42日目 雨、そして――
その日は午後から雨だった。
「うっわー……」
滝のように降る雨を眺めながら、僕は溜息を吐いた。
どう考えても振り過ぎだ。
傘も無いし、はてどうしたものか……。
しかし幾ら僕が困っても、雨は全く容赦が無かった。
全然止まない。面白いくらい轟然と降りしきる。
大自然ってスゲーな……と感嘆しつつ、僕は校舎内に戻った。
薄暗い廊下は、アクアリウムのような気配に包まれている。
どこか暗く沈んだ水の中のような雰囲気。
きっと校舎を打つ雨は、マイナスイオンとなってコンクリートを突き抜けているに違いない。
僕はそんな事を考えながら窓の外を流れる雨を見つめた。
「どうした? 少年」
「あ。先輩」
先輩の声に反応し、後ろを振り返る。
そこには予想通り先輩が立っていた。
手には何故か空きビンを持っている
「悩み事かな?」
「いえ、単に傘が無くて帰れないんですけど」
僕の返事に、先輩は不思議そうな顔をして言った。
「傘が無くても帰れるじゃん?」
「最悪そうしますけどね……」
たはは、と笑いながら答える僕。
そんな僕に、先輩は微笑みながら言った。
「ま、いいや。暇だったら私の手伝いでもする?」
吹き抜けになっている1階の渡り廊下。
そこから広がる小さな庭に、透明な空きビンが並べられていた。
大地に降りしきる豪雨が、ビンの中にも溜まっていく。
「おお~すっごい溜まってる」
「シャレにならない降水量ですね」
ビンを並べたのは先輩だ。
地面が白く煙るような勢いの雨。
そんな雨の中、ビンには凄い勢いで雨水が溜まって行く。
「それで先輩、雨水なんか溜めてどうするんですか?」
耳朶を打つ雨音に負けないように、張り上げた声で僕は言った。
「ちっちっち。分らないかな~?」
先輩も同様に、大きめな声で語る。
ビンの半分ほど溜まった雨水を指しながら、言った。
「ミネラルウォーターだよ!」
「み、ミネラルウォーター!?」
「きっと凄い神秘的なパワーが秘められてるよ!」
「先輩! 雨水にそんなパワーは無いと思います!」
「ある! 何故なら、ミネラルだから!」
「あ、雨水ってミネラルですかねぇ?」
疑問の声を上げる僕に、先輩は腕組みしながら自身満々に答えた。
「自然の水だからミネラルウォーターに決まってるじゃん!」
どうしてそこまで自信が持てるのだろう?
僕は先輩の輝く瞳に気圧された。
でも、雨水って埃とか混じってて汚いって聞いたような……。
酸性雨とかだろうし、逆に体にヤバイ気がするんだけど。
やっぱり雨水ってヤベーよ。
大自然と一体になろうとする先輩に、僕は制止をかけた。
地面を叩き続ける雨音に負けないよう、声を張り上げる。
「先輩、ミネラルかどうかは別に良いんですけど、飲むのは止めといた方がいいですよ」
「ん? 飲む?」
「そのビンに溜めた雨水、飲むんでしょ?」
「飲まないよ?」
「ええっ!?」
「このビンも、そこらで拾ってきたものだし」
予想外の返答だ。
じゃあビンに溜めた雨水はどうするつもりなんだ?
そんな疑問を抱く僕の前で、先輩がビンを1つ拾い上げた。
どこか肌寒い空気。
先輩の白く細い腕に支えられたビンの中には、透明な水が揺らいでいた。
「ふっふっふ。大自然のパワーが詰まった水だよ」
「そうなんですかねぇ」
「きっと植物を3倍くらい成長させるパワーを秘めてるよ」
「だったら花壇の花がもっと成長してるんじゃないですか?」
「……あれ?」
冗談で言ってるのかと思いきや、先輩は本気でショックを受けているようだった。
さめざめと降る雨を背景に、先輩は小さく震えていた。
「あれ? 先輩、今ようやく気付いたんですか?」
「そんな……私の完璧な推論が崩れた……?」
愕然とする先輩。
一体『雨水で3倍成長理論』の何が完璧だったんだろうか?
理解に苦しむ僕に、先輩はさらに自論を展開してきた。
「でもでも、雨が足りないと野菜が不作だったりするじゃん?」
「それは単に水分不足なんじゃないかと……」
「ぐぬぬ!?」
拳を握って悔しがる先輩。
一体いつから『雨水で3倍成長理論』を信じてきたのだろう?
まるで格闘漫画の訓練方法に効果が無いと分った時のような顔で、先輩が溜息を吐いた。
「はああ……」
「なんでそんなに気にするんです? 野菜とか育ててるんですか?」
「いやぁ……ゆくゆくは、人体にも応用できると思っていたからさぁ」
人体を3倍成長させてどうする気なんだ?
僕はマジマジと先輩の顔を見た。
「背を伸ばしたかったんだよねぇ……」
そう呟いて、先輩はガックリと肩を落とした。
まあ確かに、先輩の背はそれほど高い方じゃない。
大体160cmくらいだろうか。
別段気にするほど小さいとも思えない。
「そんなに背、小さくないじゃないですか?」
「180cmくらいになりたいんだよねぇ」
しみじみとした口調で先輩は言った。
「ほら、ダンクとか決めたいし」
「そんなにバスケ好きでしたっけ?」
「ダンクだけ決めたいし」
「はぁ」
「ボールは持てるんだよねぇー。後は身長さえあれば……」
腕組みしてぶつぶつと言う先輩。
そんな先輩を見つめながら、僕はついポロッと言った。
「でも僕は、今の身長の先輩が好きですよ」
「んーでもでも、180cmくらいあった方がスーパーモデルっぽくない?」
「日本にスーパーモデルとか必要無いですって」
何だかモデルっぽいポーズを取る先輩に、僕は笑った。