46日目 ロミオとジュリエット
「おおロミオ、あなたはどうしてロミオなの?」
「ああジュリエット。愛する両親のネーミングセンスをディスるのは止めておくれ」
「私を想うなら、あなたのお父様を捨てて名前も名乗らないでくだしゃりませ」
「そんなに私の名前が気に入らないのかい? 地味に傷付くよ」
いつもの部屋の中で。
僕は左手を胸に当て、右手を突き出すように伸ばしている。
その先には先輩の姿が。
先輩は両手を胸の前で組み、悲壮感溢れる表情を作っている。
「先輩、この後のセリフって何でしたっけ?」
「えーと、えーと。何だっけ? 『私は人では無くなる』とかそんな感じ?」
「へぇー、随分イカレたストーリーなんですね。さすがシェイクスピア」
中世のストーリーテラーの偉大さに感嘆を漏らす僕。
愛を語り合う場面から一転、突然ヒロインが化物に変貌するのだ。
現代でも通用するほど意外性に満ちたストーリーだろう。
「あなた達、それは一体何のつもりかしら?」
「え? 見てて分らない?」
問いかけてくる冷蔵子さんに、僕は怪訝に思いながら問い返した。
世界三大だか四大だかに選ばれるほど有名な作家、シェイクスピア。
その彼の作品である超有名作『ロミオとジュリエット』だ。
まさか知らないとは思えない。
「うぷぷ。さすがにそれはジョークだよ。ね?」
そう言って冷蔵子さんに微笑みかける先輩。
まあ、さすがにロミオとジュリエットを知らないとは思えない。
やれやれ冗談キツイなぁ、とニヤケ顔をする僕と先輩。
冷蔵子さんは、そんな僕らをどこか呆れた表情で見返した。
はぁ……と溜息を吐くと、人差し指をズビシ! と突きつけて指摘してくる。
「あなた達の寸劇、どこからどう見ても、『ロミオとジュリエット』じゃあないわよ!」
……え?
僕と先輩は疑問符を浮かべながら、お互いに顔を見合う。
「え~? 僕らのセリフ、間違ってましたかね?」
「う~ん……。大筋では間違って無いと思う」
「ですよねえ。間違えようが無いですもんね」
超有名な古典である。
たとえ聞きかじっただけだとしても、耳にした数は数え切れない程だ。
そう考えると、ほぼ全てストーリーを把握していると考えても差し支えあるまい。
実際、僕と先輩のセリフのやり取りに大きな齟齬があったとも思えなかった。
どこが間違っていたのか全く分らない僕と先輩。
そんな僕たちに、冷蔵子さんは心底呆れたような顔で言った。
「何から何まで間違っているわ」
「え~? 本当に?」
疑問の声を上げる僕に、冷蔵子さんは冷え切った目を向けて来た。
そして鋭い視線のまま言う。
「むしろ、あなたの自信の根拠は何かしら?」
むむ、根拠か。
改めて聞かれると返答に困った。
でもさ、根拠とか無くても大方合ってるでしょ? 超有名な作品だもん。
そんな気持ちで、僕は逆に冷蔵子さんに問いかけた。
「じゃあさあ、何パーセントくらい合ってた?」
「ゼロよゼロ」
「ジェロ(ゼロ)!? 嘘だよもうちょっとあるでしょ!?」
「最初の『おお、ロミオ』ってセリフ以外は全く合って無いわよ」
「……それさえ合ってれば9割くらいは合ってない?」
「あなた、一体何を言っているのかしら?」
ジト目を向けてくる冷蔵子さん。
彼女の向けてくる視線の意味が分らない。
『あなたはどうしてロミオなの?』さえ言っとけば通じると思うんだけどなぁ。
9割くらいは。
未だに納得していない僕。
それとは対照的に、先輩はションボリした声で呟いた。
「やっぱり、うろ覚えじゃ無理があったのかなぁ?」
「大体、なんで突然演劇なんて始めたのかしら?」
冷蔵子さんが疑問の声を上げる。
それに対しては僕が答えた。
「ああうん、毒の話からね」
「毒?」
詳しく話すと、我が家の伝統とか血筋とかそういう話になってくる。
だがそこまで聞いている訳では無いだろう。
僕は手早く説明した。
「ほら、ジュリエットって毒を飲むじゃん」
「確か、何度も甦るんだよね!」
相槌を打つ先輩に、僕は自論を展開した。
「きっと人は毒には負けないとか、そういう事を伝えるための物語なんでしょうね」
何度毒に倒れても起き上がる人類の強さ。
じっと先輩の顔を見る。
先輩ならきっと毒に負けない気がする。
「何でシェイクスピアが、フグを食べる縄文人みたいな話を作るのかしら? あなた、真面目に言ってるの?」
やれやれと肩をすくめる冷蔵子さん。
僕の間違いを指摘するのが嬉しくてたまらない、と言った表情だ。
瞳を輝かせながら得意気に語りだした。
「ロミオとジュリエットは愛の物語よ。常識じゃない?」
それは僕の解釈の盲点を突く言葉だった。
そうか……そうだよ!
僕は遅まきながら思い出していた。
ロミオとジュリエットは、確かに純愛のストーリーだった。
そこに僕の解釈を加味して考えると……。
おお、新しい答えが出た。
「つまり、真の愛には毒への耐性が重要だと?」
新たな解釈に至った僕が見たのは、こちらを冷笑する冷蔵子さんだった。
えっ!? 何?
何でバカにされてるの!?
何だか悔しい。
何だかとっても悔しい。
傲然と僕を見下す冷蔵子さん。
そんな彼女に向かい、僕は視線を鋭く光らせながら言った。
「毒への耐性は重要でしょ? 君なんか毒舌が多いしね」
僕のセリフに、冷蔵子さんの顔がさっと赤くなる。
おーおー、怒ってるね。
いいよやってやる、今日は戦争だぜ!
覚悟を決める僕に対し、彼女はプイっと顔を背けながら言った。
「あまり人をからかわない事ね」
……あれー? 怒ってない?
冷蔵子さんって訳わかんないなぁ。
握りかけた拳を下ろしながら、僕は所在無く立ち尽くすのだった。