52日目 二人でいれば自由
「本当にあそこだったんでしょうね?」
「マジダッテ。ボク、ウソツカナイヨ」
「……もの凄く妖しいのだけど?」
並木の続く通りを歩く、僕と冷蔵子さん。
何故か僕の黒歴史を暴こうとする彼女。
そんな彼女に僕は連行されていた。
忌まわしき思い出の地、プラネタリウム。
そこに案内しろと言われ、僕は即座に断った。
しかし冷蔵子さんは諦めない。
冷徹な目を僕に向けながら切り札を放った。
「じゃあ、前にあなたが私のパンツを見た事を言いふらすわよ?」
人生とは切ないものである。
僕は苦渋の決断を選ぶしかなかった。
そしてプラネタリウムツアーが決行されたわけだが、肝心のプラネタリウムは既に廃墟となっていた。
無駄足になった事を悲しむべきか、喜ぶべきか。
怒ることを選択したらしい冷蔵子さんは、さらに僕へと疑問をぶつけてくる。
「大体、なんでプラネタリウムに行った事をそんなに隠そうとするのかしら?」
「ははっ。隠そうとなんてしてないよ」
「じゃあ言いなさいよ」
居丈高に言う彼女に、僕は苦い笑みを返した。
言えない。絶対に。
プラネタリウムにまつわる思い出は、決して表に出してはいけない。
当事者の僕でさえ、断片的にしか思い出していない記憶。
しかし頭の奥で「シャレになってない」という警鐘が鳴り続けるのだ。
覚えているのは、幼き先輩と犬の断片的なイメージ。
そして新たに思い出した単語――国宝――。
非常に嫌な予感がする組み合わせだ。
ダメだ、思い出すな。
頭の中のもう1人の僕の叫びに従い、ムリヤリ話題を変える事にした。
「君ってさ、どうしていっつも1人で本を読んでんの?」
氷の女王。冷蔵子さんに対し、僕の友人が言った言葉だ。
そんな友人の言葉を思い出しながら、僕は何気なく聞いた。
「そうね……」
少しだけ言いよどむ冷蔵子さん。
「1人で居れば自由でいられるから、かしら」
「ふーん」
そんなもんかなぁ。
まあ確かに、1人なら自由っちゃ自由かな。
それだけが理由でも無い気がしたけど、僕は深くは尋ねなかった。
しばし無言で歩く僕ら。
ふっと視線を向けて、冷蔵子さんは言った。
「あなた達はよく2人で居るわね」
あなた達と来たか。
多分、先輩と僕の事だろう。
色々と理由を考えてみるけど、これだという決め手に欠ける。
そこで僕は、冷蔵子さんのセリフをそのまま借りる事にした。
「そうだね、2人で居ると自由でいられるから、かな」
「えい」
「痛っ!? 腕を抓らないでよ!」
僕の右手に左手を絡ませた冷蔵子さん。
そのまま流れるような動作で、右手を使って僕の腕を抓って来る。
なんでこういう動きだけは異常に得意なんだ?
運動神経無いくせに。
拷問に冴えた才能を見せる冷蔵子さんに対し、僕は人知れず恐怖を感じていた。
「あなたが私のセリフを茶化すからよ」
ツンと怒った表情を浮かべる冷蔵子さん。
うーん、茶化すつもりは無かったんだけどな。
僕の腕を抓り続ける彼女に、言い訳するように言った。
「どう言ったら良いかな~。先輩の中の僕?」
「心理学的な言葉でデタラメ言う気でしょう?」
「違うよ! ……多分」
否定しながらも、僕は曖昧に答えた。
実際、自分でも何を言おうとしているのか掴めない。
漠然とした思いを言葉にするような心許なさを感じながらも、僕は言った。
「君だって、僕の前と他の人の前じゃ随分態度が違うでしょ?」
思い浮かべたのは、普段の冷蔵子さんの姿だった。
「僕の前でしか出せない性格だって、君にもあるんじゃない?」
人の性格は、色んな面を持っている。
確か心理学用語ではペルソナとか言ったはずだ。
先輩とバカな事をしている僕。
冷蔵子さんと勝負している僕
大阪さんに若干キレている僕。
仮面を被っているわけでは無い。
だけど、それぞれ違った僕だ。
きっと誰かの前でしか出せない自分があるんだろう。
誰かの中の僕。そんな気がする。
「ふん。分かったような事を言うのね?」
冷蔵子さんは、僕の顔を覗き見るように顔を近づけて来た。
ふわりと揺れる彼女を髪を目で追いながら。
彼女は僕の前ではどんな性格になっているんだろう?
そんな事を胸に思った。
えーと、僕の中の彼女と彼女の中の僕が……。
あれ? 一体僕は何を言っているんだ?
「うーん、自分でも何言ってるんだか分かんなくなってきた」
頭が混乱してきた僕に、冷蔵子さんは呆れたような笑いを見せた。
僕はポリポリと頭を掻く。
それにしても、一体いつ僕の右手は解放されるんだろう?
さっきからずっと絡め取られたままなんだけど?
僕の右手を絡め取る冷蔵子さんの左腕に視線を向ける。
しかし彼女は僕の視線には気付かなかったようだ。
妙にすました顔をしながら得意気に言った。
「でもそうね。あなたと一緒に居る時の私は、嫌いでは無いわ」
「おお!? 何か文学的表現だね」
「ふふん、文学を甘く見ない事ね!」
得意気に言う冷蔵子さん。
そんな彼女を見ながら、僕の頭に何かが閃く。
文学。文学から何かを連想していく僕の灰色の脳細胞。
「文学って言えば……あ、そうだ文楽だ」
「いきなり話が飛ぶわね」
腕を組みながら歩く。
文楽だ、などと言いつつも僕はその言葉の意味が思い出せなかった。
文学と文楽。1文字違いだ。それ以外は思い出せない。
自分自身の脳細胞の不甲斐なさに驚きながら。
僕は手っ取り早く、冷蔵子さんに聞いてみる事にした。
「文楽って何だったっけ? 古典芸能だった気がするけど」
「文楽は、人形を使った浄瑠璃の通称よ」
「ああそうそう。そんな感じ」
僕の質問に即座に答える冷蔵子さん。
さすがと言わざるを得ない。
感心する僕に向かって、さらに冷蔵庫さんは話を続ける。
「中々趣きがあって面白いわよ、文楽って」
「僕はあれをやってみたいな、黒子って奴」
思い浮かべるのは、黒頭巾を被ったその姿。
とにかく黒い。意味も無く黒い。
男って、意味も無く黒い物に憧れるよね?
僕は誰にとも無く言い訳をした。
隣の冷蔵子さんはと言えば、右手で口元を隠してクスクスと笑っている。
左手は相変わらず僕の腕に絡めたままだ。
ひとしきり笑うと、しみじみとした口調で言った。
「あなたって、本当に変よね」
「酷っ!? しみじみと言わないでよ!」
冷たく言われるよりさらに傷付くよ!
まるで僕が、取り返しがつかない人みたいじゃないか!
再びクスクスと笑う冷蔵子さんの隣で、僕はガビーンと言った表情を浮かべていた。