何やらキュキュっと書き出している。
ものの数秒で書き終えたらしい先輩は、やり遂げたような笑顔を見せた。
「書いたよ!」
ホワイトボードには『むしれ』の隣に『もっと!』と書き足されていた。
……いや、何も言うまい。
僕は言いかけた言葉を心の中にしまいながら、先輩に向かって言った。
「草むしりって、具体的に何を指すんでしょうか?」
「むむっ!? 禅問答のような質問ね!」
「いや、そう言った意図は全く無いですが」
「よろしい! ならば答えよう!」
全く聞く耳を持たない先輩は、何やら尊大な態度でこちらを窺っている。
多分あれだ、ヒゲを生やした仙人にでも成りきっているのだろう。
そんなチープな仙人が、草むしりはとは何であるかを語り出した。
「草むしりとは……雑草を抜くことと見つけたり!」
瞳をキラーンと輝かせる先輩。
その輝きをもっと他の事に生かせないのだろうか?
何かこう……草むしり以外でも輝けるでしょう? ねえ?
僕が余計な心配を抱いている時、やはりと言うか気勢を上げる存在があった。
言わずとしれた冷蔵子さんである。
黒い皮のカバーに覆われた本をゆっくりと伏せると、マイナス273度を軽々と超えるような視線を先輩に向けて言った。
「雑草とは何かしら? あなたに……何が雑草なのか選別する権利があるのかしら?」
ふむ……雑草の分類方法についての指摘か。
一口に雑草と言っても、実に様々な種類がある。
色んな種類の草の総称として雑草というカテゴリーがあるのだ。
食える草は雑草に含まれたり含まれなかったり。ヨモギなんかはギリギリのラインだ。
誰もが雑草と思う草と言えば、例えばセイタカアワダチソウがあるだろう。
つまり冷蔵子さんの言葉は、セイタカアワダチソウを雑草と呼ぶ理由は何か? と言った感じの趣旨なのだろうと推測する。
うん、分からない。多分雑草じゃないかな?
僕は頬杖を突きながらそんな事を適当に考えていた。
冷蔵子さんの指摘を受けた先輩は、何やら難しい表情をしている。
まるで武田信玄と対峙する上杉謙信のような真顔になったかと思うと、通った鼻梁が目立つ顔に、どこか冷えた色を帯びながら言った。
「例えどれほど言い繕ったとしても……雑草と呼ぶべき草はあるよ!」
先輩は、まるで数多の犠牲の上に自由を勝ち取ろうとする女神のようだった。
毅然とした双眸には、青白い炎が揺らめいている。
理想通りに行かない苦界の中にあって、奇跡の不備を知りながらも前進しようとする革命者。あるいは鉄の女と呼ばれた政治家か。
不断の意思で教育改革を成し遂げた偉人を思い浮かべる僕に、冷蔵子さんの反論が聞こえてきた。
「あなたのその傲慢が、摘むべきで無い草を摘んでしまったとは言えないかしら?」
そうそう、意外な事に校庭にはハーブも生えているのだ。
知らない人からすれば雑草でしか無いから、掃除の時間には容赦無く毟られている事だろう。
ハーブ愛護論を繰り出す冷蔵子さん。そんな冷蔵子さんに、先輩は果敢に挑んでいく。
「じゃあ、あなたは校庭が雑草だらけになっても良いっていうの!? そんなの絶対おかしいよ!」
「雑草にも命があるわ! 無闇に命を奪う事はいけない事よ!」
雑草の魂論を展開する冷蔵子さん。
どうしてそこまで雑草の進退にこだわるのか?
きっと、草の命が光の粒子となって見える新世代の感覚を持っているんだろう。そうに違いない。
痛みに敏感なのって難儀だなぁ、と思う僕に冷蔵子さんが同意を求めてきた。
「あなたも、命は大切だと思うわよね?」
「いや、校庭が雑草だらけじゃ嫌だよ」
僕のありきたりな反論に、冷蔵子さんは「ぐぬぬ!」と憤る。
「この裏切り者!」
「えっ!? いつから僕が雑草派になってたの!?」
憎々しげに僕を見つめる冷蔵子さん。
握り締められた拳がぷるぷる震えている。
しかしどうだろう、このとばっちり感は。一体どの時点で彼女は僕が味方だと思っていたのだろうか? 女の子って不思議だな……。
ふぬぬ! と怒り心頭な冷蔵子さんを、僕は呆然と見つめていた。
一方、小躍りしそうな様子なのが先輩だ。
まるで阪神が勝った時の大阪人のような調子で言った。
「ふはは! 所詮は雑草の命よ! 奪った所で悲しむのはテントウ虫くらいね!」
勝ち誇ったように笑う先輩。
そしてテントウ虫に同調するように悲しむ冷蔵子さん。
雑草の魂の尊厳を賭けた戦いは、先輩の勝利に傾きつつあった。
勝敗の行方を決定付けた物――それはもしかして、僕の不用意な一言だろうか?
不意に胸に浮かんだ、そんな考え。
もしかして、数千、数万の雑草の行く末をこの僕が決めてしまったというのか!?
その恐ろしさから、胸の奥底に湧いて来る戦慄……などと言う物は無い。所詮は雑草じゃないか。抜けば良いじゃん。
ギリギリと歯を食い縛る冷蔵子さんを横目に見ながら、僕はそんな薄情な気持ちを抱いていた。
「じゃあどんどん行くよ~。草むしりってどうすれば効率的かなぁ?」
先輩は意気揚々とホワイトボードの前に立ちながら言った。
その顔には揺るぎない自信が溢れている。いかなる雑草を前にしても、その信念は揺らぐ事は無いだろう。
反面、冷蔵子さんは低温のオーラを放っている。
まるでそこだけ冬が訪れたかのような寒さ。凍てついたような目を主に僕に向けてくる。
「あなたが全部摘めばいいんじゃないのかしら?」
冷蔵子さんは僕を睨みながら言った。
「そして、幾千の断末魔を浴びると良いわ!」
「いやそんな、人を悪者みたいに……」
やんわりと抗議する僕。
そんな僕に、冷蔵子さんは部屋の温度を5度ほど下げそうな冷笑を浮かべながら言った。
「裏切り者の末路って、知っているかしら?」
「だから、僕は最初から雑草派じゃないし、」
「黙って! あなたは幾千の命を見殺しにしたのよ!」
イヤイヤと首を振る冷蔵子さん。
何が彼女をここまで駆り立てるのだろう? まるで理解できない。女の子って不思議だなぁ……。
何だか後が怖い。感嘆ともつかない溜息を吐きながら、僕は憤慨し続ける冷蔵子さんに交渉してみる事にした。
「今度さ、何か奢るから許してよ」
ピタリ、と動きを止める冷蔵子さん。
自分で埋めたドングリの存在を忘れるリスのように怒りを忘れると、至極冷静になりながら口早に言った。
「風花堂のシナモンパイで手を打つわ」
「お、おう」
そのあまりに鮮やかな転身に思わず口ごもる僕。
風花堂ってどこだ? と脳内地図を探っていると、先輩が愕然としながら叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってー!? なんで敗者にご褒美が与えられるの!? そんなの絶対おかしいよ!」
涙目の先輩。
何がおかしかったのだろう。多分、雑草の抜き方を議論し始めた段階でおかしかったんだろう。
そんな事を無感動に考える僕だった。