50日目 明日の一番星
「明日の一番星はボクの物!」
「先輩、何だか絶好調ですね」
拳を振り回してはしゃぐ先輩。
いつもの部屋に静けさは無い。
先輩が1人でぶち壊していた。
荒ぶる鷹のように躍起な先輩。
星降るような瞳に、快活な笑顔を浮かべながら言った。
「何だか最近、丸くなっていた気がするの!」
そして何故かシャドーボクシングを始める。
これは一体どういう現象なんだろう?
先輩には攻撃期とかがあるんだろうか?
そんな疑問を一切顔に出さず、僕はニコニコと笑いながら成り行きを見守った。
シュッ、シュッと拳を突き出す先輩。
華麗な左ストレートを決めた姿勢のまま叫んだ。
「さあ! やるわよ!!」
「何をですか?」
僕の問いかけに対し、ピタリと止まる先輩。
シャドーなボクシングで突き出された拳もそのままだ。
突き出されたままの形で静止する腕が、僕に寂寥を覚えさせる。
やがてふにゃふにゃと腕を萎えさせると、先輩は力なく呻いた。
「……あうう」
……この人は何も考えていなかったのか?
いや、よそう。今さらだ。
逆に何か考えている事の方が少ないんだから、これで問題無い。
自己完結を果たした僕。
そんな時、本を読んでいた冷蔵子さんが少し呆れた感じで言った。
「さっきから煩いわよ」
「うう、ごめんなさい……」
気落ちしたまま謝る先輩。
しかし再びガバッと身を起こしながら言った。
「お経ボンバーよ!!」
「何ですかそれ」
ジト目で聞き返す僕に、先輩は謎のポーズを決めながら答えた。
「お経を元気よく歌うの!」
「スタイリッシュに不謹慎ですね」
何だろう。今日の先輩は一味違う。
確実に転ぶと分かってるのに、全力で疾走する子供のようだ。
勢いだけで進もうとしている。
そういう年頃なんだろうか?
「あんまり変な事してると、お化けが出ますよ?」
やんわりと言った僕。
そんな僕に対し、先輩は背を丸めて両腕を持ち上げた。
「う~しゃー! う~しゃー!」
「何ですかそれ?」
「え? お化け」
手遅れか……。
心のどこかで僕はそう思った。
こんな時は誰かの助けが要る。
僕はそっと冷蔵子さんに視線を送った。
冷蔵子さんは、耳を塞いで机に突っ伏していた。
ああそっか、怖い話苦手だったもんね。
お経の辺りで既にダウンしていたのかな?
仲間のリタイアに、僕は人知れず拳を握り締めた。
誰かが先輩を救わなければいけない。
そう考えて、僕は苦笑する。
何を怯えているんだ僕!
先輩を助けられるのは、僕しかいないじゃないか!
僕はガッと先輩の肩を掴んだ。
そしてしっかりと目を合わせる。
キョドる先輩に向かって強い口調で言った。
「いいですか先輩、僕の目をよく見て下さい」
「おっ、おうっ?」
「僕たちが初めて出会った日の事を覚えてますか?」
そう、初めて出会ったあの頃へ。
あの頃の先輩に戻ってもらうんだ。
このままではダメだ!
若手お笑い芸人のように、一発ネタに走るだけの人になってしまう――!
僕の瞳に正面から見据えらた先輩は、恥らうように身を震わせた。
そっと横を向き、顔を俯かせる。
長い睫を伏せたその横顔は、今にも壊れてしまいそうな儚さを漂わせていた。
しばしの逡巡。
やがて、淡い桜色の唇を微かに開いた。
「えっと……確か、プラネタリウムで――」
「シャラップ! それは幻覚です!!」
「ええっ!?」
僕の黒歴史を語りかけた先輩。
だが語らせるわけには行かない。
その話は、歴史の闇に葬り去られるべきなのだ……!
「僕と先輩が初めてあったのはこの学園です! ドゥーユーアンダスタン!?」
「い、イエス。」
目をパチクリさせながらも、先輩は肯いた。
それを確認した後、僕は話を続けた。
「そう、あれは桜の花びらの舞う中――」
押し黙る先輩を前に、強引に話を進めようとする中。
唐突に復活を果たした冷蔵子さんが、待ったをかけて来た。
「ちょっと待ちなさいよ。プラネタリウムって何なのかしら?」
「知らない! 僕は何も覚えて無い!」
「えっとね、あれは確か――」
喋りかけた先輩の肩を僕は強引に掴んだ。
「先輩! 僕の目を見て下さい!」
「は、はいっ!?」
先輩の肩を握る手にグッと力を込める。
くっ、掴んだは良いがどうすればいいんだ!?
この窮地を、僕の黒歴史を封印するには……!?
めくるめく思考の中。僕は答えを見出した。
「先輩。僕と一緒に、遠くに逃げましょう……!」
「ふええ!?」
「誰も知らない場所へ……僕らの過去を知らない街へ……!」
先輩の顔を正面から見ながら僕は熱く語る。
それはまるであの日の再現だった。
そう、かつて共にプラネタリウムから抜け出したあの時の――。
瞳を潤ませる先輩。
そんな先輩に、僕は苦渋に満ちた声で言った。
「そして、闇に隠れて生きましょう……!」
「ええっ!? なんで!?」
ガビーンと言った表情を浮かべる先輩。
そして先輩の肩を掴み続ける僕に、背後から近付く存在があった。
僕の背中に圧し掛かると、グッと左腕を首に絡めてくる。
これは――スリーパーホールド!!
僕の背中に圧し掛かる冷蔵子さん。
彼女の華奢な腕が僕の首に絡みつく。
驚愕の表情を浮かべる僕に、冷蔵子さんは壮絶な笑みを湛えながら言った。
「……あら、私は置いていくつもりかしら?」
「ぐうう!? 何故僕の過去を知ろうとする!?」
「さあ? なんでかしらね?」
僕の首を絞める腕に、ギリギリと力を込める冷蔵子さん。
過去からは逃れられないのか?
背中に圧し掛かってくる歴史の重さを感じながら思う。
どうして僕は子供の頃、普通に過ごせなかったんだろう?
どうしてあんなにも、大人が子供を騙そうとしていると思い込んでいたのだろうか?
思い出の中で、僕は笑っていた。
その顔に右ストレートを叩き込みたい衝動を抑えながら。僕は今と戦っていた。