53日目 犬の運命
スプートニクのライカ。
それはかつて、宇宙船に乗せられた犬の名前である。
時に西暦1950年代後半。
第二次世界大戦後に世界は2つに分かれた。
東西冷戦と呼ばれる時代の中。
ソ連とアメリカの2つの超大国は、宇宙開発技術で競い合う事になる。
世界初の人工衛星『スプートニク』を打ち上げたソ連。
続けて、最初の宇宙船クルーも誕生する事になる。
ライカ。そう名付けられた犬は、その瞳に蒼い地球を映しながら生涯を終えた。
そんな歌がある。
青空の中、太陽は中天に輝いている。
ジャリで飾られた他人の家の庭。
僕はポケットに手を入れながら、そこに立っていた。
古くから建つその家は、文化財に指定されそうな趣を醸し出している。
十分以上に手入れされた家屋はくたびれを感じさせない。
むしろ重厚で絢爛な装いを誇っていた。
「お兄様」
呼びかけられ、僕はポケットに手を入れたまま振り返る。
そこに立っていたのは、この家の持ち主の娘だった。
つまり僕のイトコにあたる女の子で、確か中学3年生だったはずだ。
和服の振袖を持ち上げながら、涙を拭うフリをしている。
「お兄様が長らく来られなくて、わらわは淋しゅうございました」
そう言うと、シクシクと泣き真似を続ける。
うわぁ。超メンドウ臭いんだよな、この娘。
これだから本家には来たくないんだよ。
僕は顔を伏せるイトコを微妙な目で見つめながら言った。
「何か用? ヒナちゃん」
「もう! ヒナって呼び方は止めてよ!」
泣き真似を止めて唇を尖らせるイトコを見て、僕は嘆息する。
昔から、雛人形に似てるって事で親戚一同が彼女をヒナちゃんと呼んでいるのだ。
僕1人が呼び方を変えると、逆に浮くじゃないか。
そんな事を僕が考えている間に、彼女は再び悲劇のヒロインになりきっていた。
「嗚呼、なんと悲しい運命なのでしょう」
そのセリフと共に、ヨヨヨと泣き崩れる『フリ』をする。
薄幸の美少女のように顔を伏せると、搾り出すように声を出した。
「まるでわらわ達は、運命に引き裂かれる犬のよう……!」
犬っすか……。
僕は再び微妙な表情でヒナちゃんを見つめた。
せめて人間に例えて欲しかった!
運命に引き裂かれる犬ってなんだよ! なんで名犬物語なんだよ!
しかし相手は子供だ。無闇にツッコムとマジ泣きしかねない。
引きつった笑顔を作りながら、なるべく優しく聞き返す。
「どんな運命の犬なのかな?」
「あら、お兄様? 覚えていらっしゃらないの?」
覚える? ヒナちゃんの不可解な言い方に疑問を浮かべる僕。
そんな僕の様子に気が付いたヒナちゃんは、謎のジェスチャーを開始した。
一端しゃがむと、立ち上がりながら腕を伸ばす。
ご丁寧に効果音まで表現してくれた。
「チュドーン、ぶーすたー切り離しぃー」
この身振り手振りから答えを導きだせという事だ。
こういうのがメンドウ臭いんだよなぁ……。
僕は着物を振り乱すヒナちゃんを見ながら、答えを連想していった。
「……ロケット?」
「当たりー! ゴゴゴゴゴ~」
どうやら正解だったようだ。
気を良くした彼女は、さらに続けた。
「しゅぱー、大気圏とっぱ!」
「宇宙船か」
「地球は青いワン! ばたんきゅ~」
「…………犬の惑星だったの?」
「ぶっぶ~! なぁんで犬の惑星なの! ふぁっきゅー!」
……何か前に会った時より口が悪くなったなあ。
不正解を出した僕を罵るヒナちゃん。
プンプンと頬を膨らませながら抗議してきた。
「お兄様が教えてくれたんじゃない! スプートニクのライカ犬!」
「なんだっけそれ?」
「本気で忘れたの!? わらわ超ショック!」
肩を落としながら、愕然とした目で僕を見るヒナちゃん。
かと思えば、いきなり僕を指差しながら言ってきた。
「もう! とにかく、お兄様は宇宙船の中で死ぬの!」
「ええっ!? なんで!?」
僕の抗議を無視しながら、彼女は続ける。
「青い地球を眺めながらお兄様はこう想うの。『嗚呼、もう1度だけわらわの顔がみたい』って。そしてその生涯を閉じるの!」
想像してみる。
密閉された宇宙船の中。もうすぐ死ぬ僕。
果たしてどんな行動を取るだろうか?
「う~ん、僕だったら鼻水垂らしながら宇宙船の窓を叩くと思うよ」
「イヤっ! そんなの美しく無い!」
イヤイヤと首を振るヒナちゃん。
そんな事を言われても困る。
死に方くらい好きに選ばせて欲しい。
「僕が犬なら、君は何の役なの?」
「わらわは地球です!」
「じゃあ僕が見たいのは誰の顔なの?」
「はーい、それはわらわの顔ですっ!」
元気いっぱいに答えるヒナちゃん。
……何が何だか分からない。
地球が彼女で、そこに彼女が居て、僕は彼女の顔が見たい?
結論。適当に流そう。
「……感動的だね!」
「そうなんです!」
適当に相槌を打った僕に、力強く答える彼女。
そして両手を胸の前で組んだかと思うと、夢見る少女のように語り出した。
「そしてお兄様を乗せた宇宙船は、永遠にわらわの周りを回り続けるんです!」
それは美しい光景……なのかな?
地球とロケットのSF的な構図を思い浮かべながら。
僕は衛星となったロケットの周回軌道を思うのだった。