43日目 山とジイちゃんと僕の涙 ザ・ブリリアント・デイ
たち込める霧。
鬱蒼と茂る樹木が、朝露に濡れる。
道無き道を進みながら、僕は前行くジイちゃんに聞いた。
「ねえ、本当にこの道であってるの?」
「はーはっはっは。心配性じゃのう」
朗らかに笑うジイちゃん。
すたこらと迷いの無い足取りで進んでいく。
目を凝らしてみるが、どこを見ても目印になりそうな物は無い。
木、木、雑草、蔓。そればかりが広がる。
僕には全く道なんて分らなかった。
現在、早朝から某所にある山の中を進んでいる。
なんでもジイちゃんの友達の山で、キノコや山菜を採らしてもらっているのだとか。
「毒キノコ採りにいかねーか?」
そんな痺れる言葉を聞いた僕は、ついついジイちゃんに着いて来たのだ。
古今東西探しても、孫に向かって毒キノコ採ろうぜというのはウチのジイちゃんくらいだろう。
そんなジイちゃんが既に道を見失っているとは露知らず、僕はただジイちゃんの後を追っていた。
「あっはっはー。いつからワシが道を見失って無いと錯覚しておった?」
「うるせーよジイちゃん! なら何で自信満々に進むんだよ!?」
怒号のように叫ぶ僕に対し、ジイちゃんはあくまで平静だ。
年経た者が持つ独特な重厚さ。
年輪とも言えるような自信を醸し出しながら、僕に向かって語る。
「若いのう。男はな、たとえ自信が無くても笑って突き進まなきゃならんのじゃ」
「どう考えても山で取っていい行動じゃないよ!! 完全に迷ってんじゃねーか!!」
「ほっほっほ。迷って進んだ分だけ、強くなれるんじゃ……!」
「迷子が強くなるなんて聞いた事無いよ!!」
無駄な言い争いが山の中に響く。
豪胆に笑うジイちゃんと、半泣きの僕。
そう、僕らは道を見失ったまま進み続けていたのだ。
「遭難しちゃったのう」
「簡単に遭難とか言わないで! まだ道に迷っただけ! 遭難じゃないもん!」
ジイちゃんの遭難宣言に対し、僕は涙目で反論した。
道に迷ったのと遭難とでは、天と地ほどの差があるからだ。
イメージ的に言えば山登りとエベレスト登山くらいの違いだ。
つまり今僕らは、山登りしてるのかエベレストに挑んでるかの瀬戸際なのだ。
覚悟が全然違って来る。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、ジイちゃんは相変わらずマイペースだった。
のんびりと頭上にある木の枝を示すと、得意気な顔で言った。
「ほら、見てみろ。あそこに紫色の実がなってるじゃろう?」
「うん、確かに何かあるけど、今はそれどころじゃ無いよね?」
「よっし、ほらジイちゃんは折り畳み棒を持って来ておったんじゃよ。凄いじゃろう?」
「磁石と地図を用意していて欲しかったよ! 僕は!」
絶叫する僕を無視して、ジイちゃんはホクホク顔で棒を伸ばす。
そのままピシパシと木の枝に当ててると、枝にぶら下っていた紫色の実が落ちて来た。
落ちて来た実を大事そうに拾うと、ジイちゃんは嬉しそうに言った。
「ワシはこれが子供の頃から大好きでのう。これが何か知っとるか?」
「……初めて見るよ」
マイペースなジイちゃんを見ていると、何だか真面目に怒るのがバカらしい……。、
僕は、疲れた目をしながらジイちゃんの手の中にある実を見つめた。
紫色の実はパックリ割れていて、中に白いふわふわした物が見える。
何だこれ? そう思っている僕の目の前で、ジイちゃんはそれにムシャブリついた。
拾ったものを即食いか……。
ジイちゃんには躊躇って言葉が無いんだろうか?
「ムシャムシャ」
「……自由人だね、ジイちゃん」
「おう、甘い! 甘いぞおおお!」
うっひょーって感じで叫ぶジイちゃん。
そのハイテンションさが今は憎い。
ムシャムシャと実を食べつくしたかと思うと、種をペペッと吐き出す。
そして頼んでもいないのに僕に向かって解説を始めた。
「これはな、アケビっちゅーんじゃ。甘いぞ? 欲しいじゃろ?」
「いや、要らないよ」
「ほほほ。今食べないと、一生味わえないかもしれんぞい?」
「ええー……そう来るの?」
ジイちゃんの心くすぐる話術に、僕はまんまと乗せられてしまった。
一生味わえないかもしれないなら、味わってみたいに決まっている。
ジイちゃんから渡された別の実にかぶりつく。
うっわ、甘い。甘いわコレ。
「甘いけど、種が多すぎじゃない? コレ」
「うむ。まあほとんど種じゃからな。しかし昔はこういう物しか無くってのう。ジイちゃん達は、そりゃ猿のようにかぶりついたもんじゃった」
しみじみと語るジイちゃん。
その横顔には、郷愁の想いが垣間見えた。
「山に来るとのう。昔の事を思い出すんじゃ」
「へえ……」
ジイちゃんは眩しい物を見るかのように、目を細めて木々を見つめていた。
一体、どんな思い出なんだろう。
きっと、ジイちゃんにとっては何よりも大切な輝く日々だったに違いない。
ジイちゃんは在りし日を懐かしむように呟いた。
「昔っから、毒キノコを探すのが好きでのう」
「あ、そこは変わらないんだ」
「ふふっ。男だったら毒に憧れるじゃろう?」
そう言ってニカっと笑うジイちゃん。
そんなジイちゃんに共感してしまう辺り、ジイちゃんから僕へと脈々と受け継がれる血統を意識せざるを得なかった。
「でも、どうすんのさ。どうやって帰るの?」
「ふむ……。ジイちゃんとしては2、3日山の中に居てもいいんじゃけどな」
「僕は嫌だよ」
「ふわーはっはっは! 軟弱じゃのう」
何が面白いのか、ジイちゃんは豪快に笑った。
「ま、適当に歩けば帰れるじゃろう」
「ジイちゃん、それは絶対にヤバイと思う!」
即座に否定する僕に、ジイちゃんは笑いながら言った。
「なぁに、ジイちゃんを信じとけ」
「最初は信じてたよ! それがこの様じゃないか!」
「楽しいじゃろう? アケビも食べれたしのう」
「あの甘いだけの実でイーブンになると思ってるの!? 勘違い甚だしいよ!」
ギャアギャア騒ぐ僕の声が、静かな山の中に響き渡る。
帰り道も分らないというのに、余裕綽々のジイちゃん。
本気で2、3日山の中で過ごしても良いと言わんばかりの顔だ。
「助けてー!! 誰か助けてー!!」
「ほほほ。山で叫ぶのは良い事じゃ。熊が寄ってこんからのう」
「マジで助けてー!! 誰かーーー!!」
半泣きで叫ぶ僕。
だが誰も居ない。ジイちゃんの他には僕しか居ない。
現実はいつも過酷だ。
「ジイちゃん! 日が暮れてきたよ!」
「ほほほ。おっ? あれトリカブトじゃね?」
「毒草なんてどうでもいいよ! 生き残る道を探そうよ!」
常にアグレッシブに毒を探そうとするジイちゃんを叱りつつ、僕は地上へと繋がる道を探し続けた。
結局、何とか山道を見つけた僕とジイちゃんは辛くも下山する事に。
「ま、今日は山遊びの半分って所かのう?」
そんな感想を告げるジイちゃんに、僕は2度とジイちゃんと一緒には山に来ない事を胸に誓った。